2024年8月は敗戦から79年の時を刻む。おそらく世界史上稀な長い戦後が日本で続いている。戦後を終わらせるにはどうすべきか。1945年から7年間続いた米国による対日占領を永続させている日米安全保障条約を破棄し在日米軍基地を撤収させない限り、戦後は終わらない。誰もがそう考えているだろう。ところが安保条約と地位協定は廃棄すべしという声がこの30年で日本列島からほぼ消えてしまった。「日米同盟」強化の声は高まり、日米安保体制は常態となり、人々はこの体制の永続を前提に暮らしているかのように思える。米軍産複合体、ネオコン、そして米英のグローバル覇権志向を支える国際金融資本がいわゆる戦争屋の中核に居座っている。中国、ロシアの脅威はメディアを介して戦争屋が作り出しているのに日本の多数派は本気で中国やロシアを嫌い、恐怖している。敗戦国日本は戦勝国による国連憲章によって敵国として縛られ、安保条約というビンの蓋に閉じ込めれ、ついには米主導の北大西洋条約機構(NATO)に事実上加盟してさらにがんじがらめになってしまった。米国の指示どおり対GDP防衛費を倍増し軍事大国となったら、待っていたのは三重の封じ込めであった。これでは日本の戦後が100年以上続くのは必至である。永続敗戦はどのように生み出されたのか。
■変えてはいけない既存秩序
日米安保体制が多くの日本人にとって常態となっている一方で、戦前日本の国家体制と価値観に執着し、それを変更、破壊した米国の対日占領政策を憎悪して真っ向否定する超保守論者や国家民族主義者の政治家の存在も目立つ。ところが、彼らは日米同盟を絶対的に支持し、ためらいなく「100%米国とともにある」と口にしてきた。それは二次にわたる安倍晋三自民党政権で際立った。親米保守はそれ自体不可能であり、矛盾である。しかし、この国の多数派は矛盾を矛盾とせず、阿吽の呼吸でこれを受け入れている。極めて単純化すれば、彼らは大勢順応なのである。時の絶対権力には抵抗せず、従順であることを価値としている。「変えてはいけない体制」は、戦前は大日本帝国、戦後は日米安保となった。
さて、下に掲載するのは、2021年に産経新聞の論説委員が保守派雑誌に寄せた記事の冒頭の一部である。
「戦後日本で占領政策を実施した連合国軍最高司令部(GHQ)で当初、主導権を握ったニューディーラーたちは、日本に不戦を誓わせ、日本人の精神構造を変えることを目指した。日本の弱体化を目論む彼らの「民主化」の理論的根拠となったのが、ジャパノロジストとして最も権威のあったバーバート・ノーマン=写真、左はダグラス・マッカーサー=の理論だった。戦前の日本は半封建的で歪な近代社会と指弾され、中国大陸で戦争をしたのは、日本が明治維新後、一貫して専制的な軍国主義国家であったからで、悪いのはすべて日本であるとの論調で断罪された。」
この産経記者はハーバート・ノーマン率いたGHQの一派が「先の戦争で悪かったのはすべて日本」と断罪し、明治維新後の近代日本を無価値なものと貶めたと怒りと憎しみを露わにしている。戦後76年経ても戦前日本は外国勢力に変えられてはならなかった至高の帝国なのである。「悪いのはすべて占領政策」とするこの論説委員のアナクロニズムに生前の安倍晋三を神輿に担いだ日本会議などに結集した国家民族主義者らの思想の貧困が典型的に表出している。
誰もが知っているように、産経新聞の論調は、日米安保体制を強く支持するとともに、戦前日本の価値を称える典型的な親米保守を掲げている。ではこの論説委員はどこで矛盾を解消しようとしているのか。それはノーマンを共産主義者と決めつけ、ニューディラーがそれに限りなく近い社会民主主義者であり、彼らが本国帰還後にマッカーシズムにより追放されたことで解消されたと自分を説得したようだ。ノーマンに至ってはカナダ政府の駐エジプト大使として赴任中の1957年に自殺に追い込まれている。赤狩りで留飲を下げた日本の親米保守は、ニューディーラー亡き後の米国の対日政策がポツダム宣言にある「言論、宗教及び思想の自由、並びに基本的人権の尊重」「日本国国民の間における民主主義指向の再生及び強化に対する一切の障害の除去」という基本方針を維持したにもかかわらず、GHQが親米保守派の激烈な反共主義ーそれは国体護持と一体ーを必要としたため、泳がされ、利用されてきたのである。
