被爆者はオスロへ・追加 田中代表、国家賠償拒否の日本政府を糾弾

ノーベル平和賞を受けた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を代表して田中熙巳代表委員は10日、ノルウェー・オスロで行われた授賞式で被爆者への国家賠償を拒んできた日本政府の姿勢を糾弾した。被爆者代表が初めて国外で日本政府が無責任の体制であること戦後も被爆者に対しては明治憲法に基づく国家無問責の原則に従っていることを間接的ながら国内外に訴えたことになる

同代表は1994年に制定された被爆者援護法に触れ、「何十万という死者に対する補償は全くなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けている」と述べた。続けて、「もう一度繰り返します」「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない。この事実をお知りいただきたい」と出席者と全世界に訴えた。

国際政治学者の三牧聖子は朝日新聞の取材に対し「日本は第2次世界大戦で敗北したドイツイタリアと異なり、戦後補償において軍人と民間人を明確に線引きしてきました。しかし、国家が起こした無謀な戦争によって壊滅的な被害を受けた市民への責任を国家がとらないことが許されれば、国家は戦争をますます軽く考えるでしょう 。それをさせないために国家補償を求め続けているのです。」とコメントしている。

いわゆる第三身分によるボトムからの階級闘争も民衆蜂起もなく、市民革命を通じての憲法制定もなかった日本。明治憲法は議会での審議発案を避け、藩閥政府が民権運動を封殺するために議会開設に先んじて天皇大権を絶対規範として臣民に押し付けたもの。外見的立憲主義の典型である。田中代表のオスロでの発言は、日本がいまだ明治体制を超えていないことを世界に向けて明らかにしたものである。まさに精神文化、法の運用面では途上国と軽蔑されても致し方あるまい。

:9日投稿の「真珠湾83年、被爆者はオスロへ 問われる体制服従と内なる治安維持法 「攘夷のための開国」の果て③ 」の最終項

「■投下は侵略と加害の帰結ー天皇無問責糾弾

戦後知識人と言われた人たちは、好んで丸山真男の「無責任の体系」を引用した。しかし、丸山に言われる前に、明治憲法を読めば、戦前日本の無責任体制は明治憲法によって確立されていたことが判明する。第3条「天皇は神聖にして不可侵」とされ、天皇無問責と国家無問責が定められていた。「国家ないし官公吏の違法な行為によって損害が生じても、国家が賠償責任を負うことはない」。

丸山によれば、戦前の日本人は臣民とされ、市民としての主体形成ができていないことが問題だった。新憲法の下でも十分な自立した市民としての主体が形成されたとは到底いえず、これをどう変革するかの展望もいまだ拓けない。安倍内閣に象徴されるように保守反動の嵐は戦後民主主義の息の根を止めつつある。戦後日本人の心の内に留まる「治安維持法」と体制服従が決定的バリアとなっているのではないか。

「昭和天皇に戦争責任はある」との市議会答弁後に銃撃された本島等元長崎市長(1922年 - 2014年)の「原爆投下は侵略と加害の帰結」との言葉を噛みしめたい。本島は侵略戦争の主体日本軍の統帥権者裕仁天皇に対する不合理な無問責を糾弾した稀有な日本の政治家である。」

を参照されたい。