作られる「戦後の終焉」ー戦争体験者消滅の中で 偽造の日本現近代史③

この夏は「戦後80年」が語られると同時に「戦後の終わり」に言及され始めた。日本はポスト第二次大戦という単なる時代区分を超え精神的な転換点として強く意識されて「戦後」が語られてきた稀な国である。ではなぜ日本で戦後の終焉が言及され始めたのか。それは「戦争はもうこりごり」「あんな馬鹿なこと二度とするもんじゃない」と腹の底から声を絞り上げた帰還兵を中心とする戦争体験者、換言すれば非武装・不戦の日本を受容した敗戦体験者がほぼ没してしまったからである。不戦の叫びが社会から消え去るのを待っていたかのように、第二次安倍政権の2014年集団的自衛権行使容認を受けた岸田政権は2022年安保関連3文書閣議決定で敵基地攻撃能力を容認し、非武装・不戦を誓った1947年平和憲法を完全に形骸化した。歴代自民党政権を操ってきた好戦的な米ネオコンやジャパンハンズにとって「日米安保に異を唱える戦後は終止符を打つべきもの」だったのだ。

「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」ー。安保関連3文書の核となる国家安全保障戦略書で強調されている文言だ。日本に隣接する中国、ロシア、北朝鮮といった核保有国が目覚ましく軍拡を進める中、これに対抗しうる戦力の拡大は必須だ、と危機感を煽り続けている。だが「最も厳しく複雑な安全保障環境の下」にあったのは戦後40年余り続いた東西冷戦時代も同様だった。日米安全保障条約と在日米軍基地を抱える日本列島は反共の防波堤として冷戦の最前線に置かれ、絶えず危機が煽られてきた。核戦争と人類死滅の恐怖にさらされた未曾有の危機の時代であった。1989年の東西冷戦終結後は新たな危機が生み出され、米軍を補完する自衛隊の重武装化と国外展開が着実に進んでいった。

新たな「最も厳しく複雑な安全保障環境」作りためのシナリオは唯一の超大国となったアメリカで練られてきた。1991年12月にソ連が消滅し、翌1992年2月には2002年ブッシュドクトリン(新戦略思想)の基となるペンタゴン秘密文書が作成された。それはポスト東西冷戦期の米国家安全保障戦略書の一環としての国防政策指針だった。この文書作成のために当時の国防次官ポール・ウォルフォウィッツをはじめネオコンが結集した。指針は旧ソ連圏の復活を阻止するだけでなく、潜在脅威であった中国や欧州連合(EU)の封じ込めを主眼とし、最終目標として米国によるユーラシアでの覇権掌握が示唆された。指針の核心は、旧敵国ドイツと日本を米国の覇権拡大計画に組み込んで封じ込めつつ、冷戦後の世界ではアメリカのライバルとなる超大国の台頭は許さない」との宣言にあった。

だがネオコンが「ライバルとなる超大国の台頭を許さない」と宣言して10年も経ずに、共産中国が台頭今やアメリカを凌がんばかりの経済力、軍事力を備えた超大国となった。この中国台頭の動きとポスト冷戦の日米安保体制の変遷はパラレルとなっている。

米ウォール街は鄧小平の打ち出した先富思想の新自由主義に基づく1978年改革開放路線への転換を大歓迎し、対中投資で巨額の利益を得た。1980年代初めにはソ連に対抗すべく中国海軍の近代化を支援したほどだ。1991年にソ連が崩壊すると雲行きは徐々に変わっていった。それは冷戦終焉でソ連という共通の敵を失い、国連中心主義へと傾斜しかけた日本への厳しい対処に現れた。1990年代には米国がアジア地域に10万人の前方展開を維持しながら、既存の日米同盟へのコミットメントを再確認した東アジア戦略概観(ナイ報告書)に続き、日米安保が再定義された。21世紀に差し掛かる頃になると「中国の台頭」、「膨張する中国」がメディアで執拗に唱えられ、中国の南シナ海領有の主張や尖閣列島の領有権問題がセンセーショナルに報じられるようになる。北朝鮮核武装問題はさて措き、「21世紀に向けてアジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎」とされた1996年日米安保共同宣言は中国の超大国化を待ち受ける格好となった。日本を「主役」として巻き込む中国の脅威は紛れもなくアメリカにより作られたものである。

