◆悪の紋章:竹中平蔵―菅首相の元上司
2000年代は10年間にわたり自殺者が年間3万人を超え日本は先進国中類を見ない「自殺大国」であったが、この10年減少に転じ2万人余りまで低下した。ところがコロナ禍の長期化で10年ぶりに増加に転じている。雇用不安や失業が大きく影を落としているためだ。最近では酷寒の中、物乞いする浮浪者の姿が見られるとの報道も出てきた。日本の街角から浮浪者、物乞いの姿が消えた1960年代から高度成長を経てバブル崩壊に至った1990年代初めまで「一億総中流」と言われた日本型平等社会は今や完全に破壊された。
破壊の最大の”功労者”である小泉政権で総務相などを歴任した竹中平蔵を「成長戦略会議」の民間議員として登用した菅義偉首相は「自助・共助・公助」を唱える。このキャッチフレーズは自己責任論の言い換えに過ぎない。かつて日本企業が尊重した給与格差を抑制した終身雇用制を破壊し膨大な数に増えた非正規雇用者を搾取する人材派遣企業の会長職にある竹中が菅に入れ知恵した可能性大である。
竹中が会長職にある人材派遣大手「パソナ」はコロナ禍で営業自粛する事業者に給付される「持続化給付金」制度で業務委託を請け負う企業だ。政府とパソナとの間に不明朗なカネの流れが取り沙汰されている。かつて総務相時代に菅は副大臣として竹中に仕えており、今や人々の眼は竹中、菅ラインに注がれ、これを問題視している。
竹中に象徴されるネオリベ「経済学徒」は日本の富を吸い尽くしている米国発強欲資本主義の代理人である。戦後、日本のエスタブリッシュメント層はGHQの対日政策転換で早々と復権できた財閥系を筆頭に米巨大資本に従属しながら自らの富と地位を築いてきた。
菅内閣の顧問となった竹中は現行年金制度を解体し、一人月7万円支給で打ち切るベーシックインカム案を提起している。これは高齢者の基礎年金原資の大半を負担する現役世代の収入が減り、失業者が増えているためだ。その日本の高齢者は第二次大戦下に匹敵する赤字国債乱発で累積債務が1200兆円を超えた日本財政の破綻と敗戦直後に続くハイパーインフレで預貯金や戦時国債の価値が実質ゼロになる悪夢の現実化を恐れている。プライマリーバランス(基礎的財政収支:正味の歳入と借入金返済のための元利払いを除いた歳出の収支の均衡)の実現は掛け声だけに終わった。
◆強欲資本主義のリセットを
世界規模で経済格差の拡大を生んだ元凶が新自由主義(ネオリベ)だ。これに基づき、グローバリズムと規制緩和、そして私的権力(資本)を政府(国家権力)の上位に置く市場経済原理主義を掲げる多国籍資本はより安価な労働力と資源を求めて地球上を移動した。しかし、移動するフロンティアに限界が見えてきて久しい。国外で搾取源を探すのが難しくなれば、国内に「南北格差」を移転して創出するしかほかない。
コロナ禍はフロンティアとしての「グローバル・サウス」を失いつつあるウォール街を頂点とする西側の巨大資本が経営難に陥った企業をタダ同然で吸収・合併するなどして資本主義をリセットするため仕掛けたとの説も流布されている。その真偽はともかくとして、99%の人々をディストピアへと導き、1%にユートピアをもたらす強欲資本主義とその基盤である新自由主義こそリセットしなければならない。
◆自殺者は11年ぶりの増加へ
コロナ禍で未曾有の業績悪化に陥る企業が相次いでおり、自殺者数は11年ぶりに悪化する可能性が高い。自殺者数は経済指標ではない。だが失業率など雇用環境と連動する。
厚労省のデータによると、1997年まで年間20,000~25,000人で推移していた日本の自殺者はバブル崩壊と不良債権を抱え金融機関の経営破綻が相次いだ1998年に一気に32,863人へ跳ね上がった後、2003年34,427人を過去最多とし、2011年まで30,000~35,000人で推移した。
