「侵攻は必至。戦う覚悟持たねば属国に」 米英の対日「中国恐怖」洗脳策動を抉る 8月16日差替

今年の日本の防衛白書は以前にもまして中国の覇権主義と脅威を煽りまくっている。SNSには「戦う覚悟を持たねば日本は中国の属国となる」との”危機感”が横行する。1990年代に中国の台頭が警戒され始め、2000年代に入ると「膨張する中国」は受け入れられ難いものとされた。新疆ウイグル、チベット、香港での中国当局による人権弾圧、中国沿岸に接近する米軍拒否に根源のある中国の南シナ海領有権主張を巡る多国間紛争は米英メディアが誇大に扱い、過剰に中国を悪者扱いした。そして日本政府は2010年に1972年田中角栄首相訪中=写真=による日中友好の象徴だった「尖閣諸島の領有権棚上げ」合意を破棄して尖閣国有化を断行、中国を”敵”とした。その裏では米国が動いた。ここ30年米英は”世界最強”の自国メディアとともに中国恐怖症をプロパガンダ、その洗脳活動は日本で最も奏功している。

■中国・改革開放政策の実像

中国が米国の単独覇権を打ち砕いたことは今や誰もが認める。だが現在の中国を見る目で最も欠落しているのは、文化大革命で荒廃した中国再建に手を貸したのは米国だったことだ。鄧小平の唱えた改革開放政策は経済的自由主義を強く唱えるシカゴ学派のリーダー、ミルトン・フリードマンの影響下にあった。鄧小平の有名な「白猫黒猫論」、「先富論」は中国の新自由主義的な市場主義経済への移行を象徴するスローガンである。米欧日の巨大企業は発展途上だった低賃金の中国を「世界の工場」と持ち上げて熱狂的な中国投資ブームを起こし、巨万の富を蓄積した。

一方、中国もしたたかに動いた。日中平和友好条約では日本からの戦時賠償を放棄。代わって巨額の政府開発援助(ODA)と知的所有権、持ち株比率などで中国側が有利となる投資条件を呑ませて合弁企業を短時間で「恐竜」へと成長させ、世界市場に打って出させた。日本の大手製造業、巨大商社の関係者は1980年代、陰で「中国人にやりたい放題させないためにも賠償金を払うべきだった」と中国嫌悪をむき出しにしていた。だがその賠償額は天文学的数字に上り、そもそも支払いは不能だったのだ。日本企業も米欧企業も人口14億の中国を「世界最大の魅力的市場となる」とみて投資を競った。米国は企業進出ばかりか、1980年代の最初期の中国海軍近代化計画にも資金、技術両面で支援している。

間もなく台頭し、膨張をつづけた中国は2000年代に入ると手のひらを反すように脅威とされた。それは今度は米軍需企業、軍産複合体にビジネスチャンスを与えるためであった。「中国の脅威にさらされる」台湾、日本を筆頭にオーストラリア、東南アジア諸国を対中包囲網形成と軍備拡大へ動かそうとし、高価な米製兵器を言い値で売りまくった。日本の防衛省汚職にみられたように米同盟国の政官業にいわゆる防衛利権が蔓延した。2000年代に入っての日豪や日印二国間での安保共同宣言、英、仏、独軍の西太平洋進出、日本のグローバル化した北大西洋条約機構(NATO )への参入、英国の準同盟国化、尖閣国有化と日中間緊張の劇的高揚はこの流れで見るべきだ。

■習近平登場と「共同富裕」復活

習近平の提唱した「共同富裕」は鄧小平の新自由主義路線の修正である。鄧小平が先富論を唱えた後、1990年以降、中国では年率二桁を超す高度経済成長を遂げる。米コンサルタント会社の調査によると、中国の資産100万ドル以上の超裕福層は2013年に約240万世帯に増加。1990年には1000万人程度とされた中間層も2010年には6億人を超えた。未だ取り残されている国民の約半数の低所得層への対策が今後の課題となった。

「共同富裕」は元々毛沢東が打ち出した政策である。文化大革命前の中国には公平に分配する富の蓄積がなく、鄧小平は市場経済の導入を提起した。毛沢東は「資本主義の復活を図る反動分子」として鄧小平を非難、失脚させた。毛亡き後の鄧復活で中国は空前の富の蓄積を成し遂げた。そこで富の配分の見直しに出たのが李克強と習近平である。

2021年。習近平は中央財経委員会第10回会議で、共同富裕を詳しく説明した。「共同富裕は社会主義の本質的要求であり、中国のモデルの現代化の重要な特徴である。共同富裕とは、全ての人々が共に豊かであり、物質的・精神的の両方面で生活が豊かであることを意味する。それは少数者の富の偏在でも、均等主義の一様な分配でもない。」と演説。また、習近平は、「今世紀半ばまでに全体の人々が共に繁栄を基本的に実現する」「住民の収入と実際の消費水準の差が合理的な範囲に縮小する」と共同富裕の時間軸を示した。

