漂流日本③ 誰のための富なのか 繁栄する企業、困窮する庶民       12月20日差替        

日本が貧しくなった、給料が上がらない――この言葉は聞き飽きたことだろう。
だが、その理由を本気で説明できる人はほとんどいない。
あなたの努力不足でも、企業の怠慢でもない。
この三十年、日本の富の流れそのものが静かに、しかし決定的に変わってしまったからだ。
その“なぜ”に、ここで正面から答えてみよう。

国家の漂流は、必ず生活の漂流として姿を現す。制度が変われば、富の流れが変わり、富の流れが変われば、生活の風景が変わる。戦後日本が経験した「見えざる占領」は、軍事や外交の領域だけでなく、私たちの日々の暮らしの奥深くにまで浸透し、社会の基盤そのものを静かに変質させてきた。その変質が最も鮮明に現れたのが、企業と庶民のあいだに生じた深い断層である。

日本は本当に「貧しくなった」のか。この問いに対し、数字は静かに、しかし残酷に答えている。企業の内部留保は過去最高を更新し続け、2024年には600兆円を超えた。因みに日本の一般会計予算は120兆円規模だ。一方で賃金は三十年で二割減り、非正規雇用は労働者の四割に達し、生活の現場から豊かさが消えていった。もしこれを成長と呼ぶなら、成長とは誰のための言葉なのか。企業のバランスシートに滞留した富は、もはや国民の生活とは切り離された別世界の数字であり、社会の繁栄を示す指標ではなくなっている。

1991年のバブル崩壊は、単なる景気循環の破綻ではなく、「第二の対米敗戦」と呼ぶべき歴史的転換点であった。崩壊後、日本の経済主権は静かに、しかし確実に外側から侵食されていく。米国は軍隊を動かすことなく、制度と市場を通じて日本を再編し、ウォール街の意向に沿った規制緩和と構造改革を押しつけた。

この不可視の支配構造を、デービスやロバーツは見事に「軍隊なき占領」と名付けている。軍事占領のような露骨な暴力を伴わず、金融・制度・思想のネットワークを通じて国家の根幹を握るという新しい支配形態であり、日本はその最初の実験場となったのである。

序章で筆者は2023年以降の日本を「近代第3期」と名付けた。だがこの新たな時代に入っても、日本は三十年に及ぶ衰退から抜け出す展望を拓けずにいる。先進国とされる日本が、高度成長からバブル期までに蓄えた富は簒奪され、軍事的には米国に統合されていった。その形態は、後世に「21世紀型新植民地主義」と呼ばれるだろう。

企業は栄え、民は滅ぶ――この矛盾こそ戦後日本の縮図である。鶴見俊輔が「思想は生活の中にある」と語ったように、数字は単なる統計ではなく、生活の困窮そのものを映し出している。

■異様な富の蓄積

1991年のバブル崩壊は「第二の対米敗戦」と呼ぶべき出来事だった。以降、米国は日本を目に見えぬ形で経済的に占領し、ウォール街の意向に沿って規制緩和や構造改革を進めた。「改革」の名の下に庶民の生活水準は低下し、賃金は停滞した。

その帰結が、膨大な内部留保である。2024年末には637兆円を超え、GDPを上回った。これは世界にも例のない異様な事態であり、労働者の血と汗の成果がグローバル資本に吸い上げられた証左である。

■富と権力の不可逆的再配分

外資規制緩和と企業統治改革は「効率」を錦の御旗に、株主資本主義を制度化した。自社株買いと配当が資本配分の出口となり、非正規雇用の増加と賃金抑制は消費力を削いだ。消費税の引き上げは家計に逆進的な負担を強いた。利益は企業の簿外に滞留し、資産保有者へ集中する。これは市場の自然な帰結ではなく、「見えない占領」が作り出した構造的な帰結である。

