習近平、ドゥテルテの結束で綻びる日米の中国包囲網
~中比軍事連携と新安保法制
■新安保政策は隘路に
フィリピンのドゥテルテ政権が軍事面で中国との連携を深め、米軍のフィリピン再駐留を可能にした米国との地位協定や軍事協力協定破棄へと動いているのみならず、軍事同盟関係の根幹をなす相互防衛条約の破棄を検討している。これにより、安倍晋三首相率いる日本政府の集団的自衛権の行使容認を柱とする新安保政策の展開は隘路に入り込んでしまった。
自衛隊法の一部改正をはじめとする安全保障関連二法案が参議院で可決されていわゆる新安保法制が成立し、戦後の歴代政権の維持した専守防衛路線が根底から覆されたのが二〇一五年九月。その三カ月前、安倍首相は「安保法制は南シナ海の中国が相手なの。やる(法案を通す)と言ったらやる」とオフレコ発言。新安保法制の主たる狙いが南シナ海での中国との有事を想定し、自衛隊を米軍とともに集団的自衛権の行使に備えさせることであると打ち明けていた。
このような経緯の下、安倍政権は南シナ海を軍事拠点化した中国の脅威をことさら煽り立て、この脅威に直に対峙すべくフィリピンの旧米海軍基地スービックに自衛隊を米軍とともに実質駐屯させるため比政府と交渉を進めてきた。だが二〇一六年六月に発足したドゥテルテ現政権は外交政策を「反米親中」へと抜本的に転換。一八年末に習近平国家主席がフィリピンを初めて公式訪問して軍事協力を中比二国間関係の核心に据えることで合意した。
二〇二〇年七月現在、フィリピン政府は米中冷戦が決定的になったため、国内世論に配慮しつつ今後の動きを見定めるためか、米国との地位協定や軍事協力協定の破棄の保留(一時凍結)に転じた。しかしながら、ドゥテルテ政権の対米基本姿勢に変化はないと思われる。
いずれにせよ、中国包囲の前線基地となる自衛隊の南シナ海に面した駐留拠点作りが事実上凍結へと追い込まれたばかりか、中国は軍略上の第一列島線の要であるフィリピン群島の米国による管理に終止符を打とうと動き始めている。日米・中比のせめぎ合いはどう展開してきたのか。
■習近平メッセージの衝撃
二〇一八年一一月二〇日、中国の習近平国家主席はフィリピンを初めて公式訪問した。前日の同一九日、マニラで発刊されている三つの新聞に「中比関係の新たな未来を共に切り開こう(Open up new future together for China-Philippines relations )」と題した習主席の英文メッセージが掲載された。
この中で、最もワシントンと東京の神経を逆なでしたのが、「中国は引き続きフィリピンと防衛、麻薬取締、テロ対策及び法の執行で協力を深め、中比両国の発展及び地域の平和と安定のために健全な環境を育成する」の件であったことは疑いの余地がない。この提言を受ける形で、マニラでの習主席とロドリゴ・ドゥテルテ大統領との首脳会談後の共同声明には次のような文言が盛り込まれた。
「中比両国は防衛と軍事協力が二国間関係の核心であると認識し、…テロ対策、人道的支援、災害対応とその軽減、平和維持活動の分野での具体的な協力を通じて、『防衛協力に関する覚書』を共に履行する。」
このように中国とフィリピンは防衛協力を決定的に深化させ、フィリピンでの軍事プレゼンス強化を狙う米国や日本の目論見は打ち砕かれた形となった。
一九九二年の米軍完全撤収とその後の対テロ戦争を口実とする米軍のフィリピン再駐留の経緯はここでは省くが、改めて言及するまでもなく、フィリピンは依然として日本、韓国と並ぶアジアにおける米軍の前方展開拠点であり、一九五一年八月に締結された米比相互防衛条約に基づく米国の軍事同盟国である。
一九四六年に米国の植民地支配から脱し、独立したとはいえ、敗戦国日本と同様、フィリピンはとりわけ軍事外交面でワシントンへの徹底服従を強いられてきた。そのフィリピンがドゥテルテ政権の下、中国やロシアとの軍事連携を深めようと動くインパクトは限りなく大きい。今後の動向次第では東アジアの勢力バランスと地政学的構図に決定的な変化が誘発される。
習主席訪比から一カ月余り経った二〇一八年一二月二八日。習近平メッセージの衝撃度はさらに増幅された。フィリピンのデルフィン・ロレンザーナ国防長官が米比相互防衛条約の見直しを関係当局に指示したと明かしたからだ。同長官は記者会見で「見直しの最終目標は、相互防衛条約の維持、強化、破棄のいずれかだ」と語り、条約の破棄も視野に入れていると明言した。
