石破茂首相が昨年9月に自民党新総裁に選出された際、韓国は政府もメディアも同首相の韓国についての過去の発言を挙げ、総じて好意的にコメントした。2019年に韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたが、石破は「わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にある」などと発言。自民党閣僚経験者のかつてない真摯な声と受け止められた。自民党内では「石破はこれで終わり」「絶対に総理大臣にはしない」と批判の声が渦巻いたが、5年後に総理の座が転がり込んだ。明治維新直後に始まった朝鮮進出こそ日本のアジア侵略の原点であり、日韓関係を決定的に歪ませてきた。石破首相はかつての侵略戦争を精神的に武装した国家神道の本宗・伊勢神宮へ新年参拝した。色あせる戦後民主主義は世界で唯一の「神話国家」とどう対峙するのか。
■東京裁判受入れ巡る石破VS安倍
2020年までに8年8か月の史上最長政権を担った安倍晋三の任務は世論を俗にいう「ニッポンすごい」という復古的国家主義に旋回させ、台頭した中国に対峙する軍事大国へと日本を導くことだった。その要が2014年の集団的自衛権行使容認と翌2015年の新安保法制施行と言える。ただし、この軍事大国化は日米安保条約に加え、日英部隊間協力円滑化協定(2023)=写真=と日豪円滑化協定(2022)の締結、さらには日本の事実上の北大西洋条約機構(NATO)加盟(2022)によって米英アングロサクソン同盟の管理下に置かれている。
日本の軍事力が独り歩きしないため米英は、ポツダム宣言(1945)にある「無責任な軍国主義の駆逐」、すなわち大日本帝国解体のための東京裁判の受け入れを対日政策の前提条件としているのは疑いの余地がない。
これを巡り、石破は「国を敗北に導いた行為がなぜ「死ねば皆英霊」として不問に付されるのか理解できない」「東京裁判を受け入れることと、戦前の日本は全て間違いと断罪するのは決して同義ではない」(2008)などと自民党議員としては極めて良識的な発言を繰り返している。対して、安倍が「東京裁判は連合国側の勝者の判断で断罪がなされた」(2013)、「東京裁判で戦争犯罪人として裁かれたA級戦犯は国内法的には犯罪人ではない」(2016)とポツダム体制を徹底して否定し続けたのは周知の通り。先の総裁選で石破が逆転勝利した安倍の”弟子”で当時の高市早苗政調会長が2013年に過去の植民地支配と侵略を謝罪した1995年村山富市首相談話の「侵略」に疑問を呈した際、石破は自民党幹事長として「このような発言は厳に慎んでもらいたい」と怒りをあらわにし厳重注意した。
この3人の自民党議員は2回の自民党総裁選で僅差でトップ争いをしている。1つは2012年8月の総裁選(5人立候補)だ。第一回投票で議員票54に加え党員算定票・地方票87の計141票だった安倍に対し、石破は同34、同165で計199票。地方票で圧倒し1位となった。しかし、議員票のみの決戦投票では安倍が108票、石破の89票を上回り、総裁に返り咲いた。これと逆相似と言える結果になったのが2024年9月の総裁選(9人立候補)だった。第一回投票で議員票72、地方票109の計181票の高市早苗に対し、石破は同46、同108の計154票と2位だった。ところが決選投票では石破が215票を獲得、高市の194票を上回り、初めて総裁に選出された。2024年総裁選は自民党随一のタカ派高市を安倍に置き換えると、石破が2012年総裁選敗北の雪辱を果たした格好となった。
