「中立、公正、不偏不党」はどこに 報道ファシズムの再来

日本のメディアは相変わらず示し合わせたかのように、ロシアの主張には必ず「一方的」と付け加え、トランプを「民主主義と自由社会の破壊者」と蔑み、「ディープステート(影の政府)」の指摘を相変わらず陰謀論として切り捨てる。そこには「第二次大戦後に米国が主導してきた自由、民主主義、人権、法の支配を基調とする国際秩序を尊重し維持する」という欺瞞に一切疑問を投げかける姿勢はない。ひたすらトランプ、プーチンを「国際秩序」の破壊者として糾弾し続けている。

個人であれ、組織であれ、政府であれ、その主張は、相手がいるので、「一方的」と言えなくはない。ならば、相手方の主張・反論も「一方的」となる。ところが、ロシアの主張にのみ、この3年ほど「一方的」と執拗に論難してきた。いかに「軍事侵攻した」当事国であっても、その言い分、主張、声明に「一方的に」を付け加える理由はない。「否定の否定」で矛盾を止揚しようとする弁証法的思考は破棄されている。こうして視聴者に「ロシアはとんでもない非合理な国」との嫌悪と憎しみを込めた印象が日々刷り込まれた。

日本のメディアはロシアの言い分に配慮することは「正義に反する」と思い込み、「一方的」の冠をかぶせているのか。それも確かにあろう。だがもっと深刻なのはメディアがファッショ化しているためだ。1970年代半ば、筆者が共同通信社に入社した時、共同の職員手帳にも、新聞労連のスローガンにも、「中立、公正、不偏不党」、「平和と民主主義の擁護」が謳われていた。メディアの使命は「権力の監視」であった。

「中立、公正、不偏不党」を貫くためにはロシアの言い分にも耳を傾けて当然である。少なくとも日本のメディアからは「チェックアンドバランス」「抑制と均衡」の機能が失われてしまった。ウチの会社第一の企業内組合であっても企業活動を抑制させる力はあった。1990年前後の冷戦終焉、ソ連邦崩壊が労働組合の企業活動チェック機能を衰退させ、以降30年で崩壊させた。この「失われた30年」の結果が、権力層、巨大資本の意向を過剰忖度する報道ファシズムの再来である。

本プログは2023年1月に「朝日のプーチン演説批判記事に聴く日本新聞産業の挽歌」と同11月に「「絶望しかない朝日新聞」「稼ぐしかない国立大学」剥げ落ちた戦後民主主義のメッキ」を掲載した。メディアのみならず日本社会はいかにして「チェックアンドバランス」機能を回復させるかが最大の課題に思える。1960年代社会党と共産党の社共共闘で全国に革新自治体が続々と誕生した。60年経ってみると社会党は事実上消滅し、共産党は野党共闘から外され、活動を支える機関紙赤旗の部数激減で消滅へと向かいかねない状況だ。

権力をチェック、抑制する反対勢力が駆逐された日本は下記のように「米国管理下の新翼賛社会」へと向かった。翼賛体制についての解説に要するに、政党もメディアも、軍事的・政治的権力を握っている人間、組織に対して一切批判をせず、彼らの行動についてはひたすら肯定的な姿勢を示し、自身の物理的存在を確保しようとした。」とあった。現下の日本のメディアにぴったり当てはまる。

参考記事:

選挙権、労働基本権…民主主義かなぐり捨てる日本 米管理下の新翼賛体制 6月7日再更新