中国は上のような社会主義現代化を掲げ、大きな転換期を迎えている。「中国脅威論」はもっと冷静に観察されるべきだ。例えば、東南アジア諸国は米英日豪を核とする中国包囲網である「インド太平洋構想」の代案として2019年に「インド太平洋に関するASEANアウトルック」という独自の構想を発表。競合ではなく、対話と協力のインド太平洋地域を目指す」とし、冷静に米英日豪の中国敵視と扇動をけん制している。東南アジア諸国連合(ASEAN)にとって中国は最大の貿易、投資の相手国であり、経済発展には近隣の巨人・中国との互恵関係構築は不可欠なのだ。加盟10カ国中、5カ国が中国と南シナ海での深刻な領有権問題を抱えていても、中国は敵ではなく、共存共栄のパートナー。中国の属国にされると怯えている国はない。

日本人の多くは「世界の中心・米英仏」への憧憬とコンプレックスを捨てきれず、「遅れたアジア、アフリカ」蔑視にとらわれたままだ。本ブログで再三指摘したように、とりわけ日本人の中国観には長い歴史に刷り込まれた歪みがある。 それでも習近平指導部が「社会主義現代化強国」とのスローガンを打ち出した中国との政治体制を超えての共存は言うまでもなく可能だ。今や東南アジア諸国のみならず、インド、パキスタン、中央アジア、中東、アフリカ、中南米の圧倒的な数のグローバルサウス諸国が米国から離れて中国と手を結んだ。

注:参考記事 2023/05/31  古代から日本人を縛る中国敵視の超克を 日中関係改善と戦前体制清算のために 

■バンドン会議の理念とAA諸国の興隆

その中国にロシアが旧第三世界グループの主導で協調している。ロシア・アフリカ会議は7月28日、サンクトペテルブルクで「米欧諸国に対し植民地主義による損害補償追求で合意した」との首脳宣言を出した。1955年バンドン会議=写真=を源とし非同盟で進んできたアジアアフリカ(AA)諸国がようやく米欧・旧宗主国に植民地支配の償いを求めて本格的に立ち上がった。シリアのアラブ連盟復帰、イランとサウジアラビアの和解は中国に対する信頼の象徴である。「G77」は多くの国が中国、ロシア主導の上海協力機構(SCO)加盟へと雪崩打つ現状をみて、SCOが国連に代わる新たな国際機構を創造することを期待する声明を出した。上海には米国による戦後秩序パクス・アメリカーナの柱の1つ国際通貨基金(IMF)に代わる新開発銀行(BRICS銀行)が設立、金兌換可能なBRICS通貨発行が検討されている。これに最大の産油国サウジアラビアなどアラブ中東諸国や大産油国ベネズエラなど中南米諸国が協調し、ペトロダラーの崩壊と基軸通貨米ドルの衰退を加速させている

中国は、相手国が中国型社会主義を受け入れなくとも、米国のように破壊工作機関に市民団体、非営利法人などでカモフラージュした反政府勢力を支援させ、「民主化」の名の下、政権転覆=体制転換を企てない。”民主化”された親米政権はワシントンに手足を縛られた従属国として主権、とりわけ外交の自由を奪われてしまう。1945年8月の日本民主化を唱えたポツダム宣言も形は違うが米英への隷属下に日本を半永久的に置こうとするものだった。米英の狙いは日米安保体制という形で具体化された。米国が日米安保条約という強固な「敗戦の頸木」を掛けたのは、下のダレス発言にみられるように、日本に対する決定的な不信があるためだ。しかしながら首輪をつけて制御すれば日本ほど使い勝手のよい「経済大国技術強国」はない。今日本がなすべきは、列強意識の放棄、対米自立と共和制国家への転換、それを通じてのAA諸国との真の和解である。