この2つの選挙を逆相似と形容したのは、2012年選挙で敗れた石破が2024年選挙では12年の安倍と同じような勝ち方をしているからだ。同然ながら、24年高市は12年石破と似たような負け方をした。この2回の自民党総裁選の間に流れた12年の歳月がそうさせたと思われる。2012年は米ネオコンは何が何でも「安倍1強」で2014年集団的自衛権行使容認とこれに伴う大軍拡を行なわせようとし、安倍没後の2024年は行き過ぎたタカ派路線を穏健路線へと修正したかったからと推察できる。
■石破は安倍の新安保政策に反発
薄氷を踏むかような安倍の2012年9月の自民党総裁返り咲きと、2012年末の民主党政権を放逐しての第二次安倍政権発足を織り込んだかのように2012年8月にジャパンハンドラーの拠点・米戦略国際問題研究所(CSIS)から第3次アーミテージ・ナイ報告書=写真=が公表された。この報告書は日本政府に対し、原発の再稼働、PKOの法的権限の範囲拡大などと並び「集団的自衛権行使の禁止は日米同盟の障害であり、是正せよ」と要求していた。
しかも、米占領下1947年に施行された平和憲法は変更するなとの指令があった。このため、2014年7月に安倍政権は解釈改憲での集団的自衛権行使容認を閣議決定し、翌年には新安保法制採決と向かう。自民党が2015年6月に衆議院憲法審査会に招聘した憲法学者を含む与野党計三人の参考人とも「集団的自衛権行使容認は違憲」と断言。それでも安倍政権は新安保法案を強行採決した。それは法理を完全無視、本音では「アメリカ様が命じるから」との幼児的理由に依拠した。
関係は水と油に例えられた石破の安倍の姿勢に対する批判は目に見えていた。決定的になったのは、2014年9月の第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診したが、石破が辞退した件だった。石破は憲法9条(武力行使の放棄、戦力の不保持)を改正した上で集団的自衛権行使を容認するというのが持論。解釈改憲での集団的自衛権行使は到底認められないので、担当大臣を引き受けることなど出来ないと断った。
安倍が銃殺された1か月後、2022年8月のTVインタビューで石破はこう当時を振り返った。
「総理執務室で安倍さんと私と1対1だった。『大臣を受けろ』『受けない』という押し問答があってね。『閣内不一致になるから担当大臣は受けられません』って言ったら、安倍さんの激怒が頂点に達するわけね。『そんなんだったら、あなたが総理になったらやればいい』と。捨てゼリフだったね」
安倍の立場からすれば、「米国に無理難題を突き付けられている。俺もこんなことはやりたくない。そこまで言うならあんたが総理になって憲法改正した上でやったらどうだ」と原則論にこだわる石破に憤懣やるかたない想いを伝えたことになる。この証言は、安倍もアーミテージ報告書にとことん追い詰められ苦悩していたことを示すものだ。
東西冷戦終結とソ連崩壊後の歴代米政権の対日安保政策の核心は「米軍の指揮の下、日本の自衛隊を集団安保体制に参入させる」にある。ただし、「日本を再び軍事的脅威としないため、原則現憲法の文言は変えさせない」との米国の対日占領方針は変わっておらず、安倍の石破への怒りは「できもしない9条改憲にこだわって良い恰好するな」にあったと思われる。
■伊勢神宮参拝と皇国史観の克服
石破首相は自民党内では歴史認識においてはハト派とされている。「ハト派」の内実を知るには、まずは朝鮮半島との向き合いが試金石となる。明治維新以降のアジア侵略の原点が朝鮮討伐にあることを考えれば、当然のことである。これを自覚してか、最近記者らに「日韓関係の本を読みまくっている」と語ったという。
日本という、共和国でなく、古典的な君主国でもなく、建国記念日が2600年余り前の「神権天皇」誕生に依拠する世界で唯一の異様な「神話国家」は、現在の日本に深く影を落としている。古代倭の時代から、一衣帯水の朝鮮との関係は日本の抱える宿痾であった。その病根は「日本書記」や「古事記」に書かれた日本神話である天照大神、神武天皇に続く神功皇后の三韓討伐に始まる。神功皇后の朝鮮討伐物語は戦前にすらほとんど架空のものと指摘した学術論文もあった。だが、明治維新期には「三韓討伐は古代日本が朝鮮半島に大きな支配的勢力を及ぼしていた証」とされて、日本帝国建設の礎としてまずは朝鮮半島を征すべしとの征韓論となった。