この発言がマニラでの習・ドゥテルテ首脳会談での中比防衛協力の推進合意を念頭に置いてなされたものであることは容易に推測できる。ロレンザーナ長官は「締結から六七年経った比米相互防衛条約は依然として我が国の国益にとって適切なものだろうか?」と問いかけ、「だからこそ見直すのだ。見直しは、過去の米国との関係にとらわれることなく、冷静に将来の関係を見据えて行いたい」と米国との「同盟」関係の再検討を率直に口にした。注1
ただし見直し結果の公表時期には触れておらず、この比国防長官発言は政治的ジェスチャーではないかとの見方も完全には拭いきれない。だがいずれにせよ、ワシントンをこの上なく苛立たせるパフォーマンスとなったのは間違いなかろう。
■「反米・親中」転換の内実
ドゥテルテ政権は二〇一六年六月の発足当初から、中国やロシアとの軍事連携を志向した。それはドゥテルテ大統領が「フィリピンに民主主義を学ばせた」との米国の欺瞞に一貫して異議を申し立てていることと表裏一体の関係にある。ドゥテルテ氏の対米“暴言”の数々を改めて読み返すと、次のような歴史認識に裏打ちされていると思える。
一九世紀末から二〇世紀初頭にかけ、米国はスペインからの独立を支援すると見せかけて米比戦争を仕掛け、数十万人ものフィリピン人を殺害した末に植民地として歴史に汚点を刻んだ。第二次大戦後に独立させたものの「米国外の最大の米国」と言われたクラーク、スービックの二大米軍基地をはじめフィリピン群島を反共軍事要塞として利用するとともに、米国人に内国民待遇をはじめ治外法権的な特権を与えて大土地所有制を存続させ、経済収奪と主権侵害を続け、米軍基地存続を最優先にしてマルコス長期独裁を容認した。
さらにはマルコス追放後の自主独立の象徴となった米軍基地撤収は対テロ戦争を口実に反故にされ、フィリピンは米国の中国封じ込めの前哨拠点にされてしまった。しかも米軍再駐留の過程において、フィリピンの対米自立キャンペーンの中核を担った市民運動家や左派政治団体メンバーらが相次ぎ政治虐殺される一方、イスラム教徒の支配的居住地域のミンダナオ地方中西部やマニラ首都圏を中心に米諜報機関が絡んでいたと疑われる無差別爆破テロが続発し、米国の対フィリピン関与は「第二の米比戦争」とすら形容できた。注2
ドゥテルテ氏の対米観には、「自由と人権、民主主義」の伝道者を自称する米国が陰に陽に数多の戦争と破壊工作を仕掛け、一貫して意に沿わぬ政権を転覆して親米体制への転換を強行してきた血生臭いダブルスタンダードへの決定的な拒絶がある。この対米拒絶が米国主導の国際秩序の変更へと動く中国やロシアとの連携へと否応なく向かわせたのだ。独立から七〇年経て出現したドゥテルテ政権は歴代の比政権が決して出来なかった抜本変革に挑む胆略を示している。
この姿勢と経緯を度外視して、ドゥテルテ政権が経済支援目的に中国に近づき、中国も支援外交を餌にフィリピン側を取り込んでいるとみなし、これを南シナ海の領有権問題に目を閉ざしての「対中媚態外交」とばかりに揶揄して、ドゥテルテ政権への国内外からの視線は厳しさを増しているといった非難が目立つ。さらには、西側のメディアや論者は麻薬取締りで超法規的殺人を行っているとして必ずと言っていいほどドゥテルテ氏率いるフィリピンを引き合いに出し「民主主義への脅威」と名指しする。日本でもその傾向が顕著である。このような報道、論評ぶりはあまりに皮相で、意図的である。注3
ドゥテルテ大統領は東南アジア諸国連合(ASEAN)域外の初の外遊先に中国を選んだ。一六年一〇月に初訪中した同大統領は北京での演説で「軍事、経済上を含めて米国との関係から離脱すると謹んで宣言する」と述べてワシントンの度肝を抜いた。だが閣僚らが「米国依存から離脱するという意味で、関係断絶は意図していない」などと発言して事態を収拾した。
翌一七年にはフィリピンは東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国を務め、ASEAN首脳会議声明では中国との領有権紛争が絡む「南シナ海」に関する表現を弱めるとともに、フィリピン政府主導で初の中国・ASEAN合同軍事演習開催を決定した。合同演習は一八年一〇月に南シナ海を臨む中国・広東省南西部の湛江市で八日間実施され、「この時期、フィリピン国軍は中国人民解放軍と二国間海上訓練も行った」(比国軍筋)。
二〇一七年五月に中国海軍艦船がフィリピンに寄港した際、ドゥテルテ大統領はイスラムテロリストの「侵入口」であるミンダナオ地方南部のスールー海域での中国軍との合同訓練実施を提唱。一方一六年一〇月に初訪中した際の「米国との軍事演習は止める」との発言は翻し、日本の自衛隊やオーストラリア軍がオブザーバー参加する米軍との年次合同軍事演習「バリカタン」は継続した。ただし、中国を刺激する南シナ海での実施は回避させている。
