ウクライナ戦争は事実上ウクライナを舞台にした米国の対ロシア戦争である。しばしば米NATOの代理戦争とも言い換えられるが、米国主導の北大西洋条約機構(NATO)の加盟国は一枚岩ではない。米、カナダを除くNATO加盟国が欧州連合(EU)加盟国とほぼ重なる中、第二次大戦の敗戦国ドイツはNATOが対峙する旧ソ連、ロシアへの姿勢を異にしてきた。1969年に首相に就任した社会民主党(SPD)党首ウィリー・ブラントはナチスの対ソ侵攻謝罪と対ソ連(ロシア)融和の東方政策を打ち出し、1990年東西ドイツ統一後のドイツ歴代政権はブラントの東方外交を継承してロシアを含めた全欧州安全保障体制の構築を目指した。これが冷戦終結後の米単独覇権の下、ロシア・ユーラシア制覇構想(ブレジンスキー構想)を推進するネオコン主導の米国との激しい軋轢を生み出した。ウクライナ戦争はロシアを含めて欧州全域の和平を志向するEUの盟主となったドイツに対する米英による攻撃でもある。戦後のドイツ政府は厳格な米国の管理下に置かれひたすら対米従属してきた日本政府とは対照的な対米関係の道を切り拓いてきた。本ブログが問題提起している近代日本の第三期(2023~)における全東アジア安保構想に向けての日本の在り方を思索するヒントがここにある。
<注1>ブレジンスキー構想については2022年3月3日掲載論考「プーチン追い詰めたブレジンスキー構想 ウクライナ危機と米のユーラシア制覇」を参照されたい。
<注2>本稿は2022年11月8日掲載「独首相訪中の衝撃:G7を空洞化、中露主導の新ユーラシア構想への参入を促進」の続編となる。
■メルケルの挫折
2005年から2021年までドイツの首相を務めた中道右派政党キリスト教民主同盟(CDU)党首アンガラ・メルケルは社会民主党(SPD)ブラント政権時代の基本理念「接近による変革(Wandel durch Annäherung)」を継承した。メルケル政権は東方政策「関与による接近(Annäherung durch Verflechtung)」を提唱してロシアとの良好な関係を追及した。またこれを軸に欧州連合(EU)とロシアとの関係改善も進めてきた。
ヘルムート・コールCDU政権下の1990年ドイツ統一はロシアとドイツの関係を劇的に変えた。東西ドイツ統一がゴルバチョフの改革政策なしには決して実現しなかったと確信していたコール首相は、NATO改革の一環としてNATOロシア理事会を設け、欧州安全保障協力機構(OSCE)を生かしつつロシアをその枠組みに組み入れて全欧州安全保障体制の構築を図ろうとした。NATOロシア理事会はシュレーダーSPD政権下の2002年ローマ合意書で新設された。この試みは冷戦下で実現不可能であったブラントの構想を再生させたものである。
2005年に発足したメルケル政権は東方政策「関与による接近」でコール構想にさらに息を吹き込んた。つまり、メルケルの政策はコール提唱のOSCEの枠組みにロシアを組み入れての全欧州安全保障体制構築を再々度目指すものであった。メルケルが「コールの娘」と称された所以である。
メルケル政権はプーチン・ロシアとの蜜月ぶりを内外に示し、米国をけん制した。メルケルは2021年末の退陣直前までマクロン仏大統領とともにウクライナ危機回避に努めた。独メディアによると、2021年6月23~24日のEU首脳会議で独首相は「無言は問題解決に役立たない」「冷戦中でさえ、私たちはお互いに話し合った」と加盟国首脳に語りかけ、EU・ロシア首脳会談の開催に固執した。だが、旧ソ連圏東欧加盟国が強く抵抗し説得は挫折した。
2004年に旧ソ連圏のエストニア、ラトビア、リトアニア、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、旧ユーゴスラビアのスロヴェニア、2007年にはブルガリアとルーマニア、2013年にはクロアチアがEUに加わった。EU加盟28カ国中11カ国が旧共産圏東欧諸国である。多くの旧ソ連圏UE加盟国には反ロシア感情が蔓延している。
