安倍昭恵夫人がトランプ私邸に続き、このほどクレムリンに招待されたことは、故安倍晋三がトランプ、プーチンと特別な間柄にあったことを改めて強く印象付けた。一国を担う政治家同士だけにたんに「気が合う」というレベルでなく、政策、政治哲学、歴史観等で相通じるものがあったはずだ。明治維新に伴う近代天皇制の下、下層民はもとより貧困にあえぐ一般庶民を横目に、その人権と生存権を徹底蹂躙して収奪しながら欧米帝国主義列強にキャッチアップしようした大日本帝国。この戦前レジュームを”美しい国”と称えた安倍を到底受け入れられない人々は、三人の連帯ぶりをどう理解すればいいのか。
5月29日にクレムリンで昭恵夫人はプーチン露大統領に「(2022年2月24日にウクライナで戦争が始まると)主人はプーチン大統領に会いたいと言っていたがそれがなかなかかなわないうちに逝ってしまった」と打ち明けた。安倍元首相の妻への告白は、プーチンに対する憂慮に間違いない。米バイデン政権の策略に嵌り、追い詰められてロシア軍をウクライナに侵攻させた挙句、米欧や日本をはじめ米同盟国から一斉に経済制裁を科された。ここぞとばかり非道な人物として悪魔化されていたからだ。
安倍の本音が公の場で発せられた。同年2月27日に民放報道番組に出演した安倍は27回に及ぶ日露首脳会談の中で、プーチンがNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大に強い不満を漏らしていたことを明らかにした。安倍は「NATOへの不信感の中で、領土的野心ではなく、ロシアの防衛、安全の確保の観点から行動を起こしているのだろう」とプーチンの決断に理解を示した。ただし、対米配慮から「それを正当化はしない」と釘を刺して見せた一方で、「プーチンがどう考えているかを正確に把握する必要はある」とロシアへの配慮も滲ませた。
また「NATOはコソボの独立を認めたではないか」と述べ、ウクライナ東部のロシア系住民居住地域ドンバス地方のウクライナからの独立承認支持を示唆した。当時のプーチン断罪一色の中、自民党ばかりか与野党の議員が決して口にできなかったことを口外した。これがワシントンの逆鱗に触れなかったはずがない。

【写真】2016年12月の山口県長門会談で訪日したプーチンとの再会を安倍とともに喜ぶ森喜朗。
安倍のプーチン・ロシアへの肩入れを考える時、2012年末の第二次安倍政権発足から間もなく首相特使としてロシアを訪問した森喜朗元首相の存在を無視できない。森はプーチンが大統領に就任する前から親交を結び、2001年の「イルクーツク声明(1993年の東京宣言に基づき北方四島帰属問題の解決に向け交渉を促進するとの両首脳合意)」など日本の親プーチン外交は、もとを辿ると森元首相から始まっている。2022年7月の安倍殺害後、森は「プーチンばかりが悪者にされているのはおかしい」と公言し話題となった。
安倍、森ともに自民党右派の清和会に所属、東京裁判や日本軍の中国侵略を否定する国粋主義グループである。彼らは対米戦争は米英の罠にはまったものとみている。真珠湾攻撃に始まる対米戦争はグローバリストのルーズベルトとチャーチルの謀略との見方は、東西ドイツ統一に際してロシアにNATO不拡大を約束しながらジョージア、ウクライナにまでNATOを拡大しようと試み、ロシアを追い詰めてその崩壊をたくらむ現代の米英グローバリストの謀略への反発と重なる。
実際、安倍殺害後、旧安倍派幹部議員の中から「米NATOのウクライナ支援は日中戦争時に援蒋ルートで中国軍を支えた米国と同じ。ウクライナ戦争で我々は米国を糾弾すべき」との本音むき出しの声が上がった。「米国と100%ともにある」との安倍の常套文句の裏にはプーチンと気脈を通じる反アングロサクソン・反グローバリズムが隠されていた。安倍、プーチンはここで意気投合したのではないか。このことをワシントンは容易に見て取っていたはずだ。
