二〇二六年二月八日に投開票が行われた衆議院総選挙。その終盤、トランプ米大統領が「高市首相を全面支持する」とのメッセージを発した。高市自民が大勝した直後、トランプは米記者団に向かって「彼女(高市早苗首相)は私の支持のおかげだとしており、非常に良いことだ」と語り、勝利の“功績”を自らのものとした。
外国首脳が他国の選挙期間中に特定の政党・候補者を支持するのは明確な内政干渉、タブー中のタブーである。高市首相も、選挙勝利が決まった八日深夜、あろうことか自身のXで「温かいお言葉に心から感謝いたします」と投稿をした。観測筋によれば、高市支持メッセージは三月十九日からの高市訪米日程が固まった直後に発信されていた。
これでは、まるで「俺のおかげで勝ったのだから、ワシントンではわれわれの要求をすべて丸呑みしろ」と言わんばかりの、あけすけな態度の表明であった。
この一連の出来事は、単なる外交上の儀礼でも、個人的な政治的駆け引きでもない。戦後日本が長く抱えてきた対米関係の本質が、ついに露骨な形で表面化したのである。そしてタブーをタブーとしないトランプ米大統領による露骨な応援メッセージを日本人は驚くほど静かに受け入れている。
これらは「日本が自らの意思で航路を選ぶ力を失い、外からの力に合わせて動く社会になっている」という構造の露呈にほかならない。2026年は、明治維新以来150年余りの航路が一つの帰結点に達した象徴的な年として位置づけられるべきである。
■数字が語る「従属の制度化」
高市政権が今後、八十兆円規模の対米投資(配分は九対一)、「かつてなく厳しい安全保障環境」を口実に防衛費の五倍増(GDP比五%、年間三〇兆円規模)と兵器爆買い、二百兆円に達しようとする売却禁止の米国債買い増しなど、戦後日本が蓄えた国富がひたすら米国に上納される。
これは突然始まった話ではない。むしろ、三十年以上前を起点とする、「失われた30年」を招来させた「日本改造」の延長線上にある。
その結果、①1997年から2023年の間に、日本企業の配当金は約4.3倍に増加し、米投資ファンドを潤した。②同じ期間、非正規雇用が激増、実質賃金はほぼ横ばい、むしろ低下傾向にある。③企業の内部留保は世界的にも例のない600兆円に達し、更新し続けている。④一方で、出生数は2023年に75万人を割り込み、戦後最少を更新、少子高齢化に拍車がかかっている。⑤生活保護基準以下で暮らす“潜在的貧困層”は2,000万人規模と推計される。
数字は嘘をつかない。
日本社会は、国民の生活を犠牲にして、日米関係と企業利益を最優先する構造へと変質してきた。そして今回の総選挙で、有権者はその路線に“信任”を与えた。ワシントンがほくそ笑むのも無理はない。従属は「制度」となった。
なぜ日本は、ここまでの従属を「選び続ける」社会になってしまったのか。この問いに向き合うためには、明治以来の百五十年を振り返らざるを得ない。
日本の近代化は、国家と官僚が主役となり、市民社会が育つ余地はほとんどなかった。自治の経験は乏しく、政治は常に“上から”与えられるものだった。戦後民主主義は制度としては導入されたが、市民の主体性は根づかず、アメリカからの圧力が政治的選択となり、国民生活よりも国の都合が優先されてきた。
その延長線上に、二〇二六年総選挙がある。
対米従属は、偶然でも陰謀でもなく、日本社会が長い時間をかけて形成してきた“構造”である。そして今、その構造が極限まで進み、国富が流出し、生活が苦しくなっても、人々はためらいなく従属の道を選び続けるようになった。
日本の衰退は、日本人自身が選び取ってきた歴史の帰結である。
■なぜ日本は従属を選び続けるのか
この問いに向き合うためには、単に政治制度や外交関係を論じるだけでは不十分である。
日本社会の深層に横たわる“文化的・心理的な構造”を見つめなければならない。
1. 家父長制の残存 ―「父の言うことを聞く」社会の延命
日本の近代は、明治国家の成立とともに始まった。しかしその実態は、近代国家というより、巨大な家父長制の国家版であった。天皇を“家長”とし、国民を“家族”として統合する構造は、敗戦後も形を変えて生き残った。
家父長制の特徴は、
• 上に逆らわない
• 自分の意見を持たない
• 共同体の和を乱さない
• 失敗しても責任は曖昧
• 決定は上から降ってくる
という“従順の倫理”である。
この倫理は、戦後民主主義の制度が導入されても、社会の深層に根強く残った。政治参加は「専門家に任せるもの」とされ、国民は“家族国家”の子どものように扱われ続けた。
その結果、「国家の進路は自分たちが決めるものだ」という市民意識が育たなかった。
家父長制の残存は、対米関係にも影を落とす。日本は、米国を“新しい家父長”として受け入れ、「強い父に守られる代わりに従う」という心理構造を形成した。この構造が、2026年総選挙における対米追随の受容を支えている。
■ 政治参加の欠如 ―「政治は自分のものではない」という思い込み
日本では、政治参加が社会の常識として根づかなかった。その理由は複合的だが、核心は次の三点にある。
(1)自治の経験がほとんどない
明治以来、日本の政治は常に“上から”与えられてきた。戦後の民主主義も、国民が自ら勝ち取ったものではなく、敗戦の結果として“外から”もたらされた。
自治の経験が乏しい社会では、「政治は自分たちのものだ」という感覚が育たない。
(2)政治教育の欠如
学校教育は、政治を“危険なもの”として扱い、主体的な議論や参加を避けてきた。
政治を語ること自体がタブー視され、若者は政治から遠ざけられた。