ドイツの将来課題は「欧州の課題と和平は欧州自身で解決、達成する」にある。それは米国がNATOの盟主として振る舞い、欧州安全保障協力機構(OSCE)にまで加盟して干渉することへの拒絶にある。米国の干渉を排除する動きは東南アジア諸国連合(ASEAN)や中南米(ラテンアメリカ・カリブ)諸国10カ国加盟の米州ボリバル同盟、中国の接近に米国が対抗し始めたアフリカ連合にも顕著にみられ、今や世界の趨勢となっている。
【写真】2018年5月ロシアの黒海に面したクリミアに近い保養地ソチで開かれた独露首脳会談。プーチン大統領はメルケル首相を出迎え花束を渡した。
両者の和やかな表情は当時の独露関係を象徴した。2014 年 2 月の親露派大統領を追放したウクライナクーデター、3 月のロシアによるクリミア併合を受け、欧米は対ロシア制裁を科したが、米国とEU、特にドイツとの足並みは揃わなかった。独誌シュピーゲルの2014年3月世論調査結果によると、「クリミア併合を認めるべき」との回答者は54%に上った。公共放送ARDの調査では、ドイツがとるべき姿勢として49%が「欧米と露の中間的立場」、45%が「欧米との団結」と答えた。
■ショルツの苦悩
メルケルを後継したSPD党首ショルツは緑の党、自由民主党と連立政権を組んだ。ロシアへのエネルギー依存に批判的な緑の党共同党首のロベルト・ハーベックとアンナレーナ・ベアボックをそれぞれ副首相、外相に起用。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に伴い、ドイツはそれまで拒否していたウクライナへの武器供与に踏み切り、防衛費をNATO水準に増額すると表明。 2022年5月8日のナチス・ドイツ降伏記念日にはテレビ演説したショルツ首相は 「私はプーチン氏は戦争に勝てないと確信している」と述べるなど米英主導の対ロ制裁路線に全面協調する姿勢を示した。
こんな中、連立与党の中核である社会民主党(SPD)がドイツ親露派のリーダーとみなされて攻撃された。メルケルの前任者でプーチン大統領と親密なSPDのシュレーダー元首相はウクライナ侵攻発生後も「ロシアとの関わりを断つべきではない」と発言、ロシアの複数のエネルギー企業幹部にとどまった。ドイツ下院予算委員会は2022年5月、シュレーダーに議会内事務所の使用禁止を決め、欧州議会は制裁対象とすると決議し、SPDもシュレーダーに懲罰を課した。
それでも侵攻後の同年3月と7月に訪露しプーチン大統領と面談したことを明らかにし、「クレムリンは交渉による解決を望んでいる」と発言している。またシュレーダーは連邦議会の措置を違法として、ベルリンの行政裁判所に無効を求める訴えを起こした。ドイツの東方外交を牽引してきた主流派は米英に対し「ロシア封じ込めを続け、ウクライナで追い詰めた」と不信感を募らせているはず。シュレーダーの一連の言動は苦悩するショルツ現首相を激励するものとも受け取れる。
シュレーダーは首相時代に独自外交「ドイツの道(Der deutsche Weg)」を唱道した。2003年イラク戦争に際しては、米国に対し「自衛の戦争とは認め難い。対イラク攻撃には参加しない」と宣言し米国との関係は極度に悪化した。シュレーダーはイラク戦争に反対するシラク仏首相,プーチンとの関係を密にして「ベルリン・パリ・モスクワ枢軸」を形成した。ロシア・ドイツ間の天然ガスパイプライン「ノルドストリーム」プロジェクトは独ロ蜜月時代の象徴である。
