中国巡り、対決から"連携"へ 日米100年史 -17日更新-

■不可避だった対決

20世紀前半、米国は中国に侵攻する日本と対決した末、大日本帝国を粉砕し解体した。だがその後、中国共産党が国共内戦に勝利したため、蒋介石国民党を支援してきた米国も中国大陸からの撤退を余儀なくされた。

21世紀に入ると、中国は”和解”した米欧日の資本、技術、知的財産を存分に活用した末、米国に迫る経済大国となる。経済的台頭は軍事膨張を引き起こし、米国の脅威となった。そして今年、米中間の冷戦が本格的に始まった。

戦後日本は米国の保護国となり、米中対決に不可欠な駒として活用されている。積極的平和主義に基づく日米同盟と称されている。だが実態は、米国に追随する「歪んだ連携」である。

ごく簡単に歴史を振り返ってみよう。ともに中国大陸に利権を求めた日米の対決は不可避だったことが分かる。

米国は19世紀末、北米大陸でのフロンティアが消滅したのを受け、太平洋を新たなフロンティアとして西方へと漸進することになった。

「文明の西漸説」に基づき西部開拓を正当化したスローガン「明白なる使命(Manifest Destiny)」は太平洋からユーラシア大陸へと向う標語へと変貌した。1898年のスペインとの戦争(米西戦争)を機に米国はハワイ、グアム、フィリピンを領土に組み入れた。

この時期、日清戦争に勝利した大日本帝国は日露戦争を経て中国大陸に本格侵攻しはじめ、アジア侵攻の拠点となった満州国を巡り米国と決定的に対立する。やがて米国に経済封鎖された末、日本は対米戦争へと突入することになる。

アジア太平洋戦争での敗北と大日本帝国消滅の結果、日本列島は中ソをにらむ米軍の前方展開拠点として活用された。言葉を換えれば、日本はユーラシア大陸への橋頭保、ニューフロンティアとなったのだ。

■「世界の工場」に警戒

2020年は米中新冷戦が本格開始した歴史的な年として記録されよう。1970年代末、文化大革命で疲弊した中国が経済的豊かさを求めて改革開放政策へと舵を切った際、国交を結んだばかりのワシントンはこの政策が成功すれば、数十年後にはドラゴンとなった中国と対峙する日が来ると予想していたはずだ。1983年に予想は確信に変わったと思われる。開放政策生みの親・鄧小平が人民解放軍を西太平洋へ進出させるべく海洋戦略の策定を劉華清提督に指示したためだ。

この海洋戦略は2010年までに第一列島線内部(近海)の制海権確保を達成、2020年までに第二列島線内部の制海権を確保するのを目標としていた。さらには2040年までに空母建造によって、米海軍による太平洋、インド洋の独占的支配を阻止し、米国と対等な海軍を持つことを計画として打ち出していた。

図説明&注:左側の赤線が第一列島線、右側が第二列島線。米軍のアジア戦略の要であるグアムを包囲する第二列島線内部の制海権確保の目標年は2020年。今年米国が中国共産党打倒宣言を発し、米中が全面対決する冷戦に突入したのは偶然ではない。米太平洋軍のキーティング司令官(当時)は2007年5月に訪中した際、中国海軍幹部からハワイから東を米軍、西を中国海軍が管理しようと提案されたと米議会で証言していた。

 

1990年代初めのソ連崩壊と東西冷戦終了後、日米安保見直しへと動きかけた日本の細川連立政権に対し、中国を潜在脅威と見なしていた当時のクリントン米政権はこれくぎを刺した。東アジアでの米軍10万人配置を維持して、日米安保の再定義に向けた日米安保共同宣言を出したのがその傍証となる。米国は当初から「改革解放の中国」に警戒心を抱きながら関与政策を続けつつ、低賃金の中国を「世界の工場」として経済的に最大限活用したと見るべきだ。

■ユーラシアは誰が管理?

「非ユーラシア国家(米国)が初めてユーラシア大陸を管理する」。これは対ソ冷戦終結後の1990年代半ばに故Z・ブレジンスキーが行った提言だ。カーター政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務め、オバマ前大統領の外交指南役として名をはせたこの国際政治学者のこの提言は米国の単独覇権の意思を包み込んだ新たな明白なる使命」宣言にほからなかった。力の衰えた米国は日・豪・印をはじめ同盟国を総動員して中国、ロシアを包み込む壮大な封じ込め政策を展開している。

対する中国、ロシアは2001年に当初、中露二カ国にカザフスタンなど中央アジア4カ国で構成された上海協力機構を発足させた。現在ではオブザーバー国、対話パートナー国を含めると18カ国が参加する「ユーラシア同盟機構」と化した。これは米国の封じ込め政策に対抗する中国圏の形成である。中国はユーラシア大陸ばかりか南米、アフリカ諸国の多くをその圏内に組み込もうとしている。

