米政権の豹変と安倍国葬 「血を流せる国」にすると冷遇一転し絶賛

岸田首相が7月14日に「安倍元首相の国葬を執り行う」と発表するやいなや激しい反対の声が沸き起った。ところが、日本政府は8日後に国葬は9月27日に日本武道館で」と閣議決定。世論調査で「反対」が過半を占め、内閣支持率が急落しようと頑なに異議申し立てに蓋をし、嵐の収まるのを待つ構えだ。この問答無用の構えは第3次アーミテージ報告書(2012年)に指示されての2014年から翌年にかけての安倍政権による集団的自衛権行使容認と新安保法制採決を巡る強行突破を想起させる。東西冷戦終結とソ連崩壊後の歴代政権の対日安保政策の核心は「米軍の指揮の下、日本の自衛隊を集団安保体制に参入させる」であった。日米摩擦が頂点に達した1980年代、米側は「安保ただ乗り解消」「責任分担」をヒステリックに叫んだ。この要求を100%叶えたのが第二次安倍政権(2012-2020)である。これを機に米政権は安倍を絶賛し始めた。ワシントンが安倍冷遇から礼賛へと一転した経緯を追うと、9月国葬は安倍安保政策の「偉大さ」を内外に向けアピール、同時にペロシ下院議長訪台を契機に危機緊迫を演出しつつ、対中冷戦態勢の強化を目的に、「安倍の遺志継承」を各国に呼び掛ける米国のキャンペーンではないのかとの疑念が強まる。
■原点となった湾岸戦争:「血も流せ」
上記米国サイドの意向を英誌「エコノミスト」元編集長のビル・エモットがずばり代弁している。エモットは7月24日付毎日新聞デジタル版でこう述べた。

「安倍晋三氏の悲劇的な死によって彼の残した遺産に注目が集まっている。最大の功績が外交安全保障政策であったことは疑う余地がない。2022年の日本の外交スタンスが、安倍氏が首相に復帰した12年当時と比べはるかに明確で力強くなったという事実は、やり残したことが多くあるとはいえ、論じるまでもない。

日本の外交政策がどれほど変化したかを考える時、私は1980年代に英誌「エコノミスト」東京支局長だった頃を思い出す。当時、安倍氏の父、晋太郎氏が中曽根康弘政権で外相を務めていた。……

80年代、日本外交で目を引いたのは二つの目標だった。貿易摩擦をうまく処理しつつ、中曽根氏の発言のように「不沈空母」として米国と親密であり続けること。そして、他国を怒らせないよう控えめな態度に終始するとだった。晋太郎氏は「全方位外交」と呼んだ。受け身姿勢で誰とでも話をするが、明確で具体的な発言はほとんどない…」

ソ連が崩壊した1991に安倍晋太郎が逝去。米単独覇権に向けたネオコンによる新世界秩序構築戦略となった国防総省ドクトリンが作成されたのは翌1992年。さらにその翌年に息子安倍晋三は三世議員として政界入りする=写真=。米保守支配層が安倍を「外交について明確で力強い、具体的な発言をする日本のリーダー」としてもてはやすようになるにはこれから約四半世紀を要した。

それは1991年湾岸戦争に際し米国に自衛隊派遣を求められ驚愕した日本政府が代わりに当時の防衛予算の3割に該当する130億ドルを供出するも「カネだけでなく血も流せ」と罵倒されたことに端を発する。2012年末に第二次政権を発足させた安倍は自衛隊に米軍とともに集団的自衛権を行使させ得る新安保法制を成立させ、戦後日本を再び「国外で軍事力を行使でき、血を流せる国家」とした。経済大国となりながらも専守防衛を国是とした日本に1970年代から政策変更を促すべくバッシングし続けたワシントンはようやく留飲を下げたのである。

湾岸戦争を契機に、自衛隊が海外派遣されるようになった。だがそれは国連平和維持活動(PKO)、ペルシャ湾での機雷掃海、インド洋での給油による後方支援、イラクでの復興支援など建前上「血を流すことのない非戦闘地域での活動」に限定されてきた。

■第一次政権の挫折と米国の教育

「同盟国軍との集団防衛の輪に加わり米軍とともに血を流せる」自衛隊となるにはまだ道半ばであった。イラクやアフガニスタンで戦闘を継続する米軍と有志連合軍への自衛隊の後方支援活動が続く2006年に発足した第一次安倍政権は1年足らずの短命に終わる。

第一次政権を「美しい国づくり内閣」と命名し、「戦後レジュームの脱却」を唱え、憲法改正、東京裁判の否定、歴史修正主義、アジア侵略の事実上の否認、従軍慰安婦問題での日本軍関与を否定、教育勅語の称賛、防衛庁の省への昇格など米国による占領下で付与された戦後民主主義に挑戦する復古主義的な動きはネオコン支配のブッシュ保守党政権にすら受け入れられず挫折、出直しを迫られた。

