自民党総裁に選ばれた高市早苗は公約としていた「内閣総理大臣としての靖国神社参拝」を決して実行することはないだろう。いわゆる自民党支持者の岩盤保守層を中心に膨らんでいた”高市人気”は一気にしぼんでいくことだろう。その理由は再び党副総裁となった麻生太郎が幹事長、総務会長など党幹部を身内・麻生派で固めたため、高市のこれまでの極右愛国ぶりが亡き安倍晋三に感化された末の処世術にすぎなかったことが暴露されていくからだ。
下の参考記事を読めば理解できるように、1955年の保守合同でできた自由民主党はいわゆる近代政党ではない。米ウォール街の都合で結合された2つの日本の草の根保守・反共の保守党が1つの政党であるかのように装ってきた。その証拠に旧自由党のボス吉田茂は鳩山一郎、岸信介率いる旧民主党を嫌い、2年間も自民党に合流しなかった。それでも権力がもたらす無限なうまみ、利権を与えられた与党自民党は以来70年間、派閥抗争にまみれながらも決して瓦解することはなかった。そして今後も分裂したように見えても権力は維持されよう。日本では自民党型政治は死せずである。
麻生派が高市早苗を巻き込んだことによって、極右高市を警戒してみせた公明党は「保守中道」となった「麻生早苗政権」と連立を維持し続けることになろう。これに日本維新や国民民主が連立拡大のコマとなり、少数与党は安定多数与党と化すことだろう。裏で動いているのはロックフェラーの外交問題評議会(CFR)を頂点とする米権力中枢・ウォール街である。現在、自民党崩壊論議が盛んだが、小選挙区制を導入させた彼らは日本に保守二大政党の成立を目論んでいる。仮に党名は変わっても、自民党型支配は半永久的に続く可能性がある。
以下の2022年9月掲載記事からの抜粋を読めば、自由民主党は戦前・戦中の親米宮中グループ・対米協調派と反米右翼・対米戦争推進派との結合体であることが分かる。前者が吉田茂・宏池会→麻生太郎、後者が岸信介→安倍晋三・高市早苗と流れてゆく。戦後後者は親米保守となったが、米権力中枢は後者を使い捨てにかかっている。その象徴が自民党最大派閥安倍派・清和会の解体である。いずれにせよ日本の戦後民主主義は雲散霧消しようとしている。権力を握っているのは戦前戦中の国家主義者・皇室崇拝者の末裔であり、戦後の自由解放に親和的でない輩だからだ。今や自民党への対抗勢力が一掃されて、「日本の戦前」は根強く生き続けることとなった。
■出自対照的な麻生・安倍コンビ
維新の三傑の一人、宮中グループの中心人物だった大久保利通の次男牧野伸顕の娘婿で外交官を経て首相となる吉田茂の孫が麻生太郎である。天皇及び宮中周辺に狂信的な皇室崇拝者を置くことを嫌った元老西園寺公望に「穏健な英米協調派で自由主義的傾向が強い」と見込まれた牧野は1920年代から30年代前半に宮内大臣、内大臣を務めた。吉田は戦前から戦中にかけて岳父牧野や外相幣原喜重郎らの対米協調路線を支え、対米開戦に反対、大戦末期には戦争終結工作グループの中心人物として憲兵隊により検挙・逮捕されている。
米国占領下の1946年5月に幣原喜重郎の後継として戦後三人目の首相となった吉田茂は戦後政治の保守本流派閥「宏池会」の源となる吉田学校で後継人材を育成した。この吉田の娘を母、石炭富豪で吉田側近議員となる麻生多賀吉を父に持つ麻生は39歳で政界入りし宏池会所属議員となる。妹は三笠宮信子。英米型自由主義政治を尊重してきたとされる吉田・麻生一族の系譜は米エスタブリッシュメントにとって最も信頼のおけるものである。
一方、安倍晋三はA級戦犯容疑者として収監されながら米国の冷戦対策・反共政策に全面協力させるため釈放された岸信介を祖父を持つ。岸、安倍はソ連圏の膨張を裏工作で阻止、破壊することを任務としたCIAやカルトの統一教会、右翼国家主義者との濃密な関係構築を余儀なくされた。一貫して米英と軋轢なく結びついた正統派の吉田・麻生一族とは対照的な「汚れた仕事」の担い手という宿命を担った。
だが1979年に政界入り後の麻生のキャリアは決して順風満帆ではなかった。1999年に長年所属した加藤紘一率いる宏池会を離脱、河野洋平グループ(大勇会)の旗揚げに参加。しかし11人の弱小派閥で、領袖河野は親中・ハト派、派のメンバーは麻生を筆頭に親台湾派のタカ派議員が大半なため派閥に求心力がなかった。麻生は2006年に大勇会を継承する新派閥として為公会(麻生派)を立ち上げ、2008年9月に行われた福田康夫総裁辞任に伴う自民党総裁選で会長の麻生が自由民主党総裁に選出された。
しかし、麻生は2007年自民党総裁選に安倍後継で立候補した際、8派閥が福田康夫を擁立して麻生包囲網を形成して総スカンを食らった。総裁に選出された2008年の総裁選でも第二次麻生包囲網が敷かれそうになった。2007年選挙では派閥領袖の総スカンにかかわらず、敗れはしたが、下馬評を覆して197票を獲得した。
2008年に総裁に選出された後は総裁派閥として順調に勢力を拡大したが、2009年の民主党への政権交代選挙で大敗、麻生は自民党総裁を辞任。派閥は10人余りに衰退した。自民党議員の間での麻生への支持は再び下落する。
2012年9月に安倍が再度自民党総裁に選ばれたことが、麻生の転機となった。総裁選では高村派と協力して安倍晋三を支持、当初不利とみられていた安倍を当選させる原動力となったとされる。安倍再登板で影響力の衰えを指摘されていた麻生は一躍党内随一の有力者となった。麻生派も求心力を上げ新人議員を多く獲得、有力派閥となる。