 

■新たな「暴 支 膺 懲

一貫して「世界の中心で輝く」「日本を取り戻す」との情念を燃やしてきたのが安倍政権だ。第一次政権では米国、オーストラリア、インドとともにインド太平洋戦略との名の下、ユーラシアの周縁を固める中国包囲網形成へと乗り出した。それは習近平政権の一帯一路構想と正面からぶつかり合った。

またオーストラリア、インドと二国間の安保共同宣言に署名。ブラッセルの北大西洋条約機構(NATO)本部を日本の歴代首相として初めて訪問し、NATOとの一体化を誓った。その延長線上に第二次政権下での世界のいかなる場所にも自衛隊を派遣できる集団的自衛権の行使容認(2014年)と新安保法制の制定(2015年)、さらにはNATOへの事実上の加盟(2018)がある。

今回は米国に追従する形ではあるが、安倍日本会議政権は新たな「暴 支 膺 懲 (ぼうしようちょう=暴虐な中国を こ らしめる)」の役割を担っている。外交的にも、軍事的にも米国に隷属する日本政府は、こと中国対抗に関しては自発的である。このパトス=情念は戦前、明治維新時から引き継がれている。日本会議を広告塔とするこのパトスこそが安倍政権の超長期政権化の原動力であり、米・NATOにとって他の政権をもって代え難いものとなった。

下の「検証:日豪安保宣言」は世界2008年3月号に掲載された論考である。日本のエスタブリッシュメントは反米を内に秘めつつ、暴 支 膺 懲へと動く。歴史的に根深いこのパトスを指摘した。

 

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 検証・日豪安保協力宣言(1)

 

 日米豪軍事トライアングルを紡いだ男

 

 日本とオーストラリアとが軍事的に急接近している。二〇〇七年三月一三日。来日したハワード豪首相は安倍晋三首相(いずれも当時)との間で日豪安全保障協力共同宣言に署名した。日本政府は一九五一年の日米安保条約締結以降、米国以外で初めて安全保障に関する関係強化を明文化し、軍事同盟構築への第一歩を踏み出した。その背後には〇一年の米同時多発テロ(9・11)発生を契機に世界規模で「テロとの戦い」を展開している米国の強い意向があることは明々白々。一九九七年に訪豪した橋本龍太郎首相(同)がハワード首相と安全保障に関する日豪間対話強化で合意して以降、首脳、関係閣僚レベルの年次会合が開催されてきた。とはいえ、豪州が強面な軍事同盟国候補へと変貌したことに戸惑いを隠せない日本の市民は少なくない。なぜ昨春、安保協力宣言に至ったのか。まず日豪軍事接近を促した米国の思惑を重視しつつ、その背景と水面下の動きを探ってみる。

 

 ■豪軍、横田基地日米統合司令部に常駐か 

 共同宣言から八日後には豪シドニーで日米豪三カ国の外相による戦略対話が行われた。六月には共同宣言を受けての動きが集中した。日豪二カ国、日米豪三カ国の閣僚級会談が矢継ぎ早に実施されると同時に、自衛隊が米豪軍の大規模合同演習にオブザーバー参加した。 

 九月にシドニーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際、日豪首脳会談を実施。安保協力共同宣言を具体化した行動計画(アクションプラン)を発表し、柱であるテロ対策、防衛・国防相の年次会合実施などが改めて挙げられた。

 両国関係者は表向きは強く否定するものの、その中核には台頭する中国封じ込めへの強烈な志向が存在する。

 実際、〇七年九月には日米豪はインド、シンガポールを巻き込み、中国海軍の進出著しいインド洋ベンガル湾で最大級の合同演習を実施。米空母を含め計二〇隻を超す五カ国艦船は、偵察機に支援された約一六〇の戦闘機と共にミャンマー西方沖のココ諸島にある中国軍基地に公海上のぎりぎりまで接近、中国海軍は原潜まで出動させ、一触即発の緊張が続いたもようだ。さらに、同年一月、四月には沖縄本島沖や房総沖で中国大陸を睨みつつ、露骨に北京を挑発した海上合同演習も相次いで行われている。

 また、宣言前の〇六年五月に海上自衛隊が「親善訪問」の名の下、初めて訪豪して豪軍と合同軍事演習を展開。北部準州で豪空軍と対潜哨戒機による潜水艦偵察訓練を行った。これを皮切りに、宣言後の〇七年一〇月、豪軍が初来日し青森県から沖縄県まで航空自衛隊と日本各地で「空軍」合同訓練を長期実施した。空自部隊も輸送訓練と称して豪州に赴き、〇七年は相互訪問となった。