■安倍政権の「仲介」
ワシントンに背を向けるドゥテルテ政権と米政府との間を取り持とうとしたのが安倍政権である。二〇一六年一〇月二五日から三日間、日本政府はドゥテルテ大統領を国賓として招いた。
「政権発足は一六年六月三〇日。事務レベルでは早々八月にはドゥテルテ訪日を確定させた。(ASEAN域外では)初の外遊。しかも、待遇は国賓。ところが、北京が割込み、一〇月一八日に訪中させ、先を越された。」(日本の外務省筋)
日本政府の異例の動きの背後には、当然にも、ワシントンの指図があった。フィリピン側もそこは先刻承知の上で訪日要請をすんなり受け入れた。ドゥテルテ大統領は親日ぶりと日本との友好関係強化をアピールして、ワシントンの矛先をかわそうと努めた。
安倍政権は焦っていた。前年の一五年九月にはワシントンの意を汲み、集団的自衛権行使を合憲として容認した上で新安保法制を強引に成立させ、米軍と統合される自衛隊部隊をフィリピンに派遣し、実質駐留させる準備を仕上げようとしていた矢先にフィリピンに反米政権が発足したからだ。北京での「軍事的にも経済的にも米国から離脱する」とのドゥテルテ宣言を巡る首相官邸、外務省、防衛省の狼狽ぶりが目に浮かぶ。
安倍政権がドゥテルテ政権と矢継ぎ早にトップ交渉に臨んだのはひとえに暗礁に乗り上げかけたフィリピンとの軍事連携の突破口を開きたいとの焦りから生まれた。ドゥテルテ初来日から三月も経たない翌一七年一月には安倍首相がフィリピンを公式訪問。トランプ米大統領の初来日直前の同年一〇月末にドゥテルテ大統領は再び日本に招かれた。日比間で一年間に三回首脳同士が互いに公式訪問し、多国間会議でのサイドライン会談を含めると計四回も首脳会談を行ったのは異例中の異例と言える。
写真:2017年1月のフィリピン訪問の際、ミンダナオ島ダバオ市のドゥテルテ大統領の自宅を訪れた安倍首相夫妻。官邸、外務省はワシントンの圧力からか日比両国の親密さをことさらに演出した。
日本側は元々、一七年六月にドゥテルテ再訪日の確約を得ていた。だがフィリピン政府は比南部ミンダナオ島で同年五月末に発生したイスラム反政府武装勢力の大掛かりな反乱に対して戒厳令を布き鎮圧に全力を挙げていたため、六月には大統領代理としてアラン・カエタノ外相(当時)が日本に派遣された。
一二年末に再登場した安倍政権はワシントンに促され、比ルソン島の旧米海軍基地スービックへの自衛隊駐屯の前提条件となる「訪問部隊の地位に関する協定(VFA)」や「物品役務相互提供協定(ACSA)」をフィリピン側と締結しようとした。比政府筋によると、ベニグノ・アキノ前政権と安倍政権との間では協定の骨格作りは終えていた。そこにドゥテルテ政権が立ち塞がったのである。
二〇一七年六月七日。カエタノ外相を官邸に招いた安倍首相の表情からは時折、苛立ちがうかがえた。それは一連の日比首脳会談で核心的議題の討議が不調に終わったことを端的に物語っていた。
首相は一八年末に閣議決定した新防衛大綱で空母化が決まった護衛艦「いずも」が数日前スービックに寄港し、それにドゥテルテ大統領が表敬乗艦したことを「日本とフィリピンの安全保障上の、防衛協力の象徴である」と語り、南シナ海に面したスービック港を「いずも」型空母の拠点としたいとの意欲をにじませた。注4
「日本とは戦略的パートナーとして協力する」「日本のフィリピンへの支援と多大な援助に感謝する」。首脳会談の度に、ドゥテルテ大統領が記者団に発してきた言葉の数々をせんじ詰めるとこのリップサービスに近い二言に凝縮される。「日本とは協力する」とのドゥテルテ発言は裏返しの米国への拒絶宣言であり、日米によるスービック軍事要塞化への拒否宣言であった。
一七年一一月以降、日比両政府間での目立った動きはピタリと止んだ。安倍政権に米比両国の「間を取り持つ」力量など望むべくもなかった。
■転覆図られたドゥテルテ政権
ワシントンに抗うドゥテルテ政権は、当然のことながら、米破壊工作機関による転覆の対象となる。同政権発足後、フィリピン国軍や公安当局は早い時期から、中東諸国を含む国外のジハーディスト、イスラムテロリストらのマレーシア・ボルネオ領やインドネシアのカリマンタン島、スラゥエシ島などからフィリピン南方海域を経由してのミンダナオ地方への潜入が加速、拡大しているのを確認していた。
