日米安保破棄と対米自立を再び争点に(その1) 近代日本第三期考2

対米従属脱却の核となる日米安全保障条約の破棄(廃棄)が国政選挙の争点から外されて久しい。2021年10月末に実施された総選挙でも当然のごとく安保条約を巡る議論は避けられた。深刻なことに、近代日本は間もなく第三期を迎えようとしているのに、米国からの自立はまったく見通せない。アジア諸国の中で唯一日本が米国の中国封じ込め戦略に英国、オーストラリアとともに準主役格として関与し、加えて尖閣列島領有権問題を巡る中国との軍事緊張が台湾有事と絡めて煽りに煽られている。日本を含む西側メディアは「覇権主義的動きを強める中国」、「民主化、人権を弾圧する専制支配の中国共産党といった語り口の報道をこの10年余り日々執拗に繰り返してきた。米中冷戦の大きな支えが日米安保条約と集団的自衛権行使を容認した日本の2015年新安保法制である。日本の有権者にとって今や日米安保は与件となり、破棄を唱えるなど論外とされた感がある。国政選挙で安保破棄を訴えれば野党共闘すら成り立たず、唯一党綱領に安保条約破棄を掲げる日本共産党も委縮し先の総選挙では「目指す連立政権のなかで、安保条約廃棄は一致点として求めない」と時流におもねた。だが日米安保条約は紛れもなく戦後日本の宿痾であり、東西冷戦終結とバブル崩壊後30年にわたる日本の経済低迷と相対的貧困化の元凶である。本稿を安保破棄・対米自立を再び争点に浮上させるための視座提示に向けての第一歩としたい。

前掲記事「中国を封じ込めると同時に日本を操作する米英の策略を見抜け 近代日本第三期考1」を参照されたい。

 

日本を封じ込める瓶の蓋:日米安保

日米安保破棄論者を「反日」として排除する親米保守勢力に担がれる政権与党・自民党と「安保は日本外交の基軸」と唱える日本の政官財トライアングルは「厳しさを増す日本を取り巻く安全保障環境にとって日米同盟=安保条約こそが生命線」と異口同音に語る。しかし、彼らの本音は必ずしもそこにはない。日米安保をあたかも信仰対象であるかのごとく振る舞わない限り、自分とその組織の権益が守れないためだ。内心の忸怩たる思いを万一公にすれば地位と既得権益を確実に失うのを恐れている。まさに日本の権力中枢は自己保身・組織防衛に汲々とした保守意識で凝り固まっており、そこには変革精神の一かけらも見いだせない。

1990年代半ば東南アジアを拠点にしていた際、友人づきあいしていた在外公館勤務の日本人外交官(当時参事官)が「『(日米安保)瓶の蓋』。知ってるよね」と尋ねてきた。この時のオフレコ議論ではワシントンに取り仕切られる日本外交がいかに無力であるかが断片的ながら告白され、日本の外交担当者の共有する忸怩たる思いが伝わってきた。この日本外務省幹部が自嘲気味に語った「瓶の蓋」論は決して新しいものでない。1951年の旧安保条約締結とともに古い。

1951年9月8日。日本独立のための講和条約署名会場となった華やかなオペラハウスの佇まいとは対照的な、サンフランシスコの北のはずれにあった古びた下士官クラブの一室でディーン・グッダーハムアチソン米国務長官をはじめ米国側代表4人に立ち会われ、日本国内閣総理大臣吉田茂が単独で署名したのが旧日米安保条約である。5条からなる条約は米軍の日本駐留継続が骨子とされ、条約の期限は定められず、米国の日本防衛義務は無視された。この条約が米国による日本占領の事実上の継続のためであることはアチソンとともに吉田の安保条約署名に立ち会ったジョン・フォスター・ダレス国務長官顧問(当時)の「我々の望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」とのあまりに有名な発言に露骨に示されている。

日米安保条約の本質が「日本封じ込めの瓶の蓋」であることは前掲記事「中国を封じ込め日本を弄する米英の策略を見抜け 近代日本第三期考1」で引用したダレスの回顧があますことなく語っているので、一部を再引用する。