これを受け、国や地方自治体が自殺防止に尽力し、2010年から10年連続で減少。2019年は約2万人となった。自殺者数が減少を続けたこの10年間での特筆すべき現象は、若年層の増加だ。特に10代が増加し続けた。若年層が現実をディストピアとみて早々と命を絶っている。
一方、この10年間の自殺減少は有効求人倍率が大幅好転し、雇用環境が改善したためとされる。コロナ禍がなければ自殺者は2万人台を割った可能性がある。
年明け間もなくコロナ禍に見舞われた2020年は自殺者数の11年ぶりの増加が必至。長引くコロナ禍で雇用環境が悪化。7月には前年同月比で増加に転じて以降、10月まで4カ月連続増となり、1~10月期でも対前年同期比で増加に転じた。
コロナ禍の進行に伴い、7月に3%増となり、8月18%増、9月10%増、そして10月には40%増と大幅増となった。増加の最大要因がコロナ禍によることはことは明らかである。コロナ禍で失業し、給付金を使い果たして前途を悲観した非正規社員が多くを占めているのは疑いの余地がない。
また警察庁のデータでは、2020年1ー11月期の自殺者数は1万9000人を上回っている。10月は女性の自殺者数は前年同月比83%増だった。これはパンデミック発生後の失業者のうち女性が約7割を占め、「非正規雇用」比率の高いことが原因とみられる。
◆真の元凶を問うべき
現世ディストピア化の元凶は決してコロナ禍だけではない。ここ30年に及び米国は不良債権を抱える日本企業を乗っ取り、米国債(財務省証券)を大量に買わせ外貨準備を吸い取る等して日本経済を衰弱させた。この日本弱体化計画はバブル期前の1980年前半から周到に準備されていた。日本の戦後復興の頂点であったバブル経済期前に米国は再び脅威となった日本経済を破壊する方策を練っていた。日米貿易摩擦は米国に「日本の軍事力強化と自衛隊の米軍の補完部隊化」とともに「日本の富収奪」を決意させた。
「真の敵は中国にあらず、米国発強欲資本主義にあり」
参考までに12年前の関連記事を再掲載する。事態は何も変わっていない。
なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2)
日本の自殺者は1999年に初めて3万人を突破し、2003年には3万4千人にまで増加、昨年も3万3千人を記録している。1年間に10万人当たり25人が自ら命を絶ったことになる。いわゆる「金持ち国クラブ」とされるG7(主要先進7カ国)ではダントツの1位である。ドイツの2倍、米国の2.5倍、イギリス、イタリアの3倍…。こんなことを書いていると、読者から「そんなことも知らなかったのか。日本では10年も前から大問題になっている」と抗議されそうだ。この旧聞に属する自殺者急増問題について、その根本原因としてバブル経済崩壊後の過剰なリストラ、雇用構造の大変化があったことを念頭に入れつつ、前回と同様、「日本長期不在者」の視点を生かしながら論じてみる。
▼通勤電車の乱れ
「このところ朝の通勤がさらに苦痛になった。飛び込み自殺が多くて、電車のダイヤは大混乱、すし詰め状態は極限。本当に疲れる。同じ50代の男性が自殺者の過半数というのも身につまされる」。定年を2年後に控えた、かつて勤務した会社の元同僚がため息混じりに語った。
警察庁のまとめによると、07年の自殺者は03年に次ぎ、前年比938人増の3万3093人と最悪の結果となった。年代別では50代がトップ、次いで60歳以上、40代となっている。つまり、このことから働き盛りの男性を自殺へと追い詰めている現代日本の社会状況が浮き彫りになってくる。
