『会津藩士と辿る日本近現代精神史』は、すでに序章から第三章まで公開し、耿之介と住職の対話を通して「会津民本倫理」という、日本史の深層に潜むもう一つの近代の可能性を描いてきました。これから物語は、さらに大きなスケールへと広がっていきます。書籍化するので4章以下は非公開となります。
これからは、耿之介が語る会津の精神と、住職が語る戦後日本の心性がゆっくりと重なり始めます。昭和天皇崩御報道をめぐる住職の告白は、戦後日本が抱え続けてきた「服従の構造」「責任主体の不在」を浮かび上がらせ、耿之介の民本倫理と響き合います。ここから、二つの時代の記憶が一本の道へと収束していくのです。
さらに物語は日本を離れ、旧西ドイツへと旅することも検討中です。耿之介は「都市は自由にする(Die Stadt macht frei)」と叫ばれたブレーメンやアウグスブルクなど中世以来の帝国自由都市を訪れ、市民が自ら自由を勝ち取った歴史を体感します。1848年三月革命、フランクフルト国民会議、司法の独立、そしてドイツの記憶文化(Erinnerungskultur)。会津の民本倫理と、ドイツ市民社会の自由精神が、時代と文化を超えて響き合う瞬間が描かれます。
この旅は、日本の中世・近世が「市民不在の近代」へとつながり、明治国家が市民革命の成果を排除して成立したことを、耿之介自身が体感する章となります。会津の「ならぬことはならぬ」と、ドイツの「責任を引き受ける記憶文化」が交差することで、日本近現代の精神史が新しい角度から照らされます。
そして物語は、戦前・戦中・戦後の日本の心性へと踏み込みます。国家総動員、一億玉砕、象徴天皇制、戦後民主主義の形骸化――これらを耿之介と住職が対話しながら読み解くことで、「日本はなぜ市民の自由が根付かなかったのか」という問いが立ち上がります。
これから公開される章では、 会津 × 日本近代 × 世界史 × 記憶文化 × 心性史 が一本の線でつながり、読者を「日本とは何か」を根底から考える旅へと誘いたいと考えます。