「資本主義のグレートリセット(大刷新)」を提唱する世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブ会長が4月25日に来日した。翌26日の各紙朝刊には「岸田総理を15分表敬訪問した」との無内容なベタ記事が掲載された。一部経済紙は「同会長はウクライナ情勢やポストコロナを受けた経済社会の変革を後押しする国際政治の潮流をつくるため結束を訴えた」などとやや具体的に報じた。同会長の訪日を機に岸田政権の経済政策は豹変する。昨年10月政権発足当初の新自由主義を批判して格差是正と中間層復活を図りケインズ型修正資本主義を目指すかのような「成長と分配の好循環で所得倍増を目指す新しい資本主義」の提唱をあっさり封殺。世界の巨大資本提唱の「グレートリセット」を日本で代行する「資産所得倍増プラン」を打ち出した。新プランは表向き美辞麗句で覆いながら、かつてない円安・ドル高を進めて外資に絶好の投資環境を創出し、「日本売り」を加速させるものだ。岸田政権は安倍政権の対米追随軍拡路線の踏襲に加え、経済再生の名の下、日本経済の「失われた30年」恒久化を進めている。
■英米金融中枢でリセット誓う
シュワブ会長訪日を機に為替は一気に円安へと進む。2022年3月平均は1ドル=118円台だったのが9月平均は同143円台。この間、米10年債金利が金融引き締め策で2.6%から3.9%と上昇する一方、日本のそれは日銀の異次元金融緩和が頑なに維持され0.16%から0.255%で推移。日本と米欧の長期金利差拡大は円を底なしに安値へと導き、10月には同150円台へと暴落中。対日投資促進という名の外資の日本企業支配、すなわち新たな「日本売り」の条件整備が進行中だ。
岸田は2022年1月にWEFがオンライン形式で開催したダボス会議で「グレート・リセット」に言及していた。日本でシュワブと事前調整すると、5月4日にロンドンに乗り込んだ。ジョンソン英首相(当時)との会談は後回しにし、世界の金融中枢・シティのギルドホールで「インベスト・イン・キシダ(岸田に投資を)」と呼び掛けた。岸田自身が掲げる「新しい資本主義」を「資本主義のバージョンアップ」と説明。「人への投資」、「科学技術・イノベーションへの投資」、「スタートアップ投資」、「グリーン、デジタルへの投資」を4本柱に民間の有効活用を訴え、6月には「新しい資本主義のグランドデザインとその実行計画」を策定すると約束した。
9月には資本主義の総本山ニューヨークで「岸田版新資本主義」構想を披露した。国連総会に出席した際の同月22日、岸田はニューヨーク証券取引所(NYSE)で講演。ロンドンでの講演同様、日本経済再生の柱は「新しい資本主義」であり、グリーン社会の実現、デジタル化の推進、カギとなる人への投資ー等々に集中的に取り組むと誓った。それは講演というより米英主導の「グレート・リセット」に忠実に従うとの誓約だった。
安倍元首相も2013年9月にNYSEで「バイ・マイ・アベノミクス」と呼び掛けていた。岸田が掲げる「新しい資本主義」の実行計画や「骨太の方針」はアベノミクスへの回帰にすぎない。「株価の高値維持が安倍政権を支えた」と言われたが、2016年以降、「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の3本の矢」は効力を失い株価上昇は頭打ち状態。そこで岸田は首相就任後に言及した金融所得課税強化や自社株買い規制を放棄し、投資規制撤廃による株価引き上げをアピールした。ロンドン、NYでの講演は米英金融中枢に強く促されてのプレッジだったのだ。
10月3日開会した臨時国会での岸田首相の「所信表明演説」から「分配」の文字が消えた。翌4日の「第10回新しい資本主義実現会議」では賃上げ数値についての言及を避けた。変質は明らかだ。それでも6日の衆院本会議答弁では「成長と分配の好循環」とのフレーズを再び使用するなど発言はその場に応じてころころ変わっている。
■「グレート・リセット」の裏側
経済学者シュワブは2016年に「第4次産業革命の未来を形成する」、2020年には「COVID-19: ザ・グレート・リセット」という著作を発表している。
そこではAI、IoT、5Gといった先端テクノロジーの普及で、家電などのディバイスが自動化されると、すべての個人データが政府の中央コンピューターに集積すると指摘。一方で新型コロナウイルスは何十年もまん延する風土病となる恐れがあり、コロナと共存せねばならない時代が到来すると予測している。つまり、ITデバイスによる人間の管理が提案されているのだ。
2021年10月に発足した岸田政権が提唱した経済政策についてバイデン大統領が「私の選挙公約ではないかと思った」と冗談交じりに語ったように「新しい資本主義」はバイデン米政権が先んじて提唱していた。それは米政権がロックフェラー財閥を筆頭とするウオール街が事実上主宰する外交問題評議会(CFR)の代行機関であり、WEF・ダボス会議と一体であるからだ。