「仕事への責任感」「職場での生きがい追求」「会社・組織への忠誠」の度合いにおいて、日本はまだまだ世界でも類をみない国だけに、元々、最もストレスにさらされやすい中高年男性の自殺率は他国に比べて高かった。だが、その率は1995年くらいから急上昇し、5年間でほぼ倍増した。労働問題の専門家は「バブル経済崩壊後のリストラ、失業急増、再就職難が決定的要因だ」と異口同音に解説している。
1970年代から80年代にかけてメディアを賑わした過労死問題は、1990年代半ば以降は数十年間捧げ続けてきた会社との離別、あるいはそれへの不安に起因する自殺問題へと転換した。どちらの問題も、根は同じ。会社人間を輩出し続け、日本社会の活力の源といえる「生真面目」、「滅私奉公」、「粉骨砕身」等々の性向のマイナス面が噴出したと言える。ラテン系諸国の人々に見られるような「家族と生活を楽しむのが一番大切」「皆で助け合えば何とかなるさ」といった類の楽観主義とは対極にある日本人の心情の物悲しさを改めて痛感する。
通勤途上の飛び込み自殺件数はJR東日本で過去五年間に449件。年平均で90件となる。一方、JR西日本の場合、昨年は同東日本とほぼ同数の年間85件に上った。JR全社で年合計300件以上、さらに公営地下鉄、全国の私鉄での発生件数を仮に同数としてみると、1年間の駅ホーム、踏切での飛び込み自殺は一日に2件は発生していることになる。就業者が集中し、鉄道網の発達で群を抜いている首都圏で1日平均3─4件起きても何ら不自然ではない。
鉄道会社が「人身事故が発生しました」と利用客に知らせる飛び込み自殺では、遺族に支払い不能なほどの高額な損害賠償を求めるケースが少なくない。その死の代償はあまりにも大きい。分別盛りのはずの40代─60代がなぜ分別を失ってしまい電車に身を投げてしまうのか。自殺分析に取り組んでいる精神科医グループのひとりは「自殺志願者は当然、重篤な鬱状態にある。それでも中高年男性は仕事で身動きできず、来院者はいまだに患者全体の僅か4%程度と推定している。つまり大半の患者が専門医の治療も投薬も受けず、自己喪失状態に陥ってしまい、死を選んでいるのが実情だ」と語った。
▼貧困感覚の格差
繰り返すが、14年間も長期不在して日本に帰国してみて、貧富の格差拡大を実感した。ある労働経済学者は「1999年の労働者派遣法改正で非正規雇用が大量に導入され、2003年からは製造業にも適用された。これで97年から06年の10年間に500万人も正規雇用者が非正規雇用者に置き換えられる、入れ替え現象が起きた。こんなことは世界恐慌や戦時下ならともかく平時にはありえなかった」と語っている。いわゆる「失われた10年」は雇用構造の大変革の時代だったのであり、失業保険、健康保険の掛け金、厚生年金の会社一部負担をはじめ、労働者の諸権利が根こそぎ「剥奪された10年」だったのである。
いわゆる米国発の新自由主義(ネオリベラリズム)は欧州にも浸透した。福祉先進国のイギリス、ドイツなどでも近年「社会福祉国家の見直し」が実施され、大議論となっている。それでも日本の社会福祉ははるかに立ち遅れている。「おにぎり食べたい」と書き残した中年男性の餓死事件に象徴される生活保護の打ち切りをはじめ、社会保障のセーフティネットがずたずたになった感がある。数ヶ月前、ロンドンに住む日本人女性の元全国紙記者(今はフリーランス)が「年金生活の主人(英国人、61歳)が私の取材費を賄ってくれる」とのメールを寄こした。日本では考えられないことである。
しかし、筆者のように貧困国フィリピンに10年以上暮らし、「貧困の大海原」といわれる僻地農村部の生活実態調査に5年も従事した身には、日本の「年収300万円以下の低所得者層」の生活に“貧しさ”は感じない。国民の圧倒的多数が貧困層に属するフィリピンの僻地農村での生活は、100年も前の日本の水呑み百姓と蔑まされた零細小作農の暮らしぶりを想像すればよい。米作り農家が米飯すら口にできず、日本の「粟、ヒエ」に代わって畦で栽培した「白トウモロコシ」を主食に、ココナツ油で揚げた塩漬けの小魚数匹を大家族が手づかみにして食すことがほとんどの日々である。
