高市訪米と日本社会の核心的病理 1969年騒乱と沈黙の今ー失われた60年

高市首相が訪米し、米国のイラン先制攻撃を事実上追認し、自衛隊派遣を約束する可能性が現実味を帯びている。国際法の根幹を揺るがす先制攻撃に同調し、後方支援という名の加担を行えば、日本は戦後初めて「侵略行為の共犯国家」として国際社会に立つことになる。これは憲法9条の理念を踏みにじり、戦後日本が守り続けてきた最低限の一線を踏み越える行為だ。

しかし、この重大な局面にもかかわらず、日本社会は驚くほど静かである。1969年、佐藤栄作首相の訪米をめぐって全国で激しい抗議行動が起き、学生一人が死亡、多数の負傷者と2500人を超える逮捕者を出した。国家の進路をめぐって社会全体が揺れ、大学も労働者も市民も、国家権力に対して声を上げた。だが2026年、高市訪米を前にして街頭にはほとんど人影がない。既成政党も、新左翼も、市民団体も、大学も沈黙している。この沈黙こそが、日本社会の核心的病理である。

1960〜70年代の日本には、国家に異議を唱える公共空間が確かに存在した。大学は自治を持ち、労働組合は社会的力を持ち、地域共同体は人々をつなぎ、新聞は政府に対して批判的な視線を向けていた。国家と市民の間には緊張があり、国家の進路は市民の監視の対象だった。しかし60年の歳月は、これらの基盤を根こそぎ奪った。

大学は法人化と管理強化によって国家と市場の下請け機関となり、労働組合は組織率を失い、地域共同体は消滅し、メディアは官邸と広告に従属し、SNSは人々を孤立させた。公共空間が消えた社会では、国家の暴走に対して集団的抵抗が生まれない。1969年と2026年の間は「失われた60年」と言える。

1969年の闘争の根底には、「日本は日米安保体制を破棄し独立国家として進路を選ぶべき」という強烈な問題意識があった。だが2026年の日本では、対米従属はもはや“構造”ではなく“文化”になっている。政治家も官僚もメディアも国民も、米国の意向を前提に行動し、それを疑う想像力を失った。従属は日常化し、異議申し立ての回路は閉ざされた。国家の独立性を問う声は、社会のどこからも聞こえない。

現代日本の人々に国家の進路を問う余裕はない。自分の生活を守ることで精一杯なようだ。非正規雇用の拡大、低賃金、老後不安、医療・介護の負担、子育ての困難。未来を信じて社会を変えようとした1969年の若者とは対照的に、2026年の若者は「生き延びる」ことに汲々とし、ウオッチドッグになれない。生活不安が政治的主体性を奪ってしまった。

メディアもまた、危機を危機として報じる力を失った。米国の先制攻撃が国際法違反であること、自衛隊派遣が侵略行為への加担となること、本来なら社会全体で議論されるべき危機的課題は、ほとんど報じられない。官邸クラブ制度、広告依存、調査報道の衰退、国際法の視点の欠落。報じられない危機は、社会にとって“存在しない”のと同じだ。

高市首相が米国の要請を受け入れ、自衛隊派遣を約束するなら、日本は戦後初めて、国際法違反の戦争に加担する国家となる。憲法9条の実質的崩壊、主権国家としての自立の放棄、市民社会の不在、対米従属の完成。高市訪米は単なる外交日程ではなく、戦後日本の最終段階を象徴する事件である。

沈黙のまま国家の進路を誤れば、日本は取り返しのつかない地点に到達する。必要なのは、国家に従属する社会から、市民が国家を監視する社会への再生である。公共空間を取り戻し、若者が政治的主体として立ち上がり、国際法の視点を社会に根づかせ、国家と市民の関係を再構築することだ。

高市訪米は、日本社会の病理を照らし出す鏡である。その鏡を直視できるかどうかが、日本の未来を決める。

「失われた60年」はどのようにして生まれたのか。現代史の闇に挑む胆力が求められている。