露国内でのもう一つの対ウクライナ戦争 モスクワ郊外テロ事件の真相は

3月22日にモスクワ郊外コンサート会場で発生し143人が死亡した露テロ事件。不可解な点が多々指摘されている。3月7日に在モスクワ米国大使館は「過激派がモスクワでコンサートを含む大規模な集会を標的にしている」と在ロシア米国人に警告した。これに対しプーチン政権は「明白な脅迫」として米国の警告を退けた。事件発生後はロシア警備当局が犯人を現場で拘束できず、ウクライナ国境の手前で逮捕した。プーチン大統領は「ウクライナは犯人に国境超えの窓を用意していた」と述べ、テロ事件にウクライナ政府が関与したと断定した。なぜ国境をまたぐ大掛かりなテロが可能になったのか。世界に希に見る多民族国家ロシアにおけるイスラム教徒住民は移民労働者を含め3000万人超、ロシア国内のウクライナ系住民は約200万人に上る。2014年のマイダンクーデター以降、ウクライナはロシアから密かに招き入れ米英軍・NATOに訓練されたイスラムテロリスト勢力やネオナチ・特殊部隊の拠点となった。ロシアに戻った彼らは露国内の情報を絶えずウクライナにいる米英諜報機関員に伝え、ロシア社会を不安定にする機をうかがっている。

ロシアの米英・NATOやウクライナとの可視化されにくいもう一つの戦争がロシア国内でし烈に展開されている。それは反体制運動家とされ北極圏にある刑務所に収監されていたナワリヌイが死亡した際のウクライナ当局の言動に露呈した。ウクライナ国防省のブダノフ情報総局長は2月25日、「ナワリヌイの死因は、血栓症による自然死だった」と明言し、「ロシア当局が意図的に殺害した」との米英側の見方を否定した。ブダノフ総局長は記者団に対し「失望させるかもしれないが、彼が血栓症で亡くなったことがほぼ裏付けられた。残念ながら自然死だ」と述べた。ウクライナ国防省の諜報活動統括者のこの発言はナワルヌイが収監されていた監獄内にもウクライナの諜報員が潜入できていたことを露骨なまでに示唆した。

プーチン大統領は事件発生後、「ジハーディスト(聖戦主義者)らは西側諸国とウクライナの情報機関の支援を受けていた」と非難した。だがウクライナ側は「ロシアのうそ」と一蹴した。しかし、「ナワルヌイは残念ながら自然死だ」と断定したブダノフ・ウクライナ国防省情報総局長は「殺害ではなく自然死である」との根拠を示していない。ウクライナから送り込んだ諜報員の情報とは口が裂けても言えないし、発言を聞いた記者らは今回の事件でプーチンが非難したように「西側諸国とウクライナの情報機関の支援を受けている」活動家のネットワークがロシア国内に張り巡らされているのは先刻承知のはず。ナワルヌイの死因情報を正しいと受け入れた記者たちにとって、今回のテロ事件の実行犯と西側諸国やウクライナとが一体化しているのは当然のことではなかろうか。

1950年朝鮮戦争勃発前ごろからシベリアに抑留されていた旧日本軍将兵らが日本に大量に帰還し始めた。連合国軍総司令部(GHQ)の情報統括部門G2は有能と認めた旧軍人を戦犯に問わず、公職追放も行わず工作員として活用した。彼らの多くがソ連との二重スパイだったという。日本国内で日本人相手に情報収集し、工作活動に当たるには日本人を使う以外ない。米ソ対立が顕在化し、朝鮮半島での緊張も高まっており、主に北朝鮮情報の収集やソ連のスパイ摘発などに当たっていた。その後、民政局(GS)との政争に勝利したG2はこの諜報機関を日本の共産主義勢力の弱体化にも利用した。キャノン機関とも呼ばれたこの機関は、柿の木坂機関、矢板機関、日高機関、伊藤機関と呼ばれる日本人工作員組織を傘下においた。下山事件、三鷹事件、松川事件という1949年の国鉄3大未解決事件への関与も疑われた。

ウクライナ保安庁(SBU)は、ウクライナの法執行機関で、ウクライナにおけるソ連時代のソ連国家保安委員会 (KGB) の後継機関。対外諜報機能は2004年ウクライナ対外情報庁に移管された。対外諜報機能は2004年ウクライナ対外情報庁に移管され、特殊遠距離通信・情報保護部は2006年にウクライナ国家特殊通信庁に権限移管され、いずれも高度な情報収集能力を持つという。このような諜報機関を抱える現在のウクライナにおける対ロシア諜報活動は言うまでもなく米英が主導している。端的に言えば、CIAとMI6である。占領下の日本で蓄積されたノウハウは今日のウクライナでも生かされているはずだ。

末尾ながら、ウクライナ戦争の主犯ともいうべきビクトリア・ヌーランド米国務次官が3月5日に事実上解任された。在モスクワ米国大使館がテロ警戒情報を出した二日前だ。ミュンヘン安保会議をプーチン糾弾の場とすべくナワルヌイの死亡を「プーチンによる殺害」としたかったヌーラントは「殺害ではなく自然死である」とのブダノフ・ウクライナ国防省情報総局長の2月25日の発言により政治的な致命傷を負ったと思える。ウクライナ戦争継続を主張するネオコン強硬派は失脚した。ウクライナ戦争は停戦へと進み、米英NATOは路線転換し、ロシア、周辺旧ソ連圏諸国の内部かく乱へと移行する可能性が高い。

 

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