日本の保守政権がいかに深く対米追従という病に汚染されているかが9月23日の石破首相国連総会演説に端的に現れた。曰く、安全保障理事会は今なお十分に機能を発揮していない。最たる例が、ロシアによるウクライナ侵略である。国際の平和と安全に特別な責任を有するはずの安全保障理事会常任理事国が、隣国を侵略をし、国際秩序の根幹をゆるがしている」と

一方例えば、イラク戦争にあたりブッシュ米政権は国連安保理決議を踏まえず、先制攻撃に踏み切った。しかも大量破壊兵器をサダム・フセインが秘匿しているとの侵攻の口実は虚言であった。ところが日本政府は米国の国連決議なしでの無法なイラク攻撃をも支持した。まさに「アメリカ様のなさることにはどのようなことにでも服従いたします」との宣言であった。その意味では、戦後とは天皇がアメリカに置換されたにすぎないことになる。石破がそのカモフラージュのため国連でパレスチナ国家承認、二国家解決を訴えても多くの国は冷笑しているはずだ。

そのような日本政府に「安全保理常任理事国であるロシアが、隣国を侵略をし、国際秩序の根幹をゆるがしている」と批判する資格はない。そもそもロシアが特別軍事作戦の名の下にウクライナに侵攻した経緯と背景を子細に調べればロシアによるウクライナ侵略はアメリカによるイラク侵攻と同列に並べられるものではない。その経緯と背景の一端については以下の論考を参照されたい。

①“ウクライナ・ネオナチや日本会議操る米ネオコン 覇権拡大に手段選ばず” ② “プーチン追放企て戦争仕掛けたのは米ネオコン ドゥテルテ体制転覆は中露の比支援で頓挫 ③プーチン政権崩壊狙うブレジンスキー構想 ウクライナ危機と米のユーラシア制覇

本題の対中冷戦の実態、戦後日本の現況についての考察については①米政権の豹変と安倍国葬 「血を流せる国」にすると冷遇一転し絶賛”②中国を封じ込め日本を操る米英の策略を見抜け 近代日本第三期考1 ③「中露北に囲まれ最悪」と米におもねた自民党総裁候補 「攘夷のための開国」の果てーなどを参照されたい。

さて、日本の戦後を考える場合、戦争の放棄を謳う1947年憲法順守を原点とするならば戦後は永続させねばならない。実力組織・自衛隊や専守防衛という”現実的対応”は、世界覇権に取りつかれたアメリカ好戦主義者が自己都合で日本に押し付けたものだ。半世紀も経たず状況は変わり、自衛隊は完全に米軍の指揮下に組み込まれた軍隊となり、専守防衛は敵基地先制攻撃をも許容してしまった。日米安保条約は今日、平和憲法の完全形骸化をもたらした。安保破棄こそノーモアワーという戦後の理念継続のカギである。

さらに戦後を考えるには、中国、インドをはじめ旧植民地国のポスト二次大戦を巡る視点が必要である。米英仏をはじめとする欧米列強に加え日本の帝国主義的圧制に抗して戦後に非同盟を唱えた第三世界は今、グローバルサウスとして団結して経済力では主要先進国を凌駕しようとしている。彼らの視点に立てば、中国の台頭は決して脅威ではなく、ロシア、インドと手を携えて帝国主義支配を乗り超える新世界形成のリーダーたり得る。だからこそ英すなわちアングロサクソン覇権国は中国、ロシアの悪魔化キャンペーンに死に物狂いになっている。

ここでいったん筆を擱く。