2012年末に再登板した第二次安倍政権を当時のオバマ政権は依然として警戒、嫌悪して安倍首相を徹底冷遇した=写真=。安倍は2013年年明け早々のワシントン訪問を打診したが、「米国離れの著しい東南アジア諸国を回ってからやって来い」と拒絶された。ASEAN3か国を訪問して3月に訪米したものの、恒例のホワイトハウス庭での共同記者会見は省かれ、形ばかり開かれた午餐会でオバマ大統領が座ったテーブルに置かれたのはミネラルウオーター1本だけ。日本外務省幹部は「こんな首相訪米は初めて」とショックを隠さなかった。

冷め切った空気のホワイトハウスを後にした安倍が駆け込んだのが対日司令塔と言われた超党派の米シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」である。そこには一次政権崩壊後に安倍の”教育係”となったと言われたネオコンの論客ルイス・リビー、そしてマイケル・グリーン、リチャード・アーミテージ、ジョセフ・ナイらのお馴染みのジャパンハンドラーと言われる面々が待ち受けていた。

戦略国際問題研究所(CSIS)は第二次安倍政権発足の直前2012年8月、第三次対日政策提言書・アーミテージ・ナイ報告書を公表。第二次安倍政権は第三次レポートに盛り込まれた集団的自衛権行使容認、原発再稼動、環太平洋経済連携協定(TTP)推進、秘密保護法、武器輸出三原則の撤廃をことごとく従順に政策化した。要となるのが集団的自衛権行使容認であったのは言うまでもない。提言書冒頭には「日本は一等国に留まりたいのか。二等国でよいのならこの報告書は必要はない」との文言が盛り込まれていた。

CSICでの演説で、安倍が真っ先に口にしたのは「ただいま帰りましたI'm back.)」。続いて、口元を緩めながら「もちろん二等国にはなりたくありません」と語った。この安倍発言は、日本の統治機構を取り仕切っているのは、誰で、どんな集団かを白日の下にさらしてしまった。自分を首相の座に戻すため尽力してくれた人々の下に”帰還”した安倍は「全力であなたたちの提言を実現する」と誓ったのだ。

■「ハーマン・カーン賞」の授与

米国側の第二次安倍政権に対する強面な態度は同政権が集団的自衛権行使容認へ向けた動きを進めるにつれて次第に和らいでいった。

2013年7月、第二次安倍政権に対し、日本の集団的自衛権の問題と日本国憲法の関係整理及び研究を行うための、首相の私的諮問機関・安全保障有識者懇談会(正式名称:安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が集団的自衛権行使容認へと大きく動いた。柳井俊二座長は「今までの政府見解は狭すぎて、憲法が禁止していないことまで自制している」「集団的自衛権の行使は憲法上許されている。国連の集団安全保障への参加は日本の責務だ」と発言。続いて8月、安倍内閣は憲法解釈をつかさどる内閣法制局長官に容認派の外交官を任用した。法制局長官人事は同次長の昇任が慣例であり、外務官僚任用はごり押し人事だった。安倍は反対意見には一切耳を貸さず翌2014年7月の行使容認の閣議決定に向かって突き進む。

こんな中、米国の有力保守系シンクタンクであるハドソン研究所は2013年9月、当時の安倍首相に同研究所の創設者の名を冠した「ハーマン・カーン賞」を授与した。授賞理由の中で安倍は「日本が活力を取り戻すために必要な改革を前進させようとしている変革期のリーダーである」と称賛された。

WSJ紙によると、同賞は保守的な立場から国家安全保障に貢献した創造的でビジョンを持った指導者に贈られているもので、米国人以外では安倍が初めての受賞となった。それまで、ロナルド・レーガン元大統領、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ジョージ・シュルツ元国務長官、ディック・チェイニー元副大統領など米国の名だたる保守派指導者が受賞してきた。安倍への授賞にはあまりに露骨な政治的目論見が透けて見えた。

日本の民主党政権下(2009-2012)、野党議員となった元首相安倍と深く交流したとみられるネオコンの論客でチェイニー元副大統領首席補佐官などを歴任した上記ルイス・リビーは当時のハドソン研究所上席副所長2013年9月25日にニューヨークで行われた授賞式で安倍にトロフィを手渡したのがほかならぬこのリビー副所長であった=写真=。

この際、安倍は「米国の築いたグローバルな安全保障の輪の弱い鎖とならないように日本の安全保障体制を刷新する」と決意を述べ、翌年の集団的自衛権行使容認の閣議決定とそれに続く新安保法制定へ向けての揺るぎない自信を示した。それは事実上の対米誓約となった。

その後、安全保障有識者懇談会が2014年5月、内閣に「集団的自衛権の行使は認められるべきだ」との報告書を提出。これを受け、安倍内閣は内閣法制局の合憲とのお墨付きを得て同年7月に行使容認を閣議決定した。併せてワンセットとなる国家安全保障会議(日本版NSC)を発足させ、特定秘密保護法を制定した。

これをばねとして翌15年に新安保法案の強行採決へと突き進んだ。この強行採決には1960年安保条約改正反対以来の激しい大掛かりな抗議運動が起きたのは記憶に新しい。衆議院では自民党推薦の参考人となった憲法学者までが「集団的自衛権行使容認は憲法違反」と明言する中、安倍政権は衆参両院で数の力で採決に持ち込み法案を成立させた。