 在日米軍再編をめぐる〇五年一〇月の日米合意で、米軍横田基地(東京都)に米軍と自衛隊との一体化促進を具現する共同統合作戦司令センターの設置が決まった。〇六年七月の北朝鮮のミサイル発射時にはすでに同二月の供用開始から半年経ていた同センターへ「豪部隊が〇七年五月に初めて訪問した」(豪政府筋)という。

 豪空軍諜報関連部隊が米軍横田基地の統合作戦司令センターに常駐しているのでは、との疑いは払拭できない。何故なら、横田基地は弾道ミサイル防衛(BMD)構想の日米共同の司令拠点となったからだ。日豪安保協力を存分に活用しようとする米軍は豪大陸中央部に位置し、BMD運用に不可欠な情報傍受の最大拠点であるパインギャップ米軍基地と横田基地、そして米国内拠点とを結んだ軍事トライアングルをすでに構築しているようだ。

 

 ■豪政権交代で対中政策変更も 

 〇七年一一月二四日に投票が行われた豪連邦議会選挙で労働党が一一年ぶりに政権を奪還した。〇六年一二月、四九歳の若さで新党首に選出された、外交官上がりで豪政界随一の中国通とされるケビン・ラッド新首相への高い期待、米主導の「テロとの戦い」に過剰なまでに協調し「ブッシュの愛玩犬」とハワード前首相が国内外で揶揄された上、雇用者寄りの労使関係政策実施や保守長期政権への国民の飽きが決定的要因となり、労働党を勝利へと導いた。

 新政権は対米関係を外交の基軸とする伝統政策を維持しつつも、イラク派遣部隊の段階的撤収を改めて約束するとともに、早速地球温暖化・気象変動抑止を図る京都議定書の批准を行い、前政権の対米追随路線とは一線を画そうとしている。

 しかし、ラッド首相は〇七年一二月三日に正式就任したばかり。早々と〇八年の訪米予定を明らかにしたものの、今後対中政策をどう具体的に展開するかについては〇七年一二月半ば現在、公表メッセージは見当たらない。いずれにせよ、それは新政権にとって最も重い課題のひとつとなっている。

 マンダリン(北京語)を流暢に操り、子息も中国語を学び、北京在住経験のある一家は挙げて中国の歴史、文化への造詣が深いとされる。〇七年九月のAPECシドニー会議に出席した中国の胡錦濤国家主席はラッド氏と懇談した際、これを聞きいたく感激。選挙結果が出る前に家族全員を早々と〇八年八月開催の北京オリンピック開会式に公式招待したという。

 こんな中、内外の豪政治ウォッチャーには「ラッド新首相は知中派ではあるが、決して親中派ではない」と強調する者が目立つ一方、「中国を内側から長年観察すれば親中派となる確率は極めて高い」(日本の外務省中国担当高官)との見解もある。いずれにせよ、豪新政権の誕生が日豪安保協力の今後の動向に相当な影響を与える可能性は否定できない。

 

 ■西太平洋域に神出鬼没する米人 

 豪新政権に対して、早速対中政策を筆頭にアジア外交の方向付けで注文を付けている元米政府高官がいる。ラッド新首相もこの「圧力」に内心穏やかでないはずだ。この人物は西太平洋域に南北に列をなす日本、台湾、フィリピン、オーストラリアの四カ国・地域を足場に、アジア・オセアニアの各地に神出鬼没している。

 禿げ上がった小ぶりな頭を厳つい肩と巨大な鳩胸の上に頂いた格好の、入道然たる大男。一九四五年米東部ボストンに生まれ、米海軍士官学校を卒業後、志願してベトナム戦争に従軍。ベトナム語を僅か四週間で習得、旧南ベトナム軍特殊部隊教官を務め、米海軍特殊部隊(SEALs)、米国防総省情報局など複数の諜報機関で〝暗躍〟したとの逸話の持ち主だ。第一期Wブッシュ米政権(二〇〇一―〇五)の国務副長官リチャード・アーミテージ氏こそ、その特異な風貌で人々に強烈な印象を与え続けている本稿のキーパーソンである。

 八〇年代から九〇年代初頭のレーガン、ブッシュ父両共和党政権ではアジア・太平洋地域担当の国防次官補代理、同次官補の要職にあり、九三年に民主党政権に交代すると民間人としてコンサルタントに転じた。

 民主党サイドではクリントン政権下の九五年に冷戦後のアジアに一〇万人の米軍プレゼンス維持を提唱した「東アジア戦略報告」を作成、アーミテージ報告書では代表執筆者として名を連ねる元国防次官補でハーバード大特別功労教授のジョセフ・ナイ氏、同氏に見出されソ連研究から対日政策研究へと転じた元国防次官補代理(アジア担当)カート・キャンベル氏らと親交を結んでいる。