ショルツ首相にとって反露勢力からの非難を一身に浴びるシュレーダー元首相はSPDとしては前任の宰相となる。ショルツは2022年11月、米英に挑戦するかのように訪中し、中露主導の新ユーラシア主義に融和する姿勢を示唆した。G7議長国ドイツの首相ショルツの北京到着は独北西部ミュンスターでG7外相会議が開催されていた只中。前代未聞である。習近平に中国とのサプライチェーンを決して絶つことはしないと伝え、米国主導の中国・ロシア封じ込め政策と距離を置くドイツの姿勢を明示してみせた。これは精一杯のワシントンへの反撃に思えた。
■16年前のプーチン演説
2000年にプーチンが大統領に就任した際、ロシアと米英との関係には一時的な融和が見られた。米国はエリツィン大統領在任中の1998年に主要国首脳会議にロシアを参加させG7をG8とし、世界貿易機関(WHO)加盟を促し、プーチンにはNATO加盟まで勧誘していた。しかし、ロシアの対米姿勢は米国防総省が2007年1月にチェコ、ポーランド両政府とイラン、北朝鮮の脅威を名目に米国のミサイル防衛(MD)システム配備の正式交渉を開始したことで激変する。ミサイルは明らかにロシアに向けられていたからだ。
1月後、同年2月のミュンヘン安全保障会議でプーチン大統領は米国を厳しく非難する演説を行った=写真。その演説は米国の単独覇権を唱え、極めて好戦的な米ネオコンに向けられていた。陰の大統領と言われたジャック・チェイニー副大統領を筆頭に当時全盛を誇ったネオコンは「唯一の超大国となった米国は国際ルールを超越した存在になった」と認識し、米国の脅威となるライバルの台頭を防ぐためにはためらわず軍事力を行使する方針を打ち出していた。プーチン演説の骨子は「米国の一極支配体制は受け入れない。その行動はまったく紛争の解決手段にならない」というものだ。
プーチン大統領が独仏と協調して国際法に違反した米国の2003年イラク戦争に反対した「ベルリン・パリ・モスクワ枢軸」は維持されており、メルケル首相がプーチンを会議に招いた。ウクライナ戦争の只中、米政府は現在、このプーチン演説を「ロシアのウクライナ侵攻の予兆」、「妄言」などと”解釈”している。しかし、当のドイツや中国、非同盟諸国・第三世界では記憶すべき演説として語り継がれてきた。( Putin's Munich Speech 2007 - Bing video)
矛先が鋭く向いたのは米国の国連無視と国際法違反だ。
「私たちは、(イラク戦争をはじめ米国によって)国際法の基本原則がますます軽視されていくのを目の当たりにしている。そして、独立した法規範が、実のところ、ある国家の法体系にますます近付いている。 一国家、そしてもちろん、まず第一にアメリカは、あらゆる意味で国境を侵している。その証拠に、経済政策・政治政策・文化政策・教育政策を他国に強要している。」
演説全体では、①冷戦後米国が世界の唯一の中心になり、恒久平和を脅かしている②主権が米国に集中するシステムは民主主義と言えない③軍事力使用は国連の合意によって認められるのにNATOやEUも決定権を握っている④NATO拡大は挑発行為であり、ベルリンの壁に代わる新たな壁だーがポイントとなっている。
また演説後の質疑応答で「NATOの拡大は(東欧)民主主義国が自ら選んだ道では?」と問われ、①外国政府の資金援助でNGOが選挙キャンペーンしているが、これが民主主義なのか②ある国家が別の国家に影響を及ぼしている時点でそれは民主主義ではない③ロシアの政治体制を破壊しようとする組織とは断固戦う、これは恐怖政治ではないーと述べ、CIAや第二のCIAと言われる全米民主主義基金などが旧ソ連圏東欧諸国のNGOなどに潤沢に流入して、親米化・民主化運動が展開されてきたことに激しく抗議した。
プーチンの言う「(アメリカにより)国際法の基本原則がますます軽視され」「あらゆる意味で国境が侵されている」現実とは何か。それは1961年1月にアイゼンハワーが大統領退任演説で懸念した通り、第二次大戦後、軍産複合体の独り歩きが始まり、ウォール街、石油メジャーなどと共に諜報機関の破壊工作を通じて、世界の民主化という名の下、「反米体制破壊」と親米政権への転換が繰り返し試みられてきた事実を指す。