対外戦争をほとんどしてこなかった日本は、近代になって突然、抑えていたエネルギーが大爆発を起こしたかのように、朝鮮を手始めにアジアへの侵略を始めた。それは上記のように「明治維新」後の藩閥政府が東アジアでの覇権を求めようとしたからであるが、その淵源は、古代の倭国や日本にあり、中華大帝国に対抗しようとする小帝国志向が長い歴史を通じて醸成され、蓄積されていたことを強調せねばならない。
日本古代政治史家、倉本一宏はこう説く。
「キーワードは『東夷の小帝国』である。日本および倭国は中華帝国よりは下位であるが、朝鮮諸国よりは上位に位置し、蕃国を支配する小帝国であるとするものだ。一見荒唐無稽な主張に思えるが、四世紀末から五世紀初頭にかけ百済、伽耶、新羅を「臣民」にしたという認識があり、倭国の支配者が五世紀に朝鮮半島南部に対する軍事指揮権を中国(宋)の皇帝から認められたことを記憶に深く刻印しており、これは、後世まで大きな影響を及ぼした。」
新羅と連合した唐帝国に滅ぼされた倭国の同盟国・百済の再興を図ろうと援軍を送った倭国は663年の白村江の戦で唐軍に大敗し、アジア大陸から締め出された。海中に孤立した倭人は結集して日本列島最初の統一王国・日本国を作り、初の国史『日本書紀』を編纂し720年に完成させた。国史に登場する「神功皇后の三韓討伐」は白村江での大敗の屈辱を埋めるものとみるべきだ。万世一系の天皇の統治する日本は「自国を朝鮮半島の支配権を巡って中華帝国と対抗するもう一つの帝国である」と規定してきた。その自意識は江戸中期の国学の台頭で再び開花し、幕末の水戸学・尊王攘夷運動、明治維新とつながる。
石破首相は1月6日、”恒例の”伊勢神宮参拝を行った。伊勢神宮の内宮は天皇家の祖先とされる「天照大神」を祀っている。同神宮は日本書記、国学・水戸学、尊王攘夷、維新、大日本帝国憲法、国体の本義・皇国史観と続く、朝鮮討伐、中国侵略へ向かっての日本帝国統治者らの精神的武装の拠点である。石破の靖国参拝や日韓関係に関する発言を見る限り、伊勢参りに自制的なはずだが、それを「政教分離違反」と叩かれることはないとの安心感から参拝したものと思われる。逆に参拝しない方が岩盤保守層を中心に攻撃を生むと考えての判断であろう。
新年伊勢神宮参拝は1967年の佐藤栄作首相から恒例になったとされている。アジアへの侵略を謝罪した村山富市首相を除き、コロナ禍時や病欠を除き、民主党時代も全員が新年に伊勢神宮を参拝している。佐藤首相参拝の背景には安保闘争や学園紛争による反権力闘争、革命運動の高揚に対峙する日本の保守層や米国の支配層の働きかけがあったとみられる。村山が病気を口実に参拝拒否して以来、社会党の事実上の消滅で「民主主義VS天皇制」を掲げて自民党に対抗できる勢力が日本社会から消滅した。今や日本共産党に対抗勢力としての力はない。
「攘夷のための開国」=日米和親条約締結から170年。国家神道で精神武装し、軍事国家として成りあがった末に大攘夷となった対米開戦。その破綻としての未曾有の敗戦。米軍占領と民主化から80年。色あせる戦後民主主義は世界で唯一の「神話国家」とどう向き合うのか。皇国史観をどう完全脱却するのか。これなくして日本社会に本物の民主主義は根付かない。
石破の歴史観の本音は8月15日の談話に現れるはず。だが今のところ7月の参院選前までに石破首相は退陣するとの見方が強い。自民党関係者も「石破に余計なことはしゃべらせたくない」と考える勢力が多いのではなかろうか。石破が8月まで持ちこたえれば村山談話と比肩される記憶に残る談話となる可能性がある。