高度成長政策に潜んだ核武装 池田勇人の軍事カード外交論と岸田政権 敗戦78年(2)

2019年末に財務省で行われた財務大臣定例会見で麻生太郎は自民党の保守本流派閥「宏池会」の創始者で1960年に首相に就任した池田勇人についてこう語った。「あんたたち意外に思うだろうけど、池田さんは熱烈な改憲論者だったんだ。ところが総理大臣になるととたんに、新興宗教染みた『寛容と忍耐』と『所得倍増』をキャッチフレーズにして経済成長路線を打ち出した」。

”占領下の大宰相”に祀り上げられ、池田の政治の師とされる吉田茂が母方の祖父であり、当時大学生だった麻生の発言の信ぴょう性は高い。ただし、池田が胸の内に秘めたとされる憲法改正には岸信介を祖とする現在の自民党最大派閥・清和会(安倍派)のそれと異なり、米占領政策を否定する戦前回帰志向を帯びた国粋的な色合いは薄い。池田は「外交力を高めるには経済力だけではだめで軍事力の後ろ盾が絶対必要」という”リアルポリテックス”の信奉者だった。しかしながら憲法9条が謳う「戦力不保持・戦争放棄」の改訂は政策上封印された。

■看板挿げ替えた宏池会

ここ20年余り「清和会」が自民党主流・政権派閥となる中、「宏池会」は第4派閥にまで衰退。岸田文雄はその第9代会長ながら、2021年に第27代自由民主党総裁 、 第100代内閣総理大臣 に就任できた。それは戦後保守本流・宏池会が1960年代以来維持してきた「軽武装経済優先」をかなぐりすて、米国に管理、指示されながら、従順に中国包囲網の中核となるべく「大軍拡」の断行を決意したためである。化粧の剥がれ落ちた保守本流ハト派の看板は“広島出身”の岸田によって「核兵器のない世界の実現」に塗り替えられた。ところが、対米配慮から岸田率いる日本政府は2021年に発効した核兵器禁止条約会議のオブザーバー参加すら拒み、「核拡散防止条約=NPTを国際社会が結束して維持・強化していくべき」と主張するにとどめる。岸田は核廃絶の具体的な道筋をまったく示せないでいる。

1976年の三木武夫以来、ほぼ毎年8月6日、9日の広島、長崎の被爆者慰霊・平和祈念式典に内閣総理大臣が参列してきた。岸田は2023年の挨拶でも前年の「細く、険しく、難しかろうとも『核兵器のない世界』への道のりを歩んでいく」と比べて大同小異の具体策のない美辞麗句を踏襲した。岸田の口から繰り返され発せられた「核兵器のない世界」との言葉が未曾有の惨禍から78年経過した広島の地に空しく響いた。

なによりも被爆者や核廃絶運動に関わる人たちの怒りと失望をかっているのは岸田の核兵器禁止条約を侮辱する「(禁止条約は)『核兵器のない世界』に対して現実に資さないのみならず、核保有国と非保有国の対立を深めるという意味で逆効果になりかねない」(2017年3月28日、自民党政調会長当時)との発言だ。首相就任後の所信表明演説でも「核兵器のない世界」は標ぼうしつつも、核兵器禁止条約に一言も触れなかった。

岸田はバラク・オバマにならって、「核なき世界」を口にする。だが、自身それが実現し得るとはおそらく考えていないであろう。実際は日本が自前での核武装を事実上禁じられ米国の核抑止力に頼らざるを得ないので、米国の「核の傘」「拡大核抑止」に依存するとしているだけではなかろうか。実は、宏池会創始者で「軍事力の裏付けのない外交は無力」と嘆いた池田勇人は核武装論者であった。ウィキペディアによると、酒が進むと池田は毎度のように核武装について話しはじめるので、周囲は「被爆地広島を選挙区に持つ政治家の発言することではない」と諫めたが聴きいれなかった、という。岸田の胸の内には池田の核武装論が重くのしかかっているのではないか。

岸田がためらいなく核武装を容認していることを示す文書が自ら議長を務めた2023年5月のG7広島サミットで打ち出された広島ビジョンである。核兵器削減の継続をうたう一方、「防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争や威圧を防止する」と核抑止論を正当化した。米国の核の傘に依存せざるを得ない米国の軍事保護国の立場にある日本政府の長とはいえ、核抑止論をもって、戦争をあおるような会議になった。一縷の望みを絶たれ、怒りに震えている」(日本原水爆被害者団体協議会の木戸季市事務局長)との抗議の声に何一つ応えられなかった。

■外圧?「岸田への総理禅譲」

岸田が「核なき世界の実現をライフワークとする」と語り始めたのは第二次安倍政権の外務大臣時代だ。その在任期間は歴代最長の2012年12月から2016年8月となった。この間、安倍政権は、米国の対日勧告書・2012年アーミテージ報告書を丸呑みする形で、2014年に集団的自衛権行使を閣議決定で容認し、2015年に自衛隊を米軍と集団防衛できる軍事組織とした新安保法制が成立。自衛隊は世界どこででも米軍とともに戦えるようになり、加えて防衛費倍増という大軍拡が目論まれて、戦後日本の安保・軍事政策は大転換した。