■半永久化される日本異質論と対日不信

  • 安倍晋三政権が着手した米国に管理された日本の軍事大国化」を成し遂げようとしているのが岸田文雄政権である。米ネオコンはアジアの覇権国・軍事大国としての「日本を取り戻したい」安倍政権を2012年に復活させ、中国封じに最大限に利用しようとしている。安倍グループは、①日本へ侵攻しかねない巨大な隣国に対抗するには日本国憲法改正は喫緊の課題②集団自衛できる国防軍を備え、国家機密を厳格に保護する「普通の国」へと日本を回帰させる③防衛費を拡大し、軍事技術を向上させ、日本の軍需関連産業を育成する、と主張。これをおおむね達成し、岸田政権が登場した。
  • 「戦後レジームからの脱却」と「強い日本を取り戻す」をスローガンとする安倍第2次政権にとって、民主党政権による「尖閣列島(中国名:釣魚島)の国有化」は僥倖であった。なぜなら、これに対して、尖閣領有を強硬に主張し行動をエスカレートする中国からの威嚇は「中国の脅威」を日本人の心に決定的に植え付けたからだ。この脅威は、戦後日本の体制転換、つまり憲法9条空洞化の口実作りに腐心してきた日本の超国家主義者たちにまたとないチャンスを与えた。米英は安倍政権とそれを取り巻く右翼勢力を制御しながらその軍事憧憬・大国志向をうまくハンドルした。とはいえ安倍派の核には東京裁判否認、米占領政策否定という反米極右思想がマグマとなって煮えたぎっていた。彼らは切り捨ての機会をうかがっていた。
  • 戦前、とりわけ戦中の牧野伸顕、樺山愛輔、幣原喜重郎、吉田茂、松平 恒雄ら対英米協調派を源とし、戦後は吉田学校を源流として憲法改正を謳うことなく「軽武装・経済優先路線」を主張した池田勇人を祖とする保守本流・宏池会人脈の末裔・岸田はネオコンにとってポスト安倍の格好の人材であった。軽武装路線は大軍拡路線に代わったが、弱小・第4派閥の「宏池会」の領袖岸田に政権を担わせたのはワシントンが安心して操作できるグループであるからだ。ほぼ100%の憲法学者が違憲とみなした、解釈改憲による集団的自衛権行使が閣議了解で容認され、新安保法制が施行されたことは、安倍グループにとっては、念願の9条改憲が事実上達成できたことになる。実際、安倍は2015年暮、田原総一朗に「憲法改正する必要なくなった」と語っている。 改憲に抑制的な岸田グループでは事実上の「9条改憲」を達成するエネルギーの結集は不可能だったのだ。
  • 1980年代後半のバブル期のワシントンによる徹底的な日本叩き(ジャパンバッシング)の際唱えられた日本異質論は明治期以降の近代日本に対する米英アングロサクソンの拭い難い蔑視と不信の言い換えであった。ダレスの本音はそれを端的に示している。ビジネスウイークとハリスの共同世論調査によると、米国の将来の脅威として,ソ連の軍事力よりも日本の経済力を挙げる人が多かった。東京裁判否認、米占領政策否定に固執する極右思想から解放されない限り、対日不信と一体の日本属国化は半永久的に続く。
  • ■超えられない壁に付け込んだ洗脳策動
  • ウクライナを巡る戦いは米英アングロサクソンによる中露解体とユーラシア制覇の突破口である。この視点なくして現代世界の動きは見抜けない。彼らは「ロシア解体の後は、共産中国を破綻させる」との幻想に近い思いに囚われている。著しい米国離れを進めるグローバルサウスの動きは中国を核にして旧宗主国・欧米諸国に対する本格的自立へと向かう奔流となった。G7(米欧日)にこれを阻止する力が残されているとは思えない。中国の脅威は米英が作ったものだ。
  • 「(ユーラシアを覆い、アフリカ、中南米へと拡大する)一帯一路構想は被援助国を債務の罠に陥れ租界地を得ようとする中国の新植民地主義の象徴」「中国のアフリカ開発支援は資源略奪と軍事拠点構築のため」「中国はユーラシアの中核である旧ソ連構成国5か国を丸め込みロシアと対立に向かった」ー もうこの類の米英のプロパガンダは通用しない。だが今のところ、中露・グローバルサウスの弱点はソフトパワーにある。米欧が内側で近代市民革命を通じて勝ち取った民主主義的制度、ルネサンスを契機とする建築、美術、音楽などの高度な文化と、外の植民地支配で虐殺、収奪を通じ獲得した膨大な富とAA諸国の被害とは両立しない。
  • グローバルサウスの多くのリーダーたちには米英のかつての植民地主義に代わるグローバリズム・新自由主義、覇権主義と軍事介入が世界の人々の幸福につながらないどころか、不幸の源になっているとの確信があるはずだ。一方で、内側と外側の米欧は相矛盾しながらも、米国への留学生数では中国人が圧倒しているように、非米欧世界の住民には「内の米欧」はいまのところ超えられない壁となっている。
  • 日本人の中国恐怖症はこの超えられない壁に付け込んだ米英の洗脳策動の結果である。繰り返し引用してきたが、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の締結について書き残したジョン・F・ダレス米国務長官=写真右、左はアイゼンハワー大統領(当時)=の言葉を貼り付ける。これを座右に置き日本の現状を観察すれば、日本人の中国恐怖症は中国に恐怖する米英の作ったものであることがたちどころに理解できる。
  • 「占領によって改革されたとは言え、6~7年前まで熾烈な戦争をした相手の日本人を信頼できるか疑っていた。アメリカと交渉する裏で、共産主義国だが同じ黄色人種でアジア人の中華人民共和国と通じているのではないかと疑っていた。日本人が中国をはじめ他のアジア人の国々に対してしばしば持っていた優越感と、共産主義国に対抗している『エリート・アングロサクソン・クラブ』のアメリカやイギリスなどの西側陣営に入るという憧れを満たすことを利用して、西側陣営に対する忠誠心を繋ぎ止めさせるべきだ。日本を再軍備させ、自分たち西側陣営に組み入れるということと、一方、日本人を信頼し切れないというジレンマを日米安全保障同盟、それは永続的に軍事的に日本をアメリカに従属させるというものを構築することで解決した。
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