それではトランプと安倍はどうなのか。安倍は2016年11月米大統領選でのトランプ当選の報を聞き狼狽えた。外務省筋や側近はヒラリー・クリントン当確で太鼓判を押していたからだ。南米ペルーでのAPEC会合出席の途中に慌ててNYに立ち寄る。大統領当選者が就任前に外国首脳と面談することはない。それでも安倍は機内からしつこく電話した。当然、トランプは断ったという。
ところが数時間後、安倍の姿はNYのトランプ私邸の中にあった。トランプとその家族、側近らと懇談していた=写真。安倍は安堵した表情で「トランプ氏は信頼できる指導者だと確信した」と語った。安倍はいったん断られたトランプ次期大統領になぜ会えたのか。そのカギはプーチンの言葉ではなかろうか。
トランプは今年5月25日、「プーチン氏とは長いつきあいで、いつもうまくやってきた」と語った。「長い付き合い」とは2017年1月にトランプが大統領に就任後のヘルシンキでの公式会談以降の話ではない。ヒラリー・クリントン一派にロシアゲート事件を捏造されるほどトランプとプーチンの付き合いは長く深いものとみられる。モスクワにトランプタワー建設の話が出たのは2000年代という。トランプはロシアと融和して大型の経済開発プロジェクトを目論んでいたらしい。
プーチンと二次政権の安倍晋三との初の首脳会談は、2013年4月29日にモスクワで行われた。両者の首脳会談は安倍が退陣した2020年までに27回に及んだ。それは北方領土問題や経済協力案件などありきたりの課題討議ではとても続かない回数だ。両者の信頼を決定的に深めたのは2014年のロシアによるクリミア再併合を巡る西側の対ロシア制裁とみられる。
日本も制裁に参加したが、安倍側近の采配で内実のない名ばかりのものとしたとの指摘がある。これを受け、2016年から両者の会合は頻繁となり、同年5月のソチ会談や、同年12月の山口県長門会談は重要な節目とされている。2014年にロシアを主要先進国首脳会議(G8)から排除した当時のオバマ米大統領は「G7の結束を乱す」として2016年の一連の日露会談に強い難色を示した。
この2016年の11月に当選したトランプはNYトランプタワーに押しかけようとする安倍という人物についてプーチンに緊急に問いただした可能性がある。プーチンの答えは「あなたと同じ。彼は米英エスタブリッシュメントには面従腹背の反グローバリスト」との趣旨の言葉だったのではなかろうか。トランプが数時間で「安倍と会おう」と気持ちを一転させたのはこのようなショックが要ったはず。
謎といえる「トランプ、プーチン、安倍晋三の絆」の内実を知るために、安倍晋三の対米隷属の裏側は徹底して掘り起こす必要がある。元来安倍は第二次大戦後の米国主導の国際秩序、すなわち日本の戦後体制を否定していた。第一次政権(2007~08)ではもろに「戦後レジュームからの脱却」を唱えてワシントンを挑発し、政権は1年ももたずに瓦解した。2012年末に発足した第二次政権では財政出動、金融緩和、投資促進で株高誘導を主眼とする経済政策・アベノミクスを前面に出し支持率を上げながら、ジャパンハンドラーの言われるまま集団的自衛権行使容認と自衛隊の米軍補完部隊化を達成した。
ところが一方で世界支配を目指し絶えず地上に戦火を誘因てきた米英グローバリズムと対決するプーチンとの”連帯”に突き進んだ。米国主導による既存の世界秩序の刷新を叫ぶトランプとウマが合わないはずがない。ワシントン、ニューヨークの米権力中枢の激怒を招くのは必至なのになぜあえて虎の尾を踏み続けたのか。それは安倍暗殺の背景の掘り起こしともなる。
プーチン、トランプともにその背景を把握しているが故に安倍昭恵に深く弔意を示したと思われる。
参考記事:
安倍暗殺と脱亜入欧という呪縛 「攘夷のための開国」の果て③
プーチン政権崩壊狙うブレジンスキー構想 ウクライナ危機と米のユーラシア制覇
「エリート指導の武力行使で世界を変える」 ネオコンの狂気と新左翼の革命論
米政権の豹変と安倍国葬 「血を流せる国」にすると冷遇一転し絶賛