「2014年/2015年のミンスク合意は、ウクライナに(戦争準備の)時間を与える試みでした」ー。2022年末にアンガラ・メルケル前独首相が独紙Die Zeitに漏らした発言は、ともすれば「当初からロシアを騙すつもりだった」との趣旨で受け取られがちだ。誤解である。独仏両政府はぎりぎりまでロシアとEUとの話し合いを促した。メルケル発言は米ネオコンの謀略をオブラートに包んで暴露したものだ。メルケルは口にしなかったが、時間稼ぎに最も貢献したのは国連安保理でミンスク合意が決議されたことだ。ロシアの要求を入れ、ウクライナ東部のロシア系住民居住地域に住民投票を通じて高度な自治権を付与するとしたミンスク合意に常任理事国米英が安保理で賛同した。米国が 背後で支援して、2014年ウクライナ・クーデターで樹立したポロシエンコ親米政権が拒絶する東部ウクライナの事実上の独立につながるこの合意に当時のオバマ米政権はなぜ”賛同”したのか。それは安保理決議の履行を最大限遅延させてウクライナ戦争を準備し、「履行期限の定められていない決議が履行されることはない」とロシアを追い込み、戦争へと踏み切らせる罠であった。米政権は法的拘束力のある安保理決議をもてあそび、国連をさらに形骸化させた。
■ミンスク合意の基本
2015年2月17日、ミンスク合意2は国連安全保障理事会で次のように採択された。
安全保障理事会は、国際連合憲章に記されている目的および原則を想起しそしてウクライナの主権、独立並びに領土保全に対する安保理の十分な尊重を再確認し、ウクライナの東部地域における悲劇的な出来事および暴力に安保理の深刻な懸念を表明し、安保理決議 2166(2014)を再確認し、ウクライナの東部地域における状況の解決は、現在の危機に対する平和的解決を通してのみ達成できることを強く確信し、
1.2015 年2月 12 日にミンスクで採択されまた署名された、「ミンスク合意の実施のための措置のパッケージ」(添付文書Ⅰ)を是認する。
2.ロシア連邦大統領、ウクライナ大統領、フランス共和国大統領およびドイツ連邦共和国首相による、ミンスクで 2015 年2月 12 日に採択された、「ミンスク合意の実施のための措置のパッケージ」を支援する宣言(添付文書Ⅱ)およびミンスク合意の実施に対するそこに含まれた彼らの継続した公約を歓迎する。
3.全ての当事者に対し、その中に規定されたように包括的な停戦を含む、「措置のパッケージ」を完全に実施することを求める。
4.この問題に引き続き取り組むことを決定する
「ミンスク合意の実施のための措置のパッケージ」(添付文書Ⅰ)の要旨は次の通り。
ウクライナのドネツィクおよびルハーンシク地域の特定の地区における包括的な停戦実施。重火器の撤退。過程は、欧州安全保障協力機構(OSCE) により促進されまた三者接触グループにより支援されるものとする。衛星、ドローン、レーダ装備等を含む、必要なあらゆる技術装備を用いつつ、撤退の一日目から OSCE による停戦体制および重火器の撤退の効果的な監視と検証を確保する。「ドネツィクなど特定地区における暫定的な地方自治体制に関する」将来の体制に関する地方選挙の態様について、撤退の一日目に、対話を始める。
■徹底無視された安保理決議
安保理決議について記す。
「国際連合安全保障理事会決議とは、安全保障理事会の構成国の票決による決議のこと。理事15か国中、9か国以上の構成国が賛成し、かつ、常任理事国の反対が一切なかったときに承認される」「安全保障理事会決議は、法的拘束力を持っているとされているが国際連合憲章においては、安全保障理事会が決定 (decide) した場合のみに法的拘束力をもつ(国際連合憲章第25条)。(出典wikipedia)
上のように「ミンスク合意2は国連安全保障理事会で採択された」とされている。採択は 「いくつか複数の中から選んで採り上げること」を意味するが、この場合は「決議・採決・decide」と同じ意味でつかわれている。したがって、法的拘束力をもち、賛成した米英両国にはミンスク合意を尊重する義務が生じる。国連で採択された合意(議定書)は条約となる。