■オバマの演出と激励:国賓待遇で訪米

新安全保障法案の国会審議を控えた2015年に入ると、当時のオバマ政権は安倍首相への態度を180度転換する。4月末に安倍を国賓級として米国に招いたのだ。ワシントンでは上記2013年の冷遇が信じられないほど一転した厚遇と安倍絶賛が待ち受けていた。

その訪米はまさに驚くようなサプライズ尽くめだった。まずビジネスライクの付き合いに徹してきたオバマ大統領は自らリンカーン記念堂に安倍首相を案内した=写真=。晩餐会や共同記者会見では俳句の中の一節を引用するなど日本語を連発し、次々とサプライズを演出した。中でも、安倍招待が「同盟強化」を目的にしていることを「オタガイノタメニ」とひと言で表現して見せた。さらに締めくくりにツイッターで「チカイウチニ」と送信した。翌6月にドイツで開催予定のG7サミットで再会しようとのメッセージだった。

最大のショーは、米連邦議会上下両院合同会議に日本の首相として初めてに招待され行った演説だった。「希望の同盟」と銘打った安倍演説のハイライトは「自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟はより一層堅固になる。戦後、初めての大改革である。この夏までに成就させる」との決意を述べたことだ。議員たちは演説に幾度となくスタンディング・オベーションをもって応え、この演説が第二次大戦後の日米関係に一つの区切りをつけ、これを大きく転換させるとのムードを盛り上げた。それはテレビなどを通じて放映される画像を見つめる日本人へのメッセージでもあった。

安倍のこの決意表明は、「かつての敵対国が不動の同盟国」となり、日米は「国境のみによって定義されない」「グローバルな射程を有するようになった同盟」との共同声明を出した日米首脳会談を補完した。声明と併せ、日本が「自由と民主主義という価値を共有する米国とグローバルな射程で血を流してでも戦う国へと転換した」と訴えたのだ。ある論者は「日本が現下の世界史的岐路において米国の側に絶対的に立つと誓約した」と表現している。

新安保法制は安倍帰国直後の5月下旬に衆議院で審議が始まり、7月に採決。9月には参議院で採決され成立した。安倍が米議会で示した「戦後初の大改革はこの夏までに成就させる」との決意は言葉通り実行された。

米国がかつてなく日本の首相を歓迎し称賛したのは、1960年安保反対運動の劇的高揚と反米ムードの再来を恐れたからであろう。ワシントンにとって、集団防衛ができる自衛隊を米軍の指揮下に組み込むことは、台頭した中国が脅威となった今日、米国の覇権の維持、強化に不可欠だった。安倍を国賓級で招待したのは日本の世論をできるだけなだめるためであった。

米誌の賛辞:戦後の終焉

2013年3月に訪米した安倍をオバマが徹底冷遇してCSISに駆け込ませたのも仕組まれたものと思える。集団的自衛権行使の実現が近づくほど安倍はワシントンでは偉大な指導者として称賛されるようになる。安倍とその取り巻きはこの激変に歓喜したに違いない。新安保法の成立から1年経た2016年、オバマは米国大統領として初めて広島を訪問し、原爆犠牲者を慰霊した。続いて安倍は真珠湾をオバマとともに訪ね、米国との和解を演出する。

日本が国外で同盟国軍と集団防衛できる戦力を持つことは、安倍が米議会演説で強調したように「戦後初めての大改革」だった。敗戦国日本の平和主義に幕が引かれ、戦後は終わった。疲弊する日本の経済を犠牲にしてでも、軍拡を志向し、自衛隊を米軍の力強い補完戦力にし地球規模で活動可能にした安倍は米国にとって偉大なのである。

安倍の祖父岸信介のCIAコネクションを仲介した米誌「ニューズウィーク」は安倍暗殺の報を受け速やかに「アメリカにとって特別な首相だった安倍晋三」との記事を掲載し、米バージニア州のCIA本部にある殉職者を追悼する「メモリアル・ウォール(追悼の壁)」の前でのスピーチでバイデン米大統領が安倍の訃報について触れ、「祖国と国民への奉仕が彼の骨の髄まで染み込んでいた」と称えたと伝えた。さらに「アメリカだけでなく世界で特別視された安倍元首相と題した動画も掲載した。加えて、「英元外交官が語る安倍氏のレガシー『日本は彼のビジョンを前向きに引き継ぐべき』」「日本史上最高の首相」等々安倍礼賛記事が目白押しとなった。

同じく米誌「タイム」なども特別号を発刊し、安倍を讃えて追悼した。米英に安倍にまつわる数々の内政スキャンダルへの関心はない。否、意図的に目をつぶっているように思える。

 

オバマ政権の副大統領として安倍のアジア外遊に影のように付きまとった現大統領バイデンが安倍の不慮の死を政治利用しようとしないはずがない。米権力中枢にとって、9月国葬は安倍の対中包囲網形成を促す安全保障路線を絶賛して、米・NATOと距離を置こうとする東アジア諸国を取り込むまたとないチャンスとなる。

 

<注:7月17日掲載記事「「日本政府の自発的意思にあらず」 安倍国葬考」を参照されたい>