「日本を再軍備させ、自分たち西側陣営に組み入れるということと、一方、日本人を信頼し切れないというジレンマを日米安全保障同盟、それは永続的に軍事的に日本をアメリカに従属させるというものを構築することで解決した。」

立憲君主と偽装された絶対君主・天皇を現人神として奉じる国体の護持を至上価値とし、本土決戦で一億玉砕へと国民を向かわせかねなかった皇国史観や国体論をいまだ清算できず、戦後75年を経ても繰り返し「大東亜戦争は正義の戦争」「東京裁判は勝者の不当な裁き」との主張が右派論壇で湧き上がるこの国を見る戦勝国の眼差しは厳しい。それはダレスの「日本人を信頼しきれない」との言葉に凝縮されている。1945年6月26日、同じサンフランシスコで51ヶ国により署名された国連憲章に盛り込まれた敵国条項から日本の名が今日に至るも削除されないでいることに米英をはじめ戦勝国の対日不信が受け継がれている。

ダレスが本音を剥き出しにした「永続的に軍事的に日本をアメリカに従属させる」ための日米安保条約はまさに「危険な日本を封じ込める瓶の蓋」であり続けている。中曾根康弘自民党政権(1982年11月~1987年11月)以降、日本政府が米国とあたかも対等な関係にあると装うために恥じらいもなく使うようになった「日米同盟」という言葉は最たる虚構なのである。

因みに、第二次大戦の連合国(戦勝国)を意味する「the United Nations」を国際連合と日本語に訳したのは敗戦という事実から目を背ける日本政府の意図的な誤訳である。「日米同盟」という表現も米英の日本操作の一環であり、1990年代から時折議論されてきた「日本の国連安全保障理事会常任理事国入り」も同様の企てと見なさざるを得ない。国連憲章の敵国条項が削除されることがあればそれは「日本人は信頼できる」とのシグナルになり、その時初めて日本は戦後を終わらせることになる。繰り返すが、瓶の蓋=日米安保が解消されない限り、敗戦国・日本の戦後は半永続的に続く。

■再び脅威となった日本をバッシング

「日米安保は瓶の蓋」とのあからさまな発言が初めて公になったのは1951年9月の旧安保条約締結から40年経ってのことだ。在日米海兵隊司令官ヘンリー・C・スタックポール少将が1990年3月27日付ワシントンポスト紙で次のような発言をした。

「もし米軍が撤退したら、日本はすでに相当な能力を持つ軍事力を、さらに強化するだろう。だれも日本の再軍備を望んでいない。だからわれわれ(米軍)は(日本の軍国主義化を防ぐ)瓶の蓋なのだ」。

米国政府は表向きこの発言を批判した。しかし、上に引用したジョン・ダレスの拭えぬ対日不信が40年後に現役米軍司令官によって「米軍・日米安保条約は瓶の蓋」との的を射た言葉で復活しただけのことだった。東西冷戦終結期のソ連邦崩壊前年にこのような発言が米有力紙に掲載された背景には1980年代から90年代にかけワシントンが日本の経済力をソ連の軍事力に代わる重大な脅威と認識していたことがある。1999年実施の米ピューリサーチセンターによる世論調査結果もこれを裏付けた。日米安保条約の目的について「日本の軍事大国化防止」との回答が49%に上り、「日本防衛」は12%にとどまった。

エズラ・フォーゲルの著作「ジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカへの教訓(Japan as Number One: Lessons for America」がハーバード大学出版局から刊行されたのは1979年5月のことだ。戦後の日本経済の高度成長の要因を分析し、日本型経営を高く評価したため、70万部を超えるベストセラーとなって一世を風靡し、日本人エリート層を有頂天にさせたこの著作は「日本ほめ殺し」の意図も隠されていた。実際、最終は「アメリカへのレッスン」であり、沸騰していた日米貿易摩擦と80年代に激化する日本叩き(ジャパンバッシング)と表裏一体をなすものだ。この著作を裏読みすれば、米国市場が日本製品に呑みこまれてしまうかのような脅威を感じていた米エリート層に日本にリベンジするにはまず「敵を知れ」と呼びかけたことになる。

