2020年11月23日付産経新聞は独自ダネとして安倍前首相が英国の有力シンクタンク、ポリシー・エクスチェンジがまとめた「自由で開かれたインド太平洋」に関する報告書に寄稿して「英国の加入を歓迎したい」と訴えた、と伝えている。米豪日印は4カ国連携・クアッドを核に「インド・太平洋構想」を掲げて中国包囲網を形成しようとしており、英国にこの構想に正式に加わるのを望んでいる。産経記事は「退陣した安倍氏が外交でも本格的に再始動した」と持ち上げた。だが、これは安倍復活を望む米英保守本流の意向を代弁したにすぎない。
■”印象操作される”日本人
この英国のシンクタンクの報告書は、米英及びアングロサクソン同盟が日本の保守政権とその支持者の自尊心をくすぐり、持ち上げていかに操縦しているかの象徴例と言える。またこれは「米英、欧米諸国と肩を並べている」「日本の政治指導者がイニシアティブを握り、あたかも国際社会をリードしているかのような」”印象”を日本の人々に与える文字通り”印象操作”の典型である。
カナダのハーパー元首相を座長に、オーストラリアのダウナー元外相、英国のファロン元国防相、ニュージーランドのマッカリー元外相、鶴岡公二前駐英大使ら各国の有識者が参加した委員会で議論して英政府に提言したとされる報告書は日本の安倍前首相をこう称えた。
「インド・太平洋構想を提唱した父親的存在で、日英関係を歴史的に進展させた安倍氏の支持は英政府に究極の説得力を持ち、国際社会へ影響力を発揮する」
産経記者の言葉を借りるまでもなく、これは「最大限の評価」である。称賛の仕方としてはこれ以上の表現はないと言えよう。
■構想の歴史的経緯
だがしかし、「安倍前首相が法の支配を基調としたインド太平洋構想を最初に提唱した父親的存在」との表現は大きな誤りである。否、意図的な「誤記」である。
インド洋と太平洋を一体としてとらえる「インド太平洋」という概念が生まれたのは、日本が米国以外の国と初めて安全保障での連携・関係強化へと動いた2007年3月の日豪安保共同宣言が端緒となった。なぜなら翌年の日印安保共同宣言と一体となった動きだったからだ。署名したのは当時の安倍首相とオーストラリアのジョン・ハワード首相だった。日豪の安保協力はそれまで米国と各同盟国が二国間で締結してきた相互防衛条約の在り方(自転車の車輪に例えてハブ・アンド・スポークスと呼ばれた)を変え、米国と同盟する国同士の相互安保協力を促すものであった。これはNATOのグローバル展開と東アジアでの中国包囲網形成と深く結びついていた。ワシントンがこれを主導したの言うまでもない。
「図」米国は2018年にハワイに司令部を置くアメリカ太平洋軍を「アメリカ・インド太平洋軍」と変更し、紋章も変えた
ワシントンは続いて日本政府にインドとの二国間安保協力へと向かわせた。日印安保共同宣言は2008年10月、当時の麻生太郎首相とインドのマンモハン・シン首相により署名された。これに先駆け、2007年8月にインドを訪問した安倍首相はインド議会で演説し、「インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい『拡大アジア』が形をなしつつある」と訴えた。
「インド太平洋」という概念が政府高官レベルで初めて提起されたのは、2010年 10 月 28日のヒラリー・クリントン米国務長官(当時)のハワイ・ホノルルでの「今後のアジア太平洋」政策と題する演説であった。同長官は「東南アジア諸国やニュージーランド、オーストラリアとの海軍協力に続いて、われわれは、太平洋においてインド海軍との協力を拡大している。なぜなら、われわれはインド太平洋海域がグローバルな貿易と商業にとっていかに重要かを理解しているからだ」と述べた。
二つの太洋の一体化は当初、インド太平洋戦略と呼ばれ、今日ではインド太平洋構想とされている。
安倍氏の発案にこだわる論者はインド太平洋構想に「自由で開かれた」とのフレーズをかぶせたのも同氏と主張する。しかし、大きく見ればこの対中包囲の一連の概念が米国主導で打ち出されたことを否定する論拠はない。
【写真】2018年10月に訪日したインドのモディ首相と安倍首相(当時)
この構想が中国の太平洋、インド洋に向けての海洋進出、2つの太洋に沿った諸国を中国主導の海のシルクロード「一帯一路」で結び付けようとするのに対抗して、米英のユーラシア大陸南の周縁部を固めてロシアと中国を抑止しようとする伝統的な地政学的戦略の言い換えであることは明々白々だ。実際、ハワイを本拠とする米太平洋軍は「インド太平洋軍」と名称を変更している。
■安倍再登板とセキュリティダイヤモンド構想
安倍氏と日本政府に「花を持たせよう」とする米国の「日本操り外交」は第二次安倍政権が発足した2012年に露骨に行われた。就任直後の安倍首相(当時)が国際NPO団体「プロジェクト・シンジケート(PROJECT SYNDICATE)」に発表した英語論文『Asia’s Democratic Security Diamond』に記された外交安全保障構想・セキュリティダイヤモンド構想がそれだ。
ウキペディアはこの構想につてこう書いている。
「オーストラリア、インド、アメリカ合衆国(ハワイ)の3か国と日本を四角形に結ぶことで4つの海洋民主主義国家の間で、インド洋と太平洋における貿易ルートと法の支配を守るために設計された。中国の東シナ海、南シナ海進出を抑止することを狙いとする。日本政府としては尖閣列島の領有問題や中東からの石油輸出において重要なシーレーンの安全確保のため、重要な外交、安全保障政策となっている。インド太平洋、「自由で開かれたインド太平洋戦略」の概念の確立、アメリカの対アジア戦略に「Indo-Pacific economic vision」(インド太平洋構想)として採用された」
ここでも安倍首相の提案を米国が対アジア戦略に採用したことになっている。
今回の英国のシンクタンク報告書は「安倍氏の戦略構想と外交手腕は自由主義世界(米欧・NATO)に不可欠」と称え、日本の人々の間に安倍復活を望む雰囲気を醸成する一助としたい米英の戦略の一環と捉えざるを得ない。
(太字強調は筆者)