先に触れたように、ドゥテルテ大統領が中国にテロリストの「侵入口」となっているミンダナオ島南方のスールー海域での合同軍事訓練を呼びかけたのはこのためである。また、冒頭の習近平メッセージに「防衛」と並んで「テロ対策」が主要協力事項として盛り込まれたのも中国がドゥテルテ政権を破壊工作から守るとの宣誓と受け取れる。
二〇一七年五月二三日。火の手はドゥテルテ大統領のモスクワ到着とともに上がった。フィリピン南部ミンダナオ地方で過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓うイスラム武装勢力とフィリピン国軍との戦闘がエスカレートしたため、同大統領は公式訪問先のロシアでIS掃討を理由にミンダナオ地方全域に戒厳令を布告。フィリピン政府は第二次大戦以降最大規模となり三千人近い死傷者を出した戦闘の終結を宣言するまで五か月を要した。
【写真】戦闘で破壊されたマラウィ市街
中国、ロシアとの関係強化を進めるドゥテルテ氏の比大統領としての初訪露とプーチン政権との軍事提携を含む蜜月ぶりのアピールはその反米路線の総仕上げと言えた。“フィリピンの反逆”に米国とその同盟国が拱手傍観するはずがない。
一千人を優に超える戦闘集団となったIS系イスラム武装勢力は二〇一六年末までには、ミンダナオ島南ラナオ州マラゥイ市とその周辺地域で比国軍と散発的ながら激しい戦闘を繰り返すようになっていた。
米有力紙の報道によると、首謀者の一人とされたイスニロン・ハピロンの潜伏先が判明したとの情報提供を受けた比国軍部隊が現場に赴くとそこに多数の武装集団が待ち受けており、これを機に戦闘は一気に反乱へとエスカレートする。情報提供時刻はドゥテルテ氏一行のモスクワ到着時間と重なっていた。
一九九〇年代からフィリピンでテロ、誘拐などを繰り返しているアルカイダ系イスラム過激派組織「アブサヤフ」はアフガン戦争帰りのジハーディストを中核に創設された。米国は比政府を介してこれを支援、育成した末、アブサヤフ掃討をアフガニスタンに続く対テロ戦争第二弾と位置付け、それを口実に一九九二年に完全撤収していた米軍をフィリピンに再駐留させた。
「フィリピンにIS領地を!」を旗印にした二〇一七年マラゥイ反乱を首謀したマウテグループはアブサヤフと一体化しており、比当局はこのグループがドゥテルテ政権を揺るがすことを目的に米国の同盟国サウジアラビア、カタールなどから大掛かりな支援を得ていることを突き止めていた。ドゥテルテ大統領が折に触れ、「CIAよ、私を殺したければ何時でも殺せ」と毒づいたのはこのためである。
■米国のIS支援
比政府は一七年一〇月二三日にマラウィ反乱の終結宣言を出した。だが二〇一九年二月現在、ミンダナオ地方全域を対象とした戒厳令は維持されている。実際、一八年一二月末にはマラウィ市と並ぶフィリピン・ムスリムの中心都市コタバト市のショッピングモールで約四〇人が死傷した爆破事件が発生するなど無差別テロは続いており、潜伏する反政府武装グループに対し比当局は厳重な警戒態勢を敷いている。
比国軍は、半年近くに及んだ反乱鎮圧で米国製の高性能武器を多数押収、インドネシア、マレーシアなど近隣イスラム諸国だけでなく、サウジアラビア、イエメン、チェチェンなどからの参戦者を確認した。
バンコク在住の米国人地政学アナリスト、トニー・カタルッチは「マウテグループ、アブサヤフはともに、サウジアラビアとカタールの支援によってテコ入れされたアルカイダの国際テロネットワークの“延長コード”。新兵は両国に資金提供された“マドラサ(イスラム学院)”の世界ネットワークを通じ供給されている。長年にわたるサウジとカタールによる国際テロへの支援は、米国の提供する物資や政治的支援によって可能になっている」とし、「マウテとアブサヤフの活動はこのパターンにピタリと符合する」と明快に説いた。注5
米政府や米軍の高官の中には、イスラム国(IS)が米国に直接、間接に支援されたことを明かした人物が少なからずいる。
二〇一四年一月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言したISについて同年九月、トーマス・マッキナー米空軍中将(当時)がFox Newsでワシントンの組織化支援を明かし、マーティン・デンプシー統合参謀本部長(同)は米上院軍事委員会でアラブの米同盟国が資金提供したと証言。同年一〇月にはジョー・バイデン米副大統領(同)が米国の主要同盟国がISの背後にいると講演会で述べた。
