中国脅威論:「ウクライナをユーラシア制覇の突破口に」は米英の野望か幻想か

中国は1978年の市場経済体制への移行を図る改革開放政策に伴い海軍近代化計画を策定した。中ソ対立を利用してソ連封じ込めを促したい米国は一時的にせよこれを支援した。1991年にソ連が崩壊すると、米国は中国が西太平洋への膨張として海軍近代化と海洋戦略を打ち出したのを脅威とみなすキャンペーンを開始、2010年代に入るとついに米中新冷戦が宣言された。イスラム過激派テロを非対称な脅威とした対テロ戦争はソ連解体=東西冷戦終結から米中冷戦本格化までの「冷戦の空白期」を埋めた。「脅威」は米権力中枢の都合でいかようにも転変する。米国の視点にどっぷりと浸かっていると、作られた脅威に踊らされる。ウクライナ戦争は米英の中露解体によるユーラシア制覇に向けたウクライナの対露代理戦争である。中国とともにロシアを脅威に仕立て上げる西側の野望は限りなく幻想に近い。

中国のプレゼンス拡大はもっと冷静に観察する必要がある。例えば、東南アジア諸国は米英日豪を核とする中国包囲網である「インド太平洋構想」の代案として2019年に「インド太平洋に関するASEANアウトルック」という独自の構想を発表した。この構想は「競合ではなく、対話と協力のインド太平洋地域」を目指すとしており、明らかに米英日豪をけん制した冷静な対応である。東南アジア諸国連合(ASEAN)にとって中国は最大の貿易、投資の相手国であり、経済発展には近隣の巨人・中国との互恵関係構築は不可欠なのだ。

中国・習近平指導部が「社会主義現代化強国」とのスローガンを打ち出し「社会主義」の理念を国内に向け前面に出そうと、中国と共存することは言うまでもなく可能だ。今や東南アジア諸国のみならず、インド、パキスタン、中央アジア、中東、アフリカ、中南米の多数の国・グローバルサウスが米国から離れて中国と手を結んだ。シリアのアラブ連盟復帰、イランとサウジアラビアの和解はその象徴となった。

アジアアフリカラテンアメリカ開発途上国77か国によって形成されたグループであるG77(ジーセブンティセブン)は「G77プラス中国」となった。かつて毛沢東中国が第三世界となずけたこれらの国は、中国主導の上海協力機構(SCO)加盟へと雪崩打つ動きを示し、SCOが国連に代わる新たな国際秩序を創造することを期待する声明を出した。これを受け、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に続き上海にパクス・アメリカーナの中核・国際通貨基金(IMF)に代わる新開発銀行(BRICS銀行)が設立。中国はペトロダラーの崩壊を機に米ドル覇権体制に挑んでいる

相手国が中国型社会主義を受け入れなくとも、中国は市民団体、非営利法人などでカモフラージュした破壊工作機関に反政府勢力を支援させ、「民主化」の名の下、政権転覆=体制転換を図ろうとはしない。”民主化”された親米政権はワシントンに手足を縛られた従属国として主権、とりわけ外交の自由を奪われてしまう。1945年8月の日本に民主化を強いたポツダム宣言も形は違うが米英の隷属化に日本を半永久的に置こうとするものだった。米英の狙いは日米安保体制という形で具体化された。米国が日米安保条約という強固な「敗戦の頸木」を掛けたのは、首輪をつけて制御すれば日本ほど使い勝手のよい「経済大国技術強国」はないからだ。