第二次大戦後の米国の裏の対外活動は、極言すれば、反米国家の転覆破壊工作と言える。石油産業を国営化し石油メジャーを排除したモサッデク政権を転覆したイランでの1953年軍事クーデター、アジェンデ政権を転覆したチリでの1973年軍事クーデター、チュニジアでのジャスミン革命に端を発した「アラブの春」のピークをなす、NATOの軍事介入による2011年リビア・カダフィ体制破壊、2014年ウクライナクーデター等々枚挙に暇がない。裏庭・中南米では当該国軍部と結び反米政権転覆クーデーターの企てを常態化している。
米国の単独覇権とネオコンの台頭はこれに拍車をかけ、「初めて非ユーラシア国家(米国)がユーラシアを管理する」とのブレジンスキー構想が表に出た。2000年代に入るとプーチン・ロシアが破壊工作の対象となったのだ。
中国国営新華社の2021年4月10日付配信記事は米国の対外侵略の歴史を指摘した。
「『人道的介入』を名目に対外武力行使を行う米国の行為は数多くの軍人の命を奪い去っただけでなく、極めて深刻な一般人の死傷と物的被害をもたらし、深刻な人道的災害を招いた。概算統計によると、第2次大戦終結から2001年までに世界153の地域で発生した248回の武力衝突のうち、米国の発動したものは201回に上る。また、米国は代理戦争の支持、反乱煽動、暗殺、武器弾薬の提供、反政府武装組織の育成などの方法で頻繁に他国に干渉し、その国の社会的安定や民衆の安全に深刻な被害をもたらした。」
■プーチンの問い、英外相の詭弁
演説の次の要点はNATO東方拡大への警戒である。
「NATOの拡大は、同盟自体の近代化や欧州の安全保障の確保と、何の関係もないことは明らか。それどころか、相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為だ。私たちは、この拡張は誰に対するものなのか、と問う権利がある。また、ワルシャワ条約が解かれた後、西側諸国のパートナーが行った保証はどうなったのか。」「 1990年5月17日、ヴェルナーNATO事務総長はブリュッセルで『我々がドイツ領土の外にNATO軍を配置しない姿勢でいるという事実は、ソ連に確固たる安全保障を与える』と語った。その保証はどこにあるのか?」
NATOには1999年に3か国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年に7か国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、バルト三国、スロベニア)、2009年に2か国(アルバニアとクロアチア)が加盟。さらに2017年にモンテネグロ、2020年には北マケドニアが続いた。冷戦時代NATOと対峙した旧ワルシャワ条約機構加盟国は、バルト三国を除く旧ソ連構成国(ロシア、ウクライナ、モルドバ、ジョージア、ベラルーシなど)のほかはすべてNATOに引き込まれた。
1989年ベルリンの壁崩壊を受けた1990年ドイツ統一に向けた東西ドイツと米英仏露の『2+4』の6カ国協議で当時のベーカー米国務長官は「NATOを東方へと拡大しないように保証する」と語っていた。ところが、ゴルバチョフに対するこの発言は公式な合意文書にされていなかった。
歴代米政権は「NATO東方不拡大の合意などない」と完全否定してきた。会談内容の記録をもっているロシア側が「ベーカー長官は1ミリたりともNATOを東に拡大しないと約束した」と反論しても、ワシントンは「そんな合意記録はない」と突き放すばかりだ。
2021年1月のウォレス英外相の以下の発言はNATO拡大についての米英の詭弁を代表する形となっている。
