漂流日本⑥特別編 偽装の近代150年と高市政権ファッショへ化への危惧

 

漂流する日本の現在地

バブル崩壊から三十余年が過ぎ、日本では「失われた30年」という言葉が固定化された。だがこれはもはや比喩ではない。賃金が伸びず、物価上昇が生活を圧迫し、企業は投資より内部留保を積み上げ、政治は既定路線の調整に終始する。羅針盤は曇り、星も見えない。人々は危機を日常の延長として受け入れ、危機を危機と認識しないまま時間だけが過ぎていく。停滞が習慣となると、適応が美徳に転じる。社会は声を失い、現状追認が「落ち着き」と呼ばれる。

そうした空気のなかで登場したのが高市政権だ。憲政史上初の女性首相という象徴性、対外的に強硬な言葉、生活者に届くとされる経済対策が支持を押し上げ、就任直後から熱量を伴う支持が広がっている。新奇性は希望に見え、毅然さは安心に見える。しかし、この熱量は別の予感も呼び覚ます。「強い指導者待望論」と結びついた熱烈な支持は、しばしばファシズム的な社会ムードに接続する。鬱屈と不安が出口を求めるとき、大衆は厳格さと即断を好む。そこで選ばれるのは、議論より決断、熟考より演説、相互承認より排除である。

日本の近代は、「底辺からの出発、台頭、そして破綻」というパターンを二度繰り返してきた。明治維新後の急速な国力増進は帝国憲法という「偽装近代」の上に築かれ、昭和の戦争は尊皇・愛国思想の膨張に押し出されるように拡大し、敗戦を招いた。戦後は親米保守の秩序設計のもと高度成長とバブルを経験し、崩壊後の長期停滞のなかで再び「強いリーダー」への待望が膨らむ。今この地点で必要なのは、歴史の再演を冷静に見抜く視力だ。熱狂は誘惑だが、歴史の記憶は冷静さのための道具である。

一節 近代日本の三期構造

近代日本の150年を大づかみにすると、長期停滞が底として横たわり、その上にファッショ政治の熱狂が立ち上がり、最後は破綻に帰着するという構造が見えてくる。明治の初期、内憂外患に押されるかたちで近代国家の外形を急造し、軍事と産業に国家資源を集中した。自由民権の息吹はあったが、民権の制度化は遅れ、上からの近代化が下からの市民社会を置き去りにした。そして帝国憲法が確立すると、形式的な立憲主義の演出と、実質的な天皇大権の強化が併走する。近代は飾りであり、統治は前近代のままという二重構造が生まれた。

昭和の戦争期には、その二重構造が思想面で爆発する。徴兵令と教育勅語により忠義と献身が常識となり、国家と個人の境界が薄れ、特攻のような極限の献身が美徳に昇格した。大政翼賛会は「一億火の玉」を叫ばせ、敗北は「転進」と言い換えられ、精神論は現実の不足を覆い隠す。熱狂は均質化を生み、均質化は思考停止を生む。戦争は敗北で終わり、国土は焼け野原になった。破綻は突然ではない。長く続いた偽装の帰結である。

戦後の復興は、象徴天皇制と日米安保のもとで進み、吉田から池田へ、池田から田中へ、田中から竹下へ、岸の流れを汲む清和会へと主流派が移りながら、政治経済の秩序は再編され続けた。高度成長は分配の物語を生み、バブルは陶酔の物語を生む。だが崩壊後の長期停滞は制度疲労を表面化させ、「変わらないこと」への倦怠が「一気に変える人」への待望に転化する。ここで「底辺、台頭、破綻」のリズムが再び鳴り出す。底からの再出発を促す冷静さが必要なときに、熱狂が先行すると、破綻の影は濃くなる。

二節 帝国憲法と「偽装された近代」

帝国憲法は列強に並ぶための証明書として作られたが、その骨格は天皇大権の絶対化であり、民権を抑制する設計になっていた。議会の開設は、一見近代的な透明性と合意形成の制度に見える。しかし、当初の役割は戦争資金調達のための金融装置としての側面が強い。対外戦争には巨額の資金が要る。内税だけでは足りず、ロンドン市場で外債を発行するには、予算と収支の体系が議会を通じて可視化されていることが求められた。つまり、議会は民衆のために開かれたというより、外部の資本の信認を得るために開かれたのである。

統帥権独立は、この偽装近代の中核にある。帝国憲法第11条が定める「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」は、政治的統治の体系から軍事を切り離し、天皇への直接上奏=帷幄上奏を可能にした。参謀総長や軍令部総長は内閣を飛び越えて天皇に報告でき、内閣は責任を持ちながらも決定に関与できないという奇妙な状態が生まれた。陸、海軍大臣の現役武官制はさらに政治を軍に従属させ、軍が大臣を出さなければ内閣は組閣不能になった。ロンドン海軍軍縮条約の際に噴出した「統帥権干犯」論争は、外交が軍事に従属する構造の露呈だった。