 〇八年米大統領選の結果、民主、共和の二大政党のいずれが政権を担おうと自身の立場も、アジア政策にも大きな変更をきたさないよう布石が打たれている。

 

 ■もうひとつの「顔」 

 その広範な政官界コネクションを生かし、官職を辞す度にコンサルタント会社を設立。日米間の軍需、石油関連などの有力企業と政官財界とを「橋渡し」して潤沢な資金を得ている。日本との絡みでは守屋前防衛事務次官の収賄事件に関連して、〇七年一二月初め、防衛専門商社「山田洋行」から顧問料を得ていたとの報道があった。

 こんな中、世界をまたに掛けた軍需・国防「利権」の最たる受益者の一人との指摘もある。これが正鵠を得ていれば、「米政官界での要職歴任で築き上げた内外の人脈を抜け目なく民間人として活用する特異な政商」と言える。稀有と形容可能なコネクション構築能力は豪州、台湾、フィリピンなどアジア太平洋各国・地域の政財界にも及んでいる。

 二〇〇一年、〇七年の二度にわたり日米関係の在り方に関する超党派の提言「アーミテージ報告書」を公表。日本の政財官界関係者の間で圧倒的な存在感を示しているためか、日本のメディアで同氏の「もうひとつの顔」に言及した記事は皆無とみられる。

 一方、ドイツ選出のビビアン・コナリ欧州議会議員(安全保障防衛委員会所属)は〇七年五月、独日刊紙に「中国包囲」と題して寄稿。そこで、チェイニー米副大統領が第二次アーミテージ報告書に即応して公表から五日後の同年二月二一日に来日、続いて豪州を訪問したことに触れ、「米副大統領は『ワシントンの共和党政権と東京、キャンベラとが共同してより大きな計画を実施しよう』とハワード豪首相に持ちかけた。それは日豪間で最近ようやく緒に就いた同盟関係を促進して中国を包囲し、その政治的、経済的地位の低下を狙ったものだった」と暴露した。

 豪政治研究者の調査によると、日豪安保協力宣言の構想は〇六年一月、訪豪したアーミテージ氏がダウナー豪外相(当時)に初めて公式に打診した。だが、同相はこれに対して首を縦に振ることはなかった。

 拒絶の理由としてまず、豪外務貿易省が中国へのウラン輸出拡大に尽力していたことが挙げられる。次に、依然高度成長を続ける中国が、鉱物資源をはじめ豪産品の最大の輸入国であり続ける日本に取って代わるのは時間の問題と見ていたため、対中経済関係を優先した。さらに、「台湾海峡有事の際には介入せず」との方針を打ち出していたためだ。

 また、同省幹部らは「台湾を巡る米中間の軍事的緊張が極度に高まればわが国は必ずダーティな役割を担わされる」との対米不信、換言すればアーミテージ氏への警戒感を抱いていたという。この認識と相俟って、同氏が持ち込んだ構想を拒絶したのは「日豪安保協力宣言は中国をむやみに刺激してわが国に予期せぬ不利益をもたらしかねない」との懸念が高まったためといわれる。

 

 ■一年前に豪前首相は既に政治決断  

 しかし、ダウナー外相(当時)に対する日豪安保協力宣言構想の公式打診は実は形だけのものだった。ハワード首相(同)はすでにその一年前から日豪共同宣言公表の時期を模索していた。米国防総省が当時、自転車の車輪に倣って「ハブ・アンド・スポークス」と呼ばれてきた、米国をハブ(車輪の中枢部)とし、太平洋を越えて日本、韓国、台湾、フィリピン、豪州・ニュージーランドを「ハブに集結する輪(スポークス)」と捉える従来の同盟の在り方の変更を構想していたためという。

 この構想の仲介役のひとりが、駐豪大使から駐日大使に転じたトーマス・シーファー氏である。〇七年七月の参院選で大勝、第二院の第一党となった民主党の小沢一郎代表をテロ特措法延長による海上自衛隊のインド洋給油活動継続を「陳情」するため訪ねた際、半時間待たされた挙句、記者団に公開して面談を強いられ、一躍「時の人」となった。

 同大使は生粋のテキサス育ち。Wブッシュ大統領とは親友で、野球好きのブッシュJrと米大リーグ球団・テキサスレインジャーズの共同オーナーを務めた仲だ。

 シーファー氏は〇一年の9・11発生直前に駐オーストラリア大使に政治任命され、イラク復興支援名目で自衛隊がイラク南部サマーワで豪軍に守られて本格駐屯を始めた〇五年四月に東京に異動している。

