このところ幾つかのメディアが、自民党筋の話として、「安倍晋三元首相の国葬儀は麻生太郎副総裁が岸田首相を強引に説き伏せて決まった」と報道している。かなり精度の高い情報と思える。だがその説得は麻生単独のものとは到底思えない。麻生はワシントンの意思を踏まえて岸田に指示したとみる他ない。本ブログはこれまで「国葬の日程9月27日はワシントンの意向で日中国交正常化50周年記念日9月29日を念頭に置いて決定された」と推察してきた。澎湃として沸き起こる反対の声を無視し、まるで自爆するかのように国葬実施へと突き進む岸田首相。この際、安倍国葬の決定過程を精査するとともに、吉田茂に始まる麻生一族の100年に及ぶ親米系譜も念頭に入れながら、既成メディアが決して触れない岸田政権生みの親麻生太郎の権力の源を探ってみる。
■シンクロする麻生と下村の恫喝
まずは不明な国葬儀の決定過程を公開情報を踏まえて推測してみる。
安倍晋三元首相が参院選の応援演説中に奈良市内で銃撃され7月8日に死去した。10日の参院選投開票を控え、直後は表立った動きはなかった。通夜が11日夜、東京・芝公園の増上寺で営まれた。安倍派会長代理の下村博文前政調会長は通夜への参列を終え、CIAエーゼント正力松太郎創設の日本テレビBS系の深夜番組に出演、「安倍氏の国葬を行うべきだ」と声を上げた。文科相時代(2012-14)の旧統一教会の世界平和統一家庭連合への名称変更への関与が疑われている安倍側近の一人、下村は「安倍さんが死去した後岸田文雄首相が安倍派を軽視すれば、リベラル系の岸田首相は清和研(安倍派)がつかんでいた自民党のコアとなっている保守層からの支持を失う」と恫喝した。
東南アジア外遊中のブリンケン米国務長官が急遽来日して11日午前10時半ごろ、首相官邸で10分間ほど岸田首相に弔意を伝達した。同日営まれた安倍元首相の通夜には元々訪日が決まっていたイエレン米財務長官=写真=に参列させている。ブリンケン一行の動きは官邸で岸田首相を表敬して弔辞コメントを表明、バイデン大統領の遺族への書簡が手渡されたことが報道されただけ。滞日中のその他の動きは一切不明である。イエレンは12日午後に日米財務相会議に出席、同日午後に営まれた安倍家族葬にいつ離日したかも不明のブリンケンの姿はなかった。<詳しくは8月30日掲載記事「安倍国葬巡り自主決定装う日本政府、加担する既成メディア」などを参照されたい。>
12日午後の家族葬が終わるや否や「#安倍晋三の国葬に賛成します」とのハッシュタグのついたツイッターが出回り、保守系著名人もこれに賛同し始めた。すると翌13日の各紙朝刊は「家族葬を終え、政府・自民党は12日、各国弔問団などが参列する大規模な葬儀を今秋に執り行う方向で検討に入った。党内からは戦後2例目となる「国葬」を主張する声も出ている」(朝日新聞)などとと一斉に報じた。
光文社系ネットメディアは9月6日付記事で、無派閥の自民党議員の話として「亡くなった直後は、内閣と自民党の合同葬の方向で話が進んでいた。それを巻き戻したのが麻生太郎副総裁で、“保守派が騒ぎだすから”と、岸田さんに3回も電話をしたそうだ。最後は『これは理屈じゃねんだよ』と、強い口調だった」と報じている。
麻生は12日午後の安倍家族葬で友人代表として弔辞を読んだ。弔辞の内容からみても、「恐らく麻生は11日中に官邸や外務省関係者、清和会幹部らとともに少なくともエマニュエル駐日大使率いる米政府関係者と安倍国葬を協議した。この前にブリンケン国務長官が麻生、菅義偉前首相クラスの自民党トップ級人物と密談した可能性もある。これを踏まえて、麻生は11日夜から12日午前にかけて岸田に電話を入れた。岸田が躊躇し即答を避けたので電話は3回に及んだ。」こう推測せざるをえない。そうすると13日朝刊の「家族葬を終え、政府・自民党は12日、各国弔問団が参列する大規模葬儀を執り行う方向で検討。党内から『国葬』の声も」との報道と符合する。
麻生の3回目とみられる電話での『これは理屈じゃねんだよ』とのダメ押し発言は『国葬実施は米国の強い意向だから理屈じゃねんだ』と言い換え可能。麻生に逆らい難い岸田首相は急き立てられるかのように翌14日に内閣の意向として「9月に安倍氏の国葬を執り行う」と発表、同22日には閣議決定した、とみて大過ないと思われる。「保守派が騒ぎだすから」との麻生の岸田への警告は、下村がBS日テレ番組で行った「(岸田は)自民党のコアである保守層からの支持を失う」との恫喝とシンクロする。つまり、警告と恫喝は7月11日の夜にタイミングをあわせ、同時に起こっている。
■バイデン政権の前代未聞の対応
麻生の7月12日安倍家族葬での弔辞の内容からもバイデン米政権による「介入の跡」が読み取れる。
「間違いなく、戦後の日本が生んだ最も優れた政治家」「積極的な安倍外交は、持ち前のセンスと、類まれなる胆力によって、各国の首脳からも一目置かれ、日本のプレゼンス、存在を飛躍的に高めた」「総理退任後も、ことあるごとに『安倍は何と言っている』と、各国首脳が漏らしたことに私は日本人として誇らしい気持ちを持った」「世界が今、大きな変革の下に、各国が歩むべき王道を迷い、見失い、進むべき羅針盤を必要とする今この時に、あなたを失ってしまった」