ところが常任理事国米英は最初から安保理決議されたミンスク合意を尊重する気はさらさらなかった。合意に履行期限は設けられていない。戦争勃発直前にロシアが2つの共和国を独立承認し、現在ロシア軍と共に戦う東ウクライナのドンバス地方を奪還するためウクライナ政府に大量の資金と武器、さらには義勇兵、隠密兵員を米英政府が供与してきたことが何よりそれを示している。
しかし、米英両国は、当然ながら、安保理決議に否定的な言及は避けてきた。西側メディアは常任理事国米英による「ミンスク合意の国連安全保障理事会での採択」などなかったかのように口をふさいできた。安保理で決議された合意の履行要求を繰り返したロシアにしびれをきらさせ、軍事侵攻へと追い込むのが米英が安保理決議で賛成を投じた目的だったとみるほかない。
メルケル前首相は上の独メディアのインタビューで「紛争が凍結されたこと、問題が解決されなかったことは誰にとっても明らかだった」と述べている。ロシア側にとっては解決されたはずで、ドイツ政府も解決のため仲介して達成したミンスク合意では「紛争は凍結されただけで解決されなかった」とは何を意味しているのか。それは当事者のウクライナはもとより、その背後にいる米ネオコンと米英権力中枢がウクライナ戦争を突破口とするロシア潰しを貫徹しようとしているのを知り抜いていたからだ。
【写真】2015年2月。ミンスク合意2が達成された直後の集合写真撮影前のシーン。米ネオコンに代わって仲介国フランスのオランド大統領をにらみつけ威嚇するウクライナのポロシエンコ大統領。憔悴したプーチン大統領を心配そうに見つめるメルケル首相。プーチンが困惑と憔悴の表情を隠せないでいるのは、議定書・合意の履行期限の確約が取れなかったためと思われる。「合意」は米英・ウクライナの時間稼ぎのためとの疑念はプーチンも強く抱いていたはずだ。(肩書は当時)
■ウクライナ側のすさまじい挑発
東部ウクライナの紛争を監視するOSCEチームは、「2022年2 月 18 日~21 日までのウクライナ東部における(ミンスク2の停戦合意に基づく)停戦違反は2,000件以上あった。現場では 2 月 16 日にロシア軍が「演習を終えた」と発表し撤収を始めた後から激しい戦闘がたくさん始まった。現場の情報によれば、あたかもロシア軍に帰還させないために、わざと治安を乱して暴れていたと受け取れる」とレポートしている。
開戦 5 日前の 2 月 19 日、ミュンヘン安全保障会議で、ゼレンスキー大統領はウクライナの核兵器不保持政策を『転換するかもしれない』と発言。『NATOに加盟しウクライナをNATOが守ってくれるようにならないのなら核兵器を持つ』とまで明言した。
また現地に滞在していた日本人監視グループは「プーチン率いるロシアを何とか戦争に引き込もうという、アメリカ、イギリス、およびウクライナ側のすさまじい挑発行為があった。2014 年のいわゆるマイダン革命という、アメリカの支援を受けた暴力革命以降、ウクライナ国内でロシア系住民がネオナチ系の民族派の過激派によって、酷く虐待され殺害されてきたのが一切公にされていない。」と語っていた。
■米英の隠し玉・「ブタペスト覚書」
2022年に入ると、米英はミンスク合意の安保理決議を尊重するどころか、ロシアが1994年にウクライナとロシア、米英が署名した「ブダペスト覚書」に違反した行為を続けていると指摘し始める。
覚書はウクライナがソ連崩壊時に国内にあった核兵器を放棄する代わりに、同国の主権を尊重し、武力行使や威嚇をしないと定めた。ロシアが14年にクリミア半島の併合を宣言したのに続き、ウクライナとの国境沿いでの軍事威嚇もこの覚書に違反すると米国は批判したのだ。
ミンスク合意の安保理採択に加わったことは忘れたかのように、ウクライナ擁護につながることは利用する。
米英が「ロシアこそが国際合意(ブタペスト覚書)に違反していると」批判したのは、本末転倒だ。ミンスク合意が締結から7年経ても履行されず、ネオナチ・ウクライナ軍によるウクライナ東部のロシア語話者住民の殺戮と虐待が止まないから国境沿いにロシア軍が集結し、ウクライナ側を威嚇したのだ。
本来ならミンスク議定書の締結交渉が行われていた2014/2015年にロシアを覚書に「抵触している」と”批判”すべきであった。米英がミンスク合意の安保理決議に加わった事情を知り尽くすメルケルの告白はそこで何が企まれていたかの紛れもない暴露である。