 一方、〇四年の豪総選挙で与党連合が過半数を得て四期目の政権を担ったハワード首相(同)は「イラクへ増派はしない」ことを選挙公約に挙げた。ところが、〇五年二月、陸上自衛隊先遣隊が〇四年一月から駐屯を開始して〇五年初頭にはフル活動に入っていたサマワに豪部隊を追加派遣すると発表して選挙公約を破った末、「日本政府からの強い要請だ」と弁明に努めた。これが〇七年一一月の総選挙での保守政党連合惨敗と現職首相落選の一因となったようだ。

 在京の欧州外交筋は「ハワード、ブッシュの両政権はアーミテージ、シーファーを仲介役に使い、イラクでの『日豪軍一体化』を契機に安保協力共同宣言調印へと邁進した」と説明した。二年後の東京での両国首脳による共同宣言署名はハワード氏のトップダウン型決定を受け、豪首相府と政府系シンクタンクとが協力した準備の「成果」であった。

 

 ■米の財政窮迫と日豪安保協力 

 西太平洋の南北端にそれぞれ位置する日豪両国がアジア・太平洋地域で先鞭を付けた二国間軍事同盟化への動きは経済面で米国の覇権を支える狙いが込められており、看過できない。それぞれ「孤立した輪」だった日本と豪州とが同盟国として一体化し、これがユーラシア大陸東部、即ち中国を含む「不安定の弧」を包囲するアジア・太平洋地域の親米国の軍事連合へと発展すれば、同地域の米同盟諸国は相対的自立を遂げることとなる。

 実際、日豪両国の中間点に位置するフィリピンは日比、豪比の二国間でそれぞれ軍事連携を強化、事実上日豪安保協力の輪に参入している。 

 世界経済の成長エンジンである東アジアで米政権の思惑通りに中国を排除した自立型安全保障体制が確立されれば、米国のプレゼンス補完と財政負担軽減が可能となるためだ。

 イラク、アフガニスタンでの対テロ戦争は米欧の軍需産業一体化を加速すると同時に、空前の好景気をもたらし、その特需は世界の景況感を一時的にせよ上昇させた。

 だが、泥沼・長期化する「テロとの戦い」で米国は六〇年代のベトナム戦争、八〇年代の大軍拡と富裕層減税の時代に続き、〇五年に約八〇〇〇億ドルに達した経常赤字をはじめ、財政収支、貿易収支の膨大な赤字、いわゆる「三つ子の赤字」を再び抱え込んだ。

 日本政府を旗振り役として、中国、日本、親米産油国が中心となって、米国財務省証券(TB)を購入する一方、主要先進国による米政府の財政安定、ドル暴落防止を図る多国間政策協調体制が確立されて久しい。これが米国民の過剰消費により発生し、年間八千億ドル(百兆円)規模にまで膨張した貿易赤字によって国外に垂れ流された米ドルの米本国への還流を可能にしてきた。

 だが、二〇〇〇年のIT(情報技術)バブル崩壊に続き、現在進行形の住宅バブル崩壊、即ち低所得者層への住宅融資=サブプライムローンの大量焦げ付きで米経済への先行き不透明感が極度に広がり、ドル還流システムに綻びが生じている。これが米国の過剰流動な金融システムの不安定化に拍車を掛けており、世界経済をクラッシュへと導くのでは、との深刻な懸念さえ引き起こしている。

 ベトナム戦争末期のニクソン・ドクトリン、即ち一九六九年七月のニクソン米大統領によるアジアでの紛争への米国の過剰関与停止宣言。さらに、冷戦下で未曾有な軍拡を進めた末、財政破綻を招いたレーガン政権が決断した一九八五年のプラザ合意(ドル高是正への為替調整システム構築合意)。これらは米軍事費の空前の増大がもたらした米ドル危機の防衛手段であった。

 プラザ合意によりG7(当時はG5)と呼ばれる多国間通貨・金融政策協調体制が形成された。だが今や先進七ヵ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)による為替介入など政策調整だけでは機能不全状態となり、米同盟国は軍事連携でこれを補い始めた。

 

■巨大な利権付与する米軍再編 

 〇一年のWブッシュ政権発足に伴い本格着手された世界規模の米軍再配置(米軍再編)には、同じ発想が貫かれた。

 日本の場合、小沢民主党党首の師・故金丸信元副総理の鶴の一声で七八年度から計上されている″思いやり予算〝と呼ばれる駐留米軍経費負担は六〇〇〇億円規模にまで膨らんでいる。また、一兆円規模に達した防衛省の年間軍需品調達額は自衛隊の海外派遣で無際限な膨張へと進み、沖縄駐留の米第三海兵遠征軍司令部を中心に海兵隊員約八〇〇〇人をグアムに移転する計画の費用は二兆円規模まで引き上げられた。米側が押し付け続ける「応分の負担論」に財務,防衛両当局が過剰なまでに従順になった結果である。

