漂流日本⑤ニューディーラー、未完の日本民主改革               12月17日一部差替・最新版

序章:ニューディーラーの挑戦と挫折
1930年代のアメリカ政治は、ニューディーラーとウォール街の対立に象徴される。フランクリン・ルーズベルト政権下でニューディーラーは社会改革を志向し、失業者救済、労働者保護、社会保障制度の創設を進めた。彼らは「民主化された資本主義」を目指し、資本の暴走を抑えつつ市民の生活を守ろうとしたのである。

しかしウォール街は彼らを危険視し、冷戦の到来とともにニューディーラーを排斥していった。マッカーシー旋風と呼ばれる赤狩りは熾烈を極めた。資本主義の枠内での制度改良を目指す社会民主主義者ニューデーラーは非合法化されたアメリカ共産党と伴に追放された。

ジョン・W・ダウアーは『敗北を抱きしめて』で「ニューディーラーは敗戦国日本を徹底的に民主化しようとしたが、冷戦の逆風に抗しきれなかった」と記す。敗戦後の日本は、このアメリカ国内対立の「実験場」となった。GHQ民政局に派遣されたニューディーラーは憲法草案の起草、労働組合の結成による団結権など労働三権の保障、女性参政権付与、教育制度民主化、秘密警察など圧制制度の廃止、経済の民主化という五大改革を手はじめに徹底した民主化を試みた。

しかし民政局と対立する参謀2部は彼らを日本から排斥しようと動いた。「私は胸を張っていおう。『私は反共主義者である!』と。自由世界の守護のためなら、進んで手を汚しもする義務感に燃えた男である、とも。」―。参謀2部を率い、戦後日本の諜報機関の組織作りに尽力したチャールズ・ウィロビー米陸軍少将(当時)は回顧録でこう記している。ウォール街と軍産複合体が戦後日本の演出者となったのだ。

    日本の民主化は未完に終わり、冷戦体制に従属する政治構造が形成された。ここに民主革命が未完に終わった戦後日本が漂流する原点がある。

    1節:ケーディスらニューディーラーの挑戦
    GHQ民政局のチャールズ・ケーディスは、ニューディーラーの代表的存在だった。彼は憲法草案の起草に深く関与し、戦争放棄、基本的人権の保障をはじめ、上記のように男女平等、労働三権の確立などを日本に移植した。久保文明『ニューディールの政治経済学』は「ニューディーラーはアメリカ国内でもウォール街に押し戻されていた」と分析する。

    ケーディスらは、日本を「民主化された資本主義」のモデルにしようとした。戦前の天皇制国家を解体し、封建的な共同体規範を打破しようとしたのである。ダウアーは「民政局の若いニューディーラーは、敗戦国日本を徹底的に民主化しようとしたが、冷戦の逆風に抗しきれなかった」と記している。

    しかし冷戦の激化とともに「逆コース」が始まり、ニューディーラーは日本から排斥された。憲法9条の理念は骨抜きにされ、労働運動は抑圧され、教育改革も後退した。民主化の挑戦は果たせず、冷戦体制に従属する日本政治が形成された。

    2節:ウォール街・軍産複合体の支配

    戦後日本の演出者となったウォール街と軍産複合体は、戦犯釈放と公職追放解除による保守政治の再編、1952年講和条約発効に伴い日米安保体制の構築を進める。保守合同で自民党誕生が誕生し、自民党と護憲平和を標榜する社会党との二大政党体制、いわゆる55年体制が発足。1990年代のバブル崩壊後は、経済的には日本が蓄積した富を簒奪し、軍事的には日米安保体制を通じて日本を統合した。ダウアーは「ウォール街と軍産複合体は、日本を冷戦戦略の尖兵として利用した」と率直に記している。

    宏池会と清和会の二重構図は戦後日本政治の漂流そのものである。吉田茂は戦前に外務官僚として対米協調を志向し、戦後は軽武装・経済優先路線を掲げて親米保守の基盤を築いた。岸信介は戦前の経済官僚として国家総動員体制を推進し、戦後は戦犯釈放を経て自主憲法・自主軍備を唱えた。両者の系譜は一見対立しているように見えるが、実際には米国依存の掌の中で展開された二つのバリエーションにすぎなかった。