「NATOは、北大西洋条約第5条に基づく防御同盟だ。…軍事攻撃がなければ軍事力を行使する必要もない。またNATOは意図的に東方へ拡大したのではなく、加盟を求める中東欧諸国の要望に応えただけである」( Ben Wallace, “An article by the Defence Secretary on the situation in Ukraine”, Ministry of Defence, January 17, 2022)
しかし、日本の専守防衛・反撃能力の名の下の敵基地攻撃体制形成を例に挙げるまでもなく、防御体制は攻撃体制を裏返ししたものである。上記のようにポーランド、チェコへの2007年ミサイル防衛(MD)システム配備問題が起き、ウクライナ戦争の前哨戦となった2008年グルジア戦争は米国が育てたグルジア軍とロシアとの戦いと言える。しかもNATOはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、マケドニア紛争、アフガニスタン紛争、2011年リビア内戦で軍事介入を実施しており、「NATO防御同盟」は有名無実である。ロシアがNATO東方拡大を警戒するのはごく自然である。
NATOロシア理事会新設やロシアへのNATO参加勧誘はロシアを全欧安保体制に組み入れようとするブラント以降の歴代ドイツ政権の努力の賜物だった。NATO東方拡大には新規参入国の意思だけでなく、欧州地域での米国外しとドイツのヘゲモニーを嫌う米国の意向が働いていた。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻はロシアだけでなく、米国を外しての欧州和平 を企ててきたドイツへ制裁する絶好の機会をワシントンに与えた。
1948年に米英主導で結成したNATOは「アメリカ合衆国を引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む(初代事務総長・ヘイスティングス・イスメイ英陸軍大将)との言葉が象徴する結成の原点に回帰したとも言える。
■米ネオコンの狂気
<注:以下は2022年4月16日掲載記事「エリート指導の武力行使で世界を変える ネオコンの狂気と新左翼の革命論」など米国のネオコンサーバティブ(ネオコン)に関する記事の一部引用である>
米欧日の既成メディアは「ウクライナの戦いはプーチンの狂気のなせる業」として日々伝える。そうであろうか。どうみても「ウクライナ戦争はネオコンの狂気のなせる業」である。
米ネオコンを代表する論客ロバート・ケーガンが2003年のイラク戦争開戦に併せて出版された著作「OF PARADISE AND POWER America and Europe in the New World Order 」に着目しよう。ケーガンは、イラク戦争に強く反対したドイツ、フランスを念頭に置き、「ヨーロッパは『ポストモダンの楽園』に向かっており、アメリカは力を行使する」と宣言した。
そして「ヨーロッパは、東西冷戦終結で、軍事力への関心を失い、力の世界を超えて、法と規範、国際交渉と国際協力という独自の世界へと移行している。歴史の終わりの後に訪れる平和と繁栄の楽園、一八世紀の哲学者、イマヌエル・カントが『永遠平和のために』で描いた理想の実現に向かっている。これに対し、アメリカは、歴史が終わらない世界で苦闘しており、一七世紀の哲学者、トマス・ホッブズが『リバイアサン』で論じた万人に対する万人の戦いの世界、国際法や国際規則があてにならず、安全を保障し、自由な秩序を守り拡大するにはいまだに軍事力の維持と行使が不可欠な世界で、力を行使している。」と書いている。
ネオコンにとって東西冷戦の終結は『永遠平和の始まり』ではなかった。世界はいまだ力と力がぶつかり合う絶え間ない戦いの只中にある。それ故、唯一の覇権国となった超大国アメリカは既存の国際ルールに拘束されない。第二次大戦の戦勝国が組織した国連の唱える集団的安全保障体制は機能しておらず、米国が定めたルールに基づく新たな世界秩序を構築するため力を行使して行くのだ。
