韓国で1954年に創立された旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は米国に支援された宗教団体を装った政治組織であり、日本の自民党も同じく資金面を含め米CIAに全面支援されて翌1955年に発足した。休戦の形をとった朝鮮戦争後の韓国と日本を反共産主義の強固な防波堤にしようとするワシントンの極東政策が自民党と統一教会を生んだのであり、両者は兄弟組織と言える。統一教会の背後には米国の権力中枢が存在し、自民党は絶えずこれに脅えて協力を余儀なくされてきた。こうとらえれば日本で半永久的に政権を握る自民党がなぜ70年近く統一教会と密接な関係にあったのかがすんなり理解できる。山上徹也容疑者は安倍・自民党と統一教会の一体性に気付いたが故に、ためらいなく安倍晋三に銃口を向けたと思われる。
1945年8月から1952年4月まで日本を軍事占領した米国は裕仁天皇の戦争責任免責と天皇制存続を前提に日本の戦前権力層の対米協調派を主に利用して占領統治を始めた。冷戦の深刻化とともに1948年末に巣鴨プリズン三人組と呼ばれた岸信介、児玉誉士夫、笹川良一を出所させ日本の超国家主義者、右翼を占領政策の補完勢力として利用しようとした=写真、弟佐藤栄作と岸(左)=。CIAは直ちに米誌「ニューズウィーク」を隠れ蓑に岸に接近して米保守政界・諜報機関のインナーサークルに取り込む。そして岸は巣鴨出所から10年足らずで内閣総理大臣の座を射止める。
韓国で創設された統一教会を日本に設けるには岸が最適任だった。なぜなら統一教会・文鮮明、自民党・岸信介ともに「冷戦・CIAの子」だったからだ。長年安倍番を務めた記者によると、岸の娘で安倍晋三の母洋子はかつて「晋三は運命の子」と語った。岸の巣鴨出所から74年経て、洋子の言葉は、統一教会に人生をズタズタにされた山上容疑者の憤激と復讐の標的となった息子の末路を予期したかのように響く。
統一教会は日本では1964年に久保木修己(1931-1998)を初代会長として宗教法人の認可を獲得、1968年には「国際勝共連合」を設立した。久保木没後、統一教会の日本での機関紙「世界日報」は久保木の遺稿集として「美しい国 日本の使命 」を刊行した。それから2年後の2006年7月、小泉内閣で異例の若さで内閣官房長官を務めていた安倍晋三は同年9月20日予定の自民党総裁選挙への出馬に備え、『美しい国へ』を文藝春秋から新書版で上梓。日本国内での売り上げは50万部を超えた。また、米国、韓国、中国、台湾など国外でも発売が企画された。
戦後最年少で日本の首相となった安倍によって「統一教会・自民党」政権が発足したのだった。第一次安倍政権のイデオロギー装置・日本会議はダミーだったとも言える。
1954年に統一教会が創設される際、韓国軍の将校4人が教団幹部として参加した。そのひとり朴普煕(1930-2019)は朝鮮戦争が終わるとフォートベニング陸軍歩兵学校(米ジョージア州)で訓練を受けた後、米国を拠点に統一教会を率いた。「ニューズ・ワールド」、「ニューヨーク・シティー・トリビューン」、韓国日刊紙『世界日報』、米紙『ワシントン・タイムズ』を刊行、「韓米文化自由財団」総裁、「カウサ・インターナショナル」会長、「世界平和連合」議長、「韓国文化財団」理事長、「中南米統合機構」総裁、「世界平和頂上会議」議長、「世界言論人協会」会長を歴任した。
一方、同じ1954年に韓国で「APACL(アジア人民反共連盟)」が創設される。第5代CIA長官アレン・ダレスが根まわしをし、台湾の蒋介石、韓国の李承晩が中心的役割を担い、日本からは児玉誉士夫や笹川良一が駆けつけた。東京で開かれた1962年APACL会合では、日本支部設立を推進した岸信介が大会議長、スイス公使としてCIAの前身OSSスイス支局長アレン・ダラスらと終戦工作に当たった加瀬俊一が事務局長に就任。東条内閣外相の谷正之、石井光次郎、中曽根康弘、椎名悦三郎ら自民党議員、商杉普一(三菱電機会長)、堀越禎一(経団連事務局長)、松下正寿(立教大教授) 、細川隆元(評論家)、小林中(経団連理事)ら国内35名、米駐日大使ら外国代表86名が集まった。 準備委員会には岸のほか、吉田茂元首相、石坂泰三経団連会長、植村甲午郎経団連副会長、足立正日商会頭など日本の政財界トップが名をつらねた。
APACLは1966年に米諜報機関を後ろ盾とする東欧出身の親ファシスト派組織「ABN(反ボルシェビキ国家連合)」と統合してWACL(世界反共連盟)となる。2年後に日韓両国の統一協会は「国際勝共違合」という看板を掲げて、宗教と反共団体の二足のわらじをはく。米国にとって日韓を結ぶこの反共団体は世界規模の反共運動の重要なコマとして機能した。
統一教会の背後にあるのはいうまでもなく米金融資本を核とする米保守支配層であり、冷戦後のここ30年はネオコンに米政界を取り仕切らせてきた。安倍暗殺事件を掘り下げるにはポスト冷戦期における米国の単独覇権維持というグローバルな視点が必要だ。この視点に立てば、安倍国葬を9月に東京で執り行い、これを大規模な弔問外交の場とし、「安倍の遺志」として対中露冷戦の布陣を拡大、強化しようとする米政権の意図が透けて見えてくる。さらには欧米をはじめ世界各国に大型外交団を日本に派遣させ、生前安倍がしきりに口にした「世界の中心で輝く日本」を国葬の場で実現し、「美しい国・強い日本を取り戻す」との安倍の遺志を保守層を中心に日本人に強くアピールしたいのだ。
彼らにとって安倍の最大の功績は日本を事実上NATO「加盟国」とし、「自由で開かれたインド太平洋」構想の下、集団的自衛権を米軍とともに行使できる自衛隊で中国を包囲、封じ込める態勢作りに尽力したことだ。米支配層はこの態勢が安倍の死により、緩まってはならないと考えている。「国際社会」挙げて安倍を盛大に弔い、日本の米NATO協調路線を支持するよう特に東南アジア諸国を説き伏せたいのがワシントンの意思と思われる。日本を長とする「アジア版NATO」形成は諦めるわけにはいかないのである。