■近代日本:なぜ台頭と挫折繰り返す
現在の日本、とりわけバブル崩壊後の三十年を振り返ると、その姿は大海原を漂う船のように思えてならない。波間に揺れながら進路を見失い、羅針盤は曇り、星も見えない。人々は「失われた30年」という言葉を口にするが、それは単なる比喩ではなく、現実そのものとなった。
商業メディアやSNSを通じて流れ込む情報は、権力者に都合よく編まれた潮流のように人々を包み込み、進むべき方向を見えなくさせている。日々の暮らしは、どこへ向かうのか分からぬまま、ただ漂い続けているように感じられる。危惧すべきは、この漂流が「日常」として受け入れられつつあることだ。危機が常態化すると、人々はその危機を危機と認識しなくなる。
だからこそ私は、この論考に「漂流日本 ― 明治維新、対米敗戦、失われた40年へ」という題を与えた。明治維新から敗戦、そしてバブル崩壊後の停滞へと続く日本の歩みは、幾度も「どん底からの出発」「急速な台頭」「そして破綻」という同じ図式を繰り返してきた。戦後百年を超え、さらに数十年先を見通すことは容易ではない。しかし行く末を考えるためには、少なくとも近現代の歩みを顧みる必要がある。
大海を漂う船は、ただ流されるだけでは沈む。風を読む者、星を見上げる者、舵を握る者がいなければならない。日本社会もまた、漂流を続けるだけでは未来を失う。過去を振り返り、そこに繰り返される構造を見抜くことが、次の航路を描く唯一の手がかりとなる。
福沢諭吉が『文明論之概略』で「一身独立して一国独立す」と説いたように、近代国家の基盤は個人の自立にあるはずだった。だが明治維新の近代化は、外形を整えることに追われ、自立した市民を育てることはタブーであった。外圧に応じて急ぎ進められた近代化は、真の独立精神を育むことなく、列強への反発と追随を併せ持つ体質を日本に刻み込んだ。満州事変以降、その反発は「自存自衛」の名の下に中国への侵略へと変わり、やがて米英への大攘夷決行となって破綻を迎える。
私は1945年敗戦直後に生まれた団塊の世代である。幼い日の記憶には「焼け跡闇市の残影」や「街角でアコーデオンを奏でる傷痍軍人の姿」がぼんやりと浮かぶ。貧しさのどん底から、高度経済成長、ジャパン・アズ・ナンバーワン、バブル崩壊、失われた30年へ――私たちの世代は、日本人がかつて経験したことのない大きな生活の変化を身をもって味わった。だが戦後社会は、高度成長の果実を享受しながらも、戦前から続く桎梏を引きずり続けていた。
日本の近現代150年は、「どん底、台頭、そして破綻」という図式を二度繰り返した。薩摩・長州の下級武士による倒幕は「列強の植民地にされてたまるか」という恐怖から始まり、軍事国家建設を目指して日清・日露の戦争を勝ち抜き、第一次大戦では火事場泥棒的に巨利を得て国際的地位を高めた。維新から半世紀後には五大国の一角にのし上がったが、その成功は米英との確執を生み、「世界に一つの神の国」と謳う狂信的な天皇制ファシズムを招いた。対米戦争の大破綻は、維新からわずか77年後のことだった。
筆者の問題意識や主張については、2020年から続けている筆者の個人ブログPress Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男)を参照願いたい。計600近い論考には本著での主張の概要が書き込められている。
筆者のブログ記事の一部は最近刊行された中尾茂夫著「情報敗戦 日本近現代史を問いなおす (筑摩選書)」でも紹介、引用されている。
書評の中にはこんなものもあった。
「辺見庸、加治康男、関曠野、松本清張、カレル・ヴァン・ウォルフレン、エドワード・サイード、ハンナ・アレント、ターガート・マーフィー、チャルマーズ・ジョンソンらのコメントを適宜挟んで、「大本営発表」だけを信じて路頭に迷った我が日本人が未だに同様な情報欠如の状態に置かれていることを、様々な事例を挙げて論評している楽しめる著作だ。「ニチベイ」の現状を客観視できない政治家や官僚を罵倒しているが、情報を公平に開示しないマスコミの姿勢も問題だ。」
著名な作家や思想家と並んで、無名の筆者の名が挙げられることは望外の喜びである。著者だけでなく評者までもが、拙いながらも筆者の主張に何らかの価値を認めてくれたのだと受け止めたい。
■「わたし日本人!」の誇り