現在では所属議員50人を超え最大派閥安倍派に次ぐ地位を平成会(茂木派)と争っている。既成メディアは、2021年自民党総裁選では第4派閥「宏池会」を率いる岸田は麻生の力で勝利したと伝える。だがその力の源泉について触れることはない。
■副総理から副総裁に:不思議な人事
第二次安倍政権の7年8カ月と後継の菅義偉政権(2020-2021)の1年1カ月の約9年間一貫して副総理兼財務大臣の地位にあり、岸田文雄現政権(2021-)では自民党副総裁に就任、後継の財務相には義弟(妻の弟)の鈴木俊一を据えた。この10年間、総理・総裁に寄り添うもう1人の実質最高権力者であり続けている。麻生が後任者のいない副総理を辞し、前任者のいない副総裁ポストについても、日本の既成メディアは「この不思議な人事」に決して深いメスを入れようとしない。
本ブログは安倍再登板には米国の強力な支援があったと主張してきた。麻生派が高村派と協力して安倍を再度自民党総裁とする原動力になったとされるが、上記のように総裁選で2度にわたり包囲網を敷かれるほど不人気だった麻生が一躍党内随一の有力者になったのはなぜか。ジャパンハンドラーをはじめ裏舞台での米国支配層の後押しがあったからに他なるまい。自民党の正統派・宏池会の出身であるうえ、時代の潮流とされた親ネオコンで台湾寄りタカ派の麻生は安倍とコンビを組ませ、ハンドルするのに最適であるからだ。
総理(首相)・総裁と異なり世論の批判の矢面に立たずに済む副総理・副総裁という鵺的な地位を設けさせて、ワシントンは麻生を通じて日本の政治をハンドルしているー。こうみれば麻生は曾祖父牧野伸顕ら宮中グループが戦前から培った米権力中枢であるロックフェラーやモルガンといったウオール街・巨大金融資本と太いパイプを持つ、彼らの代理人ということになる。
【写真】対日司令塔とされる米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)で「アベノミクス」について講演する麻生副総理兼財務相(2013年4月、ワシントン市内で)
■総理を指示する副総裁
麻生は初出馬した1979年の演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。2003年10月にホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所経営の収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病の時代ですから」と発言し、事実に反する上に差別的だとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから猛烈な抗議を受けた。2013年7月には改憲を巡り「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と語った。無知と傲慢をさらけ出す暴言の数々は枚挙に暇がない。
暴言王と揶揄されるこの人物が安倍を苦しめたモリカケ・桜のようなスキャンダルに一切見舞われることなく10年続けて事実上の最高権力者として振る舞っている。麻生は国葬問題で岸田首相を説得したのではなく、「つべこべ言わずやれ」と指示したのだ。万一、岸田が政権を放り出せば、麻生への政権臨時移譲も起こり得るのではないか。
麻生からの指示が明るみに出ると、岸田は9月10日に仲間うちの議員や記者らに「国葬は麻生さんが言いだしたことだと一部メディアが書いているが、そうじゃない。安倍元首相が亡くなったと聞いたその瞬間、俺が、国葬と決めた。…浅慮だった」 と打ち明けたとの報道が出た。「亡くなったと聞いたその瞬間、俺が、国葬と決めた」。本当にこう言ったのなら麻生からの電話情報が漏洩したことに動揺してのことだ。「聞いたその瞬間」に独断で決められるわけがない。
日本の「副総理」は辞令等に記載される正式な官職名ではなく、官職として存在するものではない。自民党の党則でも「副総裁」の設置は任意であり、平常時においては明文上の具体的職掌を持たないとされている。この有名無実な役職にある人物に強大な実権を持たせ続ける異常事態が常態になっている。
2022年3月。こんな記事が産経新聞に出た。
「自民党の麻生太郎副総裁は9日、米国のラーム・エマニュエル駐日大使と党本部で会談し、ロシアの侵攻を受けるウクライナ情勢をめぐり意見交換した。会談後、エマニュエル氏は日本の対露制裁措置について『日本が前例のない形で示したリーダーシップを、世界は評価している』と記者団に述べた。」
米大使は普段、麻生とは米大使館を含め密室で会談するのだろうが、時には記者クラブのある自民党本部で公然と副総裁と会い、米政府にとって日本の最高権力者は誰であるかを示唆しようとしているのだろう。
参考記事
「安倍国葬」指示した麻生太郎の権力の源 保守本流の祖吉田茂の血統と人脈 | Press Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男)
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