安倍最長政権で自衛官重用露わに 萌え出る軍人崇拝1 

太平洋戦争敗戦に伴う日本軍解体からわずか7年。1952年に自衛隊の前身、警察予備隊が改組されて保安隊が発足した。この年、防衛大学校がまずは保安大学校として設置される。敗戦後間もなくして米国の対日占領政策は反共絶対優先へと転換され、戦後日本の民主化は後退する。1950年6月の朝鮮戦争勃発を機に警察予備隊が発足して旧帝国陸海軍人脈が生き返る。連合国総司令部(GHQ)諜報2部(G2)の育んだ河辺機関、服部機関など諜報組織に所属した佐官クラスを中心に旧軍将校が自衛隊幹部として送り込まれ、新設の防衛大学校や自衛隊幹部候補生学校などの教官にも登用されたからだ。こうして米中新冷戦に揺れる今日、「民主化と軍国主義一掃」不徹底のツケが回ってきた。大日本帝国陸海軍のエートスを受け継いで退官した自衛隊幹部OBによる親米反中の立場からの「安全保障論」がもてはやされている。だが敗戦以降蓄え続けた反米マグマと復古的国家主義が根絶やしにされたとは思えない。ここ10年の間に、防衛省が自衛官を文官と同等に重用する機構改革に踏み切るなど「軍人崇拝」の風潮さえ萌え出てきた

■満を持しての集団的自衛権行使容認

自衛隊の存在感の高まりは間に5年の空白を置き2006年から2020年まで続いて歴代最長を記録した安倍政権を抜きに語れない。2000年代初め、日本社会はバブル経済崩壊後の「失われた10年」が「失われた20年」へと向かい始めた。低迷する経済に雇用不安が重なり、米国の初期対日占領政策の根幹である戦後日本の民主主義体制を「押し付け」として否定する声が高まり始める。復古主義的色彩を帯びた社会の右傾化は憲法9条破棄と自衛隊の正規軍化を求めた。

第一次政権(2006~2007)で念願であった防衛庁の防衛省への昇格を実現した安倍首相は第二次政権(2012-2020)下で同じく悲願としていた集団的自衛権の行使容認を2014年に閣議決定、これに基づき2015年に自衛隊法の改正をはじめとする新安保法制を成立させた。かねてから安倍に「日米同盟に確固たる双務性を与えるには集団的自衛権行使容認が不可欠」と説いてきた元外務省高官・岡崎久彦は逝去する3カ月前の2014年7月1日に病床で容認の閣議決定を知り、「35年来の願いがかなった」と涙したと伝えられる。

岡崎の涙は、日本の集団的自衛権行使容認が1980年代から日米政府間の事務レベルで非公式に検討されてきていたことを示唆する。米国は対日司令塔の米シンクタンク「国際戦略問題研究所(CSIS)」が2012年に公表した第3次アーミテージ報告書で集団的自衛権行使容認を日本政府に正式に勧告、第2次安倍政権はこれを直ちに受け入れ、満を持した形で戦後日本の安保政策は大転換された。

話を戻す。岡崎と佐瀬 昌盛・防衛大名誉教授(国際政治)をはじめ当時東大教授だった北岡伸一田中明彦ら安倍ブレーンは第一次政権時から設けられていた集団的自衛権に関する憲法解釈見直しを検討する首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤に関する懇談会(安保法制懇)」の有識者委員だった。岡崎は安倍の”教育係”、佐瀬は安倍の成蹊大学法学部での恩師である。

学生時代に「俺の目の黒いうちに憲法9条は必ず改正してみせる」と豪語したという北岡は東大法学部から丸山真男を筆頭とする戦後リベラル派を一掃し、再びそれを時の権力に「学術的お墨付き」を付与する御用学者の巣窟とした功労者だ。安倍からの褒美であろう、緒方貞子の後任として田中北岡は相前後して国際協力機構(JICA)の理事長となった。言うまでもなく、安保法制懇の答申は「結論ありき」であった。

■安倍政権の変容

ところで極右組織・日本会議を政権のイデオロギー装置とした安倍第一次政権は米英をはじめとする第二次大戦戦勝国に極度に警戒、異端視され、米議会での従軍慰安婦問題を巡る日本への謝罪決議に象徴される大きな反発と揺さぶりにあい、わずか一年で瓦解した。この挫折を踏まえ第二次政権は、米国の占領政策と東京裁判をレッドラインとしてこれを決して踏み外さないようふるまい憲政史上最長の政権へ導かれた。

安倍の「憲法改正」提唱は口先だけのものとなった。しかし自衛隊は米軍の補完部隊として統合され対米隷属型ながら世界有数の軍隊となり、防衛力強化を口実に一層強大化している。安倍政権の唱える「戦後レジュームからの脱却」は戦後民主主義を尊重する「軽武装・経済優先」という吉田ドクトリン・保守本流路線の破棄になり、「日本を取り戻す」は米国の主要なコマとして中国を抑止可能な「軍事大国日本を取り戻す」へと変質した。

戦前回帰の情念は台頭した共産中国への敵意へと置き換えられた。中国を嫌悪し、韓国を蔑みながら、米国の後ろ盾を得て、欧米(米英アングロサクソン)と対等に渡り合える冠たる国となるー。こう志していた安倍が外遊の度に口にした「世界の中心で輝く日本」とは、対米隷属と中国台頭という現実に煙幕を張りながら、G7に象徴される世界の主要国としての日本への誇りを国民に訴えることだった。

それでも安倍が東京裁判を否定し、皇国史観を尊んでいるのは疑いの余地がない。一方で、”教育係”の一人として重要な役割を果たした岡崎は「アメリカの世論というものは国際政治における与件と考えるべきもの」「アングロサクソン(米英)との協調は最優先すべきもの」と若き安倍を諭し続け、ワシントンやニューヨークの米政財界人脈との交流を斡旋した。安倍の親米右派路線は元々ひどくねじ曲がっていた。

