宮島での記念撮影でマクロン仏大統領、一人手を振らず 米英主導のG7に異議表明 5月24日差替

本ブログは4月20日付記事「独仏、対中露政策で連携し、米国を翻弄 空文化する日本でのG7共同声明」などでフランスとドイツが米国の主導する中国封じ込めやウクライナ戦争を巡る対ロシア制裁に間接、直接に異議申し立てしていることを訴えてきた。4月19日から3日間開催されたG7広島サミット初日にマクロン仏大統領は夕刻訪問した宮島でサミットの在り方にボディランゲージで抗議の意思を表明した。9人の首脳が一堂に並び記念撮影したが、向かって岸田首相(中央)の左に立ったマクロン氏は一人手を振らず笑みも浮かべず左手をポケットに入れて、右手は終始下げたままだった。ゼレンスキー・ウクライナ大統領がフランス政府専用機を使ってG7首脳と面談協議のため訪日したことも不機嫌を増幅させた可能性もある。機材貸与は不承不承だったのではないか。

ウクライナ内戦を終結させるための2015年ミンスク合意は国連安保理で決議された国際条約となっていた。だが米英に支えられたウクライナのゼレンスキー政権は合意・協定締結から7年経てもこれを履行せず、ネオナチ部隊を主力とするウクライナ軍が独立を宣言した「ドネツク共和国」など分離独立派武装勢力と戦闘を継続、ロシア語話者地域である東部ウクライナで住民惨殺など蛮行破壊を繰り返した。このような背景がロシアを東部2州の独立承認と集団自衛行使を唱えての軍事侵攻へと踏み切らせ、東部2州の事実上の独立を認めるミンスク合意を仲介した仏独の米英に対する不信を決定的にした。

2022年3月25日付掲載記事「ウクライナ危機討議したG7緊急首脳会合 写真が示す微妙な米独関係と日本の孤立」では会談の合間に行うバイデン米大統領とジョンソン英首相(当時)との会話に割って入ろうとしながら拒まれ続けたマクロン仏大統領の姿を指摘。さらにベルギー・ブリュッセルのNATO本部でのG7首脳の記念写真でもマクロン氏の態度は宮島とまったく同じである。

 

 

マクロン氏のウクライナのゼレンスキー氏への拒絶の気持ちは2022年6月27日にもろに現れた。ウクライナ大統領が「ロシアは『テロ支援国家』に指定されるべきだ」と訴えると、即座に「そのような表現は使わない」「同意しない」とはねつけた。

今やEUの盟主となり舞台裏で米英から様々な攻撃を受けているドイツは敗戦国ゆえにフランスほどあからさまに反英米の姿勢は見せない。だが戦後ドイツは米国抜きのロシアを含めた全欧州安保体制の確立を希求してきた。詳しくは2022年11月8日掲載記事「独首相訪中の衝撃:G7を空洞化、中露主導の新ユーラシア構想への参入を促進」などを参照されたい。

4月3日付掲載記事「ウクライナから中露の裏庭へ戦線拡大へ 米ネオコンは中央アジアで賭けに出るのか」で指摘したように、ネオコンが牛耳るバイデン米政権はウクライナに続き中露に挟まれた旧ソ連構成国の中央アジアでの騒擾、政権転覆を狙っている。中国の習近平国家主席はG7広島サミットの日程にぴたりと合わせ、中国・西安で中国が主導する上海協力機構(SCO)に加盟する中央アジア5カ国とのサミットを開き=左写真=、首脳会議の2年ごとの開催を決めた。

元々、中国・新疆ウイグル自治区、中央アジアを経由して欧州を結ぶ「一帯一路」構想提唱10周年を記念して5月開催は決まっていたとみられる。これは明らかに「アフガンを含め中央アジアを不安定の煮えたぎる大釜にする」との米側の挑発に対する対抗措置でもある。開催日程が広島サミットとぴたりと重ったことがそれを証明している。

マクロン氏は4月の訪中で北京と広州において2日間で計6時間以上も習主席と差しで話し込んでおり、習氏からG7サミットを念頭に置いた中央アジア5カ国との首脳会談開催を知らされていたことだろう。帰国途上の機上で同行メディアに「「中国と関係を断つのは狂気の沙汰だ」「欧州は台湾問題で米国に追随しない」と断言した。中国とロシアを「国際秩序とルールを破壊する敵」とみなす広島サミットの宣言取りまとめで米英と少なくともフランスは激論を交わしたはずだ。

西側メディアが報じる「G7は一枚岩」は決して真実ではない。実態は逆だ。マクロン氏が宮島で手を振らなかったことに触れたメディアは管見するところ見当たらない。宮島「事件」以降、全員集合した撮影画像は日本メディアを見る限り、「手を振る」場面はカットされている。