財務高官が電車内で暴発した理由 財政健全化損なう米の軍拡指示と官僚の凋落

バイデン米大統領の訪日を直前に控えた5月20日未明、酒に酔った帰宅中の財務省高官が電車内で乗客に暴行をはたらき現行犯逮捕された。東京で行われた日米首脳会談での最大の懸案事項は日本の軍備拡大すなわち防衛予算大幅増を米側に確約することである。件の財務総括審議官は来年度予算案と財政健全化に向けた基本方針取りまとめの責任者といわれる。19日には安倍晋三元首相が最高顧問を務める自民党財政政策検討本部から禁じ手の防衛費増のための国債発行を認めるよう迫られフラストレーションは頂点に達していた模様。日米安保体制下、この財務官僚は宗主国米国がごり押しする対日軍拡要求の人身御供にされたとも言える。

【写真】米軍横田基地に5月22日に到着したバイデン米大統領。米国の「占領地」で米軍が自衛隊を指揮する「米日統合司令本部・共同統合作戦調整センター(BJOCC)」の置かれる横田はトランプ前大統領が初めて訪日の際利用した。バイデンはこれを踏襲。翌日の公式行事の皮切りに天皇との面談を行い、日本が米国の支配下にあることを誇示した。

 

5月23日に開催された日米首脳会談では、岸田首相は日本の防衛費について、北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国並みの国内総生産(GDP)比2%程度を「念頭」に増額していく方針を伝えた模様。会談後の共同記者会見では、「安全保障環境が一層厳しさを増す中、バイデン大統領と日米同盟の抑止力・対処力を早急に強化する必要があることを再確認した」と述べ、中国、ロシア、北朝鮮の拡大する脅威を踏まえて「日本の防衛力を抜本的に強化していく」と決意表明した。 ただしNATO並み増額は安倍政権時代にとっくに事実上公約としてきた案件だ。

安倍元首相は4月26日に続き、米大統領訪日直前の5月20日、「防衛国債」の発行を改めて口にした。財政健全化を唱える財務省が強く訴えるのは2025年度プライマリーバランスPB:基礎的財政収支)の黒字化目標である。PB目標は、占領下に施行された、建設国債以外の国債発行を原則として禁じる財政法4条に基づく。財政法は先の大戦を賄った戦時国債の大量発行を反省し、戦争放棄と戦力不保持を謳った憲法九条を「裏書」する形となっている。安倍元首相らはこの財政法も戦後レジュームの象徴として攻撃している。

5月20日付の毎日新聞デジタル版は「財務省幹部は『(平時の防衛費を)借金で賄うようでは有事は耐えられない。安倍さんたちは財政を真面目に考えているのか』と憤る。」と伝えている。この財務省幹部が暴行容疑で逮捕された小野平八郎総括審議官である可能性は大だ。安倍元首相や自民党財政政策検討本部の西田昌司本部長ら積極財政派を装う米軍産複合体代理人に罵倒され、ひどくエリート意識を傷つけられた後、痛飲、泥酔した可能性がある。

2021年現在、日本のコロナ禍対策費は230兆円。米国に次ぎ世界2位だ。この結果、日本の累積債務額は1000兆円を超え、対GDP比258%と世界最悪となっている。日本は先の大戦中、軍事費に充てる戦時国債という膨大な債務を敗戦後のハイパーインフレ、預金封鎖、新円切り替えで帳消しにした。政府の累積債務は現在、この時と同じGDP比2倍を超えている。

政府・自民党筋やメディアからは「政府債務は税金で償還せず、日銀が保有する国債と相殺すれば済む」「日銀が刷っているお金で相殺される」などの楽観論が流されているが、その実態は極めて深刻である。財務省が発行している国債は日銀が新規発行したお札で購入しているのではない。かつてのように政府債務を帳消しするには、民間金融機関が日銀に預託する準備預金と相殺されることになり、その元手になっている国民の預金がその分消滅することを意味する

30年に及ぶ停滞の末、成長を見込めず衰退へと向かう日本経済。「成長なくして財政再建はない」という積極財政派の主張は無責任な空論である。日本経済を成長軌道に戻す処方箋は見いだせないままだ。際限なく続けた消費税増税も目的とされた社会保障・福祉にはさして宛てられていない。これを国民が知り、防衛国債発行に加え税収を不足する軍拡費追加に消費税の一部を回すようなことになればさすがに大勢順応してきた物言わぬ有権者も怒り爆発するのではないか。

1990年代までの霞ヶ関では局長同等職の財務省総括審議官は運転手付きの省専用車で送り迎えされていたはず。少なくとも深夜帰宅の際は省庁舎前にずらりと並ぶタクシーを利用できた。今や疲れ果て、酒を煽った末、平サラリーマンと同様、午前零時過ぎの混雑する最終電車で帰宅しなけばならなくなっているとは驚きだ。

中央官庁のキャリア官僚も国の財政が破たんへと進むのを憂慮してか、ささやかな経費節減に努めているようだ。局長以上の人事権も官邸の内閣人事局に握られ、予算の元締め財務省は次官らが月刊誌で財政再建を唱えた末、袋叩きにされた。凋落する霞ヶ関官僚の矜持が深夜電車の中で捻れて噴出したのなら憐れと言える。

明治以来の日本の官僚制も桎梏と化した。体制の転換を考える時期に際会している。