ここで「貧困と自殺率」に言及してみる。外食を止めれば、一日2千円以上を自宅での食費に充当できる日本の貧困層の食卓は「実に豊か」とも言える。貧困感覚とは実に相対的なのである。これを証明してくれるかのように、ある社会学者が実に的確な分析をしている。つまり、「生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。
まさにバブル崩壊後の日本が上記3番目のケースに該当する。自殺率の急上昇がそれを証明している。ちなみに、日本の高度成長期(1960─1975)の自殺率は10万人当たり15人前後。ところが、バブル崩壊による雇用構造の大変動が本格化した1995年から2000年の間に同17人から25人に急上昇した。日本人はまだまだ内向きの傾向が強い。途上国の実情をもっと内側から理解できれば、十分に幸福感を覚えて暮らせる日本なのに、日本の人々には内向きな「世間並みの暮らし」が最も重要なのである。日本の人材採用関連広告には「年収●千万円」の文字が踊っている。日本人勤労者の平均年収を下回る生活をしていれば果たして「低所得層」なのか。もっと視野を広げ、気持ちを楽に…と声を掛けたい。
▼雇用伝統の破壊
簡潔に暫定的な結論を記してみる。今日の日本の社会病理は、戦後の高度経済成長を支えた「三種の神器」の崩壊に大きく起因しているように思えてならない。「三種の神器」とは、いうまでもなく終身雇用、年功序列、企業内組合である。特に、前の2つが日本の従業員の心の安定源であったからだ。先輩・後輩の厳しい序列、このシニオリティ(年功制度)がもたらすさまざまな職場内でのいじめ(今風に言えばハラスメント)、長い残業時間を強いられても、「忠実に働き続ければ、自分もやがてシニアな立場に立てる。会社の業績さえ安定していれば、収入、地位もさらに上がって定年まで働ける」との確信がどれほど人々の心を癒し、和ませたことであろう。
グローバリズムはこれを根底から崩してしまった。1980年代から本格化した主要企業の多国籍化は、その傘下の系列企業にこぞって海外進出を促した。製造業の空洞化、サービス産業や3K労働への外国人労働者の大量進出が進んだ。これを背景に、1995年に当時の経団連は「就業者の3分の2は非正規雇用に変える」との方針を打ち出し、戦後日本を支えた伝統的雇用形態を根本から変質させたのである。これも旧聞に属するが、今年のビックニュースのひとつである秋葉原無差別殺人事件も雇用の不安定化が生んだ典型的な社会病理現象のひとつと言えよう。
地球上の国境という垣根をほぼ除去した半面、繰り返されるグローバルな金融危機をはじめ、経済のグローバリゼーションの功罪は実に大きい。この「罪=病理」の処方箋については軽々に論じ得るものではない。どんなに薄給であり、過酷な雇用形態であろうと、失業と絶対的貧困に苦しむ途上国の人々に多国籍企業が大量の雇用を創出したことは紛れもない事実である。国籍を超えて世界規模の競争にさらされ、安価な労働力を求めてグローバルに動く多国籍企業はその出自=「母国」の雇用、経済に取り返しのつかない暗い影を落としてしまった。規制緩和の行き過ぎへの反省は確実に胎動を始めていると信じたい。
日雇い派遣労働者として体感した日本型貧困の実態 14年後の日本考(3)
今、日本で最も社会的な論議のひとつとなっている日雇い労働者派遣問題。その実態はどうなっているのか。筆者は自ら日雇い専門の人材派遣会社に登録し、10月の半月間、2004年の労働者派遣法改定で合法化された製造業現場での派遣就労を試みた。