株主資本主義から従業員を含めたステークホルダー資本主義への転換を唱えるなどWEFの提唱する構想「グレート・リセット」は一見したところ見栄えも良く、耳触りも良いプランである。しかし、その裏面には社会主義政党や労働運動などの対抗勢力を抹殺し、労働者保護など自らに不利益な規制を撤廃して資本主義を粗野な19世紀型へと逆行させかねない意思と策略が潜んでいる。
CFRの中核企業として「ゴールドマン・サックス」、「JPモルガン・チェース」、「モーガンスタンレー」、「シティ」、「バンク・オブ・アメリカ」、「メリルリンチ」、「ムーディーズ」などの国際金融資本、「グーグル」、「フェースブック」、「AT&T」などの巨大IT・通信企業、「エクソンモービル」、「シェブロン」などの国際エネルギー企業などが挙げられる。これら米企業はWEF・ダボス会議の中核でもある。
彼らはグローバリゼーションの促進で国家と政府の規制が弱められ、世界のあらゆる地域が自分たちの自由な投資領域として確保されることを目指している。グローバリゼーション促進による新自由主義の貫徹によってこれら私的権力が既存の主権国家を超えた疑似的な「世界政府」の機能を果たすことになる。
主権国家は環境保護、食品衛生、薬価上限、知的財産に関する国内法に基づく決定、公益事業に関連する規制など様々な規制を設けている。離脱した米国が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉の過程で提起し、採用されたISDS条項は主権国家を超える私的権力を認めた。国家の規制によって企業の将来的収益が損ねられると判断される、すなわちTPPの取り決めに違反していると判断されれば、企業・私的権力は本国による外交的保護なしで主権国家に損害賠償を求めて訴追できることになった。「グレート・リセット」の本性がここに顔をのぞかせている。
CFRやWEFに集う世界の富豪たちや巨大企業こそ規制撤廃と小さな政府を求め市場万能を掲げる新自由主義の崇拝者である。限界にまで達した地球温暖化と環境破壊、社会の安全弁である中間層の没落と社会を不安定にした極端な格差拡大を促した元凶である。言い換えれば、「グレート・リセット」で解決されるべき問題の対象とされている矛盾そのものを作ってきた張本人であり、CFRやダボス会議に結集している勢力がそれである。
したがって「グレート・リセット」構想は彼らが自らつくりあげたグローバル経済をリセットし、新たなグローバルな体制へと置き換える構想とみる他ない。その構想の表面を飾る美辞麗句は虚飾そのものである。
■ウクライナ戦争&対中冷戦とリセット
ロシアのプーチン大統領は今年1月に行われた「ダボス会議」のオンライン演説で「グレートリセット」のアジェンダを進める勢力を批判した。社会的格差拡大や社会不安の広がり、多くの国が追い込まれた危機的状況を引き起こしたのはコロナ禍パンデミックではなく、米国が推進してきたグローバリゼーションだと断じた。
「グローバルな社会経済的な不均衡は1980年代以降のドグマ的で凶暴な政策の結果である。これは規制緩和、ならびに富裕層と企業への減税を条件に民間の債務を増やし、経済成長を最優先した政策である『ワシントン・コンセンサス』の暗黙のルールに基づいている。」
「ワシントン・コンセンサス」とは、各国の規制を徹底緩和し、資本の移動と投資の自由を保証する新自由主義のルールだ。CFRやダボス会議を介してグローバリゼーションを推進した欧米の責任をプーチンは厳しく追及した。
さらに、「グレートリセット」の中核コンセプトである「第4次産業革命」を巡るAIなどの高度なITテクノロジーに依存する負の側面を指摘する。
「このプロセスは新たな構造変化をもたらしている。これは、国家が効果的な対策を講じない限り、労働市場に深刻な問題が生まれ、非常に多くの人々が職を失う可能性がある。これらの人たちの多くは、現代社会の基盤である中産階級の人たちだ。」
プーチンは、際限のないグローバリゼーションを、地球規模で社会を分裂させる最大の要因として批判し、また「グレートリセット」を高度なITテクノロジーを駆使して「社会を自分の裁量で厳しく管理しようとする試み」として断罪した。こうしてロシアは西側世界の総資本と対決することとなり、北大西洋条約機構(NATO)はウクライナでの代理戦争にロシアを誘い込もうと知恵を絞った。