民権運動への弾圧と制度の強化は、偽装近代の裏面で互いに補強し合う。秩父困民党の蜂起は生活苦からの必死の叫びだったが、国家は軍を出して鎮圧し、民衆の政治参加への道を狭めた。竹橋事件で近衛砲兵の不満が爆発したのを受け、軍人勅諭は絶対服従を美徳に定めた。服従の倫理はやがて献身の倫理に変質し、個人の生は国家の目的に従属する。近代の制度は、近代の市民を育てることなく、近代の戦争を遂行するための装置になった。

三節 尊皇・愛国思想の膨張
天皇という存在は、江戸期までの庶民には遠い象徴だった。しかし徴兵令と教育勅語によって、天皇は身近な倫理の軸に変わる。学校は忠孝を教え、家庭は勅語を掛け軸として掲げ、青年団や在郷軍人会が地域の儀礼を整えた。こうして忠義が生活の規範として浸透すると、戦争は道徳的義務になる。危機が来れば「義勇公ニ奉シ」が呼び出され、抵抗は圧殺される。

特攻はこの倫理の極限形態である。個人の生命は美しく散ることで共同体に奉献されるという価値観が成立したとき、戦略は精神論に回収される。「精神力は無限」という言葉が現実の不足を補う魔法の杖として機能し、補給の欠如や兵站の破綻は精神力の不足として説明される。倫理は制度を補助するが、倫理が制度を置き換えると、現実の制約を無視する意思決定が習慣化する。尊皇・愛国は、国家の存続に寄与するはずの秩序だった。しかし膨張し過ぎた倫理は、国家を脆弱にした。献身が合理性へと置き換えられると、国家は破綻へ向かう。

四節 対米戦争 明治体制の完成と崩壊

1941年、日本は対米開戦に踏み切る。秋丸機関の「必敗」分析があっても、精神論と情念が上回った。ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄、敗北の連鎖は「転進」と言い換えられ、国民は勝敗の実情から切り離された。大政翼賛会のプロパガンダは熱狂を維持するための酸素を供給し続け、新聞やラジオは誇張と沈黙を武器にした。合理的判断は、政治文化としての精神主義に押し流され、軍の内在的な意思決定構造が内閣の統治を凌駕する。

戦争は明治体制の完成形を露わにした。天皇大権の体系、統帥権独立の制度、献身倫理の文化、大政翼賛の動員装置がフル稼働したとき、近代の外形は必要な飾りに過ぎなかった。だが同時に、それは崩壊の軌道でもあった。制度の欠陥は、戦争という極限状況で拡大する。政治の責任が分散され、軍の責任が宙吊りになる構造では、敗北の合理的な収拾は難しい。降伏は現実の帰結だったが、構造の必然でもあった。明治体制は戦争で完成し、戦争で終わった。

五節 戦後への連続性

敗戦は制度の全面的な廃棄を意味しなかった。象徴天皇制は存続し、日米安保体制が秩序の骨格になった。1955年、保守合同によって自由民主党が成立し、以後、保守が政権運営の中枢に座り続ける。吉田茂の軽武装・経済重視の路線は、池田勇人の所得倍増計画へと結びつき、分配の成功体験を社会に広げた。「一億総中流」は現実と幻想の混成であり、人々は努力すれば報われるというシンプルな物語に安住した。

田中角栄の豪腕政治は地方隅々までインフラ投資を行き渡らせた。道路、港湾、空港、ダム─。物理的な成長は実感として共有され、政治は「利益を配る仕組み」として理解された。竹下登の経世会はその路線を継承し、親中・多角外交の間合いを取りながら、経済中心の政治運営を進めた。しかし、政治と経済が密接に結びつく構造は、スキャンダルの温床にもなる。リクルート事件は政治と資本の距離を問う契機となった。

清和会の台頭は、戦後の親米民族派保守が親米・市場改革へと軸足を移したことを象徴する。小泉純一郎の構造改革は郵政民営化を旗印に、国富の再配分と市場の開放を進めた。安倍晋三の長期政権は、集団的自衛権の容認によって戦争のできる軍事強国へと変え戦後日本の分水嶺となった。こうした流れの延長線上に高市政権の「毅然さ」がある。

六節 高市政権とファッショ的ムード

高市政権の支持には、象徴性、強硬性、即効性の三つの要素が絡み合う。女性首相という未踏の地は、政治の慣性に倦んだ有権者に新鮮さを与えた。対中・対韓での厳しい言葉は、地政学的な不安の時代に心理的な安堵をもたらした。生活者への直接的な対策、例えば燃料価格やエネルギー負担への即応は、複雑な経済政策を待ちきれない人々に「わかりやすい政治」を提示した。

