新冷戦への米国の情念「民主化」と体制転換 -22日更新-

自立した自由な市民で構成され、三権分立、民主主義を基礎として作られた「国民国家」。19世紀西欧に端を発し21世紀の今日ではほぼ世界中に定着した。物、金、人、情報が国境(ボーダー)のないかのように越え始めた20世紀末には国民国家の壁を超えるボーダレスなワンワールドを夢見る向きもあった。だが2020年夏、ユートピアは視界から消えた。米国の中国に対する冷戦宣言によって世界は再び2つの超大国が率いる2つのブロックに分断されようとしている。「共産主義の圧政に勝利し、中国を変えければならない」(7月23日、ポンペオ米国務長官)。この「共産中国」転覆に向けた意思を支えるアメリカの情念とは何か。

■「選良」の国

米国には建国以来、世界の「選良」としての発想がある。それはアメリカ例外主義という優越思想に基づく「丘の上の町」との比喩的表現に凝縮されている。丘の上にある町には下から仰ぎ見る視線が絶えず注がれる。同様に、米国社会への視線も絶えず他の世界から注がれており、この社会が全世界の規範になるべきであるとの信念がアメリカにはある。「丘の上の町」はニューイングランドに入植した清教徒(ピューリタン)から生まれた彼らは神と契約した民として、地球上の他の国民を導くために選ばれた「選良」であると信じた。

「丘の上の町」は、国家的宗教弾圧を逃れて新大陸アメリカに渡ったピューリタンたちが作ろうとした「自由で公正な神の国」と同義であり、それはアメリカ独立宣言や合衆国憲法にも反映されている。

しかしながら、米国は第二次大戦後、「世界の警察官」を自称して以来、自らの指導的地位を「脅かす」存在をことごとく敵視するようになった。この優越感は理性を欠く情念となりがちである。

■「啓蒙」と「権益確保」

中国をライバル視する政策はトランプ政権になってからのもので、オバマ政権の優柔不断な関与政策が中国を増長させたとの論調が最近目立つ。トランプ政権をはじめ歴代米政権の対中政策は牽制と関与のバランスで成り立ってきた。オバマ政権は歴史的な太平洋への旋回政策、つまり東アジア最重視策を打ち出し、米国を太平洋国家と位置づけてアジア太平洋地域への米軍の重点配置を実行した。それは海洋進出著しいライバル中国を封じ込めるための措置だった。トランプ政権は関与政策をすてたのであり、その特質は言葉の過激さ、粗雑さにある。

1980年代半ばに太平洋間の貿易額が大西洋間のそれを抜き、東アジアの経済が世界をはっきりとリードするようになった。21世紀に入ると、台頭した中国」、「膨張する中国」に世界の眼が注がれた。8月12日掲載記事「中国巡り、対決から"連携"へ 日米関係史」で指摘したように、米国を太平洋、中国・ユーラシア大陸に向かわせた原動力となったのは「明白なる使命(Manifest Destiny)」という一種の啓蒙スローガンであった。これは「文明は、古代ギリシアローマからイギリスへ移動し、そして大西洋を渡って北米大陸へと移り、さらに太平洋を渡って西に向かいアジア大陸へと地球を一周する」という「文明の西漸説」に基づいていた

この標語はアメリカの膨張を「文明化」・「天命」とみなし、インディアン虐殺、西部侵略を正当化した。19世紀末に「フロンティア」が消滅すると、スローガンは太平洋の西進へと向けられ、米西戦争、米比戦争ハワイやグアムの併合など、米国の帝国主義的な領土拡大を正当化する言葉となった。

 

似顔絵説明:ジョン・オサリヴァン1813年11月15日 - 1895年3月24日)。アメリカ合衆国コラムニスト、編集者。テキサス併合オレゴン・カントリーの境界線引きが問題になっていた1845年に合衆国の西方拡張を正当化する「マニフェスト・デスティニー」という表現を最初に用いた。

 

 

 

絶対優越の情念

ポンペオは共産中国の打倒を宣言したが、中国が共産主義であろうとなかろうと、米国の主流派は一貫して中国を「人権尊重、自由と民主主義の国」に変えるのが使命との欺瞞で身を包んできた。そこには政治覇権、経済権益への強烈な意思、そして自らの絶対優越を示したいとの情念が混在する。

