パクスブリタニカと日露の出会い 「中露悪魔化」の時代に寄せて

2022年1月10日。カザフスタンでの親ロシア政権打倒を狙ったカラー革命の企てに反発するプーチン露政権はこの日から米国との一連の会談を始めた。2014年にウクライナの親ロシア・ヤヌコビッチ政権の転覆に奏功した米国と北大西洋条約機構(NATO)の欧州加盟国は矢面に立つウクライナ軍の背後からNATO東方拡大の最前線となった東部ウクライナでロシア軍とにらみ合っている。ユーラシアの東端では台湾有事を巡って日本を巻き込みきな臭さが増すばかりである。ロシアと米NATOがにらみ合うウクライナ・ドンバス地方、中国との有事に備え自衛隊駐屯とミサイル配備の進む南西諸島に暮らす人々の緊張と不安はいかばかりであろうか。

危機を扇動しまくって裏で微笑んでいるのは、軍産複合体と日本を含む西側商業メディアである。「ウクライナ、台湾、カザフスタン」特需でメディアは沸いている。とりわけ部数激減に苦しむ新聞業界は瀬戸際で交戦回避にとどまることを前提に、あらん限りの知恵を絞って熱戦、有事の可能性、危機のシナリオについての扇動報道を続けそうだ。

現代世界のこの動きは、1815年から1914年に及ぶ「イギリス帝国の世紀(imperial century)」と呼ばれたいわゆるパクスブリタニカの時期から連綿と繋がっている。英国はフランスとともにバルカン半島にその影響力を広げようとしたロシアをクリミア戦争1853年1856年)で破った。そのクリミア戦争の最中、イギリスはユーラシアの東端日本でロシア封じ込めに出た。

1854年9月、ジェームス・スターリング中国・東インド艦隊司令官率いるイギリス海軍が長崎に来港した。ロシア艦隊はすでに長崎を去っていたが、スターリングはイギリスとロシアが戦争中であること、ロシアがサハリンおよび千島列島への領土的野心があることを幕府に警告した。1854年に日米和親条約締結後、ペリー米艦隊は開港させた箱館に半月滞在し、不凍港を求め箱館に進出していたロシアの動向を観察した。英国がダントツの艦船13隻を寄港させた函館は日本における米英とロシアとのにらみ合いの最初の場所であった。

【写真】1860年、箱館に建てられた日本初のロシア正教会聖堂。当時はロシア領事館の付属建造物だった。1871年、北海道開発庁出張所開設に伴い箱館は函館に改称された。

 

 

 

 

【写真】函館市に2002年に建立されたペリー提督来航記念碑。黒船来航150周年となる2004年に先駆け地元団体の手によって5月17日のペリー来航記念日に合わせて建立された。幕末の開港後に設けられたアメリカ領事館にほど近く、旧イギリス領事館とは道一つ隔てた至近距離にある。

 

 

 

大日本帝国の朝鮮半島、中国北東部(満州)進出、そして日露戦争は英米のユーラシアすなわちロシア封じ込めという地政学的戦略に乗せられて行われた。

1902年1月締結の日英同盟があったので、日本は日露戦争に形式的ながら勝利できてロシアの満州全面侵攻と朝鮮半島占領を阻止できたとされている。1945年2月にヤルタで「ドイツ降伏から3カ月以内に中立条約を破棄して日本に宣戦布告する」と米英と秘密協約を結んだソ連は同年8月9日に前日の条約破棄通告に伴い日本支配の満州に軍事侵攻した。さらに同月下旬には密約外となる北海道の北半分を占領しようと動いた。だが既に広島、長崎に原爆を投下していた米国はこれを暗黙の武器に断固拒否してソ連を封じ込めたとされている。

いずれも米英の力で日本が救われたというストーリーである大日本帝国も米保護国となった戦後日本も19世紀後半から21世紀の今日に至るまで米英の掌で操られている。

ソ連時代のロシアは東西冷戦期に米国に「悪の帝国」と名指しされ、そして中国が台頭した21世紀の今日、ワシントンは共産中国に新たな冷戦宣言を行った。EU離脱後の英国のスローガン「グルーバル・ブリテン」は東アジアへ移りかけている覇権を米国とともに阻止するアングロサクソン同盟の企てとみられる。

アングロサクソン同盟国の米英豪と軍事連携し「中国を封じる同盟の長」と持ち上げられている日本は東アジア地域で孤立している。東南アジア諸国連合(ASEAN)、中国、韓国との東アジア共同体構想には事実上箝口令が敷かれた。同構想を全面に掲げた鳩山民主党内閣の末路が日米安保基軸をオーム返しする日本の支配層を震撼させた。冷戦終結後1990年代に日本海沿岸の多くの地方自治体で盛り上がり、極東ロシアを主要パートナーとし、南北朝鮮も視野に入れた環日本海経済圏構想もいつしかたち消えてしまった。

ソ連解体後、親米エリツィン政権下、金融、石油・天然ガスなど米英の巨大資本はロシア新興財閥・オルガルヒを隠れ蓑に旧ソ連国営企業乗っ取りに成功寸前だった。だがエリツィンに代わって登場したプーチン政権に阻止された。ドイツやフランスは安易な対米協調を拒んでおり、米NATOは決して一枚岩ではない。だが、NATOはロシア国境線を目指し東方に拡大を続けた。ウクライナがNATO加盟すれば、NATOの勢力はロシア国境線に達する。米英メディアはプーチン悪魔化のプロパガンダに徹し続けている。

米英巨大資本はプーチン体制と中国共産党を悪魔とみなし攻撃し、これを解体しての経済収奪に手ぐすね引いている。

現代世界のパワーバランスは200年前とさほど大きな変化は見られない。近代日本は朝鮮、中国との関係だけでなく、19世紀半ばに通商条約を締結したロシアとの出合いも不幸だった。明治政府が当初からロシアを天敵としたからだ。その流れにロシア革命とソ連樹立が輪をかけた。

日米安保は東アジアにおける日本の豊かな可能性を根こそぎ摘んでいる。