自民党は2012年4月に公にした憲法改正草案で国防軍の創設を主張し、その役割として「国民の生命若しくは自由を守るための活動」を挙げた。これに対して米国は4か月後に2012年対日指令書「第3次アーミテージ報告書」を発して「現行の平和憲法は変更するな」と釘を刺し、自衛隊の現状維持を命じた。1950年6月の朝鮮戦争勃発を受けて2か月後に急遽創設された警察予備隊とそれを改組した保安隊を後継する自衛隊は元々朝鮮半島に出動し空白状態となった在日米軍を補完する組織である。自衛隊法には主たる任務として「我が国の平和と独立、国の安全の保持、我が国の防衛」が挙げられているだけで、上記自民党草案でさえ挙げた「国民の生命、(財産)、自由」という国民の基本権の保護が明記されていない。それは自衛隊の原点が、米軍基地・施設の防御を最重視する日本本土防衛、朝鮮半島などからの共産勢力侵攻への対処、日本国内での大規模なテロや暴動に備える治安維持にあるためではなかろうか。6月末東京で開かれた日米2+2は日米対等を演じようとする茶番であった。その合意の内実は1954年の自衛隊発足以来曖昧にされてきた「自衛隊が米軍の指揮下に置かれている」ことを事実上初めて公にすることにあったからだ。
■公式に?米軍の指揮下に入る
米政府はなぜ7月28日に国務(外務)・国防(防衛)担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)の東京での開催を求めたのだろうか。それは8月が広島、長崎の原爆忌、事実上の敗戦記念日をはじめ、戦後日本が敗戦直後から一定期間強く口外してきた「平和国家建設」の誓いを改めて想起する月であるため、その直前に80年近い歳月を重ねた戦後日本が大きな転換期を迎えていることを日本人に告知したかったからと思われる。日米両政府は2010年から米国の核戦力により日本を防衛する「拡大抑止」を事務レベルで協議してきた。今回意図的に閣僚級協議へと引き上げたことで、被爆者らの「核兵器のない世界」を求める悲痛な訴えは中国、ロシアによる核戦力増強や北朝鮮の核・ミサイル開発を口実に非現実論として完全に一蹴されてしまった。
今回の日米2+2は容易に化粧の下の素顔をのぞけるものであった。最大の焦点は日米両軍の指揮統制関係である。「在日米軍の統合軍司令部が横田基地に置かれ、自衛隊も陸海空の三部隊を運用する統合作戦司令部を初めて創設する。日米双方の統合司令部は連携強化を図る」とされ、自衛隊の指揮系統が独立したものとなるとは明記されていない。これは当然で、装備・情報両面で圧倒的に上回る米軍が自衛隊を指揮下に組み入れるのは目に見えている。実際、航空自衛隊の指揮統制組織・航空総隊司令部や海上自衛隊の航空救難情報中枢(RIC)が2012年に東京・府中から米軍横田基地に移転、米軍の指揮統制下に置かれている。自衛隊の設ける統合作戦司令部が在日米軍の統合軍司令部の隷下に置かれるのは火を見るよりも明らかである。
因みに、米戦略国際問題研究所 (CSIS)が2018年10月に公表した対日指令書・第四次アーミテージ・ナイレポートは、最重要事項の一つとして「日米共同統合部隊(combined joint task force )」を創設せよ」と日本政府に命じている。2014年に集団的自衛権の行使容認へと踏み切り、自衛隊は米軍の補完部隊としてグローバルに活動できるとされた。ならば日米共同統合部隊における自衛隊は間違いなく米軍の指揮統制下に置かれる。言葉を換えれば、米軍に編入された日本人部隊と言える。今回の日米2+2の共同文書では「日米の指揮・統制構造について連携を強化する」とお茶を濁した。体面上「自衛隊が米軍の指揮下に入る」とは言えず、ましてや「米軍が日本の指揮統制を受ける場合もある」とみえすいた嘘はつけないからだ。
■空になった在日米軍の代役
そもそも米国は占領期間中に創設した警察予備隊を含め自衛隊をどう使おうとしてきたのか。1950年6月に北朝鮮軍が38度線を突破して韓国に侵攻して朝鮮戦争が勃発した。世上言われているのは、当時のディーン・アチソン米国務長官が1950年1月の演説で極東地域での軍事侵略に断固反撃する共産主義封じ込め「不後退防衛線(アチソン・ライン)」として日本・沖縄・フィリピン・アリューシャン列島を挙げ、朝鮮半島を明確に意思表示しなかったのが災いし、朝鮮戦争を誘発したとされている。だが、これ以上に強調せねばならないのは、トルーマン米政権のみならず、朝鮮情勢については極東方面軍最高司令官のマッカーサー元帥もさほど強い関心がなかったことだ。「朝鮮半島で軍事行動は発生しない」とする米韓の軍事的緩みを察知した金日成がスターリンから侵攻同意を得たことが、決定的な誘発要因と思える。
