杉田官房副長官を巡る自粛報道 親米右派の系譜-余禄

日本学術会議の会員任命拒否問題。ここにも戦後、米国が採用してきた「共産主義者、リベラル左派を排除する一方で、右翼、復古的国家主義者は掌(てのひら)に載せ、上手く活用する」との対日統治方式が典型的に示されている。前者は自民党政権に批判的で大学やその傘下の研究所での軍事研究に反対する集団、後者の代表は日本会議系のオピニオン機関などが該当する。親米右派とは米国の敷いたこの統治路線の上に載り、そこから決して足を踏み外さない日本の政治グループを指す。GHQ参謀2部が影を落とす公安警察上がりの杉田和博官房副長官がこの系譜に属すことは明らかだ。日本の主要メディアは、意図的に、これに目を背けて自粛している。

【写真関連】日本会議系のオピニオン機関・国家基本問題研究所HPは11日現在、産経、日経、読売への意見広告記事「日本を否定することが正義であるとする『戦後レジューム』の遺物、日本学術会議は廃止せよ」、論壇記事「日本学術会議と日本共産党の関係こそ解明を」などを掲載。また「安全保障は米国、経済は中国」という便法はもはや通用しない」として、米ネオコンの対中決別政策に全面同調するよう訴えている。

 

 

■新ガイドラインと学術会議

本ブログでは問題発覚を受け、まず10月10日、「米国は日本の軍事技術奪う 学術会議騒動の核心」と題する記事を掲載。今回の騒動は「集団的自衛権行使容認と新安保法制を柱とする2015年4月に改定された新日米防衛協力指針に沿い、学術会議に日本の大学や研究機関での軍事研究を容認させるよう迫る米国の意向に日本政府が忠実に従っているために起きた事件である」と捉えた。その裏付けとして「2015年に18年ぶりに改訂された日米防衛協力指針は集団的自衛権行使を合憲とした2014年7月閣議決定翌15年9月に新安保法が制定される5か月前の同年4月に策定された。新ガイドラインには『日米共同の取組 』の項目の筆頭に『防衛装備・技術協力』が挙げられ、新安保法制成立直後の2015年10月に『防衛装備品等の開発及び生産のための基盤の強化を図り、研究開発・調達・補給・管理の適正かつ効率的な遂行並びに国際協力の推進を図ることを任務』とする防衛装備庁が新設されている。「国際協力」とは「対米貢献」の言い換えである。」と記した。

■杉田氏の履歴

続いて10月24日付掲載記事「安倍・菅政権と警察官僚 繋がる戦前・戦後」では、「6人の任命を拒否した”張本人”は杉田和博内閣官房副長官である」と名指しした。

11月に入り国会で野党側から杉田氏の証人喚問を求める声が上がり、ようやく「杉田氏ってどんな人」といった風の記事が掲載されるようになった。

しかし、恐らくタブーとされているのであろう、同氏のワシントンコネクションについて触れられることはない。

11月10日付の毎日新聞デジタル版は杉田氏の経歴をこう紹介している。

「杉田氏は埼玉県出身。東大法学部を卒業後、1966年警察庁に入庁。公安1課長などを経て、94年10月に警備局長に就任。95年3月に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件や、国松孝次警察庁長官狙撃事件、96年12月に起きたペルー日本大使公邸占拠事件などを担当した。

97年には情報収集や調査分析を担う内閣情報調査室長に就任し、「危機管理のプロ」として、内閣情報官や内閣危機管理監も務めた。12年12月に発足した第2次安倍内閣で官房副長官に就任した。

警備・公安畑を歩んできた経歴に加え、内閣人事局長として官僚人事の決定権を握っていることから、霞が関の官僚からは恐れられる存在だ。「杉田氏を怒らせたら本当に怖い」とは、官邸の要職を務めた関係者の述懐だ。」

