ウクライナ情勢巡る核のジレンマ 露の威嚇は米の介入を抑止し得たか

軍事的に緊迫するウクライナ情勢が核の抑止力を見せつけている。もちろん、それは核兵器使用も辞さないと示唆するブラフだ。ロシアの強硬姿勢が第三次世界大戦勃発につながりかねない米欧のウクライナ直接軍事介入を抑止している。核の恐怖で威嚇したのはロシア側との印象が強調されているが、米国側が挑発したとの見方も可能だ。世界は1945年8月の広島、長崎への原爆無差別投下、1951年朝鮮戦争でのマッカーサーによる中国東北部への原爆使用発言以来の核の恐怖を垣間見ている。1945年から今日まで77年間、第二次大戦の戦勝5大国(国連安保理常任理事国)をはじめとする核保有国間の直接交戦は回避されてきた。かくも長期にわたり大国間の武力抗争を阻止できたのは核兵器の持つ絶対的な抑止力によるのは紛れもない事実である。一方、人類の理性核兵器廃絶を国際条約とした。現下のウクライナ情勢はこの核のジレンマを改めて浮き彫りにしている。

■「世界最強の核大国だ」と威嚇し、米介入阻む

ロシアのプーチン大統領が2月27日に核抑止部隊に特別態勢を取るよう命じた、と伝えられた。ロシアメディアによると、ロシアの専門家は「冷戦終結後、演習以外でロシアの核戦力がこのような態勢に置かれることはなかった」と語ったという。この前日バイデン米大統領は「ロシアと戦争して第三次世界大戦を起こすか、国際法を犯した国にその代償を払わせるかのどちらかだ」と発言していた。「第三次世界大戦を起こす」とは「核戦争に踏み切る」との言い換えに他ならない。こうした米側の発言を攻撃的で挑発と受け止めたプーチン大統領がけん制に動いたとの見方が有力だ。

プーチン大統領はウクライナへの「特別な軍事作戦」の開始を宣言した2月24日の演説で「現在のロシアは世界最強の核大国の一つ」と語り、ロシアを攻撃する者は「壊滅され、悲惨な結果となる」と第三国による軍事介入阻止には核兵器使用もあり得ると警告していた。これは追い詰められたロシアが背水の陣を敷いてウクライナへの軍事侵攻に備えていることを内外に宣言したに等しい。

■NATOの「核共有」に対抗

こんな中、旧ソ連構成国でロシアの隣国ベラルーシで2月27日、核兵器保有などに向けた憲法改正の是非を問う国民投票が行われ、改憲案が承認された。この結果、「非核地帯でかつ中立国」を謳ったベラルーシはウクライナ危機に直面し、同盟関係にある隣国ロシアの核兵器配備へと動けることとなった。

このロシアとの核共有(ニュークリア・シェアリング)北大西洋条約機構(NATO)加盟のベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコといった主要国で進められてきた核共有への対抗である。非核地帯を失いつつある欧州は今やNATOとロシアとの間の恐怖の核の均衡に陥っている。

バルト三国はさらに大きな爆弾

プーチン・ロシアにとって、隣国ウクライナのNATO加盟と核共有は悪夢であり決して許せなかったようだ。ロシアのウクライナ軍事侵攻を受け、英国の元外相は「次はバルト三国に侵攻する」と予言した。NATOに加盟している旧ソ連構成国のバルト三国がロシアと隣接ししかも米英と核共有する可能性があるためだ。

米国は2月22日にウクライナ情勢悪化を受け、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国に米軍部隊を派遣しており、仮にロシアがNATO集団安保の対象となる三国の一国にでも軍事侵攻することがあれば米ロの直接対決を招き、カタストロフィを招来しかねない重大事態となる。米軍が撤収するか、ロシア軍が侵攻を断念するか道は2つに1つ。しかしながら、バルト三国とロシア(ソ連)との関係は深い絆のあるウクライナのそれとは歴史背景に極めて大きな差があり、既にNATOに加盟している三国へのロシアの侵攻には疑問符が付く。

ロシアの軍事侵攻を激しく非難した日本の安倍晋三元首相ですら在任中に30回近くプーチン大統領と首脳会談を行ったためか「(NATOへの)基本的な不信感の中で、領土的野心ではなくロシアの防衛安全の確保という観点から行動を起こしたのだろう」とウクライナへの侵攻決断には一定の理解を示すかのような発言をしている。

 

この機に便乗した日本の安倍発言

この安倍元首相が2月27日に重大発言を行った。ロシアのウクライナ侵攻を受けて、米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有」について、国内でも議論すべきだと主張した。「日本は核拡散防止条約(NPT)の加盟国で非核三原則があるが、世界はどのように安全が守られているかという現実について議論していくことをタブー視してならない」と発言したのだ。

岸田首相は直ちに核共有を否定し、非核三原則を貫くと反論。日本の事実上のNATO加盟を推進し、地球規模での自衛隊の米軍補完部隊化に尽力したのが歴代最長政権となった安倍内閣である。米ネオコンと一体の安倍率いる与党自民党最大派閥清和会をはじめとするタカ派の攻勢に岸田政権がどこまで耐えうるかは不透明。あくまで抵抗し続ければ潰されよう。

この安倍発言はポスト岸田政権が日米軍事統合の仕上げとして日本をNATO主要国並みに防衛費倍増以上の対GDP比2%超と核共有を実現するためのアドバルーンと解する他ない。ウクライナの危機に乗じて一層の自衛隊の米軍との一体化を進めようとする自民党タカ派の魂胆が透けて見える。

■「空白の4年間」米は対ソ核攻撃を抑止

さてソ連が原爆開発・核実験に成功したのは米国に遅れること4年。1949年のことだ。多くの論者が米国が核兵器を独占した1945年から1949年の4年間になぜ米国は対ソ核攻撃に踏み切らなかったのかとの疑問を投げかけてきた。計画レベルとしては「空白の4年間」に一時に数百発もの原爆を投下しようとする動きもあった。その動きを抑止した要因の1つとして、被爆直後の広島、長崎で米国が実施した極秘の現地調査で想像を超えた被害の深刻さが判明したことが挙げられている。

核兵器の被害実態は隠され続けている。1945年7月に米ニューメキシコ州での実験成功を受けて日本に投下された2つの原子爆弾は実験の延長線上にあった小規模爆弾である。原子爆弾の威力はすぐさま広島のウラニウム型原爆、長崎のプルトニュウム型原爆の数倍、数百倍へと拡大。ソ連の原爆開発に続く米ソの水爆開発競争により、核兵器の威力は広島・長崎で使われた原爆の数千倍というとてつもない破壊をもたらすものとなった。その被害予想は想像を絶する。

核兵器は持たなければ敵対する所有国による攻撃におののき、所有しても使用できないものとなった。その使用は自国に跳ね返ってくる深刻な放射能汚染のみならず、心理的にも深く使用の抑制を強いられる厄介この上ないものである。実際、小型戦術核ですらいまだ使用されていない。

このソ連が原爆を開発する以前、すなわち核抑止力が発生する前の米国の対ソ核戦略議論については「被爆76年:長崎慰霊2」として後日改めて論じる。