これを通じて、「豊かな社会」の最底辺で生きる人々の苦悩、欲求、そして現代日本の抱える固有の問題を体感した。生活苦から望んで残業する中年女性が目立ち、消費者ローンの返済で翌日の生活費の工面に必死の人もいた。フリーターと呼ばれ、その日暮らしをしているのは決して若者らだけではなく、むしろ中高年者が目立った。かつて大阪・釜ケ崎、東京・山谷に代表された、日毎に就労現場を変える日雇い労働者の群れは、今や全国津々浦々に広がっており、14年間不在した日本社会の変容ぶりをまざまざと見せ付けられた。
■人間ロボット
首都圏の郊外には食品加工の下請け企業の集積する場所が幾つもある。コンビニエンスストア、24時間営業のスーパーマーケットなどに配送する弁当、惣菜、デザート、生菓子類などを製造する食品企業は例外なく365日、24時間操業している。労働力不足解消と人件費削減には人材派遣会社と契約しての日雇い就労者受け入れが一番好都合のようだ。因みに、日給は法定最低賃金に限りなく近く、しかも交通費は不支給である。
初日。午前7時すぎに派遣会社に指定された就労企業最寄り駅近くのビル東側にたどり着いた。集合指定時間は同7時半だが、すでにそれらしき人たちが数人集まっていた。下車した最寄り駅のプラットホームから階段を下る最中に懐かしいタガログ語が聞こえてきた。この20歳代のフィリピン人女性3人に、インド系とおぼしき20歳代半ばから30歳前後の女性2人を加えると外国人が計5人いた。
定刻直前に派遣会社の男性社員が現れ、前日に就労予約した人々の名前を点呼し、出欠の確認を始めた。欠席者も数名いたようだが、計48人が集まった。「食品製造の補助作業」との名目で募集したためか、性別比率は女3:男1だった。女性は20代から50歳代まで多様。男性陣12人中、40歳以上の中高年者が筆者を含めて7人。20─30歳代は5人であった。
上記社員に率いられて工場に到着。今度は受け入れの食品会社担当社員と思しき女性が再度氏名確認した後、作業服に着替え、帽子付きマフラー状白衣で頭と首を覆い、手を入念にアルコール洗浄、マスクと手袋をして、作業場に入った。時刻はすでに午前8時半を回っていた。
「派遣」マーク入り作業着をまとった48人は数班に分かれ、班長の正社員の指示に従うこととなった。われわれが配属されたのは出来上がった円形の中型ケーキにチョコレートなどそれぞれ形の異なる5種のデコレーションを施す作業班だった。2人1組で作業は行われる。トレイに載せられたケーキが次々とベルトコンベアーに運ばれて押し寄せて来る。相棒は装飾用チョコレートを次々と運ばれてくる段ボール箱から1種1個ずつ取り出して、包装を破いて、慎重にプラスチックトレイに置く。筆者はこの装飾用チョコレートをケーキの所定の場所に埋め込む。5種のデコレーションで飾られたケーキを仕上げるのに5組、これに最終品を箱詰めする組があり、1つのコンベアーラインには6組が配置された。
最初は「なんと単純な作業。これなら8時間の作業にそれほどの疲労は感じないだろう」と軽く考えた。ところが、受け入れ会社の「処遇法」はさすがだった。未経験者の多い派遣労働者がこの単純作業に慣れてきたとみると、コンベアーは次第に速度を上げていった。ついに目の回るような機械もどきの作業となった。ミスが出れば班長や現場責任者から容赦のない罵声が発せられる。「これではわれわれは人間ロボットだ」。心の中で自然にこんなつぶやきが湧いてきた。
■痺れる足腰、それでも残業