日本の政界を震撼させた2022年安倍元首相暗殺とこれに続く国粋右翼政治集団・清和会(安倍派)の強制解散で親米保守という矛盾は解消に向かっている。永田町や各界の安倍派取り巻きにとって、安倍暗殺の実行犯が誰であれ、この事件を機に「親米保守」という偽装は通用しなくなった。親米の仮面で皇国日本の顔を覆ってきた議員らは根こそぎ追放されていくだろう。追放の実行部隊となっている岸田政権が延命へとあがいていることは本ブログの過去記事を参照願いたい。今や大日本帝国の残滓を払拭し、与野党を問わず、帝国アメリカに無条件に追従する者だけが生き残れると米権力中枢は日本の支配層に黙示している。
■パリ五輪が誇示した革命権
7月26日に行われたパリ五輪の開会式。1789年に始まったフランス革命の過程で処刑された王妃マリー・アントワネットがギロチンで切り落とされた自分の首を持って登場するパフォーマンスがあった。王妃が1793年に処刑されるまで過ごしたセーヌ川沿いの旧監獄コンシェルジュリの窓から流血を思わせる真っ赤な紙テープが空に舞い、赤い煙が噴き出した。真っ赤なドレスを着て自らの首を小脇に抱えた王妃を装った女性がベランダにたたずみ、革命歌「サ・イラ」が流された。これに対し、「衝撃が世界に広がった」、「革命の暴力を恥知らずに想起させた」、「過激、狂っている」、「廃止された死刑を讃えている」ー。日本を含め米欧の保守派メディアは一斉に批判の声を上げた。
なぜフランスのオリンピック委員会は激しい賛否の声が起きるのを承知の上でこの演出に踏み切ったのか。まずはこのパフォーマンス上演の提案が五輪委員会で承認されたことが驚きである。フランスでは先の総選挙の結果で示されたように最終的には左派連合がエリート、富裕層優遇の与党連合を上回り、英国でも同時期の総選挙で労働党が大きく躍進し14年ぶりの政権交代が起きた。レーガン、サッチャーの1980年代から顕著になったレッセ・フェールの風潮再現は、市場原理主義・新自由主義と呼ばれる思想となり、20世紀の社会経済思想の土台となっていたケインズ主義や社会民主主義を放逐していった。俗にいえば、「貧者=弱者のために納税するのはまっぴら」という現代の貴族である超富裕層による強者の思想である。
フランスでは21世紀のレッセ・フェールに抗議する黄色いベスト運動が2018年以来断続的に行われている。1回あたり最高30万人に上ったという抗議者は市民的不服従を唱え、「燃料税の削減」「富裕層に対する連帯税の再導入」「最低賃金の引き上げ」、「マクロン大統領の辞任」を要求。抗議活動は、交通遮断、バンダリズム、放火をいとわず、暴動へと発展することもしばしばである。この運動には伝統的な労働組合が代表していない労働者が含まれ、運動は特定の政党や労働組合と関係しておらず、ソーシャルメディア上で急速に拡散したとされる。運動は英国にも飛び火している。フランスのメディアの中には、黄色いベスト運動を1968年の五月革命や18世紀のフランス革命と比較するものもあるという。このような社会変革を求める潮流を受け、フランス五輪委員会は史上最も激越となった市民による革命権行使の場としてのパリをアピールしたのではなかろうか。
■明治以降を近代と呼べるのか~永久戦後への道