プーチンがグローバリゼーションに対抗する「新ユーラシア主義」を唱道しつつ、上海協力機構(SCO)のような中国、インド、イラン、中央アジア諸国を中核にサウジをはじめ中東諸国、トルコ、中南米、アフリカの旧植民地国までを結集する反米英・欧州の一大ブロックを形成していることがウクライナ戦争の真因である。バイデン政権を表に据えた米欧のグローバル資本=私的権力はこのダボス発言を機にプーチン・ロシアとの全面対決を最終決断し、プーチンを追放して再びロシアに親米政権を樹立しようと動いたと見るべきだ。ウクライナ戦争はまさに世界のグレート・リセットの成否を占う歴史的イベントとなった。
中国との新冷戦はコロナパンデミックが中国・武漢から発生したことで決定的となった。習近平政権はゼロコロナ政策を打ち出し、長期都市封鎖をいとわなかった。毛沢東主義者の習近平は改革開放政策と一線を引こうとしており、ゼロコロナによる長期の工場操業停止、物流停滞は多国籍資本を擁護する米欧日の政府が進める中国とのサプライチェーン寸断、デカップリング(米中切り離し)に拍車を掛けている。WEFの言うアフターコロナの世界とは共産中国解体というグレート・リセットの言い換えと受け取れる。
「新ユーラシア主義」と同様、習近平は中国の特色ある社会主義を標榜する。今日、西側では「自由民主主義」をイデオロギーと捉えず、「自明の常識」として受け止めている。これに対し、プーチン・ロシアは次のように主張する。
「グローバリズムによりそれぞれの文化圏が本来もつ独自な社会思想は無視され、どの文化も、市場経済と民主主義というまったく同一の鋳型にはめられている。グローバリゼーションはそれぞれの文化圏の独自性を無視する。すべての国がその文化に独自な社会思想を基盤にしてユニークな社会を構築する権利があり、グローバルな『自由民主主義』に対抗すべきだ」。
この思想がロシアと中国の結節点である。米英のいう「自由主義と覇権主義の対決」は、中露から見れば「グローバリズムと地域主義の対決」となる。ウクライナ戦争と新冷戦はこの不可避な結末だったと言える。
■岸田政権と自民党のリセット
小泉政権が行った郵政民営化に続き、米英ハゲタカ資本は500兆円を超す日本の個人貯蓄資産の流動化に狙いを定めている。9月22日にニューヨーク証券取引所で講演した岸田首相は、株式などの運用益に税金がかからないNISA(少額投資非課税制度)を恒久的な制度にすると述べた。1980年代の日米経済摩擦の最盛期に米国から「貯蓄過剰な日本人は投資比率を増やせ」とする「S(貯蓄)&I(投資)バランス是正」要求にようやく応えた形となっている。
日本の個人貯蓄のかなりの量が日本の株式・証券市場に流れ込めば、日本に投資した外資保有株の株価は上昇する。岸田政権はNISAが日本の庶民の長期的な資産形成に資するとPRしているが、それは米英を中心とした外資の投資促進の起爆剤となるからではないのか。「新しい資本主義のグランドデザイン」として年功的な賃金制度の見直し、労働移動の促進のためデジタル分野での学び直し支援などを挙げる一方、深刻化するばかりの低賃金な非正規雇用の拡大見直しをはじめ抜本的な雇用安定策を断行しなければ、子育て環境は改善せず、少子化に拍車がかかる。生涯賃金の安定的展望の代わりに大きな損失を伴う可能性のある「資産所得倍増」を経済政策の柱にするのは、政権発足当初の「新しい資本主義」が偽物であったことの証左である。
発足から1年を経た岸田政権は、安倍国葬、統一教会、円安・インフレ、五輪汚職などで著しく支持率を低下させており、短命に終わるとの見方が支配的だ。だがこの政権は安倍内閣以上にワシントンを満足させている。軍事、経済の両面で姑息に「国民に尽す」とみせつつ、米英資本に追随している。いかようにでも態度を変える。安倍国葬のように一度指示されたものは、いかに反対の声が高まり、内閣支持率が下がろうと頑なに強行する。円安がどんなに進行しようと、焼け石に水の為替介入でお茶を濁し、「すべては米国の采配次第」と来年4月の任期満了まで日銀総裁を交代させようとしない。安倍政権以上に使い勝手の良い政権と言える。
旧統一教会問題は詰まるところ自民党安倍派(岸信介を祖とする清和会)が抱える問題であることが暴露された。元々、1955年に保守合同という野合によって発足した自由民主党。米CIAや統一教会と一体の岸主導の日本民主党との合併に岸田率いる派閥「宏池会」の祖で自由党を率いていた吉田茂らは反発し、2年間入党を拒んだ経緯がある。
であれば70年近く経ての安倍晋三暗殺を機とする統一教会問題の浮上は「自民党リセット」のチャンスとなる。ナショナルセンター労組「連合」が自民党と連携し、小党分立した野党の大掛かりな再編はおろか共産党を孤立させて野党共闘を不可能にした。裏で米CIAが動いたのは間違いない。現状では岸田に代わろうとする人材はなく、低支持率を少しずつ浮上させる方策が模索されることだろう。
ウクライナ戦争での核使用の恐怖を増幅し、朝鮮半島、台湾情勢の一層の緊迫化を図り、「未曽有の危機に際会」の演出もあり得る。事実上の一党支配・翼賛体制作りには戦争の危機扇動ほど有効なものはない。