右手でトレイに入ったチョコレートを拾い上げ、所定の位置にケーキを損傷しないよう注意しつつ埋め込む。この機械的な仕草を昼食休憩までの4時間続けた。2時間も経つと足が痺れてきた。班長は「1日3000個の箱詰めが目標」と声を上げた。8時間は480分。したがって、1分に6個以上、10秒以内に1個のチョコレートを指示通りにケーキ、チョコの外観を損なうことなく「迅速かつ丁寧に」埋め込まなければならない。極めて神経を磨耗させる作業である。
実質50分の昼食休憩時間はあっという間に過ぎた。午後は5分の休憩を挟んで午前と同様、4時間にわたる作業が続く。午後は足の痺れに加えて、腰痛に悩まされるようになった。あまりのめまぐるしさと疲労からトレイから取り上げたデコレーション類を床に落とす頻度も増す。また「鬼の班長」から雷が落ちる。昼休みに入る前に「休憩前に足元に落としたチョコなどを拾ってダンボールに入れておけ。午後はミスを少なくするように」と命じていたから、怒声のボリュームはさらに上がる。
終業時刻の1時間前。初対面の正社員から「残業できますか」と問われた。「1時間程度なら」と返事をすると、今度は一転「ありがとうございます」と丁寧に挨拶した。午後5時半に終業。残業希望者が簡単な整理整頓を行い、午後6時からの残業に備える。15分程度の休憩時間に交わされた顔なじみとみられる日雇い派遣労働者の間の会話に耳を澄ませてみたら、「格差が広がる」といわれる貧困層と富裕層のうち、この工場で日雇いせざるを得ない前者の生活状況の一端が鮮明に見えてきた。これは後述する。
「この日のノルマ達成には午後8時までかかる」と判断した現場責任者は派遣労働者に終業直後、改めて残業を呼びかけた。およそ半分が午後8時までの残業に応じたが、大半が小学高学年、中学生、高校生の育ち盛りの子供を抱えていそうな30歳代後半から40歳代の女性だった。1時間残業は筆者だけだった。他の男性グループは老若問わず、定刻で姿を消した。20代前半にみえた男性から「ああ疲れた」との声が漏れた。声の響きが「残業など真っ平だ」と語っていた。疲れた体に鞭打って進んで残業せざるを得ない中年女性グループとの生活状況の違いが浮き彫りになった。そそくさと引き揚げた青年らは両親も健在で、日雇い就労の目的は、生活費を求めてではなく、小遣い稼ぎのためだったのかもしれない。
■広がる差別感
今日の日本では「格差の拡大」が流行語となっている。だが、広がっているのは貧富の格差だけではなかった。同一職場での正規被雇用者(正社員)と常勤パートタイマー、そして非常勤派遣労働者との間に深刻な差別が拡大している。
最下層の日雇い労働者はしばしば「モノ扱い」される。終業時が近づくと、常勤パートまでが疲労の蓄積からか、日雇い労働者に対する言動を荒ばせてくる。「通ります」「ちょっと動いてください」などの一声を掛けることなく、日雇い労働者に手や肩を接触させて「そこのけ」のシグナルを送る。最悪なボディシグナルは、正社員が派遣労働者のズボンや上着を背後から引っ張って押しのけるケースだった。
筆者と同様、初体験者だったのであろう。耐えかねて「何をする。声ぐらい掛けろ」と怒りの声が上がった。常勤パートの中に「すみません」とか細い声で謝る者がいたのが救いだった。だが、現場監督者は「何をもめている」と一喝した。明らかに正社員、特に平社員らに「自分たちよりさらに下がいる」との優越感が広がっていた。
残業を拒否した日の帰途、一緒に工場から駅に向かった日雇い仲間(30代男性)は差別問題について、「仕方ない。人材派遣会社は登録者の詳細な履歴を調べない。だから社会常識を持ち合わせない者が多い。受け入れ会社は日雇いに対して目を光らせ、きつくあたらざるを得ない」と諦めからか、差別を受け入れていた。だが、差別は施設面でも露骨に現れている。日雇い派遣労働者にはロッカーも与えられない。脱衣類と共に貴重品をロッカーの上に放置する者が大半だ。このため盗難事件が頻発している。