マッカーサーは1945年8月に着任して以降、日本統治に専念し朝鮮半島に足を運んだのは1回だけだった。北朝鮮の南進準備の情報が再三寄せられても米中央情報局(CIA)を毛嫌いしていたマッカーサーは北朝鮮軍の動向情報を深刻には受け取らなかったという。6月25日の侵攻から数日経て、国務省から「韓国軍は潰走中」との情報を得てようやく事態の深刻さを受け止め始めた。来日中の国務長官顧問ジョン・ダレスに同行していた駐日米大使ジョン・アリソンは「国務省の代表(ダレス)が米軍最高司令官(マッカーサー)にその裏庭で何が起きているかを教える羽目になるとは…」と回想した。
【写真】韓国軍は漢江にかかる橋を爆破しソウル市民を犠牲して逃走した
動揺したマッカーサーは直ちに朝鮮へ向かい、炎上するソウルと壊滅状態の韓国軍を目の当たりにする。そして日本駐留の米陸軍部隊(第8軍)をすべて朝鮮に投入する許可をトルーマン大統領から得た。だが空となる在日米軍基地の防衛、日本での治安維持、朝鮮半島や千島、樺太などからの共産勢力の侵入によるテロや騒乱の発生にどう備えるのか。ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)は1948年から「日本の限定的再軍備」を議論していたが、事態の急展開に焦った。
それでも1950年6月25日の朝鮮戦争勃発から2か月足らずで準軍事組織・警察予備隊が創設された。第8軍全部隊が朝鮮半島に移動してわずか1か月後である。日本人に向けては、再軍備ではなく警察力の増強と強弁したが、当初から軽戦車や榴弾砲なども備えた重武装部隊であった。10月初めには入隊者は7万4000人を超えた。2年後には保安隊となり、さらに2年経て自衛隊となる。再軍備は焦る米国がどさくさに紛れて日本の旧軍関係者の協力を得て成し遂げたものだ。当初から「有事には自衛隊を米軍の指揮下に置く」との密約をはじめ、米国はさまざまな密約を押し付けている。
■永久戦後=永続敗戦の象徴
この経緯からしても、自衛隊が米軍からいささかなりとも自立した組織であり、日本国民の生命、財産を守るための防衛が主目的の組織と考えるのには無理がある。災害救援活動などは除き、軍事面で自衛隊は一貫して米軍の欠を補うための補完軍隊だった。ところが自衛隊発足の翌年1955年に当時の杉原防衛庁長官が国会答弁で「専守防衛」を挙げて以来、日本国民は自衛隊が平和憲法の枠内で日本の防衛に専念する実力組織と信じ込まされてきた。その後の日本の飛躍的な経済成長に伴い、米側からの要求はエスカレートした。応分の負担、責任分担を求める声が高まり、やがて安保ただ乗り批判を経て、駐留米軍への思いやり予算は限りない増額が続いた。そしていつの間にか対等な同盟国と勘違いさせられる「日米同盟」という言葉が定着した。
2024年4月に訪米した際、岸田首相は米議会で「日米両国はかつてなく強固な友好・信頼関係に基づくグローバルなパートナーとなった」と演説した。グローバルパートナーシップとは日米の世界規模での軍事連携を意味する。換言すれば、自衛隊を米軍のグローバルな補完部隊にするとの誓約である。ワシントンは1990年の湾岸戦争で「金だけでなく血も流せ」と自衛隊の派遣を求めて日本政府を驚愕させた。その後、国際平和維持活動(PKO)、掃海艇派遣を嚆矢に、国際貢献の名の下、自衛隊の海外派遣がエスカレート。第二次安倍政権下の2014年、自衛隊の米軍との国外での共同武力行使が憲法9条に違反しないとの法理を超えた集団的自衛権行使が閣議決定で容認された。岸田政権は核兵器廃絶要求と核兵器禁止条約締結拒否とが矛盾しないと強弁する。自衛隊の現状を含めこれこそが対米隷属すなわち永久戦後=永続敗戦の象徴である。
警察予備隊、保安隊、自衛隊、そして防衛大学校などの歩みを調べると、米側にとって最も警戒すべき課題は、旧日本軍の残滓が深く自衛隊関連組織に溜まっていることである。上記のように、あまりに慌ただしく組織されたため、公職追放された旧軍関係者の早期追放解除、佐官以上の旧軍高官の採用、それによる自衛隊・防衛庁での旧軍サークルの形成、その象徴としての田母神元航空幕僚長問題、防衛大学校生徒による横須賀から徹夜徒歩による靖国参拝問題など占領政策と民主化に反する問題が多々ある。もし9月以降も岸田政権が延命することがあれば、安倍問題に続く戦前の残滓の一掃を急ぐことが課題となろう。
関連論考:
「日本人よ今度は米国のために死ね」と米対日司令塔 いつ日本人は安保破棄へと動くのか