およそ明治以降を近代日本と呼ぶためにはアメリカ独立宣言、フランス革命などで謳われた政府・支配権力に対する民衆の革命権、抵抗権の行使容認が前提となる。自由、民主主義、人権尊重を希求する人民の脱中世へのパッションと抵抗の積み重ねが歴史としての近代だからである。明治以降の戦前日本がこれと異質であることは明々白々である。君主制と民本主義とを対立させることのなかった自由民権運動や大正デモクラシーは大衆による集団的な抵抗権の行使というには程遠い。初期占領政策を実施したニューデーラーたちが、天皇が臣民に付与した偽装憲法と名ばかりの議会制の下、地主の絶対支配下に置かれた下層農民=小作人、労働基本権とは無縁な労働者を中心とする無権利状態の都市貧困層が人口の過半を占める戦前日本を歪な近代化を進めた専制的な軍国主義国家と見なしたのは当然である。
一方、明治維新に100年近く先行したアメリカ独立宣言は「生命、自由、平等、および幸福の追求を含む不可侵の権利を確保するため、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになれば、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立する権利を有する」と革命権を謳う。マルクスがこれを「ブルジョア資本主義革命」と呼び、プロレタリア革命によるユートピア的な独裁に至る一段階下の革命と見なそうとも、抵抗権の行使の行きつく先としての革命は市民権の究極の行使となる。GHQは現憲法制定、農地改革と小作人解放、労働基本権の付与と労働運動の奨励、男女平等政策や婦人参政権をはじめ民主化政策を実行し、日本の統治の形を変えた。日本の旧支配層にとっては革命そのものだった。
政府、権力構造は不断に変わり、新たなものとなる。そもそも日本が降伏に際し受諾したポツダム宣言にはこうある。
「日本国政府は、日本国国民の間における民主主義指向の再生及び強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由、並びに基本的人権の尊重は確立されなければならない。…これらの目的が達成され、かつ、日本国国民の自由意思に基づき、平和指向を持ち、かつ責任ある政府が樹立された場合は、連合国の占領軍は、直ちに日本国から撤収しなければならない。」
上の論説委員らは、ニューディーラーであれ誰であれ、戦前日本の国体を占領政策で変えたことは許せないことであり、「悪いのはすべて日本にされた」との被害者意識を募らせる。彼らの言説はポツダム宣言の受諾拒否であり、先の戦争は終結していないことになる。まさに民族派右翼による「ポツダム体制打倒」の主張と重なる。彼らにとっては戦前が終わっていないのだから戦後もない。「日本国国民の自由意思に基づき、平和指向を持ち、かつ責任ある政府が樹立」されることはなかった。日米安保条約が締結され「占領軍は撤収しなかった」。我々の前に厳然と存在するのは永続する敗戦体制であり、敗戦の軛である。
126代にわたり連綿と続く世界に類をみない皇統を抱く日本を守り、GHQによって破壊された戦前体制をできるだけ復活すると右翼政治家は主張する。ただし本気で「戦前の日本を取り戻せる」と考えてはいない。そこには神社本庁とそれを取り巻く宗教団体や遺族会など戦前体制と深く結びついた既得権益団体と保守政治の結びつきがある。保守地盤は彼らの貴重な票田であり、互いの権益のために「変えられた日本」を呪うのである。正確には、明治以降の絶対主義的な天皇制国家の受益者がその利益をあたかも全国民の利益であるかごとくプロパガンダしてきたのである。
今や「変えてはいけない体制」は日米安保に収斂した。換言すれば、戦後は恒久化に向かっている。再び軍事大国となった日本は「大日本帝国」の残滓を一掃せよー。ワシントンはこう警告している。
パリ五輪の開幕式で脈々と受け継がれるフランス革命の精神を見せつけられた翌日。始まった競技の表彰式で君が代を口ずさむ日本代表団の姿に寒々とした思いに駆られた。
注:本稿は「永続敗戦はどのように生み出されたのか」の序にあたる。
以下、次のような小見出しに従い書き続ける予定。
■大陸侵攻目指した東の孤島国
■国学から水戸学へ
■攘夷のための開国
■立憲君主制という偽装
■戦後民主主義の内実
■豊かさの実感と保守化
■再びジャパンプロブレム
■二重の封じ込め