1982年には一時期リヴィジョニズム(日本異質論)の主唱者に祭り上げられたチャルマールズ・ジョンソンの著作「通産省と日本の奇跡(MITI and the Japanese Miracle: the Growth of Industrial Policy, 1925-1975, Stanford University Press, 1982).」が刊行され、折から激化していた対日経済摩擦に対処するための知恵をワシントンに提供した。米政府は連邦議会と一体となり超党派で米国産業の競争力強化に本腰を入れて取り組むとともに、潜在敵国から顕在敵国となった日本潰し策を練り上げていく。

テキサスA&M大学教授(国際政治学)のクリストファー・レイン冷戦期の”日米同盟”をソ連とともに日本を封じ込めるための『二重の封じ込め』策であった」と端的に記している。(「幻想の平和‐1940年から現在までのアメリカの大戦略』The Peace of Illusions: American Grand Strategy from 1940 to the Present , Cornell UP, 2006).

■日本型経営システムと反米勢力の同時解体

一方の封じ込め対象のソ連が崩壊したのを受け、アメリカは「もう一つの敵として封じ込めるべき」日本の独特な経済システムの破壊に乗り出す。狙いは野口悠紀雄・一橋大名誉教授らが1990年代に唱えた1940年戦時総力体制を受け継ぐ日本型経営システムの解体だった。終身雇用、年功序列、企業内組合、官僚主導で各業界を丸ごと保護する護送船団方式、膨大な下請け系列企業を傘下に収め収奪し圧倒的な価格競争力を獲得した巨大企業、6大企業集団を頂点とする、メインバンクを核とした企業集団の存在等によって構成される日本型システムである。

戦時総力体制論に加え、数多の過労死を招来した企業戦士マインドに象徴されるように戦後の日本企業の従業員にとって会社は仕える家であったことを強調せねばならない。彼らの姿は「家=会社に一身を捧げる家臣」を彷彿させた。生産性でみれば非効率極まりない、この集団主義的な、「うちの会社」をあたかも主君・藩主とみなすかのような疑似封建システムは米欧をはじめ戦勝国にとって異様、異質であり、再び脅威となった。日本社会は十分に個々人の自由な生き方を尊重する開かれたシステムとは程遠かった。これが敗戦から40年を経た1980年代日本の「戦後民主主義の実態」だったのである。

「民主主義を守り、国民の知る権利に応え、権力の監視を使命とする」と謳った日本の大手メディア企業と「うちの社」意識に凝り固まったのその記者たちもまた企業戦士であった。彼らのメンタリティーの芯は上記日本型システムのエートスそのものだった。「夜討ち朝駆け」に代表され、私生活犠牲を尊ぶ「常在戦場」との妄想にとりつかれたワーカホリック患者こそ彼らの実像であった。注

こんな中、1980年代の派遣労働法成立を嚆矢とする非正規派遣労働者の大量創出による日本的雇用慣行の破壊を進め、官公労を中心とする労働組合勢力を国鉄、電電公社などの民営化で弱体化し、労働戦線統一の名の下、日本の保守政権を事実上支える「連合」を結成させて日本の反米抵抗勢力を一掃、解体して行った。

1990年代に入ると湾岸戦争を契機に米国の責任分担(バードンシェアリング)の要求が一層高まり、自衛隊の海外派遣と地球規模での米軍の補完部隊化が進行する。

:2020年8月16日掲載記事「敗戦を見つめる旅「変わらぬ日本」その1」、とりわけ「■戦後メディアの正体」を参照されたい。 

経済安保政策と日本潰し

まず米国は日本に対し、「対米貿易黒字を削減せよ」と圧力をかける戦略に出る。1983年に日米円・ドル委員会を設置し、大口金利の自由化、外貨の円転換規制の撤廃、外国銀行が単独で日本の信託業務に進出するのを日本政府に認めさせた。日本は金融自由化へと踏み出すのを余儀なくされ、やがてバブル経済の萌芽を生み出して行く。

1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議が開かれ、米国は円の対ドルレート抜本切り上げを日本に認めさせた蔵相として出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルクフランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、米財務長官のジェイムス・ベーカー=写真左起立し記者団と応答中=、英蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本竹下登蔵相=写真中央:ベーカー長官の背後=の5人