さらにトランプ政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官だったマイケル・フリン元米国防情報局長は一五年八月に放映された衛星テレビ局アルジャジーラの番組で「ISがシリアで欧米諸国に支援されると予測するDIA機密報告書に接した」と明かし、一五年二月にはウェズリー・クラーク元アメリカ欧州軍最高司令官がCNNに「(レバノンを中心に活動している親イランのシーア派イスラム急進派組織)ヒズボラを打倒するため、米国の同盟国がISを作った」と語っている。注6
つまり、「ISのフィリピンへの着陸」は、ドゥテルテ政権がロシアの支援を受けているシリアのアサド政権と同様、ワシントンとその同盟国による破壊対象となったことをはっきり示す事件であった。
マラゥイ反乱が比較的短期間に鎮圧されたのはフィリピン民衆のドゥテルテ大統領への熱狂的な支持が続いているためであろう。庶民は圧倒的にアメリカンライフに憧れ、中国には決して好感を抱いているとは思えないが、覇権国の巨大な圧力に毅然と立ち向かう“弱小国”大統領の胆力に快哉を叫んでいる。政権発足から二年半経た二〇一八年末のSWS世論調査での支持率は七四%、一九年初のPulse Asia世論調査では八一%に達した。支持率が大幅に下がる兆しはない。
■第一列島線の要
安倍政権は米国とともに南シナ海で中国と対峙するに当たり何故フィリピンに共同軍事拠点を設けることに固執しているのか。南シナ海での領有権を主張しているのは中国、台湾を除くと、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ブルネイとすべてASEAN加盟国である。フィリピンが中国と軍事連携するようになった現在でも、日米が水面下で他の国を打診している気配はない。
南シナ海の西沙諸島(英語名:パラセル諸島)の領有を巡り二度も中国と激しく軍事衝突したベトナムは近年、ダナン、カムラン両港に日米のみならず英仏の艦船を停泊させ中国をけん制する一方、国境を接する大国との防衛対話、制服組交流も怠っていない。決定的な障壁は「特定の国と同盟を結ばない、他国の基地を国内に置かない、第三国の介入を求めない」を原則とするベトナムの全方位軍事外交政策である。
非同盟運動をけん引して中国脅威論を否定し、臆することなく米国に異議申し立てを続けたマハティール氏が首相の座に返り咲いたマレーシアはさらに壁が高い。南シナ海の領有権を主張する国の中で唯一島嶼に軍事施設を持たないブルネイには旧宗主国・英国が近く海外基地を設ける動きがあるが、これは後述する。
こんな中、マイク・ペンス米副大統領は二〇一八年一〇月四日に米ハドソン研究所で演説し、「北京は南シナ海を軍事拠点化して対艦ミサイル、対空ミサイルを配備した」「中国は盗んだ技術で軍事力を著しく強大にし、西太平洋から米国を追い出そうとしている」と激しく中国を非難した。この演説は、一七年末から一八年初にかけて相次ぎ公表した米安全保障戦略や米国防戦略で、「テロとの戦い」から中国やロシアとの新冷戦とも呼べる大国間角逐への再転換を唱えたトランプ米政権の姿勢を改めて強く印象付けるものだった。
ペンス副大統領の名指しした西太平洋こそ米中軍事角逐の“主戦場”であり、その戦略防衛ラインとして米中両国とも第一列島線と第二列島線を設けている。そもそも二本のラインは太平洋を新たなフロンティアと見なし西進した一九世紀米海軍の海洋戦略に源があるが、日本列島から台湾を経てフィリピン群島に至る、中国側の言う第一列島線(米海軍の唱えた「第一層島嶼群」)が最重視されてきた。今やフィリピンこそが米国のみならず中国にとっての軍略上の要であり、米国にとって石油・天然ガスなど資源も最も豊かな南シナ海の南沙諸島(英語名:スプラトリー諸島)をにらむ形で立地する天然の良港スービックに米軍完全撤収後もそのまま温存された旧米海軍基地は他をもって替え難い軍事要衝なのだ。注7
中国は第一列島線に加え、その東側に伊豆諸島から小笠原諸島、グアム、サイパン、パプアニューギニアに伸びる対米防衛ラインとして第二列島線(米側の「第二層島嶼群」)を定め、米国とせめぎ合っている。二〇〇七年五月に中国を訪問したアメリカ太平洋軍のティモシー・キーティング司令官(当時)が翌〇八年三月、米上院軍事委員会公聴会で「中国海軍高官から太平洋を分割し米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管理してはどうかと中国側から提案された」と証言したのはいまだ記憶に生々しい。
図:第一列島線(西)と第二列島線