2014年に親露派ヤヌコビッチ政権を打倒したクーデター=写真=を現地で指揮したのがケーガンの妻で当時のヌーランド米国務次官補だ。ホワイトハウスから当時の副大統領だったバイデン現大統領の采配を受けていた。ドイツ、フランスが米主導のクーデターに立ちふさがったため「EUなんてクソくらえ」と捨て台詞を吐いたことが盗聴された電話に記録されている。
ネオコンは、中東では2003年のイラクを嚆矢にリビア、イエメン、シリアなどでロシアと親しい反米国家や社会主義に近寄る政権を転覆するため反政府武装組織に代理戦争を行わせた。チュニジア、リビア、エジプト、シリアのそれは「アラブの春」と粉飾された。これは米国主導でイスラエルを中核に中東の勢力図の抜本的再編を図り、独自共通通貨を持とうとしたリビア主導のアフリカ連合(AU)の台頭を阻止するものだった。
イラクだけで民間人50~60万が巻き添えになった。アラブの春、そしてキリギス、アゼルバイジャン、ジョージアなど旧ソ連圏でのカラー革命の中核にあるのがウクライナである。米ネオコン主導の一連の戦禍で100万単位の非戦闘員が犠牲になっている。
「自由と民主主義、人権、法の支配」という普遍的価値の共有。これが米G7の表看板である。彼らの欺瞞はここに極まっている。
1992年2月ニューヨークタイムズは「米政府、冷戦後に新たな大国出現を防ぐ方針」といった見出しを付け、国防総省作成の「国防計画指針」の最終草案を入手したと報じた。ウォルフォウィッツ国防副長官が中心になって作成したといわれる同草案には、①ソ連崩壊後、唯一の超大国となった米国は新たに対抗する大国の出現を防ぐ②この目的のた
めに挑戦者を受け付けないほどの巨大な軍事力と建設的な力を保持する③この連合組織が十分に機能しないとわかれば、独自に軍事行動を行う-などの指針が盛り込まれていた。
ケーガンの思想を先駆けたこの指針は、米単独覇権のためには国連憲章をはじめとする国際法を無視し、米国に敵対する勢力は巨大な軍事力でことごとく潰すとの宣言と読み取れる。彼ら米ネオコンこそ「現代世界の悪魔」と言える。2007年ミュンヘンでネオコンの狂気の行き着く先に警鐘を鳴らしたプーチンは、ウクライナで追い詰められた。
キッシンジャーと並ぶ「歴史現実主義」者とされる、高名な米政治学者ミアシャイマーが2014年に発表した論文「ウクライナ危機は西側が引き起こした」などを引き合いに出したからず、現代世界を覆う狂気に眼を覆う西側メディア。彼らもまたあまりに狡猾である。
■ミンスク合意:メルケルの「告白」効果
西側メディアには否定する向きも多いが、プーチンとメルケルの相互信頼関係は比類のないものであるとみられてきた。ところが2022年12 月にメルケルはドイツの有力紙ディー・ツァイト (Die Zeit)や週刊誌デア・シュピーゲル (Der Spiegel)に対して「2014/15年のウクライナは、今日のウクライナではない。プーチン大統領は当時、簡単にウクライナを制圧できた」「2014/15年の(ロシア人居住地域の東部2州に高度な自治権を付与する)ミンスク合意はウクライナに時間を与えるための試み」「紛争が凍結されたこと、問題が解決されなかったことは誰にとっても明らかだったが、そのことがウクライナに貴重な時間を与えた」と語った。
この発言は暗に「独仏は米国にロシアをだますのに加担させられた」と告白しているに等しい。当然にも、謀略の主役ワシントンはメルケル発言に激怒しているはずだ。「ロシアが国際法に違反する一方的な軍事侵攻を行った」というロシア悪魔化のシナリオはインチキなものとなるからだ。