NYプラザ合意の1年後に米ドルに対する日本円の価値は倍増。長期の金融緩和と急激な超円高は、株価、地価の異様な高騰を招き、三菱地所によるNYロックフェラーセンター買収に象徴される世界を席巻したジャパンマネーの怒涛の奔流を生み出した。日本の経済にバブルが到来したのだ。日本の政官財は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が実現したと浮かれ、「日本の米国債購入で米財政はもっている」「貯蓄率が異常に低くモノづくりを止めた過剰消費の米国人を日本人が養ってやっている」などと米国を見下し始めた。米国の圧力によって増幅された金融緩和の長期化こそ日本のバブル経済(1986~1990)の元凶であり、それはバブル崩壊を機に米国が日本潰しを本格化させるための罠だった。

レーガン米政権で財務長官を務めたジェイムズ・ベーカーとその取り巻きがプラザ合意の仕掛け人である。ベーカー一族はジョージ・ブッシュ一族の大番頭格であり、そのブッシュ一族の上に君臨するのがロックフェラー財閥といわれる。ブッシュ父政権で国務長官に就任したベーカーがいかに日本を敵視していたかを端的に示す逸話がある。それは1991年7月、「日本に学べ」とルックイースト政策を打ち出し、米国を抜きにした、日本をリーダーとする東アジア諸国だけで地域経済統合を実現する東アジア経済協議体(EAEC)の創設を提唱したマレーシアのマハティール首相を激しく米国が攻撃した事件だ。当時の複数のマレーシア政府筋によると、クアラルンプールを訪れたベーカー国務長官は同首相に対し「我々の本当の敵は日本と共産中国なのだ。日本をアメリカの手元から離しては危ない」とマハティール首相に執拗に迫った。

ASEANは1991年10月に単なる会談の場として東アジア経済会議(EAEC)構想を承認した。しかし、1997年12月にASEAN首脳会議と日本、韓国、中国の3国首脳会談がASEAN+3として開催され、事実上のEAECとなった。焦る米国は1993年にはアジア太平洋経済会議(APEC)に初参加してシアトルで首脳会議を開催、2005年から始まった東アジアサミットにも割り込んだ。日本は「米国を抜きにした地域経済統合は無意味だ」とひたすらワシントンに追随し、中国の東アジア地域での主導的動きを米国とともに強くけん制している。

■「日本を食い尽くす」

日本のバブル経済破たん後間もなく発足したビル・クリントン米政権(1993~2001)は国家安全保障会議と並ぶ国家経済会議(NEC)を創設し、米国の経済安全保障政策を策定する中心的役割を果たさせた。それは対日経済安保政策であった。日本を不公正貿易慣行国と特定し、二国間交渉で妥結が得られないとして米通商代表部(USTR)に制裁措置を講じさせる包括通商法条項であるスーパー301条を設けた。

さらに日米間の貿易不均衡是正を名目に日本の貿易障壁や国内経済問題について話し合うため1989年に発足した日米構造協議を 1993年の日米首脳会議で包括経済協議に拡大した。日本側は管理貿易への道だとして反発したが,市場開放に関する分野別の協議の場で強引に数量指標の導入を日本側に呑ませた。以降、対日圧力はごり押し状態となり、米側は個別分野で次々と規制緩和を要求。2001年からは「年次改革要望書」を日本政府に示し、これを丸呑みさせるようになる。

2009年発足の鳩山民主党政権が米年次要望書の受け入れを拒んでパージされた。沖縄・辺野古の新基地建設を拒み「普天間基地は国外移設、最低県外へ」と唱えて宇宙人扱いされた鳩山由紀夫の末路を見て、後継の菅、野田の民主党両政権はひたすら米国に恭順の意を示す。2012年末に政権復帰した安倍晋三は民主党政権を「悪夢の三年間」と繰り返し誹謗した。これは「不服従な政治勢力は潰す」とのワシントンの意思の代弁であった。

さて米英金融資本はバブル経済崩壊で巨額な不良債権処理に苦しみ、株価の暴落した日本企業を買いあさって行く。「30年間日本を食い尽くすこととなる」ハゲタカの出現であった。米国の対日リベンジは安保ただ乗り(フリーライディング)批判=自衛隊の海外派遣要求という軍事面、さらに日本市場の開放=大幅規制緩和という経済面で同時並行して進む。

(続く)