中国は一九九〇年代から北太平洋ばかりか南太平洋の島嶼国への開発援助に乗り出すとともに、南シナ海、東シナ海が太平洋に向けた対米防衛のための「譲れない基盤」であるとの意思を発信してきた。米軍がフィリピンから全面撤収した同じ年の一九九二年に南シナ海のほぼ全域の領有を定めた領海法を施行、東シナ海の尖閣諸島問題でも一九九〇年代以降反日活動家の抗議船や中国漁船の接近とこれを領海侵犯として取り締まりに当たる日本の海上保安庁巡視艇との小競り合いが頻発し始めたのは周知の通りだ。
こうしてみると二〇一四年に始まり一八年には完了したとされる南シナ海南沙諸島での中国の七つの人工島建設とその軍事拠点化は必然の流れだったと言える。中国側にしてみれば、米国による東シナ海や南シナ海及び西太平洋の管理は一九世紀半ばのアヘン戦争以降の欧米列強や日本による半植民地化=「屈辱の一世紀」の延長線上にあり、中国は米艦船による中国沿岸海域での航行作戦や軍事演習の実施に対し「中国艦艇がメキシコ湾やキューバ沖で訓練する事態を想像してみよ」などと強く反発してきた。ドゥテルテ政権の登場は習近平政権にとって文字通りの僥倖となった。
■CSISと南シナ海、日米統合部隊
政権交代の頻繁にある米国では民間シンクタンクが退陣した政権を支えた要人や省庁幹部らの再雇用の受け皿ともなっており、その提言は政府の政策立案に少なからぬ影響を与える。ワシントンDCに数多あるシンクタンクの中でも民主、共和両党の垣根を越えた、いわゆる超党派の民間シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」は二〇〇二年以降二〇一八年まで四次にわたり安全保障課題を中心とする対日政策提言書「アーミテージ・ナイレポート」を日本の政権に突きつけて絶大な影響力を行使してきた。
一二年の第三次レポートでは、自衛隊が米軍と共同軍事活動できるようにする集団的自衛権の行使容認を要請し、日本で大論議を呼び起こす。安倍政権が「存立危機事態での限定的行使」という言葉で目くらまししながらその要請を全面的に受け入れた結果、新安保法案は一五年九月に国会で可決、成立し、翌一六年三月二九日に施行された。こうして専守防衛という戦後レジュームの大原則は完全に「抜け殻」となった。
安倍首相が二〇一五年六月の官邸詰記者との懇談会で「安保法制は南シナ海の中国が相手なの」と口を滑らせた通り、日本政府への「司令塔」CSISは、南シナ海の中国軍事施設の関連情報を世界に向けて盛んに発信している。CSISのウェブサイトASIA MARITIME TRANSPARENCY INITIATIVE (AMTI) https://amti.csis.org/
では中国、マレーシア、フィリピン、台湾、ベトナムが南シナ海上に構築した様々な施設などの衛星写真が公開されているが、主眼が中国のそれにあることは明々白々である。
実際、領有権を主張しているASEAN各国やシンガポールなどのメディアにはAMTIのクレジット入りの中国の軍事施設の衛星写真が頻繁に掲載されている。その大半が南沙諸島の七つの新人工島であり、とりわけ軍用滑走路を有する三つの人工島の写真に焦点が当てられている。前哨施設など人工物の設けられた島や岩礁の数は最大五一(二カ所未確認)のベトナムが群を抜いて多く、中国は南沙諸島で七、西沙諸島で二〇の計二七だが、もっぱら中国の最新施設が「脅威として」紹介されている。
そのCSISが一八年一〇月に第四次アーミテージ・ナイレポートを公表した。その最重要事項は「日米共同統合部隊(combined joint task force )」の創設提言である。三次レポートでは「(集団的自衛権の行使容認へと)政策変更しても統合部隊(unified command)を設けようとする必要はない」と提言していたのに、四次レポートでは舌の根の乾かぬうちに本音をむき出しにした。
今回のレポートの焦点は西太平洋、とりわけ中国の軍事拠点化が完了した南シナ海及び東シナ海、台湾に当てられ、ハイライト箇所は「作戦調整を深める(Deepen Operational Coordination)」の章の以下の件と思われる。