■自衛隊合憲への執着

国家存立の基礎は、安全の確保国防)にある。そのためには同盟国との集団的自衛権行使は不可欠」と叩き込まれ、自民党の党是とされる憲法改正の早期実現を訴えた安倍は米国に改憲を禁じられ行き詰まった。窮余の策として2017年5月の憲法記念日に打ち出したのが現行の憲法9条1項・2項はそのままに9条の2に追加して自衛隊の存在を書き込む案、いわゆる加憲案である。

9条2項の「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を削除しなければ戦力とは何か、否認した交戦権の意味は何かといった議論が続くことは避けられない。安倍案では自衛隊の存在を含め、どこまでいっても9条問題は決着しないとの根強い反対論が少数派ながら自民党内に生まれた。これを強引に押しのけて、1強体制の下、安倍はとにかく自衛隊違憲論封じ込めようとした。

安倍の9条改憲を巡る発言には、いつも自衛隊に対する思い入れ、感情が過剰にみられる。

加憲案を提起した後の2018年に地元山口県下関市で行われた「長州『正論』懇話会」の講演で安倍はこう語った。

「近年でも『自衛隊を合憲』と言い切る憲法学者はわずか2割で、違憲論争が存在しています。その結果、多くの教科書に自衛隊の合憲性に議論があるとの記述があり、自衛官の子どもたちもその教科書で勉強しなければなりません。ある自衛官は息子さんから『お父さん、憲法違反なの?』と尋ねられたそうです。その息子さんは、目に涙を浮かべていたといいます。皆さん、このままでいいんでしょうか」

こんな主張を、国会答弁や演説で幾度となく繰り返した。とにかく「自衛隊員がかわいそう。今のままでは気の毒」なのだ。

■軍事力への憧憬

一方、第二次安倍政権が民主党から政権を奪回した後の集団的自衛権の行使容認を閣議決定する直前の2014年4月4日の参院本会議で民主党政権下で防衛相を務めた北澤 俊美は安倍内閣の提唱した「国家安全保障戦略」について質問した際、「軍事力への憧憬を隠そうとしていない」と語った。

実際、2015年の3月20日参議院予算委員会での答弁で、安倍は自衛隊を「わが軍」と呼称している。当時、官房長官だった菅義偉はこれを弁明し「外国の軍隊との共同訓練していることに対しての質問でありました。そういう質問の中でですね、自衛隊をわが軍と述べたのでありますから、その答弁の誤りということは全く当たらない」と答えにならない答えでその場しのぎした。「集団的自衛権を有する普通の軍隊となった自衛隊の呼称を一日も早く日本軍に」との切望と憧憬によって安倍の口から「わが軍」との言葉が漏れたとみるのが自然であろう

 

北澤が指摘した安倍の「軍事への憧憬」は2016年10月の自衛隊観閲式で最高指揮官として述べた訓示でもその端々にうかがえた。中でも以下の「一身を投げうつ海上自衛官と息子の物語」が際立つ。

写真】観閲式に参加中の海上自衛隊、朝霞訓練場で

 

 

 

 

「ひとたび洋上に出れば、数か月、家に戻ることはできない。身重の奥さんを残し、家族の健康と、まだ見ぬ我が子の順調な成長を祈りながら、任務にあたった自衛隊員もいます。

24時間、365日、自衛隊は眠りません。我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。その強い決意を持って、厳しい安全保障環境の下、この困難な任務を黙々と果たす諸君に対し、この機会に改めて、心からの感謝の意を表したいと思います。

イージス艦一筋。一人の海上自衛官が、5日前、31年に及ぶ自衛隊人生に幕を下ろしました。
『父は、ほとんど家にいなかった。たまにいても、ゴロゴロしていた。』
高校2年生となった息子さんは、そうした父親に反発した時期もあったそうです。
今月、同じ艦(ふね)の仲間が開いた送別会に、息子さんも招待されました。
その場で目にした写真には、家では見たことのない厳しい表情で、真剣に任務に打ち込む、若かりし日の、制服を着たお父さんの姿がありました。
乗員たちからは、お父さんがミサイル防衛の最前線でいかに重要な役割を果たしてきたか、どれだけ多くの後輩たちから尊敬を集めてきたか、代わる代わる、話を聞いたそうであります。
送別会の最後、マイクを握った、その息子さんは、こう述べたそうであります。
父の背中が、今日ほど大きく、偉大に見えたことはありません。』
そして、こう語りました。
僕も、お父さんのように、立派な自衛官になります。』

■浅薄な反共心情

観兵式・閲兵式を言い換えた自衛隊観閲式での発言とはいえ、安倍の言葉には軍人を特別に敬う感情がにじみ出ている。安保法制懇の2007年報告書に盛られた「国家存立の基礎は、安全の確保(国防)にある」との文言は安倍の心情そのものではなかろうか。安倍にとって、天皇を大元帥として頂く皇軍を擁した戦前日本こそ「美しい日本」であり、占領憲法を唾棄し、自立した軍隊を再び保有することが「日本を取り戻す」ことだろう。靖国思想に一点の疑問も抱いたことがないと思われる安倍が戦前回帰の情念や皇軍への憧憬にとらわれた学識乏しい反共主義者であるのは間違いない。

安倍の浅薄反共心情は、政権離脱期(2009~2012)に自民党総裁だった谷垣禎一が日本人記者に対し労働者保護政策について語っているとその背後を歩きながら、「谷垣さん、それは唯物史観だよ。唯物論」と軽々しい口調でヤジって立ち去った姿を記録した映像にはっきりと見て取れた。(続く)