(3)政治参加のコストが高すぎる
日本社会では、政治的意見を表明すると、
• 職場で浮く
• 家族に心配される
• 友人関係がぎくしゃくする
• “面倒な人”と見なされる
というリスクがある。
政治参加は“社会的コストの高い行為”として忌避されてきた。こうして日本は、「政治は自分とは関係ない」という国民意識を形成した。
この意識が、対米従属の構造を支える“無関心の土壌”となっている。
■ 糊塗(こと) ― 思考停止を生む、ごまかしと曖昧化の文化
日本社会には、問題を正面から見ず、曖昧にして先送りする「糊塗の文化」がある。糊塗とは、本質的な問題を覆い隠し、表面だけを取り繕うことである。
この文化は、政治にも社会にも深く浸透している。
(1)問題を“なかったこと”にする
少子化、貧困、賃金停滞、国富流出――どれも何十年も前から予兆があった。しかし日本社会は、それを直視せず、「そのうち何とかなる」と言い聞かせてきた。
(2)責任の所在が曖昧
誰が決めたのか、誰が責任を負うのかが不明確なまま、政策だけが“自然現象”のように進んでいく。
(3)外圧を利用した“責任回避”
対米従属は、しばしば「アメリカが言うから仕方ない」という形で正当化されてきた。
糊塗の文化は、従属を従属として認識させない装置として機能している。
■ 三つの構造が絡み合い、「従属の選択」を生む
家父長制の残存、政治参加の欠如、糊塗の文化――この三つが絡み合うことで、日本社会は次のような心理構造を形成した。
• 自分の意見を持たない
• 政治に期待しない
• 外圧に弱い
• 問題を直視しない
• 変化を恐れる
• 現状維持を選ぶ
こうして日本は、従属を“選んでしまう”社会になった。
2026年総選挙は、その構造が極限まで進んだ結果である
■「舵を握る者がいない船」
いまの日本は、舵を握る者がいない巨大な船のようだ。船体はまだ立派に見えるが、内部では乗組員が疲弊し、食料も尽きかけている。それでも船は、外からの指示に従って進路を変え続ける。
自らの意思で航路を選ぶ力を失った船は、やがてどこへ流れ着くのか。この比喩は単なる文学的表現ではない。1945年の敗戦が、日本から“舵そのもの”を奪い去ったという歴史的事実を象徴している。
1. 戦前の舵取りの誤り
明治国家は、近代化を掲げながらも、その実態は天皇制軍事専制国家であった。
軍部が舵を握り、国民は行き先も知らされず船で運ばれた。その舵取りは、破滅的なアジア侵略戦争へと向かい、ついに国家そのものを破滅させた。
戦前の日本は、誤った航路を突き進んだ船だった。
2. 敗戦後、日本は“舵を失った船”になった。
敗戦は、単なる軍事的敗北ではなかった。
それは、国家としての舵――
• 主権
• 安全保障
• 経済政策
• 外交方針
• 国家理念
これらの根幹を失うことを意味した。
戦後日本は、「自分で航路を決める力を失った船」として再出発した。
そしてその舵は、冷戦構造の中で米国の手に握られた。
日本は『守られる代わりに従う』という新たな航路に乗せられた。
3. 舵を取り戻すことなく高度成長へ
高度成長は成功した。しかしその成功は、「舵を握らなくても船は進む」という錯覚を生んだ。
経済成長がすべてを覆い隠し、
• 主権の空洞化
• 市民社会の未成熟
• 政治参加の欠如
• 外圧依存の構造
これらの問題は“糊塗”され続けた。
日本は、舵を失ったまま、惰性で前進する巨大船となった。
4. バブル崩壊後、船は再び外圧に操られる
1990年代以降、日本は再び航路を見失った。ウォール街と軍産複合体が再び“操舵者”として顔を出した。
企業統治改革、金融自由化、規制緩和、株主資本主義、自衛隊の海外派遣、集団的自衛権の行使容認、事実上のNATO加盟――これらは日本が自ら選んだ改革ではなく、外から与えられた新たな航路であった。
■ 対中嫌悪――米戦略に組み込まれる感情
ここ30年。中国の台頭に伴う米中冷戦が進行すると、日本では、歴史認識、安全保障不安、経済競争、メディア報道などが複雑に絡み合い、中国を警戒し、嫌悪の心理構造が形成されてきた。
この心理は、日本社会に漂う外交不安、 経済停滞、社会の閉塞感、ナショナリズムの揺り戻しと結びついている。「外部の脅威」を強調する言説に反応しやすい土壌をつくり出している。
この社会心理が、米国の対中戦略と結びつき、日本は自らの意思とは異なる方向へと進み始める。
超大国アメリカは「オフショア・バランシング」を採用、対抗する新興国中国との直接衝突を避け、日本に中国を牽制させる戦略を採っている。
この戦略の中で、日本の対中嫌悪は“利用可能な資源”として扱われる。つまり、アメリカは「自ら前面に立たず、地域の大国同士の緊張を利用し、自国の負担を減らしつつ影響力を維持する。」
ここで重要なのは、日本が主体的に選んだ対立ではなく、米戦略の中で位置づけられた対立であるという点である。
■与えられた敵
舵を失った船は、外から与えられた“敵”に向かって進む。
こうして日本は、「舵を失った船」から「他者に操られる船」へと変質した。
2026年総選挙は、操船権の“完全移譲”を象徴する。
2026年2月総選挙と3月高市訪米は、この150年の航路の終着点を象徴している。
「操船権は完全移譲」され、日本は自らの意思で航路を選ぶ力を失ったまま、外からの指示で進む“無人の船”となった。
「自分で舵を握る」という発想そのものが社会から消えた。
3月の訪米で高市首相は、4月に訪中するトランプの手駒に進んでなろうとしている。