「危機に際して米国と日本がさらに効率よく共同作戦を実施するには、日米両国は西太平洋で共同統合部隊を創設する必要がある。統合部隊は台湾、南シナ海、東シナ海を巡る中国との有事対応に専念することもあり得る。このような統合部隊には米国の主要同盟国、とりわけ日本の参加を得なければならない。(If the United States and Japan are to operate more effectively together in a crisis, they should create a combined joint task force for the western Pacific.A combined joint task force could focus on possible contingencies with China over Taiwan, the South China Sea, and the East China Sea. Such a combined joint task force should include key U.S. allies, particularly Japan)」
レポートが、南シナ海有事に備えて編成される米軍と自衛隊との共同統合部隊をフィリピンに置くと想定しているのは間違いない。東シナ海や台湾の有事に備える日米統合部隊は日本の沖縄や南西諸島のみならず日本本土に配置され、さらには日米共同基地設置が予想されるグアムに設けられる統合部隊は西太平洋全域での有事に備えることになろう。従属的立場にある自衛隊が事実上米軍の指揮下に入る可能性は限りなく高い。
■頓挫する「国難突破再演」
安倍政権は北朝鮮の核ミサイルに続き中国による南シナ海「占領」と軍事拠点化を新たな国難に仕立てあげようとした。南シナ海がエネルギー、食糧など日本への物資の重要供給路であり、命綱を守るためには軍備拡大と防衛費の増大が不可避であると唱えるキャンペーンが米政府や米軍の協力を得てメディアを中心に展開されている。その意思が凝縮されたのが「わが国の安全保障環境は戦後最大の危機的情勢を迎えている」と“非常事態到来”を仰々しく訴えた、新防衛大綱と中期防に向けた自民党政務調査会国防部会の二〇一八年五月二九日付提言の冒頭文であった。
しかし、「柳の下にドジョウはいつもいない」。北朝鮮のミサイル発射に対し二〇一七年総選挙前に三度もJ-ALERT(全国瞬時警報システム)を発動して日本の有権者の不安を煽った前回のように「重大事態」を演出し、これを政局行き詰まりの突破口として担保するのは極めて難しい。実際、昨年一二月一八日に閣議決定された新防衛大綱の前文は「現在、わが国を取り巻く安全保障環境は、極めて速いスピードで変化している」とトーンダウンした。
そのもう一つの要因として対中経済ファクターが挙げられる。トランプ米政権の中国との貿易戦争が安全保障問題を前面に出した覇権争いの様相をはっきりと示す中、一八年一〇月に安倍首相は経済界トップ約五〇〇人を同行させて訪中した。脱工業化、グローバリゼーションの名の下に製造業を著しく衰退させた米国とは対照的に、「中国製造:2025」を掲げてトップ級のモノづくり国家を目指す習近平政権の政策には決して侮れないものがあるからだ。
訪問を前に日中ビジネスの実状に精通する日本のエコノミストは「中国は本気で対外開放促進へと舵を切った。二〇〇五年以来一三年ぶりの本格的な投資ブーム到来となりそうだ。国内総生産が日本の二・五倍以上になった中国のビジネスで成功すれば日本企業は当時よりはるかに大きな利益を得て、投資規模は巨大化する」と語っていた。
安倍政権は日本の大手企業の中国ビジネス重視の要望を入れ、中国との軍事面での軋轢を虎の尾を踏まない範囲でできるだけ回避しようとするサインを出している。その象徴的事例が南シナ海での中国の人工島沖合一二カイリ内で実施されている米軍の「航行の自由作戦」への不参加と、安倍訪中前の昨年九月に海上自衛隊の実施した単独演習だった。
防衛省は一八年九月半ば、海上自衛隊の潜水艦「くろしお」を南シナ海に派遣し、東南アジア周辺海域を長期航海中の「かが」など護衛艦四隻と合流させて対潜水艦戦を想定した訓練を行った。ワシントンから「航行の自由作戦」への参加を促される中、米空母打撃群を敵潜水艦の攻撃から守る役割を担う海自護衛艦の能力を単独でアピールした。
これは北京に事前暗示したうえで一触即発のリスクがある「航行の自由作戦」不参加についての米国への精一杯の「詫び証文」だったと解するほかない。中国が「域外国は慎重に行動すべき」(外務省・耿爽副報道局長)と日本を名指し非難しなかったのが状況証拠となる。また北京での日中首脳会談後、安倍首相が「互いに脅威とならないと確認し合った」と強調したことも日本の対中姿勢“軟化”の証である。だが習近平主席は一八年一〇月二五日午前、安倍訪中団が北京に降り立つ直前に人民解放軍南部戦区(本部・広州)で「戦争に勝つ能力を高めよ」と檄を飛ばし、強く日本をけん制した。
■「ドゥテルテ体制擁護」誓う北京
