バイデン米政権は7月8日(現地時間7日)に起きた安倍晋三元首相暗殺の報を受け、直ちにホワイトハウスをはじめすべての米政府機関に半旗を掲揚するよう指示した。期間は4日間で10日の日没までだった=写真=。これがいかに異例な措置であるかは、米国では、現職及び元大統領、同副大統領、同連邦議会議長が死亡した時には公式発表から30日間ないし10日間。連邦最高裁判事、国務長官・副長官、各州知事は死亡時から埋葬まで、連邦議会議員は死亡時から翌日までと定められていることで分かる。軍事保護国・属国のしかも元首相である安倍氏に対し、バイデン政権は大統領令を発令し、在外公館、国内外の米軍施設、艦艇での半旗掲揚まで指示している。異例というより前代未聞の追悼というべきだ。
対照的に、日本政府は7月11日から12日まで首相官邸、防衛省など一部の政府庁舎で半旗を掲揚したにすぎない。ところが7月14日になると岸田首相は「9月に安倍氏の国葬を執り行う」と発表し、日本国内では賛否両論、大きな論議を呼んでいる。1967年の吉田茂元首相の国葬の評価はひとまず置き、平和憲法を空洞化した新安保法制の強行採決、何度内閣が潰れてもおかしくないと言われた森友、加計問題、桜を見る会を巡るスキャンダル、保身のための検事総長人事への介入を頂点に、安倍政権の取り返しのつかない負の遺産は枚挙に暇がない。米NATOに管理された形であれ、軍事崇拝・大日本主義に回帰して戦後日本の基本政策とされた「軽武装・経済優先」の吉田路線をかなぐり捨てた安倍政治に対し、国葬に反対の声が上がるのは当然のことだ。
退任から間もない安倍元首相の政治実績の評価が十分に検証されておらず、国葬の法的根拠が欠けているにもかかわらず、岸田政権は反対の声には断固耳をふさぎ続けるだろう。その理由は安倍氏の葬儀の行われた7月12日の前日に米弔問ミッションが官邸に押しかけたことにある。
アジア外遊中のブリンケン米国務長官が11日に急遽来日した。家族葬の執り行われた東京・増上寺への通夜弔問は元々11日に訪日予定だったイエレン米財務長官にまかせ、彼らは首相官邸に乗り込んだ。そして「革新的な指導者、政治家で世界的な地位を持った方。米国と日本両国の関係を新たな段階に引き上げた」との歯が浮くような弔意コメントを表明した。すると間髪をおかず日本メディアは「政府は吉田茂に続き国葬も検討」と報じ始めたのである。
まず安倍側近の下村博文前政調会長が11日に出演したTV番組で「業績は国葬に匹敵する」とアドバルーンを上げ、続いてメディアは「家族葬を終え、政府・自民党は12日、各国弔問団などが参列する大規模な葬儀を今秋に執り行う方向で検討に入った。党内からは戦後2例目となる「国葬」を主張する声も出ている」などとと一斉に報じた。
他言は無用。安倍国葬は日本サイドの自発的意思ではない。
どういうグループのどのような意思であるかは稿を改めて述べる。