安倍・菅政権と警察官僚 繋がる戦前・戦後 -25日更新-

第二次安倍政権では警察庁・公安出身者が枢要ポストを占めた。菅政権はこれを忠実に継承している。日本をハンドルする米ネオコンは第一次安倍政権の「行き過ぎた右翼的言動」に歯止めを掛けると同時に、第二次政権では日本国内のリベラル左派や親中勢力などを封じ込め、中国との冷戦を遂行するのに決定的に重要な駒として日本を使ってきた。12年末の第二次安倍政権発足以降の特定秘密保護法、新安保法制、共謀罪「テロ等準備罪」を創設する改正組織犯罪処罰法)の相次ぐ成立、そして菅政権による軍事研究推進のための日本学術会議の事実上の再編の動きからは、自民党主導の日本政府の警察支配・強権化がはっきりみてとれる。だが大切なのは、これが米国からの可視化されにくい指示によるものとの見方である。

■象徴的な警察官僚

象徴的な元警察官僚が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した”張本人”といわれている杉田 和博氏である。第二次安倍政権発足の2012年12月26日に事務方最高ポストである内閣官房副長官に就任している。在職歴代最長となった安倍晋三前首相の退任後も、2017年7月以降兼任している問題の内閣人事局長ポストと併せて留任した。

1941年4月生まれで年齢は79歳。いうまでもなく前代未聞の超高齢者による超長期「奉職」である。小渕恵三内閣以降、官房副長官は3人体制となり、うち事務担当は1人。これまで内閣官房副長官を務めた8人の官僚上りのうち、杉田氏を除く7人の中で退任時最高齢は73歳。残る6人はいずれも60歳代で任期を終えている。この事実をみても菅内閣で留任したことの異例ぶり、否、異常さは突出している。「杉田氏は退任を望んだ」とも伝えられるが、いずれにせよ、ワシントンが強く留任を望んだからとみてよい。

同氏の警察庁でのキャリアをみると警備・公安部門が圧倒的だ。外務省在フランス日本国大使館一等書記官を務めて1980年に帰国し、 警察庁警備局外事課理事官に就任、1994年に警察庁警備局長に上り詰めた後、内閣官房へと異動する。官邸でのポストはワシントンと一体となっている「日本の治安維持中枢」とされる内閣情報調査室長だった。その後、初代内閣情報官、内閣危機管理監を歴任する。

この流れは米国でネオコンが政権を乗っ取ったW・ブッシュ政権発足と時期を同じくした。彼らやその側近はワシントンの米司法省やCIAをはじめ米国の数多の諜報機関、シンクタンクに出没する。またG7司法・内相会合には警察庁次長や警備局長が法相ら関係閣僚に同行する。内閣官房へ異動する前の杉田氏がその任を負ったのはいうまでもない。正確には、ワシントンと一体ではなく、その請負業務に従事してきたというのが正しいであろう。

国家安全保障局長に内閣情報調査室長から北村滋氏が昇格し、国際テロ情報収集ユニットの初代統括官に瀧澤裕昭氏が任命されるなど安倍・菅政権の安全保障・情報中枢は警察庁出身者が独占している。「儀典屋」「パーティー屋」となじられる外務省はすっかり面目を失った。

■GHQ参謀2部の継承

杉田氏のキャリアで最も注目すべきは2004年に内閣危機管理を退官した後、財団法人世界政経調査会の会長を約7年半勤め、安倍政権の復活とともに内閣官房副長官に就任したことだ。

世界政経調査会の母体は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)所属の対敵諜報部隊(CIC)の下請け機関として設立された、日本の旧軍人による情報収集グループである特務機関「河辺機関」である。東西冷戦の激化とともにGHQの主役が現憲法の草案作りに奔走した民生局から冷戦対処重視のG2へと交代したいわゆる「逆コース」期に「河辺機関」は登場する。

米国にとって日本を反共の砦として利用することは「諸刃の剣」であった。釈放された戦犯や公職追放を解除された右翼指導者や超国家主義者を大量に社会に戻したからだ。河辺機関には2つの任務が与えられる。共産主義者・左翼を封じ込めるとともに、国家主義者・右翼を泳がせ、上手く利用することであった。

同機関を母体として、内閣情報調査室のシンクタンクとして設立されたのが「世界政経調査会」で、現在は内閣官房から情報調査委託費が交付されている。初期の内閣情報調査室には河辺機関出身者が多く流入し、現在の役員には警察庁や内閣情報調査室出身の元官僚が名を連ねている。

極右国家主義者集団の日本会議に担がれ戦前回帰的スローガンで登場した末、わずか一年で破たんした第一次安倍政権。安倍を復活させこれを中国やリベラル左派封じに利用しつつ、併せて彼を担ぐ極右政治集団を骨抜きにするー。これはかつてのG2と「河辺機関」の任務と相似する。ワシントンから杉田氏らに課せられた最大のタスクはここにあったのではなかろうか。実際、第二次政権発足後、安倍晋三は第一次政権のキャッチフレーズ「戦後レジュームからの脱却」をほとんど口にしなくなり、「憲法改正の提唱」は有名無実化された。(続く)

 

:本ブログ所収の「『私の手で改憲成し遂げる』は安倍首相最大の虚言--どう我々を欺いているのか」などを参照されたい。