 日本政府は米側の″理不尽な要求〝を受け入れ続けている。戦時下で膨らみきった軍事予算が米財政を破綻させて金融クラッシュに進めば、日本を不可避に巻き込む世界恐慌を招来するとの恐怖感が一因であるとは言える。だが、米の肥大化した軍事費が世界中に軍需利権を巡る腐敗の種をばら撒いている。

 今や米国防総省から受注する、いわゆる米ペンタゴン企業とのパイプ作りは日本のゼネコンのみならず地方中堅建設企業にまで伸張して、各社は在沖縄米海兵隊司令部の移駐先グアムをはじめ全世界に数多ある米軍施設の新規及び増改修工事の受注に狂奔している。 

 回り巡って還流して来る日本発の巨額資金の一部が下請、孫請であれ、受注した日本企業から政官界へとキックバックされる。ここにコンサルタントと称して国際政商が暗躍する余地がある。

 現在流行語となっている「防衛利権」は、とっくにグローバルな規模に拡大していた。例えば、八〇年代のレーガン米政権の国務長官シュルツ、国防長官ワインバーガーの両氏は最大のペンタゴン企業ベクテル社の社長、副社長を務めていた。米国発の軍・産・政の癒着=新複合体形成は瞬く間に日本を含め世界中に跋扈して行った。

 アーミテージ氏が〇四年末に米国務副長官辞任後、米中央情報局(CIA)長官ポストをはじめ数多のトップ級官職への誘いを断って再び民間コンサルタント会社を立ち上げたのは、日米、日豪間をはじめ世界規模の米軍再編が如何に巨額な利益をもたらすビジネスであるかを端的に示唆している。これを通じて得られる資金が同時に絶大な政治力を彼に付与しているはずだ。

 

■ ラッド新党首選出で急いだ日豪宣言  

 さて、日豪両国はなぜ〇七年三月十三日を安保協力共同宣言署名に選んだのであろうか。中国とのコネクションにおいては豪政界で他者の追随を許さないラッド氏が〇六年十二月に豪労働党の新党首に選出され、世論調査でハワード首相率いる自由党・国民党の与党連合を労働党が支持率で大きく上回るようになったのが主因と言える。

 「安保協力宣言とアクションプランを既成事実化し、政権交代が起きても、それまでにラッド氏とその政策ブレーンをがんじがらめの状態に追い込んでおく。この作戦遂行をブッシュ政権は急いだ」。在京の欧州外交筋はこう説明する。                           

 豪州を出自とし、一時はハワード氏と極めて親しいとされた「世界のメディア王」ルパート・マードック氏は今やWブッシュ大統領を陰で操ってきた米ネオコンの盟友とされる。彗星のように現れて、豪国民の大きな期待を担うようになったラッド党首をバッシングするにはうってつけの人物である。

 同氏周辺が関与したとの証拠はないが、第一弾は「ラッド党首、NY(ニューヨーク)の歓楽街でご乱行」との報道だった。二〇〇三年、訪米中の同氏がNYのストリップ小屋に入り、泥酔して品性を疑わせる言動を行ったとの内容だった。もちろん、このゴシップ記事は新党首選出後の〇七年八月に豪紙に掲載された。ラッド氏は動じることなく、率直にその事実を認めたため、「敬虔なクリスチャンで堅物とのイメージを払拭し、かえって親しみをもたれた」(在豪日本人記者)。このためか、逆に支持率は上向いた。 

 第二弾は人材派遣事業で成功したビジネスウーマンとして名を馳せるラッド氏の妻へ矛先が向けられた。「豪労働党首夫人、夫が非難するハワード政権の個人雇用契約制度を悪用」との類の記事がこれも党首就任後報じられたという。団体交渉権の有名無実化を図った前政権は団交で締結した労働協約の枠外で、被雇用者が雇用主と個別に労働条件を結べるようにした。これに便乗したと非難された妻は国内の会社を閉鎖、英国に本拠を移した。「ラッドは妻を利用して、労働党の政策に反する行為をして、私腹を肥やした」と労働党支持者のラッド氏への不信が煽られた。これも奏功した気配はない。

 労働党右派とされるラッド新首相は〇七年一二月三日に正式就任した。就任前は前任者ハワード氏の不人気に助けられ、メディアの「攻撃」をかわせた。だが、政権掌握後のこれからは日本の安倍前政権で頻発した閣僚の不祥事、守屋前防衛次官の後任人事に端を発した軍需品調達に絡む贈収賄事件=防衛疑獄に発展している政治スキャンダルに類似した罠が米側の主導で豪新政権に仕掛けられる恐れは大である。