これを裏付けるように、プーチン大統領は冷静に対応した。同大統領は12月9日、「正直なところ、私にとってはまったく予想外の出来事だ。残念な結果になってしまった。前連邦首相からこのような話を聞くとは、正直言って思っていなかった」「私は常に、連邦共和国の指導者が我々に対して誠実に行動しているという前提で話を進めてきた」と述べた。
しかし、プーチン大統領はミンスク合意を保証したドイツ、フランスにだまされたとは言っていない。露メディアによると、「予想外の出来事だ。残念な結果」と抑え目に発言した。ロシア外務省や議会筋からは「ドイツとフランスはウクライナで起きていることに対して道徳的、物質的な責任を負っている」「ドンバスの人々に8年間の大量虐殺と被害に対する補償を支払わなければならないだろう」などとやや強めの声が上がった。
ドイツの有力紙や週刊誌に対するメルケル元首相の発言にもロシアに対する敵意は読み取れない。自身の首相在任時の対ロシアおよび対ウクライナ政策について、「それはまさにこのような戦争を未然に防ぐための試みだった。それが上手くいかなかったからといって、その試みが間違っていたわけではない」と戦争回避に尽力したことを明言している。
【写真】独仏宇露首脳は、2019年12月9日、パリで会合を持った。
ワシントンが「米国外し」として怒りまくったとみられるのが破たんしたミンスク合意1の収拾に向けてのノルマンディ4国(独仏宇露)による会合だ。2015年10月のフランスでの開催を嚆矢に、「ノルマンディー」フォーマットと呼ばれたフランス、ドイツ、ロシア、ウクライナの首脳や外相らが参加して4カ国会合が実施された。ミンスク合意1に代わるミンスク合意2と呼ばれる協定書は2015年2月11日にベラルーシのミンスクで調印される。
東部ウクライナにおけるドンバス紛争の停戦を意図した協定は 欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督の下、フランスとドイツが仲介して、ウクライナとロシアが署名した。合意には親ロシア派武装勢力が独立を求めるウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容も含まれていたが、ウクライナ側は履行しなかった。ポロシエンコ前政権、ゼレンスキー現政権ともサボタージュし続けた。その背後に米国の意向があると言われてきた。
メルケル発言の真意をどう読み取るべきか。
差し当たりは、厳冬を迎えたドイツ、EU加盟国の置かれた厳しいエネルギー事情から読み解くべきであろう。
ドイツは、ロシアのウクライナ侵攻前、2020年に輸入した天然ガスの55%はロシアからで、EU全体でも2021年末時点で約40%だった。軍事侵攻以降、ロシアはドイツ向けの天然ガスのパイプライン、ノルドストリームによるガスの供給を大幅に削減。エネルギー価格の上昇と供給不安を引き起こした。
ノルドストリームは2022年9月大規模なガス漏れが発生。スウェーデン当局は何者かによる破壊工作と断定した。こうした中、エネルギーのロシア依存からの脱却を目指し、独・EUは米国や中東などで産出されるLNG=液化天然ガスを確保しようとしている。
米国からのLNG輸入に依存して冬を乗り切るためにはこれ以上ワシントンを刺激できない、というのがドイツの本音であろう。ロシア側もそこを理解してメルケル発言を受け止めているはずだ。
1987年7月に仏ストラスブールの欧州議会でゴルバチョフが提唱した「欧州共通の家」構想は決して断念されることはなかろう。
ミンスク合意2が締結された直後の写真をみると、憔悴したプーチンを案じるメルケルの表情が見てとれる。またワシントンのネオコンに代わってオランド仏大統領を威嚇するようなポロシエンコ・ウクライナ大統領の威圧的態度にことの真相が凝縮されているように思える…
<注:独仏・米英関係やミンスク合意については2022年3月掲載記事「米国に代わり戦うウクライナ 嵌められた露 潰された独仏」などを参照されたい>