中国との軍事連携深化へと舵を切ったフィリピンのドゥテルテ政権への風当たりはマラゥイ反乱鎮圧後も厳しいものがある。マニラの中国大使館前の反中デモや集会でも南シナ海のフィリピン領土が明日にも中国に侵攻されるとの叫び声がドゥテルテ非難と重なりながら上がる。
こんな中、ドゥテルテ大統領は「習主席は我々を守ると約束した」と語る一方、二〇一九年一月半ばにロレンザーナ国防長官やエドアルド・アノ国軍参謀長らを中国の建設した人工島を臨む南沙諸島の自国領周辺を視察させ、「領土問題で中国に譲歩はしない」との政権の意思を強くアピール。またスービック港の立地するサンバレス州出身で“比米安保ムラ”のドン、リチャード・ゴードン上院議員が上院公聴会で中国の南シナ海人工島の脅威を煽ると、国防長官に「中国の覇権的動きには対抗する」との趣旨の答弁をさせた。
このようにしたたかに振る舞うドゥテルテ大統領は一八年四月に中国・海南島での年次経済会合「ボアオフォーラム」に出席した際、マラウィ反乱鎮圧のために中国製武器が無償供与されたと明かし、中露両国の軍事支援がフィリピン現政権の存続に寄与したと示唆していた。注8
マラゥイ反乱とその鎮圧は米国対中露の代理戦争だったのだ。「ミンダナオ開発支援」に携わる日本政府はこれに何らかの形で関与を強いられたかもしれない。
「航行の自由作戦」に参加している英国が南シナ海領有権紛争の当事国ブルネイに海軍基地を設けようと動いている。二〇一八年一二月三〇日付英サンデー・テレグラフ電子版によると、ギャビン・ウイリアムソン英国防相は同紙とのインタビューで、「欧州連合(EU)離脱後、英国は再びグローバルパワーを目指し軍事力を強化する」「二年以内に二つの海外基地を新設し、うち一つはブルネイかシンガポールに設ける」と語った。
この英国防相発言が暗礁に乗り上げたフィリピンでの日米共同軍事拠点構想を念頭に入れているか否かは即断できない。だが旧英植民地でASEAN加盟国であるブルネイ、シンガポールのどちらに英海軍基地が設けられても、少なくとも日米両政府やオーストラリア政府がこれに何らかのアクセスを行うことは確実とみられる。
深刻さを増す米中対立により南シナ海紛争は今後さらに先鋭化し、その構図が一層複雑となるのは必至。フィリピンに関しては、二〇一九年六月に再選のない任期六年の折り返しを迎えたドゥテルテ大統領の後任体制を巡る米中の“暗闘”はとっくに始まっていた。
注:
1・Lorenzana orders review of 67-year-old US-PH military pact December 28, 2018 http://www.pna.gov.ph/articles/1057639
2・ドゥテルテ氏が大統領選中に米国による主権侵害と破壊活動の最たる例として挙げたのは二〇〇二年五月にダバオ市のホテル客室内で起きたダイナマイト爆発事件だ。米FBIは比当局の意向を無視し、重傷を負った米国人容疑者を強引に本国に連れ帰った。米側は男性が財宝探しのためミンダナオ地方に滞在していたと説明したが、比側はダイナマイト多数を客室に秘匿していた男がミンダナオ各地で頻発した無差別爆破テロに関与した嫌疑濃厚とみていた。
3・ドゥテルテ政権の「超法規的殺人」を巡る問題については世界二〇一六年七月号所収の拙稿「世界の潮 フィリピン ドゥテルテ新大統領誕生の意味」を参照されたい。
4・安倍・カエタノ会談の内閣広報室録画
https://www.youtube.com/watch?v=eaCjvsAt_Hg
5・http://journal-neo.org/2017/05/28/isis-touches-down-in-the-philippines/
6・以下を参照されたい。
https://www.youtube.com/watch?v=_8kKCCnOm1Y
https://www.youtube.com/watch?v=DqNwUxjdsAA
https://www.youtube.com/watch?v=dcKVCtg5dxM
https://www.youtube.com/watch?v=LFwGvk3k6WM
7・世界二〇一二年六月号所収の拙稿「グアム移転見直しで浮上する米軍のフィリピン回帰‐基地撤収後の日米比関係」を参照されたい。
8・https://news.mb.com.ph/2018/04/10/ph-pushes-for-intensified-military-defense-cooperation-with-china/