 日本のメディアはアーミテージ氏をパウエル前米国務長官と共にイラク戦争開戦に反対した知日穏健派と美化し過ぎる嫌いがある。繰り返すが、「特異な政商」としての裏の顔を追及しないからである。

 ベトナム戦争での諜報諸機関での工作活動、サイゴン陥落直前の命がけの旧南ベトナム軍要人らの救出及び米軍機密文書搬出作戦の指揮、在フィリピン米軍基地存続条約締結交渉の米側団長としての言動などを精査すれば、居丈高で、従属国政府を恫喝で服従・屈服させようとし続けてきたことが判明する。

 たとえば、九一年九月に比上院が基地存続条約批准を否決した際、在マニラ米大使館に集めた当時の比政府要人らに「空軍すら持たないに等しいおまえらは今後どうして国を守るのか」とわめき、当り散らしている。豪新政権が彼を最高度の要注意人物とみていることは間違いあるまい。

 対中政策での圧力に関して、ラッド新首相の心の内を窺い得る資料が存在する。それは東京で日豪安保協力共同宣言が調印された翌日、豪日刊紙に寄稿したラッド氏自筆の評論記事である。「第二次大戦中(ダーウィン無差別爆撃、豪軍捕虜大量殺害など)日本が豪国民に心身ともに与えた傷は決して癒えない」と対日不信感を露にする一方、「テロとの戦いでの日本との協力には賛同」と明言している。ただし、日豪安保協力が中国を敵視することになることは容認できないとした。

 既述のように、宣言にもアクションプランにも中国に関する記述は一切ない。中国は省き、テロ対策を柱にすればそれで十分だった。なぜなら、米政府の事実上の具体的戦略書である「第二次アーミテージ・ナイ報告書」がその欠を埋め、半ば公然と中国封じ込めを提唱しているからだ。

 第二次報告書公表から一ヵ月後に調印された日豪共同宣言についてのラッド氏の論考には動揺の色が薄っすらと滲み出ているとも読み取れる。それは中国擁護、対日不信を極めて明確に示しながらも、米主導の対テロ戦を評価した上で「日豪安保協力は不可欠だ」と持ち上げているからだ。

 どう言い訳しようと、同氏が「日豪の共同宣言が中国に警戒感を与えるのは必至」と認識していたのは自明。無意識に何らかの圧迫感がこのような曖昧な表現へと同氏を追い込んだのではなかろうか。

 

■ 日豪安保協力の暗部

 「米英、そしてわが国など英連邦(コモンウエルス)加盟国の一部がアングロサクソン同盟を形成している?それは思い込みすぎ。あり得ない。英国とわが国とは相互防衛条約すら締結していないではないか」。在東京オーストラリア大使館高官は苦笑しつつ反論した。

 米政府は最新ステルス戦闘機F22の対日輸出禁止解除の要求を一蹴した。さらに、F22を補完する米国の次期主力ステルス戦闘機F35の開発では、英、豪、カナダなど白人系コモンウエルス加盟国中心に八カ国の出資を認め、売却の対象はイスラエル、シンガポールを含む計一〇カ国とされている。日本は出資、売却対象から完全除外された。

 日本の軍需産業関係者が「臥薪嘗胆」を胸に刻んだとされるのが、三菱重工を主契約企業、米ロッキードマーティンなどを協力企業とする、日米共同を強要された航空自衛隊のF―2支援戦闘機(戦闘攻撃機)開発事業である。二〇〇〇年に運用開始されたF―2は元々日本の自主開発が目指されていた。

 ところが、米側はエンジンだけは国内開発できない日本側の弱みに付け込み、一九八九年に日米共同開発とした。日本側の最先端分野である主翼を一体成形できる炭素系複合材、レーダー技術、ステルス技術など米側が垂涎の的とした最先端技術はすべて日本に無償供与させる一方、F110エンジンなど米側が凌駕している技術は「ブラックボックス」に封印した。

 この日米合意の成立当時、ブッシュ父政権の国防次官補だったアーミテージ氏は「戦後、日米両国は相互信頼に基づき防衛協力体制を築いてきており、一〇〇%の信頼が醸成されている。問題はない」と都内某所で語ったという。この発言の場に居合わせた、日本の軍需関連企業幹部は「余りに白々しい言葉だった。かえって互いの信頼を損なわせていると感じた」と振り返った。   

 このような日米関係の歪みは日本の軍需企業関係者に「必ず日の丸戦闘機を」との執着と、反米感情、国粋意識の高揚を招いた。

 外務省幹部は次のように語った。「安倍前首相の復古的な保守主義を米政界は党派を超えて警戒した。〇七年四月の安倍初訪米で待ち受けていた懸案は従軍慰安婦問題での日本政府に対する米下院の謝罪要求決議を巡る打開策討議だった。六月末には決議ざれてしまい、『狭義の旧日本軍関与はなかった』との安倍見解は真っ向から拒絶された。こんな首相訪米は前代未聞だった」。