平均年収は減少し、社会保障負担は増加。法人税は引き下げられ、消費税収は拡大した。消費税が法人税減税の穴埋めであったことは、庶民の生活に刻まれた事実である。

■倒錯した沈黙社会

異様に膨らんだ日本企業の内部留保に対し西欧諸国にみられるような「過剰利得」税を課し、法人税率を一定程度引き上げれば消費税は容易に廃止できる。消費税廃止に踏み切り、給与を物価上昇を上回る形で大胆に引き上げればGDPの半分を占める個人消費は間違いなく拡大し、経済は成長軌道に乗る。

だが経済再生の芽は摘まれている。株主資本主義の定着と企業・団体献金にみられる政界と財界の癒着、政治とカネの問題が深刻化する一方、労働組合の力の低下が顕著である。日本では市民による異議申し立ての声も弱まり、社会は沈黙して「見えない占領」は一層強化されている。

こんな中、岸田政権時代(2021~2014)に倒錯した現象が起きた。戦後の労働運動に一貫して敵対的姿勢を示してきた日本の自民党政権が経団連など財界団体やナショナルセンター労組「連合」など労働団体に賃上げと実質所得の引き上げを要請したからだ。

報道によると、岸田文雄首相は2024年1月22日、首相官邸で経済界や労働団体の代表者と意見交換する政労使会議に出席、2024年春闘で「昨年を上回る水準の賃上げ」を求めた。首相は所得・住民税の定額減税と合わせ「可処分所得が物価の上昇を上回る状態を官民で確実につくりあげる」と強調。「物価上昇を上回る構造的賃上げ」を訴えた。

ところが岸田政権はすぐに少額投資非課税制度(NISA)を打ち出した。この「賃上げより投資重視」への路線転換は 石破政権で継承され、高市政権では一層強化されている。投資重視への転換にどういう力が働いたかはもはや語る必要がない。

とにかく問題なのは、日本の保守政権が可処分所得の引き上げを労組に代わって財界や労働団体のトップに訴えなければならないほど日本社会のチェックアンドバランス機能、端的に言えば抵抗勢力の力が衰退してしまったことである。政財労が一体となってしまい、社会は沈黙に覆われ、翼賛化が進んでいる。

内部留保の爆増は、企業が投資や賃金に回さず、資本を抱え込む構造を示す。労働者は成果を享受できず、社会全体の消費力は衰退する。企業は利益を積み上げるが、民は生活を削られる。まさに「企業栄えて民滅ぶ」である。

鶴見俊輔はまた「大衆文化は支配と抵抗の両方を含んでいる」とも述べた。内部留保の偏重は、支配の構造を強める一方で、抵抗の芽をも抑え込む。沈黙する社会は、危機を知りながらも行動に移せない。

■外資ファンドの支配

この三十年、日本の主要企業の株式保有比率は外国人投資家によって急速に高まった。2020年代には三割を超え、ソニー、任天堂、ファナック、オリンパスといった企業では外国人株主が過半数を占める例も珍しくない。米国の巨大投資ファンド――ブラックロック、ヴァンガード、ステートストリート、キャピタルグループ――は、表舞台に姿を見せることなく、議決権行使や経営方針を通じて日本企業の方向性を左右している。

彼らの運用資産は十兆ドル規模に達し、AppleやGoogle、ファイザー、コカ・コーラといった世界的企業の筆頭株主でもある。日本企業に対しても同様に、インデックスファンドやETFを通じて出資し、株主還元を強く要求する。内部留保の膨張や株主資本主義の定着の背後には、この外資ファンドの圧力がある。国家ではなく資本が世界を支配する――それが「見えない占領」の実態である。

■外資と政財官の癒着進む

日本政府は内部留保に課税しない。一方日本企業は内部留保を労働者への分配・賃上げに回さず、株主還元・配当を優先する傾向を一層強めている。これは賄賂性の高い企業・団体献金の”受け皿”である政権与党自民党が官僚と一体となって企業経営者や株主の意向に沿う政策を行っているためだ。自民党の政策決定の背後に米投資ファンドが「物言わぬ株主」として潜んでいるのは間違いない。日本の政治と経済は、企業献金、政治とカネによる政財官の腐敗の進行に加え、自社株買いと株高誘導による配当拡大を優先する株主資本主義が複合的に作用して著しく歪み続けている。