しかし、急速に立ち上がる熱狂は、しばしば議論の余地を狭める。強い言葉は強い支持を集めるが、強い言葉は異論を弱く見せる。待望論が社会を覆うと、「とにかく前へ進め」という空気が合意形成のプロセスを短絡させ、正当な異議申し立てを「邪魔者」として可視化する。排外の言説は、世界の不安を国内の結束へと変換する簡便な道具だ。威勢の良さは、複雑さの代替物として機能する。熱狂は一体感を生むが、一体感は多様性を犠牲にする。

政治は連立と妥協の技術だが、熱狂は技術を軽視する。数合わせのための連立と、物語のための連立は似て非なるものだ。前者は政策の整合性を求め、後者は感情の整合性を求める。社会が後者を好み始めたとき、民主主義は形を保ちつつ内容を失う。顔ぶれは変わらず、言葉だけが変わる。強い語彙が溢れるとき、弱い事実は見えなくなる。ここにファシズム的なムードが潜む。熱気が議場の手続を押し流し、拍手が票の代わりを始める。

七節 熱狂から幻滅へ

歴史は、熱狂の持続可能性を冷酷に評価してきた。戦前の大政翼賛は敗戦の瞬間に霧散し、戦後の「日本は一番」の陶酔はバブル崩壊で醒めた。熱狂は世界像の単純化に依存する。世界は簡単で、自分たちは正しく、敵は間違っている。単純化は判断を速くし、結束を強める。しかし世界は複雑で、利益は相反し、善悪は重なる。複雑さに耐えない政治文化は、現実の変動に脆い。

幻滅は熱狂の反転ではない。熱狂の副作用である。熱狂のために省略された手続き、見過ごされたリスク、後回しにされた専門性が、時間差で請求書を送ってくる。そのとき、熱狂に拍手した人々は請求書を政治に転嫁し、政治は説明責任を負う。だが、熱狂の中で作られた政策は、説明のための余地を削っている。手短に決め、手短に伝え、手短に支持を集める政治は、長い説明に不向きだ。説明不足の政治は、幻滅の政治になる。熱狂は支持を集め、幻滅は不信を集める。不信は無関心に変わり、政治の正統性は痩せていく。

八節 漂流の構造と情報敗戦

停滞の社会は、情報の扱い方にも特徴が現れる。戦前の大本営発表は、勝敗の情報を操作し、国民の認識を管理した。戦後も情報の管理は形を変え、国家の物語を支える装置として機能し続ける。テレビは繁栄の物語を、新聞は安定の物語を、広告は消費の物語を増幅した。インターネットが登場すると、情報の供給は分散し、誰もが発信者になった。透明性は増すはずだったが、現実は複雑だ。分散は責任を分散し、責任の薄まった情報が感情を駆動する。

現代のSNSは、アルゴリズムによって反応を最大化するように設計されている。怒りと恐怖は拡散を促し、穏やかな事実は埋もれる。人は自らの信念を強化する情報に囲まれ、異なる視点を見なくなる。これがフィルターバブルであり、分断の温床である。「ニッポンすごい」という自尊の物語は気持ちを良くし、「彼らは危険だ」という排除の物語は味方を増やす。政治参加は増えるが、参加の質は感情の反応に左右される。若年層のクリックとリツイートは声になり、声は支持になる。しかし、その支持は情報の精査より、物語への共鳴で集まる。

情報の透明性が失われると、社会は再び情報敗戦に陥る。誤情報は政策を誤らせ、過剰な単純化は現実を切り捨て、対立が増幅される。政治は対立に乗るか、対立を管理するかの選択を迫られる。乗る政治は支持を増やし、管理する政治は支持を減らす。短期的なインセンティブは前者を選ばせる。こうして情報環境は、政治の熱狂を支え、民主主義の熟議を弱める。熟議の弱体化は、制度への信頼を損なう。信頼が弱ると、強さの演出が代替になる。演出の強さは、実質の弱さを隠す。ここに漂流の構造がある。

九節 バブルの陶酔と崩壊のメカニズム

1980年代の金融自由化は、日本経済に巨大なレバレッジをかけた。外為法改正で資本移動が容易になり、金利自由化が銀行間の競争を激化させ、担保評価の上昇が融資の拡大を正当化した。プラザ合意後の円高局面で、政策当局は景気後退の回避に動き、低金利と流動性の拡大が資産価格の上昇を生んだ。株式と不動産の価格は、期待の自己増殖で膨張した。価格が上がるから融資が増え、融資が増えるから価格が上がる。循環は均衡点を失い、崩壊への準備が整う。