3日目の昼食時間。午前中隣で一緒に作業した中年男性が「財布、携帯電話、時計、小型電子機器などは管理部門に預けておけば、帰りにきちんと返却してくれるのは知っているだろう。だけど初めての者などは慣れない作業服への着替えや消毒作業をせかされて、預ける余裕をなくす。さらにずぼらな奴らも多い」と日雇い派遣者の置かれた状況を説明してくれた。この日、20代の男性が「買ったばかりの1万6千円の(ハンディタイプの)音楽聴取用の機器を盗まれた。残業しても今日の手取りは7千円あまり。くたくたになるまで働いた結果がこれか」と怒りまくって家路についた。筆者には聞いたこともないハイテク機器で名前も記憶できなかった。
■日当受け取りに焦り、休日返上
「8時まで残業するだけどお金受け取るのに間に合うかな。明日の生活費がない」。初日の残業開始待ち時間中に中年女性が心配そうに顔なじみとおぼしき女性に語りかけた。派遣会社は毎日午後9時までオフィスを開けている。彼女らは文字通りの「日雇い労働者」だった。ぎりぎりまで残業して受け入れ会社から就労証明書をもらい、息せき切って人材派遣会社の最寄りのオフィスに駆け込んでいる。「生活費がない」と困窮ぶりを訴えた女性がこの日の閉店時間に間に合ったかどうかは知るすべもない。
2日目は午後8時まで残業し、5、6人のグループをなして帰途駅に向かう中年女性らの後ろを歩き、彼女らの会話に耳を傾けた。また、計3日間の休憩時間でのおしゃべり、作業中に交わされるつぶやきに近い一言、二言からうかがえた彼女らの生活状況を以下列挙してみる。
1・離婚による母子家庭が非常に多く、前夫からの仕送りが途絶えている
2・資格、特殊技能を持たない身には非正規雇用に甘んじるしか道がない
3・普段は小売店などの常勤パートタイムだが、収入不足。休日を利用して
日雇い専門の人材派遣会社を介して日銭を稼ぐ
4・小学高学年と中学生の子供が2人いるが、高校受験を控えた中3の
男の子の学習塾授業料だけで月6万円必要。2人とも大学に進学させたく
少しでも学資を蓄えたい
━こんな生活状況や心情がビビッドに伝わってきた。
何よりも強烈だったのは、休みなく働いた末、「低所得層」と分類されても、「生活レベルは落としたくない。消費を極端に自粛したくない」との志向が伝わってきたことだ。彼ら母子家庭の収入はこのような「女工哀史」を髣髴させる粉骨砕身の労働を通じても、1月に手取り20万円を超えれば良い方という。確かに常勤パートでも実収入は多くて1日7千円余り、月25日働いても20万円に満たない。残りの4、5日を日雇いで働いてようやく20万円の大台を突破できる。休日はほとんどない。
中には消費社会での「敗者」になりたくないあまり、消費者ローン、果ては闇金融に手を染めている者がいた。多重債務という「地獄」が口を開けて待っている。
「明日は日曜日で派遣会社は閉まっている。今日の稼ぎが受け取れなかったら明日は生活できない」との女性の言葉が今も耳の底で響いている。つまり「蓄えなし」と告白されたに等しいからだ。消費者ローンを返済して、生活費に回す金が底をついたようだった。
「貧困層」と呼ばれる人々のこんな日々の繰り返しが、心を蝕み、荒ばせている。親の心の荒廃は子供に直に伝わる。家庭をめぐる悲惨な犯罪が多発するのもここに根源があるのではないだろうか。増殖するばかりの派遣業者。労働者派遣法はさらに改定され、全職種が対象となるのも時間の問題であろう。日本型貧困を悪化させている人材派遣業者の利益=ピンはね額は闇の中である。永田町に巨額のキックバックがあることは間違いあるまい。来る総選挙でもこの深刻な問題がさしたる争点になる気配はない。前政権が唱えた「安心社会作り」がそらぞらしく感じてならない。