ジャーナリストの田原総一朗が5月21日付ニュースサイト討論記事で4月16日の日米首脳会談で菅義偉首相がバイデン米大統領に対し台湾有事を巡り「日本も戦う」と発言したと語っている。米大統領に「もし中国が台湾を軍事力で攻撃すれば、米国は台湾を助けるために戦う。日本はどうするんだ」と問われた菅首相は「日本も戦う」と答えた-。こう田原は断言した。爆弾発言である。討論に同席した松川るい参院議員は「その点については日本政府も発表していない」とくぎを刺したが、田原は「いやいや、答えたんだ。だからバイデン大統領は満足した」とダメ押しした。田原発言の真意はどこにあるのか。
■ネタ元は安倍前首相か
まず田原発言はまったくの作り話とは思えない。しかし、誇張されているのは確実だ。
騒ぎの根は2015年9月に集団的自衛権の行使容認に基づき新安保法制が成立して、日本は同盟国の有事に参戦できるようになったことにある。
田原は次のように話している。
「僕はもう少しはっきり言う。安倍内閣の時に、従来の憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を限定的に容認すると方向に舵を切った。日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃があり、日本が危険な状況に陥った時は戦争に参加する、と。安倍内閣の安保法制で台湾有事は日本有事になった。だから当然戦うと菅首相は答えたはず。ただ、そういう事態を招かないためにどうすればいいのか。そこなんです。」
ここでは「だから当然戦うと菅首相は答えたはず。」とトーンダウンしている。田原は「参戦する」との菅発言を強い推測の域にとどめた。
この重大発言のネタ元はおそらく安倍晋三前首相であろう。田原は安倍が首相在任時でさえ差しで会えていた。新安保法制が成立した翌年2016年に安倍と面談し、その翌年2017年に日本外国人特派員協会で「秘話」を公にした。
「前年(2016年)に安倍首相と差して話した際、首相から『集団的自衛権の行使を決めたら、アメリカは何も言ってこなくなってきた。アメリカは満足したのだろう。だから、憲法を改正する必要はない』と打ち明けられた。」
■「戦う」は依然禁句
これも推測の域を出ないが、米側が首脳会談に先立つ事務レベル折衝で「安倍内閣の安保法制で台湾有事は日本有事になった。もし中国が台湾を軍事力で攻撃すれば、米国は台湾を助けるために戦う。日本はどうするんだ」と詰め寄ったとしても、日本側は「事態が最高レベルの『存続危機事態』と認定されれば日本は集団的自衛権を発動する」と答えざるを得なかったのではないか。事務レベルの非公式協議とは言え、否、であるが故に、日本政府にとって「戦う」「参戦する」は依然禁句であるはずだ。
実際の首脳会談でも同様のやり取りがあった可能性はある。
その証拠に菅は会談後の共同記者会見で「対中政策について伺いたい。日米両政府は台湾の平和と安定が重要だとの認識で一致してきたところだが、今回の会談でどのようなやりとりが交わされたのか。特に台湾海峡の有事を抑止するために日本ができること、有事が発生した場合に日本ができること、こうした点について、菅首相からバイデン大統領に、どのような説明を行ったのか。何を話し、どんな約束をしたのか」と質問され、「やりとりの詳細は外交上のやりとりのため差し控えます」とはぐらかしている。
菅も、バイデンに厳しく問い詰められたとすれば、返答に窮して「日本は限定的ながら認められている集団的自衛権を行使する」と答えた可能性も大きい。それを集団的自衛権行使容認時の当事者で好戦的志向の安倍は田原に「菅さんは『日本も戦う』と話した」と話を膨らませたのではないか。あるいは「集団的自衛権を行使すると言ったのは『日本も戦う』と言ったのと同じこと」などと安倍が軽口を叩いたのを田原は「菅が『日本も戦う』と言った」と吹聴した可能性もある。
■「平和的解決」に固執した菅政権?
とにかく、前掲記事「ハンバーグ午餐が示唆するバイデン、菅の不協和」、「『台湾有事は日本有事』 日本を台湾防衛の盾に仕上げる米」などの記事で強調したように日本側のスタンスは「両岸問題は直接の対話による平和的解決」が基本だ。菅は最後までこれを崩すまいと抵抗し続けたと思われる。もし「日本も戦う」と公言すれば、沖縄を中心に日本の世論は激しく反発して炎上し、確実に政権の命取りとなる。
「だからバイデン大統領は満足した」との田原の言い分が正しければ、バイデンが菅に対し前代未聞の不遜な、外交儀礼上も非礼極まる態度を取るはずがない。一連のバイデン政権の振る舞いは菅政権の対応が満足とはほど遠かったことを如実に示している。(写真)
5月21日の米韓首脳会談では対中国姿勢を巡り米国の要請に一定程度応じた韓国の文在寅大統領は好物のカニ料理の昼食を振る舞われるなどバイデン米大統領に歓待され=写真=、ワクチン支援も約束された。手の付けられなかったハンバーク一個の午餐に象徴された、重苦しく、極めて冷たい雰囲気だった菅義偉首相に対する受け入れとは好対照となった。それはコロナ禍から半ば解放されたような雰囲気に包まれた米国社会の現状だけでは決して説明できまい。