安倍再登板の背景~ネオコンに仕切られる日米関係 92年中国封じ指針

1991年末のソ連邦消滅は米国を世界唯一の超大国とした。日本でも自民、社会二大政党対立の代名詞であった55年体制が崩壊、小党乱立して新たな政治システム構築が模索された。その過程で1993年に非自民8派連立の細川護熙内閣が成立する。だが国連中心主義を唱えて米国離れの志向を見せたため、虎の尾を踏み1年足らずで崩壊したのは周知の通り。1992年にはシオニストの一部ともいえるネオコン(新保守主義者)が中心となり米国防総省で「冷戦後の世界ではアメリカのライバルとなる超大国の台頭は許さない」とする国防指針が作成されていた。これに伴い、日本は日米安保の再定義を強いられて地球規模で米国に軍事的に徹底追随する道へと追い込まれる。日本はこの30年来、米国の新ライバル国・中国を封じる米ネオコン戦略に牛耳られ続けているのだ。

■w・ブッシュとネオコン

1993年1月に発足したクリントン米政権はポスト冷戦の最大の脅威と位置付けた日本の経済力の弱体化と米国の経済力復活を優先課題とした。国家安全保障会議と並んで経済安全保障会議を設置したのがその証である。日本に関しては、バブル経済崩壊に伴う不良債権処理につけ込み、ハゲタカとの冠がついた投資ファンドをはじめ米企業が日本の有力企業の株を取得して支配を始めた。また新自由主義の徹底化で日本企業の競争力の源とされた「終身雇用、年功序列」を根元から崩し、雇用の非正規・不安定化、労働組合の弱体化、政府系企業の民営化が一層促された。

細川政権を潰したワシントンは1995年にジョセフ・ナイ国防次官補に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」をまとめさせ、1997年の日米安保再定義と新ガイドラインの策定へと進む。こうしてブッシュ政権に入ってアフガン、イラクの自衛隊派遣など日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれる下地が出来上がった。

W・ブッシュ政権(2001~09)になるとネオコン勢力が圧倒するようになる。陰の大統領と言われたジャック・チェイニー副大統領はさておき、最も注目すべきは同政権下で国防副長官や世界銀行総裁を歴任したポール・ウォルフォウィッツ=写真である。彼こそが1992年国防総省指針を中心になって作成した人物だ。

国防文書の正式名は「国防政策指針」。圧政国家への先制攻撃、ミサイル防衛の導入、大量破壊兵器(WMD)拡散防止のため全ての選択肢を放棄しないことなどが明記されている。彼らは唯一の超大国となった米国は国連の集団安全保障体制に縛られることなく、独自の判断で単独で行動できると判断した。指針の草案はウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれる。

米同時多発テロ(9・11)を受けてのタリバン掃討を名目にしたアフガニスタン侵攻はもとより、フランスやドイツの反対を押し切り先制攻撃に踏み切ったイラク戦争。日本の小泉政権がどの国よりも従順に大義のないイラク戦争を支持し、後方支援名目で戦地に自衛隊を派遣したのはいまだ記憶に新しい。

湾岸戦争での対日プロパガンダ:「カネは出しても人は出さない(血は流さない)」の効果は絶大だった。カンボジアへの平和維持活動、アフガン戦争に伴うインド洋での海自の給油活動、そしてイラク。さらにソマリア、ジプチ、南スーダンと自衛隊の派遣拡大は歯止めなく続いている。インド洋、太平洋、東シナ海、南シナ海には多数の護衛艦や潜水艦が単独あるいは米軍とともに恒常的に活動し、航空宇宙分野での軍事共同ネットワーク作りも格段に進んだ。

■鳩山の反動としての安倍

「戦後レジュームの脱却」、「日本を取り戻す」。2007年に1年で崩壊した第一次安倍政権のおなじみのキャッチフレーズである。日本の戦前体制とその価値観を称賛、教育勅語の一部復活、南京事件をはじめ中国侵略の事実上の否定、従軍慰安婦の日本軍の関与否定、さらには米国の対日占領政策への拒絶的な言辞が相次いだ第一次安倍政権は到底ワシントンに受け入れられるものではなかった。

しかし、2009年の政権交代で登場した鳩山由紀夫民主党政権は東シナ海を「友愛の海」と呼び、沖縄の普天間基地移転では日米合意を覆し「国外、最低でも沖縄県外」と主張、そして日中両国を柱に「東アジア共同体」構想を打ち出した。2009年から11年までオバマ政権で国家安全保障会議NSC)のアジア上級部長を務めたジェフリー・ベーダーは講演会で鳩山の東アジア共同体構想を「日米関係の最大の懸念だった」と語ったという。

鳩山政権の登場でワシントンの安倍晋三に対する見方は大きく変化したはず。ワシントンは安倍グループやその後ろ盾の日本会議を有効に利用すれば中国封じに極めて有効と考え、彼らとジャパンハンドラーの拠点・CSISをはじめワシントンとの関係を密なものにしようと動いたようだ。日本会議は親米組織なのだ。一例を挙げよう。米国による日本への治外法権支配の象徴であり、戦後レジュームそのものである「日米地位協定」に対し日本会議は否定的ではないのだ。田久保忠衛・日本会議会長は「地位協定をどう考えるのか」との質問に何かを恐れるかのように口を閉ざしている。

日中友好の流れが断ち切られ、日中間の軍事的緊張を一気に高めたのは鳩山の後任の菅直人政権。中国との関係悪化の決定的な引き金となったのは2010年9月初め、海上保安庁が尖閣諸島周辺で操業中の中国漁船の船長を逮捕した事件だった。この逮捕劇の責任者で当時の国土交通大臣・前原誠司は長年にわたりネオコン系の米シンクタンクやCSISと深いつながりを持つ。米代理人前原は「尖閣の棚上げ」合意をなったものにし、日中関係をずたずたにした。

後継の野田佳彦首相は敗北確実な情勢の中、2012年12月に内閣総辞職し、総選挙で予想通り民主党を惨敗させて安倍超長期政権を招来させることになった。安倍グループの後ろ盾はネオコンだったと見て間違いなかろう。特にウォルフォウィッツの教えを受けた人脈と関係が深いとされており、安倍政権が米国の覇権の維持へ100%日本を関与させたのは当然の流れだった。

政界、官僚、巨大企業経営者、そして多くのメディア関係者は安倍グループの背後を見てたじろぎ、それに追随し、口をつぐんできたのではないか。