    この二重構図は、ニューディーラー vs ウォール街の対立が日本に移植された結果でもあった。ニューディーラーが志向した徹底民主化は骨抜きにされ、ウォール街の冷戦戦略が日本政治を支配した。戦後日本の戦後復興と高度経済成長という成功物語を紡いだ田中角栄とその大派閥もまた宏池会を出自とした。小泉純一郎、安倍晋三に代表される清和会の本格支配は、日本経済が衰退し、米中対立が本格化する21世紀の始まりを待たねばならなかった。

    宏池会と清和会は半永久的な政権与党自民党内での派閥抗争対立の主役同士であったが、親米・安保体制堅持という共通の土俵にあった。それは繰り返し用いた「米国の掌の中」との表現に集約できる。二大派閥の対立は、米国の対日政策の変化によって激しさを増す。「ニューディーラーの未完の日本民主改革」がその種を蒔いていた。

    日本の戦後政治は基本構造としての宏池会と清和会の対立に絡め取られたまま、出口を見いだせない状況にある。

    3節:共同体的規範と近代合理性

    大塚久雄は「共同体的規範 vs 近代合理性」という言葉で、日本近代化の遅延を説明した。日本社会は封建社会の倫理とも言える共同体的規範の強靭さゆえに近代合理性を受け入れるのが遅れ、民主化も未完のまま冷戦体制に組み込まれた。ニューディーラーの改革は、この共同体的規範を打破しようとしたが、ウォール街の冷戦戦略によって骨抜きにされた。

    共同体的規範は、戦前の天皇制国家を支える基盤でもあった。村落共同体や家族制度の強靭さは、近代合理性を阻み、民主化の徹底を妨げた。戦後もこの規範は温存され、教育改革や労働運動の徹底を阻んだ。ニューディーラーの改革は、この規範を打破する試みだったが、冷戦の逆風に抗しきれなかった。
    この遅延は、日本の漂流を象徴するものである。民主化の企ては未完に終わり、戦後政治は共同体的規範と冷戦戦略のせめぎ合いの中で漂流を続けた。大塚の指摘は、戦後日本の漂流を理解する鍵となる。

    新川健三郎『ルーズベルトとニューディール』は「ニューディールはアメリカにおいても未完の改革であり、冷戦の到来とともにその理想は押し戻された」と述べる。日本では冷戦体制に従属する政治構造が形成された。

    つまり民主化から冷戦へのUターンは、日本だけでなくアメリカ自身でも起きた。ニューディーラーは米国内でウォール街に押し戻され、米国でも資本主義改良の企ては未完に終わった。日米両国で「民主化から冷戦への転換」が同時に進行したのである。

    この日米両国の冷戦Uターンは、戦後日本政治の漂流を国際的文脈に位置づけるものである。日本の漂流は、アメリカ自身の民主化の未完と冷戦戦略の貫徹と連動していた。久保文明が指摘するように「ニューディールはアメリカの民主化の試みであったが、冷戦の到来によってその理想は後退した」。日本の民主化も同じ運命を辿ったのである。こんな中、西欧諸国の社会民主主義が日米の欠を埋めている。

    4節:漂流する日本政治

    戦後80年を迎えようとする今、経済成長の果実を享受した時代はとっくに過ぎ去った。米国の日本管理は厳しさを増し、漂流①~③で論じたように高度成長以降蓄積された果実は簒奪されている。GDP比5%へ進みかねない軍事費(防衛費)は2025年現在の年間約9兆円から数年以内に20兆円~30兆円へと爆増し、社会保障費はさらに削られ、経済成長のための種は摘まれ、庶民の所得はさらに細くなっていくのは必至である。

    繰り返すが、この漂流は、ニューディーラーの未完の改革とウォール街の冷戦戦略のせめぎ合いから生まれた。ただし、日本は、引き綱をもつアメリカという巨大船に曳航されるがごとく、漂流しているのである。これを止める第一歩は、この未完の改革を直視し、戦後政治の二重構図を克服することである。戦前の官僚制延長を克服し、戦前の抵抗者継承に学ぶことが必要である。