外相は首相と並ぶ安保・外交政策の最高責任者である。このため、リベラルを標榜するハト派の宏池会は「軽武装経済優先」にかわる新たなキャッチフレーズを必要とした。それは世間にアピールする「核なき世界の実現」と粉飾された。実態は「核軍縮の推進」がせいぜいであるにも関わらず、である。ここで看過できないのは、岸田の外相在任期間が長くなるにしたがい、「安倍晋三は岸田を後継者とみている」、「総理総裁の座は岸田に禅譲される」との声がどこからともなく沸き上がり始め、いつの間にか「岸田が安倍の後継者」が定着していったことだ。

常識的に考えて、事態の推移、経過からして、ネオコンが牛耳る米政府、またその背後にいる米権力中枢が「岸田への禅譲」を安倍に促したとみるのが素直な見方であろう。言うまでもなく、日本の対米従属、米国のパペットぶりは最高権力者である総理総裁の人選に最も顕著に現れる。だがそうであるが故にすべては水面下で極秘に動く。これを強調すると「反米原理主義だ」と非難、揶揄するする向きが現れる。だが米国が日本の首相選びに介入しないわけがない。2022年12月掲載の「米国の日本支配に背を向け敗戦否認する政治報道 報道の自由放棄し戦後史歪曲 | Press Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男) (yasuoy.com)」で強調したように、日本の政治報道はワシントンの干渉への言及をタブーとし、戦後史の真相を隠蔽してきた。

■日本の核武装を封じる

安倍晋三が岸田への禅譲に強く反発した証が2021年自民党総裁選に復古的右翼思想を共有し”二卵性双生児”の妹と揶揄できる高市早苗を擁立したことだ。銃殺される直前の2022年2月に「プーチンのウクライナ侵攻への一定の理解」、同3月には「米国との核共有の提案」と安倍は次々と虎の尾を踏む発言を繰り返した。恐らく安倍は「自分はワシントンに使い捨てされた」と痛感していたために、無意識にせよレッドラインを超えたのであろう。これについては2023年6月から7月に掲載した「米ネオコンが安倍に激怒した理由 元首相暗殺事件再考1 | Press Activity 1995~ Yasuo Kaji(加治康男) (yasuoy.com)~同3」を参照されたい。

安倍亡き後、自民党安倍派やそれを取り巻く右翼言論人らから対米自立と一体となった日本核武装の主張が公然と吹き出している。ワシントンが日本に核武装を決して許さないことは第二次大戦後の世界秩序の重要な柱として「ドイツと日本を再び脅威としない」を挙げたことを考えれば容易に理解できる。ただ日本を「米国管理下の軍事大国」とするには反中国・親台湾で軍事大国志向の安倍派が必要だった。

本ブログでは米国の戦後対日政策の要諦が「日本を反共の強固な砦とするとともに、同時にそれに利用した右翼国粋主義者を封じ込めること」であったことを繰り返し強調してきた。岸田宏池会政権はこの20年間主流となっていた安倍・清和会を封じ込める役割を担って登場したとみるべきだ。実際、日米安保条約改定を受け退陣した岸信介に代わったのが日本に未曽有の“繁栄”をもたらした池田政権とその経済成長政策である。以来30年近く、福田赳夫内閣を除き、田中派を含めた宏池会が戦前回帰の復古思想に固執する清和会を封じ込めていた。

■岸田の池田「軍拡志向」継承

東條内閣の商工大臣だった岸信介は日米が開戦し、本国へ送還される直前の駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーをゴルフに誘っている。敗戦後の日本をハンドルしたジャパンロビー、アメリカ対日協議会(ACJ)を取り仕切ったグルーは岸を高く評価し、巣鴨拘置所からの岸の釈放にも深く関与したのは間違いない。しかし、岸のアメリカ政界人脈は主として戦前、戦中のものであり、戦後の戦犯容疑解除後はハリー・カーンをはじめとするCIA裏人脈に覆われた。対して、池田は講和条約、日米安保条約締結に向けて日本の再軍備を巡り激論を交わした池田・ロバートソン会議をはじめ吉田の代理として訪米を繰り返す。戦後のアメリカ政界主流との絆を強固にし、首相就任に伴い「経済成長路線」を推進、安保闘争で頂点に達した日本人の反米感情緩和に努めた。

ワシントンにとって、核武装も改憲も決して表に出さなかった池田と宏池会の継承者岸田は「危なくない日本の政治グループ」なのである。池田の秘書官伊藤昌哉は「池田の評価される経済重視は安保軽視と一致するのではなく、憲法改正で再軍備が不可能な内は日米安保にあえて触れないことで維持することだった。この路線を現実的な日本の安全保障とし、早く経済規模に見合った国際的地位や外交の幅を広げる再軍備を望む本心が池田にあった」と回顧している。しかし、中国やグローバルサウスの著しい台頭で伊藤が回顧した60年前の国際情勢は今や激変した。

岸田も内心では「解釈改憲により日本は軍事大国となり、国際的地位や外交力の幅を広げました」と池田に語り掛けているかもしれない。しかし同時に、G7が衰退の只中にあり、対米従属継続の限界があまりに露呈する中でも、自立的に日本のかじ取りに乗り出す気概はまったくみられない。安倍暗殺が永田町を震撼させ、米国裏世界の恐ろしさをこの上なく知らしめたからでもあろう。