崩壊は政策の転換で始まる。引き締めが入ると、自己増殖の循環は逆回転し、担保価値の低下が融資を絞り、融資の縮小が価格を下げる。不良債権は銀行のバランスシートを侵食し、信用の供給が細る。民間の投資は冷え、賃金の伸びは止まり、物価上昇は抑えられるが、デフレが定着する。金融の自由化は、資本の自由と引き換えに、制度の監督と規律の再設計を必要とした。しかし、日本の制度は再設計が遅れ、自由が構造的な脆弱性に転じた。外圧との相互作用も見逃せない。為替の国際的な調整に国内政策が従属し、国内の事情より国際の事情が先に立った。結果として、自由化は繁栄のエンジンであると同時に、崩壊の増幅器にもなった。

バブルの陶酔は、金融の専門性より、繁栄の物語を好む文化に支えられていた。証券テレビは株価の高値を讃え、雑誌は資産倍増の方法を競って紹介し、街は「日本は世界の頂点」という空気で満たされた。陶酔は監督の警鐘をかき消す。崩壊が始まると、陶酔の反動として自己防衛が優先され、投資は止まり、消費は細り、内部留保が増える。企業は賃上げより安全の確保を選び、個人は挑戦より安定の保全を選ぶ。ここから長い停滞が始まる。

十節 情報敗戦の新しい形
インターネットは情報の民主化の道具として期待された。誰もが発信でき、誰もが学べる。しかし現実に広がったのは、アルゴリズムによる選別と反応の最大化である。SNSはユーザーの滞留時間を増やし、広告価値を高めるため、強い反応を呼ぶコンテンツを優先する。怒り、恐怖、羨望、誇り、これらの感情は拡散の燃料だ。静かな事実や複雑な分析は、燃えにくい。燃えにくいものは、目立たない。目立たないものは、影響しない。

フィルターバブルは、ユーザーを同質な情報の海に閉じ込める。似た考えを持つ人々が互いを讃え合い、異質な意見は攻撃の対象になる。ネットワークは結束を生むが、結束は排除を伴う。排除が強まると、政治的な対象は「味方」と「敵」に単純化され、政策の議論は善悪の断罪に変わる。日本では、「誇れる日本」という自尊の語りがアルゴリズムに乗って増幅され、「危険な彼ら」という排外の語りが並走する。若年層の政治参加はSNSによって可視化されたが、参加の多くはコンテンツへの反応の延長であり、熟議より即応に支えられている。即応は勢いを生み、勢いは支持に変わる。しかし、勢いは持続性を保証しない。支持が感情の反応から生まれると、政策の起伏が支持の起伏に直結し、政治は短期の波に振り回されやすくなる。

戦前の大本営発表は、中央集権的な情報管理による敗戦を招いた。現代の情報敗戦は、分散する情報の感情的な選別によって、熟議の基盤を削る。管理から感情へ。形は違うが、帰結は似ている。社会は世界像の単純化に引き寄せられ、複雑な現実への耐性を失う。耐性を失った社会は、強い語りを好み、強い語りは強い指導者を呼ぶ。指導者が強さを演出すると、演出への支持が現実より優先される。ここで民主主義の基礎であるプロセスが弱くなり、結果が全てになる。結果のためにプロセスを短絡する政治は、短期の成果で支持をつなぐが、長期の基盤を削る。

結語 それでも選べる航路

日本の近現代は三度、同じ構造を繰り返そうとしている。停滞から熱狂へ、そして破綻へ。今もその臨界点に近づいている。繰り返しは必然ではない。選択の積み重ねで未来は変えられる。強い言葉より強い制度を。即断より熟議を。誇りより責任を。

これらを選ぶ社会は熱狂に流されにくい。高市政権の熱量は社会の鬱屈に応答した結果でもある。だからこそ冷静な対話と具体的な改善が必要だ。生活の負担を和らげ、賃金を持続的に上げ、将来の不安を減らす。安全保障の現実を隠さず語り、外交の選択肢を狭めない。敵と味方の線引きを政治の中心に置かず、共同の課題を中心に置く。 

民主主義は手間がかかる。
その手間を再び価値として取り戻すこと。それが漂流の終わりに向けた第一歩になる。

熱狂はすぐに手に入る。冷静さは時間がかかる。しかし時間をかけて選ばれた冷静さは破綻に強い。
日本は二度、偽装と熱狂の果てに破綻を経験した。三度目を避けるために必要なのは、繰り返しの誘惑を断つ意志。未来は偶然の産物ではない。選択の積み重ねだ。
漂流を止める航路は強い語りの向こう側にある。熱狂の誘惑を超えて、あえて手間のかかる道を。