 米豪両国は党派を超えて日本の保守層を異端視し、日本社会の底流に未だに淀み続ける狭量な国家主義、国粋思想、かつての軍国主義・ファシズムへの警戒を怠っていないのである。先の外務省キャリアは「米国が安倍政権の長期化を恐れていたのは確か。彼に戦前の超国家主義の残影をみていたと思う」との見方を示した。

 

 ■トライアングルの主役は米豪 

 話は戻る。「アングロサクソン同盟は存在している」との指摘に対する在日豪大使館高官の回答は「ノー」、「日本は米欧諸国と価値観を共有できる成熟した民主主義国になったと本気で考えているか」との質問には「イエス」が返ってきた。本音の回答は逆転しているのは間違いない。

 さらに、中国、ロシアを主たる標的とする

弾道ミサイル防衛(BMD)に関する回答も実に意味深長であった。「日本のメディアは日米のBMD開発・研究共同事業にわが国が参加の意向を表明したと報道しているが、これは誤り」と断言した。つまり、米豪両国は日米とは別個に共同開発するというのである。

 そこには「米国製造業の最後の砦である航空宇宙産業、特に軍事に関する最新技術は決して日本へは漏洩させない」との固い意志が窺えた。前述のステルス製戦闘機F22の対日輸出禁止、F35の開発・売却での日本排除、F━2の日米共同開発への強制的変更と同じ意思が当然にも貫かれている。

 F━2に代わる次期主力戦闘機としてF22の米国からの調達が絶望となったため、防衛省は国産ステルス戦闘機FXの試作に着手している。だが、〇八年度は百五十七億円の研究費を概算要求したに過ぎない。三千七百億円を投じたF━2の後継機は開発の初期段階で予算不足に陥っているようだ。

 「日本がFXを自主開発できて、仮に武器輸出解禁してもJSFグループ(F35開発参加の米、英、豪などアングロサクソン系五カ国とイスラエルなど計十カ国)は日本製ステルス戦闘機を購入しない」。豪政府関係者はあっさりとこう明言した。「日の丸戦闘機」が完成しても、納入先が自衛隊だけならまずコスト高で価格競争力を失くし、米欧諸国は日本製航空機による市場簒奪の悪夢から解放されるからである。

 日本のメディアは報じていないが、〇七年九月五日のシドニーでの米豪首脳会談で両国は兵器通商協力条約を締結した。米の戦闘機開発プロジェクト、BMD関連兵器開発事業などへの豪企業参入と米軍需企業の対豪投資促進、豪製軍需品の対米輸出自由化などが盛り込まれた。

 米政府の軍事技術をめぐる日、豪への対応は一八〇度異なる。一連の日本排除の動きは日米豪軍事トライアングルを米豪の権益確保の手段にしていることを如実に示している。

 

 ■「日本を正しく方向付ける」

 「日豪同盟化の動きは孤立した国同士の連合の試みですよ」。日本人若手研究者(日豪関係専門家)はシニカルな口調で語った。小泉首相(二〇〇一―〇六)の度重なる靖国神社参拝で、中韓両国は日本人の復古的保守意識を徹底して拒絶した。このため日本政府はさらに対米傾斜を深めたと見るのが識者の主流となっている。マハティール前マレーシア首相が在任中に「オーストラリアは欧州人の国。アジアには受け入れられない」とことあるごとに主張したように、アジア・太平洋国家を志向しつつも、豪州も孤立感を深めてきた。

 アーミテージ氏は「小泉首相の靖国参拝非難は日本の主権への侮辱」などと発言して擁護していたが、これには政治目的があったようだ。米国のための「代理保安官」を自称したハワード保守政権の豪州に西太平洋地域での米国代理として日本に手を差し伸べるよう促し、日本にもこれを受け入れさせたからである。

 ブッシュ大統領がアーミテージ勧告を受け入れ、親友シーファー氏を豪州に引き続いて駐日大使に任命した意図も「米国のための日豪連携を促すため」であったはずだ。

 米国際戦略センター(CSIS)から〇七年二月に公表された第二次アーミテージ報告書のタイトルは「米日同盟 二〇〇年までにアジアを正しく方向付ける」である。「正しい方向」とは「米国と同盟国にとって(中国に対して)有利な勢力均衡の創出」を意味するというのが研究者らのほぼ一致した解釈である。

 ただし、そこには「その前提として孤立を深める日本を米豪が共同して監視し、正しく方向付ける(GETTING JAPAN RIGHT)」との二重の意図が込められている。  (続く)