第二次大戦直後、米英が主導した戦勝国連合(the United Nations)の安全保障政策における最重要事項は「ドイツと日本を再び脅威としない」ことであった。敗戦国日本では戦勝国連合は国際連合(国連)と訳されて「戦勝国対敗戦国」の識別を曖昧にした。だが国連憲章53条の日本やドイツを指す「敵国条項」は憲章採択から77年経た今日に至るも削除されていない。2つの敗戦国はいずれも奇跡とされた戦後復興を遂げた。日本は激しい対米経済摩擦の末、米国の報復と形容できる1991年金融バブル崩壊を契機とする30年に及ぶ経済停滞で衰退し、今や従順すぎる「アメリカ幕府の外様大名」となった。一方ドイツは1990年東西ドイツ統一の時点で米国に潜在敵国にされていた。表沙汰には滅多にならないが、米英は中国、ロシアと並び今や欧州連合(EU)の盟主ドイツを敵国扱いしている。そこで現在進行中のウクライナ危機を巡って対照的となっているドイツと日本の対米関係の一端を論じてみる。
■安倍人脈とも交流したネオコンの結集
ソ連邦が崩壊したのを受け、米国防総省では米国の単独覇権を唱えるネオコン(新保守主義者)が台頭し、安全保障・国防方針の立案を主導し始めた。彼らは常任理事国5カ国の全会一致を得られなければことが進まない国連安保理を無視する戦略を打ち出す。それは常に対決を余儀なくされ反対票を投じる中国、ロシアを排除し、さらには米国・北大西洋条約機構(NATO)からの「戦略的自律」に固執するフランスを場合によっては忌避するアメリカ単独行動主義の主張に他ならなかった。
1991年12月にソ連が消滅した翌年1992年2月にペンタゴンは秘密文書を作成した。ポスト東西冷戦の米国家安全保障戦略書の一環として国防政策指針が打ち出された。その文書作成にネオコンが結集した。
最高責任者は当時の国防長官リチャード・チェイニーである。チェイニーはリチャード・ニクソン政権では大統領次席法律顧問、ニクソンがウォーターゲート事件により辞任した後はジェラルド・フォード政権で史上最年少の34歳の若さで大統領首席補佐官となった。ブッシュ父政権で国防長官、W・ブッシュ子政権では副大統領となり、ネオコンの第一次全盛期を築く。対テロ戦争がピークに達した2000年代の副大統領時代は「陰の大統領チェイニー」と公然とささやかれた。
中心的役割を担ったのは当時の国防次官ポール・ウォルフォウィッツである。ウォルフォウィッツがイェール大学で政治学を講じていた時代の教え子I・ルイス・リビーも当時国防次官補の職にあり、指針作成に参加している。
指針の骨子は、①世界の秩序は米国によって維持されなければならず、必要とあらば米国は単独でも行動する②大量破壊兵器の製造及び使用、若しくはその恐れのある国家に対しては先制攻撃も辞さない③圧政国家、とりわけイラン、イラク、北朝鮮の脅威に厳正に対処する④ミサイル防衛の整備は急務ーに集約される。要するに、「冷戦後の世界ではアメリカのライバルとなる超大国の台頭は許さない」との宣言だった。後に2001年9月11日の米同時多発テロ事件を受けて登場したブッシュドクトリンと通称される新戦略思想の基礎となる。
話は脱線するが、特筆すべきは、生粋のネオコンであるリビーは安倍晋三及びその日本人脈と深く接したと言われることだ。特に、第一次安倍政権が崩壊した2007年から2012年に第二次政権が発足するまでの間に、ネオコン系シンクタンク・アメリカ新世紀プロジェクト( PNAC)=写真=の論客で政府要職に就いたドナルド・ラムズフェルド、ポール・ウォルフォウィッツ、ジェブ・ブッシュ、リチャード・パール、ディック・チェイニー、ウィリアム・ジョン・ベネット、ザルメイ・ハリルザド、エレン・ボーグ、ジョン・ボルトンらの安倍人脈との交流を仲介したとみられる。
■イラク戦争巡り独と衝突、国連の枠外へ
この指針で圧政国家とされたイランはブッシュ子政権ではならず者国家と言い換えられ、先制攻撃の対象となる。イラク戦争に反対し激しく米国と衝突したのがドイツとフランスだった。EUを主導する独仏両国はイラクと石油売買決済を2002年1月1日に流通開始されたばかりの欧州単一通貨ユーロ=写真=で行うことで合意していた。
ワシントンはこれを米ドルの単独基軸通貨の地位を脅かす敵対行為と糾弾、ネオコンが「ドイツ、フランスは決して許さない」と激怒していると伝えられた。ブッシュ米ネオコン政権にとってついにEUが敵対勢力として台頭したことになり、米国は2003年、イラクのサダムフセイン政権とともに原油のユーロ決済契約を葬り去った。米英などで国連の枠組みを飛び出た有志連合を結成し先制攻撃で軍事介入に踏み切ったイラク戦争はドイツを盟主とするEUとの冷たい戦争の始まりとなる。
ポール・ウォルフォウィッツのまとめた1992年国防政策指針では翌1993年のマーストリヒト条約の発効によって確立する欧州連合(EU)を中国と並ぶ潜在敵国としていた。EUとはすなわち欧州をけん引する地域大国として戦後再び台頭したドイツにほかならない。西ドイツ時代からドイツ政界をリードしてきた容共・親ロシアの社会民主党(SPD)の存在は米保守支配層の目の上の瘤であった。そのSPD党首が2021年末16年ぶりにドイツ首相となり、米国の苛立ちは高まった。
■ウクライナが対ドイツ憎悪を代弁
この証となったのがウクライナ危機の只中、2022年3月17日に行われたウクライナのゼレンスキー大統領の演説だ。
ドイツ連邦議会(下院)でビデオ演説した同大統領はドイツがウクライナと欧州の間に「新たな壁」をつくることに加担してきたと激しく非難。「ロシアとの経済関係を深めてプーチンに戦費を稼がせた上、ウクライナのNATO加盟の要望をはぐらかし、土壇場までロシアとの経済関係を最優先してきた」とこきおろした。
その上で、「ベルリンの壁に代わり、欧州に自由と不自由を隔てる壁ができている。その壁は爆弾が落ちるたび、ウクライナを助ける決定が見送られるたびに高くなる」と述べた挙句、命令口調で「壁を壊せ」とSPD主導のショルツ新政権に迫った。
これはドイツへの憎悪を募らせてきたワシントンの代弁であった。バイデン政権がベルリンに対し敵意に限りなく近い感情を持っていることが露骨に示されたのである。
昨今のウクライナ情勢を巡ってドイツと米国、EUと米英との関係の実態が炙り出されている。
(続く)