    結語

    戦後日本の保守政治を振り返ると、その源流は戦前の官僚エリートに直結している。吉田茂は戦前の外務官僚として対米協調を志向し、戦後は「軽武装・経済優先」路線を掲げて親米保守の基盤を築いた。岸信介は戦前の経済官僚として国家総動員体制を推進し、戦後は戦犯釈放を経て「自主憲法・自主軍備」を唱えた。つまり、日本の戦後政治は「戦前の官僚延長」として形成され、敗戦を契機に刷新されることなく、従属構造を温存したのである。

    これに対し、同じ敗戦国ドイツではまったく逆の動きが展開された。ヴィリー・ブラントはナチ体制下で迫害を受け、ノルウェーに亡命し、反ナチ亡命政府に参加した。戦後は西ドイツに戻り、社会民主党(SPD)の指導者として民主化と「過去の克服」を推進した。1970年のワルシャワでの「ひざまずき(Kniefall)」は、ナチの過去に対する謝罪と和解を象徴し、戦前の抵抗と戦後の民主化が連続する「反ナチの系譜」を体現した。ドイツの戦後政治は「戦前の抵抗者継承」として形成され、民主主義の成熟を促したのである。 

    ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスは『公共性の構造転換』で「公共圏は市民が議論を通じて公論を形成し、法の正統性の基盤となる」と述べた。さらに歴史家論争において「過去を克服することは民主主義の自己理解の一部である」と強調した。この視点から見れば、ドイツは戦前の抵抗者を戦後の民主化に継承することで公共性を成熟させたが、日本は戦前の官僚を戦後に復帰させることで公共性を未成熟のまま温存した。

    同じくハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラーは『自由と統一への長い道』で「ドイツ連邦共和国の歴史は、西欧への帰属をめぐる決断の連続であった」と述べている。この「西欧化の長い道」は、過去の克服を通じて民主主義を成熟させる不可逆的なプロセスであった。日本の場合は、敗戦後に米国依存を選択したが、それは「過去の克服」を伴わず、従属構造を温存するものだった。

    この対比は、敗戦国比較の鮮明なコントラストを示す。日本=戦前の官僚制の延長、ドイツ=戦前の抵抗者の継承。日本では戦前体制の担い手が戦後も復帰し、従属構造を温存した。ドイツでは戦前にナチ体制と闘った亡命者が戦後の民主化を担い、過去の克服を通じて民主主義を成熟させた。

    漂流する日本を止める第一歩は、この構造的な差異を直視することにある。戦前の官僚の延命を克服し、戦前の抵抗者継承に学ぶこと。敗戦国比較の視点から見れば、日本の民主化の未完を補う道は、過去の克服と民主主義の成熟にほかならない。

    参考文献リスト

    • ジョン・W・ダワー『敗北を抱きしめて』
    • ティモシー・P・ロバーツ『軍隊なき占領』
    • 袖井林二郎『占領した者されたもの』
    • 吉田茂『回想十年』
    • 工藤美代子『岸信介とその時代』
    • 原彬久『岸信介の回想録』
    • 五百旗頭真『戦後日本の安全保障政策』
    • 中北浩爾『自民党政治の変容

    有田芳生『統一教会と日本政治』
    • デイヴィッド・E・カプラン&アレック・ドブロ『統一教会の内幕』
    • ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー『西欧化の長い道(Der lange Weg nach Westen)』
    • ヤン=ヴェルナー・ミュラー『記憶の政治学(Memory and Power in Post-War Europe)』
    • ユルゲン・ハーバーマス『過去の克服と民主主義(Eine Art Schadensabwicklung)』
    • ハンス=ペーター・シュヴァルツ『アデナウアー伝(Konrad Adenauer: Der Staatsmann)』
    • カール=ディートリヒ・ブラッハー『冷戦下のドイツ外交』
    • ヴォルフガング・シュタイン『マーシャルプランと西ドイツ』