「中国脅威」論に抗う日中草の根交流 歌手谷村新司の死に際して

歌を通じて中国、そしてアジア諸国との交流を続け絶大な人気を得た歌手の谷村新司さんが亡くなった。谷村さん自身の言葉によると、初めて北京を訪れたのは1981年。日中平和友好条約締結から3年後のことだ。北京郊外の宿舎周辺の道路は未舗装で「土の匂いがした」と懐かしんでいた。それから40年余りが経た。19世紀来の米英による世界支配に挑む超大国となった中国に対し、日本のメディアの大半は嫉妬、憎悪をむき出しにして、ここ20年近く「中国崩壊」待望を念仏のように唱え続けている。日本人に歴史的に刷り込まれてきた中国への対抗心を巧みに「共産中国潰し」に利用しているのが米英主導のアングロサクソン同盟諸国である。注1 2011年尖閣諸島国有化以降、日中関係が決定的に悪化する中、谷村さんは目に見えぬ圧力に抗しながら歌を介して日中文化交流を最後まで続けた。その意志と努力を称えたい。

北京郊外の宿舎周辺で感じた「土の匂い」。この感覚は筆者も共有できる。1980年代半ば、改革開放政策が緒に就いたばかりの北京を訪ねた。当時、外国要人の宿泊できるのは北京中心部にある天安門にほど近い北京飯店だけであった。我々平記者は谷村さんと同様、郊外頤和園近くに投宿した。中国を訪れたのは計5回だけ。北京2回、上海1回、広東・深圳1回、海南島1回である。いずれも1980年代の開放政策をカバーするためであった。広州の珠江沿いに開業したばかりの初の高層ホテルの上階部屋から早朝見出した風景がいまも目に焼き付いている。今にも壊れそうなレンガ造りの住まいを背に七輪の炭火で朝食の準備していた老婆の姿だ。今や中国の都会に暮らす若者には想像すらできない生活であろう。初めて訪れた北京で見た、質素な暮らしぶりをうかがわせる人々の通勤風景も忘れ難い。

【写真】1980年代の北京。 左は中学生の生活ぶり。右は有名な自転車通勤風景。通勤専用道が設けられ、歩行者も車道を歩いている。

 

 

 

 

これ以降は、脱サラし資金不足に苦しみながらさまよった東南アジア各地域から中国をウオッチしてきた。1990年代に入るとフィリピンからの1992年米軍完全撤収とほぼ同時に中国が南シナ海の大半の領有権を主張し始めたのを機に、「力の空白をついた」「国際秩序の現状変更を行う」中国への警戒キャンペーンが始まる。この時期、牧歌的な風景だった北京郊外にも高速道路が幾重にも走り高層ビルが林立し始めた。2001年9月米同時多発テロ(9・11)が発生する数年前から西側メディアも「膨張する中国」の脅威を宣伝するようになる。同時に北アフリカから中東、東南アジアへと延びるイスラムベルトでイスラム過激派の無差別テロが頻発した。9・11直後にはインドネシア・バリで米英豪の観光客の無差別殺傷を狙ったと思える最大規模のテロが起きた。

筆者は基本的にイスラムテロリストの背後で英米諜報機関・破壊工作部隊が暗躍したと確信している。東西冷戦終焉・ソ連崩壊に続く「テロとの戦い」は中国との冷戦を控えたその前哨戦であった。したがって、9・11を受けてのアフガニスタン侵攻は必ずしも米本土攻撃に対する報復ではなく、中国を西側の中央アジアから封じ込め破綻させる体制作りと資源収奪が真の狙いであった。日本は英米やオーストラリアとともに太平洋側からの封じ込めの駒として動き、2010年代には米国との集団的自衛権容認という安保防衛政策の大転換に踏み切った。この動きについては本ブログの数多の論考を参照願いたい。注2

「東夷の小帝国」日本は明治維新を機に中国をも呑み込む「東亜の大帝国」建設を目指した末に大破綻した。今や米国により半永久的に頸木につながれている。このあまりに惨めな「敗戦の軛」はつまるところ中身は虚ろな万世一系の皇統を狂信的に誇示した果ての破局と言わざるを得ない。

谷村さんの中国がらみの大ヒット曲は「昴」である。しかし、筆者は日本のアニメ映画三部作・三国志の谷村作詞作曲のテーマソング「風姿花伝」に注目した。広大な領土の東西南北に多様な異民族を交えて群雄割拠する勢力が中原の覇の争い繰り広げた中国史に照らせば、日本の国家主義者・保守派が万邦無比と誇る皇統などユーラシアの東端に孤立した小さな島国という地理的要因がもたらした「僥倖」に他ならない。3000年以上揉まれに揉まれ続けた中国の底力を侮ってはならない。

「風は叫ぶ 人の世の哀しみを 星に抱かれた静寂の中で 胸を開けば 燃ゆる 血潮の赫は 共に混ざりて 大いなる流れに 人は夢見る ゆえに儚く 人は夢見る ゆえに生きるもの」に始まり、「国は破れて 城も破れて 草は枯れても 風は泣き渡る …」で終わる谷村さんの詞には上海音楽学院で教鞭をとるまでに親密となった中国人の仲間からくみ取った大陸的な視野の大きさを感じる。そこには万邦無比な万世一系といった狭い独善的な世界観を破砕する、万物流転、あらゆるものを相対化してみる弁証法的世界観がくみ取れる。
「人は豊かさ(近代化)を経験して初めて豊かさとは何か(近代)を問える」ー。かつての畏友が1980年代バブル期につぶやいた言葉だ。BRICS、上海協力機構(SCO)へと収斂するG77をはじめ100か国をゆうに超えるグルーバルサウス・途上国は中国を中心に結集している。ロシアがユーラシアの中核国として中国と事実上同盟した。1970年代初頭、ローマクラブは人口増加環境汚染などによる成長の限界を唱えて問題提起したが、「豊かさを経験して豊かさとは何かを問い始めつつある」中国も近代の超克に主導的役割を果たすことだろう。中国社会がより成熟すれば政治・社会体制は自ずからそれにみあったものへと修正されていく。
中国の行く手が再びアングロサクソン同盟やそれに寄生する日本支配層の利益で動かされはならない。注3

 

注2中国脅威論:「ウクライナをユーラシア制覇の突破口に」は米英の野望か幻想か | Press Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男) (yasuoy.com)などを参照されたい。

注3 筆者の日中関係に関する基本的見方は「古代から日本人を縛る中国敵視の超克を 日中関係改善と戦前体制清算のために  | Press Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男) (yasuoy.com)」で示した。