さて、世界の潮流は大きく変わりつつある。中国、インド、そしてグローバルサウスの台頭に象徴されるように、欧米列強の覇権主義から、かつて「第三世界」と呼ばれた諸国が主導する多極主義へと移行している。21世紀を生きる私たち個々人も、多様な価値観に基づいて多様な生き方を実践しているように見えるかもしれない。だが現実は、情報化社会の内実が権力者の巧妙なプロパガンダに支配され、人々はその操作に踊らされ、多様な生き方を失っている。
価値観の普及は自然発生ではなく、作為的に仕組まれる。愛国心もその一例だ。国民国家の支配階級は、自らの権益を守るために愛国心を社会の隅々にまで浸透させ、国民を一丸にまとめ上げ、排外運動や対外戦争を遂行できるようにした。第二次大戦で日本人は原爆の惨禍や特攻死を含め、究極の愛国心の犠牲となった。マルクスが「支配階級は自らの利益をあたかもすべての人々の利益であるかのように見せかける」と看破した通りである。
戦前は「国のため」とは何かを問わせぬよう、軍隊、教育機関、青年団、在郷軍人会、町内会、メディアを通じて徹底した洗脳が行われた。戦後もここ四半世紀はプロパガンダがさらに巧妙になり、復古的な愛国心が外国人ヘイトを伴って確実に浸透している。今や「愛国心を持たない者は反日の非国民だ」と謗られかねないほどの空気が漂う。都市部から地方まで隅々に根を張る日本会議をはじめ、自民党支持の岩盤保守層がそれを先導し、2025年10月には極右の高市早苗がウルトラ保守政権を誕生させるに至った。
思い返せば、日本が「ナンバーワン」と錯覚したバブル最盛期の1980年代後半。欧州でも東南アジアでも、日本人は鼻高々に歩いていた。「身に着けているものが違う」「自信満々だ」と現地の人々は口を揃えた。比類なきハイテク技術、巨大企業のグローバル化、強い円、圧倒的な貿易黒字と外貨準備高――それらが日本人に限りない心地よさを与えた。街を歩く人々の多くは「わたし日本人!」と誇らしげに胸を張っていた。だが一部の少数派は冷笑し、「みんな『わたし日本人!』と言いたげに歩いている」と皮肉を込めて語った。
誇りと陶酔、そしてその影に潜む冷笑。日本人の歩みは、常にこの二重の感情に彩られてきたのだ。
■凡庸な悪
ところが「失われた10年」が「失われた20年」になりかけると、国外の街を歩く日本人に威勢のよさが消え、縮んでいった。同時に、内向き志向となった日本国内では各地で反中、嫌韓の激しいヘイトスピーチや排外運動が起こり、国際競技大会会場は日の丸・旭日旗、「ニッポンすごいぞ」のプラカードや鉢巻きで埋まった。それは中国を筆頭に韓国、東南アジア諸国の目覚ましい台頭で、アジアの盟主の座から転がり落ちた日本人の怨嗟の叫びに聞こえた。「失われた30年」になるとイスラム世界からの移住者を含め出自を問わぬ、外国人排斥の動きが目立っている。
バブル崩壊から34年。この三十余年は、格差の拡大と社会の沈黙を生んだ。人々は声を上げることなく、現状に適応することを選んだ。著書『イェルサレムのアイヒマン』でハンナ・アーレントが「悪は凡庸である」と指摘したように、沈黙と適応の積み重ねが構造的な不正を温存している。日本社会の漂流は、まさにこの「凡庸な悪」のなせる業と思える。
■愛国もまた共同幻想である
戦前の大日本帝国を憧憬し「美しい日本」「強い日本を取り戻す」をキャッチフレーズにした2007年安倍晋三一次政権の発足から18年。「失われた30年」が現実となった2025年。同年10月21日に安倍の二卵性双生児と揶揄されてきた女性の極右政治家高市早苗が首相に就任した。「日本をもっともっと高みに押し上げ」「もう一度世界のてっぺんへ」「世界の中心で輝かせる」と愛国心を煽り、靖国神社公式参拝を事実上公約にしている高市首相率いる右翼政権の帰趨が注目される。
内外の雲行きは安倍政権発足時とは明らかに異なる。宗主国アメリカは皇国日本という亡霊に取りつかれたままの自民党岩盤保守層という厄介者が反米姿勢をむき出しにしないよう慎重にハンドルしつつも、最終的にはこれを駆除しようと動いている。”兄”安倍晋三暗殺に続く自民党最大派閥清和会(安倍派)の解体という衝撃を体験した高市は、靖国神社公式参拝の取り止めてタカ派色を薄め、駆逐されないよう雲行きを見定めているのは確かである。しかしながら早くも台湾有事を巡る「存立危機事態」発言で大論議を起こした。
日本はいつまで漂流を続けるのか。吉本隆明は『共同幻想論』で「国家は共同幻想である」と述べた。安倍を引き継ぐ高市が奨励する愛国もまた共同幻想である。国家を巡るレトリックは人々の意志によって変えられてきた。幻想である以上、それは固定されたものではない。未来を問い、築く力は私たちの手の中にあると信じたい。
(続く)