「日本の極右妄言製造機が死亡」ー。
韓国の聯合ニュースは2月1日、石原慎太郎元東京都知事の死去をこんな見出しを付けて速報した。石原は都知事時代だけをとっても、「三国人、外国人の凶悪な犯罪が繰り返されており、震災が起きたら騒擾事件が予測される」(2000年)「(慰安婦問題で)日本にいる朝鮮人を強制した証拠がどこにありますか」(2012)をはじめ日本の核武装など保守層の留飲を下げさせ、中国、韓国の人々を貶める発言を繰り返した。日本人の保守右傾化を主導する「論客」であり、韓国の人々は彼の訃報を受け、積年の怒りを爆発させている。
戦勝国米英に隷属する補完戦力として利用され、中国と軍事対決する戦後日本の今。好戦的世論作りのイデオローグとして石原が果たした役割を批判的に吟味し、日本の戦後に終止符を打つ一歩としたい。
「石原節」ともてはやされた妄言の数々をいちいち取り上げればきりがない。結論を先に記せば、米国による戦後日本の占領と占領後サンフランシスコ体制下での対米隷属を「屈辱だ」と明言する一方、日本の世論を反米でなく反中・嫌韓に向かわせる、ワシントンにとってはまことに使い勝手のいいイデオローグだった。まさに本ブログの問題提起を体現した極右ナショナリストである。
ここでは1点だけ取り上げる。尖閣諸島の国有化につながった石原による2012年4月の「東京都が尖閣を買い上げる」との発言だ。これで1972年の日中国交正常化の際、周恩来、田中角栄両首相の間でなされた「領土問題棚上げ」合意が最終的に打ち壊わされ、日中関係を決定的に悪化させた。これは今日の米中対立・新冷戦への道を拓き、「台湾有事は日本有事」との米国の策略に日本政府をまんまと落とし込む露払いとなった。注
確かに、2008年12月8日には尖閣諸島への中国船「領海侵犯」事件が起き、2010年9月7日には中国漁船衝突事件が発生。以降は、ほぼ毎月の頻度で、中国国家海洋局や漁業局などの公船が尖閣周辺海域で「領海侵犯」を繰り返し、尖閣諸島の日本の有効支配を打破するための攻勢を強めていた。一方、当時の民主党政権は尖閣問題で「棚上げ合意した事実はない。日本政府は「尖閣諸島について、領有権の問題はそもそも存在しない」との立場を一貫して取っている」と改めて主張した。
この動きを受け、2012年4月16日、当時の石原慎太郎都知事はワシントンのヘリテージ財団主催のシンポジウムで講演、「尖閣諸島を地権関係者から買い取る方向で基本合意した」と発言。「島に港湾施設などを整備して日本の有効支配を確たるものにする」と中国を挑発した。随行した東京都職員ですら寝耳に水と驚愕したという。
知っていたのは同財団幹部だけだった。講演を受けて、同財団のウォルター・ローマン会長が司会でバンダービルト大学のジェームス・アワー教授とリチャード・ローレス元国防次官補の2人がパネリストとしてコメントすると言う方式で討論会が行われた。つまり石原都知事による講演が日本の声として第一部で、第二部がアメリカの見方という構成であった。
問題はわざわざワシントンで買い取り合意を発表したことだ。ヘリテージ財団は米政府に最も影響力を持つ好戦的なシンクタンク。1980年代から1990年代前半にかけてのレーガン・ドクトリンの主要な立案者かつ支援者として知られる。米政府はこれによりアフガニスタン、アンゴラ、カンボジア、ニカラグアなどで反共主義を掲げて公然、非公然の介入を行い抵抗運動を支援。冷戦の期間中全世界的に反共主義を支えた。
同財団は「悪の帝国」ソ連の封じ込めだけではなく、1991年ソ連崩壊を現実的な外交政策目標として実現させるよう米政府を支援したのだ。その背後に米軍産複合体や巨大金融資本が控えていることは指摘するまでもない。
米国に次ぐ経済大国として台頭した中国は2008年には鄧小平の遺言「「韜光養晦(才能を隠して内に力を蓄える)」路線を転換して米国の覇権に挑む動きをはっきりと見せるようになる。その兆しは前年の2007年、中国海軍高官が米太平洋軍(ハワイ)のキーティング司令官に「中国とアメリカで太平洋をハワイで二分し、西側は中国が管理する」との分割案を持ちかけたことに明確に現れた。2008年からの尖閣諸島海域での中国船の頻繁な動きは太平洋を東進する突破口にしようとする中国海軍の企てに他ならなかった。好意的にみれば、太平洋全域を支配下に置く覇権国アメリカを東に退かせ、「英米支配による屈辱の一世紀に終止符を打つ」との意思表示である。
石原が深くワシントンに組み入れられていたのは間違いない。彼の講演は尖閣諸島を巡る日中緊張の高まりを最大限に利用して、日本の世論を「中国への警戒と嫌悪」へと導く決定的な引き金となったからだ。ヘリテージ財団は日本人に大きな影響力のある極右作家を飼いならし、満を持してワシントンに呼び東京都買い入れ発言をさせた。東京でやるのとワシントンでやるのでは政治的影響に雲泥の差がある。
1980年代の盛田 昭夫 との共著「ノーと言える日本ー新日米関係の方策」に代表されるいかにも対米強硬な言論で日本人の保守ナショナリズムへの傾斜を煽った石原。そんな人物が2020年のトランプ米政権下の国務長官ポンペオによる「自由世界が共産主義の中国を変えなければ中国がわれわれを変えるだろう」との正式な対中新冷戦宣言への道を切り拓く大きな役割を担った。日本会議しかり。反中・嫌韓を煽り日本の世論を右傾化させてきた連中はみな裏でワシントンと繋がる。彼らは米国よる戦後占領と対米隷属を批判して反米を装う媚米イデオローググループである。
繰り返しになるが、2022年は対米敗戦から77年経過し、1868年明治維新から1945年対米敗戦までの77年と並ぶ。すなわち戦前と戦後が時間的にイーブンとなる。そこで本ブログは来る新たな77年の元年となる2023年を近代日本第三期のスタートとすべきと提唱している。2022年年頭の石原の死去は「近代日本第二期としての戦後の終焉」を予告する象徴的出来事と受け止めたい。
注:本稿を補完するため、差し当たり以下3つの既掲載記事を参照願いたい。
①「脱亜入欧の末路:米英に「同盟国の長」と煽てられ、アジアで孤立 近代日本考・補」
②「日米安保破棄と対米自立を再び争点に(その1) 近代日本第三期考2」
③「中国の台湾侵攻」巡る3つの嘘 偽装の「日台有事一体」