日本学術会議の会員候補任命拒否を皮切りに菅義偉首相の「強権ぶり」が取り沙汰されている。だがその強面ぶりも面の皮一枚剥げば権力強化と自己保身、そしてワシントンへの最大級のへつらいが見えてくる。菅氏初の閣僚ポストとなった第一次安倍政権での総務相就任以来、学んだのは人事権を巧妙に駆使し、これを武器に”良質な”情報を官僚に提供させ、それを使ってさらに自分の権力基盤を強化していくことだった。「叩き上げ」は「権力の魔力」に酔う。官僚を畏縮させ、権力に逆らう批判的な学者に人事権を乱用して、徹底恫喝して服従させ、政府の意思決定を迅速化。「日米連携」は加速する。
■新安保法制と同一手口
安倍前政権の強権ぶりの最たるものは集団的自衛権行使を閣議で合憲と容認したことだった。戦争放棄と戦力不保持を謳った現憲法9条のどこをどうひっくり返しても合憲判断は出てこない。ワシントンに「平和憲法を変更せずに集団的自衛権行使を憲法解釈で容認せよ」と命じられたのでそうしたに過ぎない。そこに法理はなく、超法規的な指示への服従があっただけだ。注1
日本学術会議法は、会議を「独立した存在」と規定して、推薦された会員を「内閣総理大臣が任命する」としている。しかも、1983年に政府は「実質的に首相が任命を左右することは考えていない」と国会答弁した。総理の任命権はあくまでも形式的なものであり、任命の拒否権はないという解釈が維持されてきた。だが安倍前政権は2018年に解釈を変更し、拒否権があると改めていた。
これはまったく集団的自衛権行使容認・新安保法制を巡る手口と同様である。歴代内閣は憲法9条のぎりぎりの解釈として専守防衛(個別的自衛権行使容認)と自衛隊「合憲」を維持していたが、この解釈はあっさり覆された。
2つの事件に共通しているのは米国からの指示ゆえに臆面もなく安易に解釈を変え、立憲主義と法の支配をかなぐり捨てたことである。注2
■安倍番頭内閣
今年1月31日には黒川弘務元東京高検検事長の定年延長を閣議決定した。この際、安倍政権はまた同じことをしでかした。1981年に国家公務員法改正案が審議された中で同法の定年延長制度は「検察官には適用されない」と解釈された。これもモリカケ、桜などの疑惑から安倍氏を守れる黒川氏の定年延長をゴリ押しするために、安倍政権は『検察官にも適用できる』とねじ曲げた。
検察庁法、三権分立の原則を無視したこの事件にも「100%米国とともにある」と公言した安倍前首相の出来るだけ長い続投を望んでいたワシントンの影がちらついた。
8年近く安倍政権の番頭格である官房長官を務めた菅首相率いる政権は、いかにちょこまかと独自色を出そうと努めたところで、安倍番頭内閣である。
「省あって国なし」と言われ、国家予算を食い物にする「省益追求の巣」と化している霞ヶ関。そこにメスを入れ官邸によって官僚人事を公正、適正に執行、管理するとの大義名分で2014年に安倍政権下で設けられた内閣人事局は強権人事による高級官僚支配の道具とすり替えられてしまった。
「人事(出世)がすべて」の「エリート官僚」どもには今や首相官邸(内閣官房)にひたすら従うしか道はない。政治・行政改革はおざなりなまま、戦後民主主義の空洞化は確実に加速している。
■「人事」でつかんだ頂点
7年8カ月にわたる官房長官経験は、伝家の宝刀である人事権の強引な行使こそが権力の源泉であることを菅氏に教えたようだ。
実際、菅氏は政治家としての原点を綴ったという著書「政治家の覚悟」(2012年)でこう書いている。
「人事権は大臣(当時は菅氏は総務相)に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。効果的に使えば、組織を引き締めて一体感を高めることができます。とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。」
注1 岩波書店 世界2018年4月号所収「安倍『加憲』案の迷走が示唆するもの 緩まぬ敗戦の軛」を参照されたい
注2 本プログ所収の「米国は日本の軍事技術奪う 学術会議騒動の核心」などを参照されたい