メディア批評 安倍政権は末期なのか?  -1日更新-

総理主催の「桜を見る会」が 招待客の選定や公金の不適正支出を巡り昨年11月以降メディアの猛烈な批判にさらされた。年明に新型コロナウィルス感染がパンデミック化し、7月に入ると安倍政権の対応ぶりに不満を抱く世論調査結果が盛んに報じられるようになった。支持率も急落している。数々の致命的と思われたスキャンダルを乗り切った憲政史上最長政権もついに末期症状を呈していると断じる報道が目立つ。果たしてそうなのか。

■「1強」に陰り?

 典型的な報道パターンは強権的政治手法の代名詞「安倍1強」が鳴りを潜めたことを指摘することだ。

 一例を挙げる。

 「新型コロナウィルス対策ではドタバタした挙句、特別定額給付金『一律1人10万円』に変更した。」

 「事業開始の時期を唐突に前倒しした旅行業者らへの支援策『Go Toトラベル』が大あわてで『東京除外』と変わった」「今度は変更後も大混乱が続く。」

 「首相が前向きだった学校の『9月入学』案も見送りが決まった。」「首相が粘った形跡もない。」

 これまでは首相は一度決めたら意地でも動かないのが常だった」 のに「朝令暮改が続く」。だがら「末期症状を呈している」。 

 一方、集団的自衛権行使容認、安保法制、機密保護法などでは「強権ぶりを発揮した。」とされてきた。

 これを「一度決めたら意地でも動かなかった」とあたかも政治信念を貫いたかのように評価するのはおかしい。

 集団的自衛権の行使容認は米国の強い要請、事実上の指令だったので100%受け入れて容認し、新安保法制を強行採決した。指令に忠実に従っただけなのだ。

 安倍首相が2017年5月に公約した2020年新憲法施行はどうなったのか?

 ワシントンが改憲を禁止を指示していたので、あっさり後退した。

 元々、安倍晋三氏のかねてからの言動に確たる政治信念は見い出すことはできない。またその政策が深い歴史認識に裏付けられているとはとても思えない。例えば、集団的自衛権の行使容認。これは彼の大学生時代の”恩師”で産経・正論の常連筆者の国際政治学者、自らの姓を付した研究所を主宰していた元外務官僚らの“教育”の賜物である。

 「憲法改正は私の悲願」と語られても白けるばかりだ。

 みこしを担いでいる人々に入れ知恵されて、その気にさせられただけではないのか。「私の手で改憲を成し遂げる」は当初から空約束だった。

■ワシントンファクター

 日本を自立した主権国家とみなしての「永田町報道」にはほとんど意味が見いだせない。ワシントンファクターを考慮しなければ、決して全体像は描けない。日々の政局報道でこの姿勢は皆無だ。

 「衆院選、参院選と国政選挙に6連勝した安倍政権が憲法改正をやらなかったら、いつやるのか。もっとも、残り2年を切った総裁任期で、憲法改正案を発議し、国民投票に持ち込むのは政治日程上、非常に厳しい。安倍総理が本気で憲法改正をやるなら、もう1期、つまり総裁4選を辞さない覚悟が求められる」

 文藝春秋今年1月号での麻生太郎副総理の発言である。

 「安倍首相は総裁4選を果たすべき」と示唆したこの麻生発言は限りなく意味深長である。しかもあの「文春」によるインタビューである。

 時期を同じくして、麻生氏は財務省での定例会見でも同じ趣旨の発言をした。安倍グループは出来もしない「悲願の改憲」を逆手に取って総裁任期再延長へと進んでいる。安倍氏ほど使い勝手のいい首相はいない。これは一体どこの、どんなグループの意思なのか?

 石破、岸田、加藤、河野、野田、小泉, 稲田、下村…。不思議なことに、首相に対抗できそうな後継者は現れない。結婚を発表した途端に「文春砲」に“恥部”を曝露され落伍した元有力後継者もいる。8月に入ると、官界では「後継者は菅氏の他にいない」と菅官房長官待望論を何人かの幹部が口にしたとの全国紙政治部のベテラン記者の記事も掲載された。

 安倍氏が飽きられているのは間違いない。7月半ばごろから「『巣ごもり』する首相」と皮肉る報道が流行っている。「『責任を取らない』との不満が霞ヶ関で目立つ」との安倍批判も。だが、永田町から退陣を求める声は表に出てこない。「出てこない仕掛け」が出来上がっていると見るべきだ。安倍氏は森友、加計、桜を見る会等々それぞれが内閣総辞職に追い込まれても仕方のない不祥事をすべて「乗り切った」。よほどの大事が起きないかぎり総裁任期満了となる21年9月までこの状況は続くとみる

選挙に勝てる

 それでも安倍退陣を前提にした報道が盛んだ。例えば、7月30日毎日新聞デジタル版。「崩壊・安倍政治 闘う「新聞記者」望月衣塑子が末期安倍政治と「官邸ジャーナリズム」を緊急告発」との特集記事のほか、「岸田氏か、石破氏か?石原氏「両にらみの理由は」」を掲載した。特集記事は「安倍政治が腐臭を放ちながら崩壊しつつある。」と告発する力作だ。だが崩壊後の受け皿についての言及がない。あとは派閥の駆け引きを報じる類の相変わらずの「永田町物語」である。

 年末までに実施が予想される総選挙での与党自公の議席過半数超えは揺るがない。圧勝も大いにありうる。現在の小選挙区比例代表制が維持され、50%前後の低投票率、野党勢力の小粒化と分断が続く限り、緊張のないたるみ切った政治に変化は望めない。

 これでも安倍政権は本当に末期なのか? 悲しいかなこう問わざるを得ない。

 

:本ブログ掲載記事「安倍「改憲」案の迷走が黙示するもの--緩まぬ敗戦の軛(くびき)」(初出:世界2018年4月号)「「私の手で改憲成し遂げる」は安倍首相最大の虚言--どう我々を欺いているのか」(同:IWJ今年1月26日付掲載)を参照ください。