末期がんと闘いながら「ザイム真理教」をはじめベストセラーを次々と上梓している経済評論家の森永卓郎氏。日本の財務省は1990年代に基礎的財政収支(PB)黒字化を目標とする本格的な財政緊縮路線を掲げて、消費税増税を続け「失われた30年」を演出した。1995年に世界の18%を占めた日本の国内総生産(GDP)は今や6%を切り、日本の賃金は主要国中最下位、一人当たりGDPは韓国に抜かれた。森永氏は「財務省の掲げる緊縮財政の恐ろしさを政治家が分かっていない」「日本は世界初の衰退途上国になってゆく」と警鐘を鳴らす。では日本の財務省は意図的ともいえる日本の経済衰退を促す財政政策をなぜ採り続けているのか。残念ながら森永氏はこれに言及しない。それは財務省が国家予算編成権を有する「役所の中の役所」であり、官邸をも動かし、タテ社会日本の頂点に「君臨」するが故に米国による日本弱体化の原動力として使われてきたからだ。野党議員からは「財務省がある限り政権交代しても無駄」との声すら上がっている。
日本財務省の本拠はワシントンにあると断じても過言ではない。米首都のワシントンに「ファイナンス会」という邦人組織がある。会の趣旨は表向きには「日本の金融・財政に関心のある人が個人の資格で情報交換や親睦を深めるための会」とされている。だが実態は米国の世界支配の中核機関である世界銀行やIMF(国際通貨基金)に出向している日本の財務省官僚主体の組織である。会は世銀やIMFの理事となっている財務官僚有志で運営されている。関係者は「ファイナンス会の最近のリストをみると、正会員108人のうち、42人が財務省から出向しているキャリア官僚だ」と明かしている。ワシントンを特別視し、駐米大使の地位が事務次官の上にある日本の外務省ですら在ワシントン大使館に派遣されているキャリア官僚は20名程度とされている。財務省の場合、ノンキャリアを含めればワシントン駐在は優に100人を超えるとみられる。この異様な突出ぶりの原因は何か。
第二次大戦後の米国覇権のための国際金融機関である世銀、IMFの本部はワシントンにある=写真=。米国は世銀、IMFの最大の出資国であり、高度経済成長を遂げた日本がそれに次ぐ出資国となった。1980年代には、米英日仏独だけで、IMF、世銀の資金の優に過半を出資していた。だが途上国融資や金融破綻国への対処は基本的に「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる米国、世銀、IMFの三者の合意に基づいて実施され、市場原理主義的、新自由主義的政策の押し付け、企業の奔放な活動の促進、社会格差拡大や金融危機などを誘発してきた。「ワシントン・コンセンサス」は米経済学者ジョン・ウィリアムソンが1989年に定式化した用語で比較的新しいものだ。
日本の世銀、IMFへの拠出金額の決定権を有する日本の財務省はこのコンセンサスの内側で補佐役を務めてきた。1945年9月以来、戦勝国米国が手掛けた日本間接統治の場はワシントンにまで拡大していたのだ。クリントン政権下でウォール街(ゴールドマンサックス)から米財務省に送り込まれたロバート・ルービン長官に典型的にみられるように、米財務省、IMF、世銀は世界を自由にコントロールしようとする米英巨大金融資本(ウォール街、ロンドン・シティ)と一体であり、さらに言えばIMF、世銀はウォール街、米財務省の金融マフィアの走狗なのである。
日本の財務省はワシントン・コンセンサスに身を委ね、彼らの利益のため動いている。1980年代に再び米国の脅威となった日本経済の弱体計画がワシントンで練られた。その中心にいたのが米ネオコンである。ブッシュ・ジュニア政権下の2000年代から2010年代にはバリバリのネオコンであるポール・ウォルフォウィッツやロバート・ゼーリックが世銀総裁ポストに就いた。とりわけウォルフォウィッツは1991年ソ連邦崩壊の直後に米国防総省で作成された1992年国防計画指針(DPG)草案を中心となって執筆したことで知られる。米単独覇権宣言書と言える、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンである。DPGを一言でいえば、旧敵国ドイツと日本を米国の覇権拡大計画に組み込んで封じ込め、欧州、中東、東アジアで新たな米国のライバルの出現を防ぐことが謳われている。
ウォルフォウィッツが世銀総裁に就任した2005年は日本では小泉政権による構造改革の仕上げ真っ只中であった。ウォール街から送り込まれた竹中平蔵を経済財政・金融担当大臣に据え、1990年代の日米構造協議を受けた構造調整という名の下で、不良債権処理、郵政民営化、規制緩和を進め、ウォール街、シティの巨大金融資本に日本を売り渡していた。ウォルフォウィッツ・ドクトリンは日本に関しての目標は「日本を米国に対し再び経済的な脅威としないため経済の衰退を進める一方、軍事的には米国の補完勢力として可能な限り利用する」にあった。ならば財務省は森永氏の指摘する日本衰退途上国化を米国とともに推進してきたことになる。1990年代後半のアジア通貨危機の際にIMFが韓国などに突き付けた新自由主義に基づく緊縮財政政策はこの30年財務省が日本で採用した財政金融政策と瓜二つである。
米国債を買い続け、売ることを禁じられ米国に踏み倒されてきた日本。「米国債を売り、金を買いたい衝動に駆られる」と1997年NYで発言した橋本龍太郎元首相は9年後に怪死した=写真=。リーマンショック後、米国国債を日本に買うよう強要した米国に対し、G7財務相中央銀行総裁会議の場で「自分達のツケを日本に回すな」と拒否した当時の中川昭一財務相。中川は2009年2月ローマでのG7会議後に酩酊会見した末、財務大臣を辞任、総選挙で落選後、自宅で不審死した。ローマでの会見に同席した財務官篠原尚之はろれつの回らない中川を一切助けようとしなかった。これを仕組んだのは当時のロバート・ゼーリック世銀総裁との指摘がある。ゼーリックはその後、篠原をIMFナンバー2の副専務理事に推薦したという。その篠原はIMFの名を借りて日本政府に消費税引き上げを勧告している。
日本政府、とりわけ財務省は米国の支配勢力のための組織であり、日本の力なき庶民のためのものではない。