岸田首相は8月22日のオンライン記者会見で自民党所属議員に対し「(統一教会について)過去の説明をし、未来に向けて関係を断つよう徹底せよ」と発言した。だが自民党は朝鮮戦争休戦を受け1955年に保守2党の合併によって前年韓国で創設された統一教会とともにCIA主導の反共親米・兄弟組織として生まれている。総裁の岸田が党の過去に精通していないわけがない。発言が本気なら党は当初から丸ごと汚染されているので、解党しか道はない。しかし、CIAエーゼントの岸信介を始祖とし安倍晋三率いた最大派閥「清和会」こそ統一教会との癒着の温床である。国政選挙のない今後の3年間に安倍派議員を排除し自民党再生劇を演じて支持率を上げ、1955年岸がCIA資金で主導した保守合同を一旦拒否した吉田茂らの意思を継承するー。こんな意向も読み取れる。
自民党はその成立の経緯からして野合体である。各派閥が中規模、小規模な政治組織(疑似政党)をなしており、自民党は発足当時から派閥連合にとどまり、近代政党の体をなしていないと言われてきた。日本経済の復興と高度成長に支えられ、「政・官・財」の癒着がもたらす利益配分システムを派閥を介して享受できるようになった。こうして党の政治的基盤が強化され、派閥抗争によって擬似政権交代が繰り返されてきた。田中派を宏池会分派と見ると岸田・宏池会と安倍・清和会は72年に及ぶ自民党史において二大勢力であったと言える。
岸田が会長を務める現在は自民党第四派閥である「宏池会」はいうまでもなく大蔵官僚を柱にエリート官僚上りを中心としたかつての保守本流派閥である。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、宮澤喜一といった宏池会人脈は戦後復興と日米安保体制確立から高度経済成長へと向かう時期を代表する人物である。池田、大平、宮沢は大蔵、吉田は外務、佐藤は運輸(旧鉄道)の官僚出身で戦後日本の霞ヶ関支配を確立した。とりわけ予算編成権を握る大蔵省を「官庁の中の官庁」と言わしめ大蔵支配との言葉が生まれた。
保守合同前の1954年、宏池会の始祖とされる吉田率いる自由党を離党した鳩山一郎は岸信介をはじめ三木武吉、河野一郎らを反吉田で結集させて保守大同団結を図って日本民主党を結成した。自由党の党人派も多数集結する。1946年の戦後初の総選挙で勝利した自由党の党首鳩山が公職追放となり、吉田が戦後三人目の首相となった経緯がある。公職追放解除され1952年に政界復帰した鳩山が吉田に政権移譲を迫ると、吉田は「政権は私物にあらず」としてをこれを拒んだ。戦犯容疑者の身は解かれたが公職追放されていた岸信介も同じ1952年に追放解除され弟佐藤栄作の所属していた自由党に入る。しかし吉田と路線対立した岸は自由党を除名された。まさに岸と鳩山は反吉田の一点で結ばれていたのだ。
この1年後に左右社会党が統一することになり日本で本格的な社会主義政権誕生が目前にせまっていた。このため米国に強要される形で容共政権樹立阻止のため保守合同が行われた。本流吉田派と傍流岸派との対立は容易には解けず、自由党と日本民主党との合併は難航する。CIA資金の入り口が反共の旗頭岸信介であり、鳩山と岸は民主党や自由党の反吉田派をさほど保守合同に抵抗させることなく取り込んだ。しかし合併後も無理な合同であったため新保守政党内の溝は深く、1956年4月に鳩山が総裁に就任するまで総裁人事で内紛が続く。
特筆すべきは鳩山に反発した吉田茂、佐藤栄作、橋本登美三郎らが当初自民党に参加しなかったことだ。吉田、佐藤らは1957年の鳩山の引退を受けて自民党に入党した。保守合同がワシントンによる強制だったため、岸の自主憲法制定・再軍備の国家主義路線と吉田・池田の軽武装・経済優先の保守リベラル路線は対米追随では通底しながらも戦後保守の二大路線となり、岸田派対安倍派との確執となって今日まで続く。
1994年の社会党・自民党・さきがけ連立内閣の発足で社会党が自ら墓穴を掘り事実上崩壊するまでは55年体制によって自民党は岸・安倍派の復古主義路線を主流から遠ざけた。護憲・平和主義・戦後民主主義擁護の声が圧倒していた1980年代までは福田赳夫内閣を例外に清和会は傍流に甘んじる他なかった。この間の事情は2021年2月18日掲載論考「保守『主流』逆転と米国の圧力 反共強国と清和会支配1」など1991年の湾岸戦争とソ連崩壊以降の米ネオコンの米国単独覇権路線と清和会興隆の流れを追った論考を参照されたい。
2015年の集団的自衛権行使が容認された新安保法制の成立を境目にははっきり見えないところで流れは変わってきた。日本の大衆の間に「清和会の政権が続くようになってかつての繁栄する日本は凋落していった。個人所得も国内総生産(GDP)もまったく伸びなくなった。」「実際、2000年に世界2位だった一人当たりGDPは2021年には韓国にほぼ追いつかれ25位となった。」「日本の主要企業に米国株主が急増しかつての終身雇用をはじめ日本的経営の良さが失われた。株主への配当を優先し不安定な非正規雇用が激増して給料も上がらなくなった。」「中国が台頭、米国は衰退しており、日米安保は時代に合わなくなったのでは」などの声が高まりつつある。清和会の対米軍事偏重路線から宏池会修正路線への転換が必要になった。
【写真】2018年自民党総裁選出馬断念を発表する岸田政調会長(当時)岸田は安倍三選を受け入れがたかった。温厚で通してきた岸田の表情が歪み無念さがにじみ出ている。メディアは安倍との友好な関係を強調していたが…
米国は危機感を抱いている。そこで宏池会を「脱軽武装・経済優先」にリセットさせようと動いたようだ。岸田は2012年宏池会会長に就任すると第二次安倍政権で翌13年から17年までの4年7カ月間歴代最長の外相の座にあり、新安保法制の成立を見届け、安倍の唱道した「積極的平和主義」路線の踏襲を誓った。日本メディアは決して触れないが、安倍が最も嫌った保守本流と称される大蔵・財務省支配の流れをくみ、祖父岸の政敵吉田の直系派閥の会長となった岸田文雄を対米関係を司る安保外交担当相に最も重要な時期に長期間任用したのは安倍の意思ではなく、ワシントンの意向としか考えられない。
ワシントンは駐日大使にシオニスト・ネオコンであるラーム・エマニュエルを岸田政権発足直後に任命し、日本政府の安保政策に事細かく口を出させ、米国主導の「インド太平洋構想」という名の中国封じ込め戦略を維持、強化しようと努めている。岸田政権の延命は日本に事実上野党を消滅させた新翼賛体制の下、これを管理するネオコン・CIAの敷いたレッドラインを踏み外さないことに掛かっている。
岸田は来年2023年統一地方選挙の立候補者選定で「統一教会との濃厚接触者」をふるいにかけていくことだろう。ふるいにかけられた地方議員の親分である清和会系の国会議員をメディアの力を借りて次々とパージしていくのではないか。
ただし統一教会に絡んだ岸田自身への問題が出て「内閣総辞職、解散総選挙」の声も上がり、早々現政権は大揺れとなっている。週刊誌を核とした「曝露」合戦が始まっており、安倍派の抵抗はただならぬものがある。脱清和会自民党が出来上がるまで岸田政権が延命できるかはまったく見通せない。