財務省や経済産業省などの有力官庁は外資ファンドの支配を「放置」しているのではない。むしろそれを「外圧」として利用して自らの権限や利益を維持している。背景には、天下りによる利益循環、国際金融資本との同調、政治との癒着がある。

具体的に記す。まず消費税増税から。外資ファンドは「財政健全化」を投資条件として日本政府に圧力をかけてきた。財務官僚はこれを利用し「国際的信用維持」を理由に消費税増税を推進。消費税増税は法人税減税とセットで行われたため、企業利益は守られ、国民負担が増加。こうして外資の要求を利用し、自らの政策権限を強化している。

外資ファンドは日本企業への投資を拡大する条件として「法人税引き下げ」を求めた。 財務省は「国際競争力維持」を名目に法人税減税を実施。結果、外資ファンドの投資利益が増加し、財務省は政策主導権を維持。 国民には「消費税で社会保障を守る」と説明し、外資の利益と官僚権限を両立させている。

さらに財務省主導で設立された産業革新投資機構(JIC)などの官民ファンドに外資ファンドと共同投資を行わせる。財務官僚は「外資との協調」を名目に、国の資金を外資の投資戦略に組み込むことで、自らの監督権限を拡大。 官民ファンドの「呼び水効果」として外資資金を誘導し、財務省の影響力を強化した。

また外国人投資家が日本の重要企業に投資する際、財務省は外為法に基づき事前届出・審査権限を有する。官僚はこの制度を利用し、外資ファンドの投資を「安全保障上の脅威」として制御する一方で、必要な場合は「外圧」として国内改革を正当化する。外資の存在を理由に、財務省の裁量権は拡大されてきた。

日本の中央官僚たちの脳裏からは庶民の生活維持向上という使命感は吹き飛んでいる。否、歪んだエリート意識は社会正義への共感を切り捨てて、組織としての自己利益の拡大に努めるよう一層仕向けられている。

「省益あって国益なし」。霞が関で自嘲的に語り継がれている言葉だ。

■80兆円対米投資と多国籍企業の本性

2025年7月の日米首脳会談で、日本は総額80兆円規模の対米投資を約束した。対象は自動車、半導体、エネルギー、造船、AI・量子技術など、米国が経済安全保障上重視する分野である。国内需要が縮小し、人口減少で投資先を失った日本企業にとって、米国市場は旺盛な消費と政策的優遇を備えた「生存の場」となり、余剰資金を吸収する格好の器となった。
その先頭に立つのはトヨタである。内部留保は30兆円、自己資金は100兆円とも言われ、国家レベルの資金を動かす存在となった。売上・利益の中心はすでに米国市場に移り、今回の投資で米国拠点化をさらに進めようとしている。ソニーや日立、三菱UFJなども同様に、米国市場を優先し、日本市場を回避する戦略を強めている。

しかし、この富の源泉を直視すれば、そこには国内労働者の犠牲がある。トヨタをはじめとする多国籍企業は、長年にわたり下請け企業に「乾いたぞうきんを絞らせる」ような徹底的なコスト削減を強いてきた。下請け搾取体質は労働者を疲弊させ、その血と汗の上に余剰資金が積み上げられた。その資金は国内の成長や生活改善に回されることなく、最終的に国外へ流出し、米国市場での拡張に充てられている。

これは単なる投資ではない。日本で蓄積された富が米国へ移転し、「日本が破綻しても企業は生き残る」構造が強化されているのである。多国籍企業は国家の枠を超えて生存を図り、国内社会の疲弊を前提にグローバル市場で利益を確保する。トヨタの姿は、その典型であり、21世紀型新植民地主義の象徴である。

結語
こうして日本社会は、外資ファンドの支配、政財官の癒着、多国籍企業の米国依存によって、富と権力の再配分が不可逆に進んでいる。内部留保の爆増は「安全神話」という共同幻想に支えられているが、吉本隆明が語ったように幻想は変革可能である。

「思想は、時代の矛盾を引き受けることでしか生き延びられない」――内部留保という矛盾を引き受け、生活と思想を結びつけることこそが、漂流日本を再生へと導く確かな一歩となるだろう。