アメリカは伝統的にキリスト教の普及を通じて中国を「文明化」する使命を帯びていると装ってきた。だが第一の目的は、言うまでもなく、利益追求である。換言すれば、中国分割に参入し、自由貿易の名の下、経済権益を最大値にすることだった。ジョン・ヘイ国務長官(当時)は1899年に英、独、露、日、伊、仏の6カ国に対し通牒(Note)を送った。いわゆる門戸開放宣言である。1898年の米西戦争フィリピンを獲得して中国進出に橋頭保を築いた米国は、中国を分割していた欧州列強に機会均等を訴え、自国に有利な国際状況を形成しようとしたわけだ。それはやがて満洲国を巡る日本との対立を招く。

■民主化の裏に体制転換

今日においてキーワードは「文明化」ではなく、「反共」「民主化」を口実とした「反米政権転覆」である。アイゼンハワーの懸念通り、第二次大戦後、軍産複合体の独り歩きが始まり、ウォール街、石油メジャーなどと共に諜報機関の破壊工作を通じて、世界の民主化という名の下、「反米体制転換」と親米政権樹立が繰り返し試みられてきた。これをメディアは「世界の警察官」としての活動と報じる。「反米国家を率いる政治家は犯罪人」で米国が断罪するという傲慢極まりない考えだ。

第二次大戦後の米国の裏の対外活動は、極言すれば、反米国家の体制転換工作と言える。イランでの軍事クーデター(モサッデク政権転覆)、チリのアジェンデ政権転覆、アラブの春、リビアのカダフィ体制崩壊、ウクライナクーデター等々枚挙に暇がない。日本の敗戦後も蒋介石率いる国民党を支援してきたアメリカにとって共産中国は決して受け入れられるものではない。1970代のニクソン大統領訪中に続く文革終焉後に改革開放政策に踏み切った共産中国との”和解”は一時の便宜的なもので、ポンペオの共産中国転覆宣言によって米保守本流の本音がむき出しになったと見るべきだ。

かつての「明白なる使命(Manifest Destiny)」とのスローガンは「自由と人権、民主主義と法の支配の伝道」に代わった。だが現代米国の裏の対外政治工作はこのスローガンを踏みにじっている。それは「天皇を頂く神国・日本が欧米帝国主義者による植民地支配からアジア諸国を解放して建設する大きな屋根で覆われた家『八紘一宇』」と同レベルの思考と情念に依拠していると言っても決して過言ではない。

 

 

■不可避だった米中冷戦

中国は19世紀にかつてない激変を体験した。言うまでもなく、1842年のアヘン戦争以降、1949年の華人民共和国の成立までのおよそ100年間はかつてない屈辱の世紀であった。欧米列強、さらに新興国日本によって世界の歴史ある大国の座から世界の最底辺国の地位にまで突き落とされた。この境遇の激変に思いを寄せねばならない。

一例を挙げる。西太平洋への中国の海洋進出はアメリカによる一方的で覇権主義的な太平洋支配への反攻との見方も必要だ。南シナ海での強引な領有権の主張は、米欧列強が力で作り上げた支配秩序への強烈な異議申し立てではないのか。それは決して是認できるものではないが、米国主導の国際観の歪みにも視線を注ぐべきである。

文革世代の習近平は毛沢東を崇拝する。中国指導部の心の底には、当然ながら、「米帝国主義を打倒して、世界人民を解放する」との決意が潜んでいた。中国サイドも、改革開放政策の大きな成果を受けて、世界の指導国としての立場を鮮明にする時期が到来したと考えているのは間違いない。米中冷戦は不可避であった。

ただ現代中国は市場経済に全面依拠しており、これを社会主義国として理解するのは極めて難しい。「国家資本主義」を共産党の一党独裁で導くという歴史上かつてない実験を行っている。チャイナセブンという党政治局トップ7人の「選良」が14億の民を指導する。今や経済的豊かさの享受と「中華民族の偉大な復興」という前時代的で強烈なナショナリズムでかろうじて国を統合しているようにも思える。30年前にソ連邦があっけなく崩壊したように、その基盤は想像以上に脆弱かもしれない。

改革開放政策は世界を中国製品(Made in China)で埋め尽くした。その享受国は中国だけではない。それ以上に米欧日を主体とする多国籍資本は莫大な利益を得た。対中投資の初期には西側資本は技術移転や知的財産権の譲渡には寛大でいられた。それが40年後、5Gに象徴される中国の最先端技術や軍事力の急拡大に西側はおののき始め、一気に絶交へと向かっている。

米欧日の資本と離別して、中国圏ブロックの形成はどう進むのか。西側は中国の金融、資金力や巨大なサプライチェーンを失う「大出血」に耐えられるのか。我々は歴史的な大変動の時代へと向かっている