オークラ番記者が必要だ 米国大使館への秘密回廊

敗戦から13年経て開業したホテルオークラが東京随一のホテルと格付けされている。明治期に迎賓館に準ずる形で建設された帝国ホテルを凌駕する。在日米国大使館に道一本隔てて隣接する地の利が大きな理由の一つだ。公職追放され、帝国ホテル経営を追われた大倉財閥の御曹司が追放解除後に私邸跡に同ホテル建設を決めたのも曰く因縁つきである。2014年に訪日したオバマ大統領(当時)が赤坂・迎賓館への宿泊を断り、オークラに滞在したのも記憶に新しい。

ホテルオークラへの政府要人のみならず、霞ヶ関の次官、局長、課長級、あるいは主要政治家、財界有力者の出入りを入念にチュックし、動きを追えば東京がワシントンにどう操作されているかがはっきり浮かび上がってくるはずだ。確たる証拠はないが、同ホテルと米国大使館は地下道で結ばれているとみられる。

占領下、吉田茂首相はGHQ要人に面談するため帝国ホテルの裏階段を人目を忍びながら登っているのを同ホテル支配人に目撃されている。この一件だけをみても、日米間の地下回廊は必須とされていたはずだ。

かつて、新聞の「首相動静」欄に「ホテルオークラで静養」「オークラのジムへ」などの記載があった。目的は地下道を使って米国大使館に出入りするためだったと思われる。今はこのようなオークラ情報は公にされていない。

菅義偉首相が誕生して、外交に不慣れで未知数であると各メディアは指摘した。その中で、「内閣官房長官は月に一度米国大使と食事をしてきた」との記載があった。官房長官のみならず首相も然りであろう。官房副長官、首相秘書官や各省次官であれば公使、局長クラスなら参事官、課長クラスなら一等書記官等々と会合は頻繁に行われていると推測される。

ワシントンから訪日した米国要人もこれを活用してきたはず。2011年にこんな情報が流された。

「(民主党の)前原政調会長はこのほど(維新の会)橋下徹氏とホテルオークラで秘密裏に会い、地下通路を使って米国大使館に入った。するとジョセフ・ナイ、リチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、カート・キャンベルといった連中が待っていた」。

ことの真偽はさておき、決して頭ごなしに否定できない情報だった。ワシントンに出掛けなくともホテルオークラへの要人の出入りを入念にチェックすれば日米間の動きは相当程度把握できる。なぜか政治部の記事に東京での地味な日米間の人の動きを追う熱意は皆無だ。外信(国際)記者もワシントンの現地情報にしか関心がなく、それも大半が現地メディアの転電である。

日本のメディア各社では政治部と外信部は疎遠である。縦割りの弊害を打破して、英語の苦手な政治記者と外信記者が共同してオークラ番記者を設けるべきである。これを怠ってきたのも米国からの目に見えない圧力のためであろうか。