■経歴の核心部分は何か

本ブログは10月24日付で次のように書いた。毎日の記事がまったく無視した杉田氏の極めて重要な履歴を強調した。

「杉田氏のキャリアで最も注目すべきは2004年に内閣危機管理を退官した後、財団法人世界政経調査会の会長を約7年半勤め、安倍政権の復活とともに内閣官房副長官に就任したことだ。

世界政経調査会の母体は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)所属の対敵諜報部隊(CIC)の下請け機関として設立された、日本の旧軍人による情報収集グループである特務機関「河辺機関」である。東西冷戦の激化とともにGHQの主役が現憲法の草案作りに奔走した民生局から冷戦対処重視のG2へと交代したいわゆる「逆コース」期に「河辺機関」は登場する。…

同機関を母体として、内閣情報調査室のシンクタンクとして設立されたのが「世界政経調査会」で、現在は内閣官房から情報調査委託費が交付されている。初期の内閣情報調査室には河辺機関出身者が多く流入し、現在の役員には(杉田氏のように)警察庁や内閣情報調査室出身の元官僚が名を連ねている。

極右国家主義者集団の日本会議に担がれ戦前回帰的スローガンで登場した末、わずか一年で破たんした第一次安倍政権。安倍を復活させこれを中国やリベラル左派封じに利用しつつ、併せて彼を担ぐ極右政治集団を骨抜きにするー。これはかつてのG2と「河辺機関」の任務と相似する。ワシントンから杉田氏らに課せられた最大のタスクはここにあったのではなかろうか。実際、第二次政権発足後、安倍晋三は第一次政権のキャッチフレーズ「戦後レジュームからの脱却」をほとんど口にしなくなり、「憲法改正の提唱」は有名無実化された。」

■実質的権限握れた背景は?

さらに上記毎日の記事はこう報じた。

私が杉田氏と初めて会ったのは、福岡報道部から政治部に異動直後の4月4日。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、政府が緊急事態宣言を出す直前だった。

 週末の朝、緊張しながら官舎の前で声をかけた。警戒感をあらわにしたが、新任のあいさつとわかると笑顔になり、「よろしくね」と応じてくれた。

 この半年間、コロナ問題をはじめ、安倍政権の終幕、菅政権の誕生と、永田町・霞が関は揺れ動いた。そんな日々の中で政権の中枢にいる杉田氏とのやりとりは緊張感のあるものだった。

 一方で、出勤前や帰宅時には、孫ほど年が離れた記者らと気さくに言葉を交わし、時には「食べきれないから」と、差し入れのお菓子を記者にお裾分けすることもあり、その姿は好々爺(こうこうや)。「妖怪」とはほど遠い。

 とはいえ、杉田氏のもとには、各省庁の次官ら幹部が重要政策の説明や相談のために連日訪れている。表舞台に立つことは少ないが、政府内で実質的な権限を握っていることは確かだ。」(太字強調は筆者)

政治部新人記者が取材源に嫌われないよう忖度しながら記事を書いていることがよくわかる。

一方、11月10日付の日刊ゲンダイ(デジタル版)は「…杉田副長官は内心、「俺の方が総理にふさわしい」と思っているのかもしれない。なるほど、「陰の総理」「官邸の守護神」などと呼ばれているわけだ」と書いている。

周囲は首相や官房長官を飛び越しまるで総理であるかのように恐れているようだ。上の「表舞台に立つことは少ないが、政府内で実質的な権限を握っていることは確かだ」との毎日の記事はそれを裏付ける内容となる。だがこれを書いた毎日記者は「杉田氏が政府内で実質的な権限を掌握している」のはなぜか、その権限の源はどこから来ているかを徹底的に掘り起こして然るべきである。

杉田副長官が証人喚問に応じることはあるまい。

同氏が吉田茂、鳩山一郎、岸信介らを戦後日本の政界に送り出した米国のジャパンロビーの末裔であるジャパンハンドラー及びその周辺で蠢(うごめ)く米ネオコンと結びついている親米右派の系譜にあるのは明らか。

これを報道するのを阻んでいるのが「永田町の論理」を汲む「日本メディアの掟」である。