覇権の移行期に立つ世界と、日本の150年の帰結

二十一世紀の第三の十年に入り、世界は静かに、しかし確実に「戦後」という時代の終わりへと向かっている。ウクライナ戦争、ガザ危機、イラン・ベネズエラへの圧力、そしてトランプが口にした「次はキューバだ」という言葉。これらは単なる地域紛争の連鎖ではない。むしろ、米英中心の戦後秩序が揺らぎ、覇権の移行期に特有の“力の空白”が世界各地で噴き出していることの証左である。

覇権の移行期は、歴史上もっとも危険な時代だ。十九世紀末から第一次世界大戦に至る過程がそうであったように、既存の覇権国が衰退し、新興勢力が台頭し、周縁の地域で火種が連鎖する。いま世界で起きていることは、まさにその再演である。

米国の相対的衰退。中国の台頭。ロシアの抵抗。BRICSの拡大。グローバルサウスの自立。欧州の弱体化。中東の再編。そしてドル体制の揺らぎ。

これらは互いに無関係ではない。むしろ、「ポスト冷戦の一極支配が終わり、多極化へと移行する過程で必然的に生じる“地殻変動”」である。

覇権の移行期は危険である。しかし、この危険の意味を正しく理解するためには、いま世界で繰り返される政治言語――「力による現状変更を許さない」というフレーズの本質を見抜く必要がある。

■ 「力による現状変更」の本当の意味

日米両政府はこの言葉を、まるで普遍的な正義のように繰り返す。しかし、その実態はきわめて政治的で、きわめて恣意的だ。

本来、現状とは歴史の産物であり、力の均衡の結果であり、永遠に固定されたものではない。にもかかわらず、日米は「現状」を絶対化し、それを守ることを“正義”と呼ぶ。だが、その正体はこう言い換えられる。

「自分たちの既得権益を脅かす秩序変更は、決して許さない」

これが、戦後秩序の本音である。

だからこそ、中国、ロシア、イラン、ベネズエラ、そしてキューバに対する圧力は、“民主主義の防衛”でも“国際法の擁護”でもなく、米英中心の秩序を維持するための“力の行使”
として理解すべきだ。

■ メディアが作り出す「ならず者国家」像

日本のテレビやネット空間では、中露=力による現状変更を行う危険なならず者国家
という図式が、ほとんど疑われることなく流通している。しかし、これは“情報空間の植民地化”の結果である。

日本のメディアは、米英の安全保障言語をそのまま輸入し、世界を「善と悪」「秩序と破壊」という単純な二項対立で描く。だが、世界の大多数――BRICS、SCO、グローバルサウス――は、この図式をまったく共有していない。

なぜか。

■ BRICS・グローバルサウスの「現状変更」観

BRICSやグローバルサウスの国々にとって、“現状”とは、 植民地支配の残滓、不平等な貿易構造、ドル覇権、IMF・世界銀行による構造調整、米英中心の国際秩序ーのことである。

つまり、彼らにとって“現状”とは、自分たちを抑圧してきた秩序そのものなのだ。だから、彼らはこう考える。

「現状を変えることこそ、歴史的正義である」

これが、BRICS・グローバルサウスの世界観である。日本のメディアが描く「ならず者国家」という図式は、世界の多数派から見れば、“米英の既得権益を守るためのプロパガンダ”にすぎない。

■ 覇権移行期の危険性と、日本の進路

ここで重要なのは、米英が「現状維持」を叫ぶほど、世界は「現状変更」を求めて動く
という構図である。

覇権の移行期とは、既存の覇権国が現状維持を叫び、新興勢力が現状変更を求め、周縁で火種が連鎖し、 情報空間が分断され、世界が二つの“真実”に割れる時代である。

いま、まさにその真っただ中にある。そして、この危険な時代こそ、日本が中立・共和制へ向かう唯一のチャンスである。

■ 日本の150年の帰結

日本は明治維新以来150年、常に「外部の大国の秩序」に自らを合わせてきた。幕末・戦前は英国、戦後は米国。

その結果、日本は自らの国家像を自らの手で描く機会をほとんど持たなかった。
その帰結が、いま目の前にある。

長期停滞、低賃金、非正規雇用、教育と医療の劣化、地方の衰退、出生率の急落。日本のマジョリティは、静かに、しかし確実に貧困化しつつある。

米国が危機感を抱いているのは、日本の庶民ではない。日本の支配層、技術エリート、軍事・経済のパートナーとしての日本が“弱すぎる”ことに対してである。庶民の生活は、米国の戦略の外側に置かれている。

だからこそ、日本が自らの未来を取り戻すためには、外部の覇権構造に依存しない国家像を構想する必要がある。

■ 未来への選択

日米欧内部では、新自由主義の終わりを告げる運動が台頭している。米国では民主社会主義者がニューヨーク市長となり、若者の支持を集めている。欧州では福祉国家の再評価が進み、北欧モデルが再び注目されている。

一方、BRICS・SCO・グローバルサウスは、米英中心の金融・軍事・情報秩序から距離を置き、多極化・地域主権・脱ドルを掲げている。

この二つの潮流――日米欧内部の脱ネオリベ運動と、グローバルサウスの脱米英運動が結びつくとき、世界は「多極・福祉・共和」の方向へと動き始める。

そのとき、日本にも初めて、中立・共和制・全方位外交という選択肢が現実性を帯びる。

日本が自立するための条件は、戦後の「皇国史観の残滓」と「対米従属構造」を同時に超えることだ。これは容易ではない。だが、世界が揺らぐいまこそ、日本が自らの国家像を描き直す唯一の機会である。

覇権の移行期は危険である。しかし、危険だからこそ、従属国家が自立へと踏み出す余地が生まれる。日本がこの歴史的転換点を、「衰退の加速」ではなく「再生の契機」とし掴めるかどうか。それが、これからの十年に問われる。

そして、この問いこそが、明治近代化以降の150年の歴史を振り返り、未来へと向かうための最後の章である。