この麻生の安倍評価は米国から発せられた安倍礼賛の言葉と完全に重なる。
安倍元首相が狙撃された7月8日午前11時半はワシントン時間7月7日午後10時半。バイデン大統領は翌8日朝には、「安倍元首相の死去に関する声明」を発表しただけでなく他国のしかも現職元首でない人物の死去に関して大統領布告を行った。布告文で大統領は「日本の歴史上、最も長く首相を務めた安倍晋三氏は…(民主・共和)両党の米国大統領とともに、両国の同盟を深め、自由で開かれたインド太平洋のための共通ビジョンを推進した」と讃えた。さらには7月10日の日没まで、ホワイトハウス、全公共施設、全軍事施設と海軍基地、国外の全米国大使館などで国旗を半旗で掲揚する指示まで行った。これは米国の現職で死去した副大統領に準ずる措置。前代未聞である。
【写真】バイデンは安倍が暗殺された7月8日、ワシントンDCに隣接するバージニア州のCIA本部を訪問し、設立75周年を記念するイベントに参加する予定になっていた。ホワイトハウスで安倍追悼声明を出した後、バイデンはCIA本部に出向き、CIA本部にある殉職者を追悼する「メモリアル・ウォール」の前でスピーチを行った。 この演説でも安倍を追悼した。
米側の安倍評価は「自由で開かれたインド太平洋構想の提案者であり日米同盟を飛躍的に強化したこと」に集約される。ジャパンハンドラーの総元締め、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官はNYで「彼はアメリカの同盟国としてアジアの枠組みの柱となる不可欠な日本を築き上げた」とコメントした。
安倍の祖父岸信介が1948年12月に巣鴨拘置所から釈放されると、真っ先に接触した米国人がCIAと一体となっていた当時の米誌「ニューズウィーク」外信部長ハリー・カーンであった。今日のニューズウィーク誌には「グレン・カール CIAが視る世界(Glenn Karl The world as seen by the CIA)」というコラムがある。2019年末には世界主要国リーダーに通信簿をつけ、12月25日付で「安倍晋三の成績表:景気刺激策、対米対中外交、防衛力強化…もしかして史上最高の首相?」とのタイトルの記事が掲載された。安倍は次のように称賛されていた。
「安倍は防衛費を10%以上増やし、インドと軍事的な戦略的パートナーシップを締結。2018年には、海上自衛隊の潜水艦を南シナ海に極秘派遣した。気まぐれで無知なアメリカ大統領が、何度も日本を見放しそうになるなか、日本の安全保障にとって必要不可欠な日米安保条約の維持にも努めた。」「アジアで中国が強大な影響力を持ち、アメリカの地盤沈下が進むなか、日本は戦後75年で初めて、真の意味での『独り立ち』を迫られている。その意味で、安倍は最高司令官として高い評価に値する。」
これら米国側の安倍評価は「自由で開かれたインド太平洋というビジョンを提起し、日米同盟を強化した類稀な功績を残す」「最高の首相」で一致。麻生の弔辞にある「各国」を「米国」に置き換えればそのエッセンスは米国サイドのものと瓜二つ。麻生は11日深夜か12日午前に弔辞をしたためたとみられる。その脳裏にはブリンケンやエマニュエルの言葉が刻み込まれていた、との憶測は度を越えたものとは思えない。
■出自対照的な麻生・安倍コンビ
維新の三傑の一人、大久保利通の次男で、宮中グループの中心人物だった牧野伸顕の娘婿で外交官を経て首相となる吉田茂の孫が麻生太郎である。天皇及び宮中周辺に狂信的な皇室崇拝者を置くことを嫌った元老西園寺公望に「穏健な英米協調派で自由主義的傾向が強い」と見込まれた牧野は1920年代から30年代前半に宮内大臣、内大臣を務めた。吉田は戦前から戦中にかけて岳父牧野や外相幣原喜重郎らの対米協調路線を支え、対米開戦に反対、大戦末期には戦争終結工作グループの中心人物として憲兵隊により検挙・逮捕されている。
米国占領下の1946年5月に幣原喜重郎の後継として戦後三人目の首相となった吉田茂は戦後政治の保守本流派閥「宏池会」の源となる吉田学校で後継人材を育成した。この吉田の娘を母、石炭富豪で吉田側近議員となる麻生多賀吉を父に持つ麻生は39歳で政界入りし宏池会所属議員となる。妹は三笠宮信子。英米型自由主義政治を尊重してきたとされる吉田・麻生一族の系譜は米エスタブリッシュメントにとって最も信頼のおけるものである。
一方、安倍晋三はA級戦犯容疑者として収監されながら米国の冷戦対策・反共政策に全面協力させるため釈放された岸信介を祖父を持つ。岸、安倍はソ連圏の膨張を裏工作で阻止、破壊することを任務としたCIAやカルトの統一教会、右翼国家主義者との濃密な関係構築を余儀なくされた。一貫して米英と軋轢なく結びついた正統派の吉田・麻生一族とは対照的な「汚れた仕事」の担い手という宿命を担った。
だが1979年に政界入り後の麻生のキャリアは決して順風満帆ではなかった。1999年に長年所属した加藤紘一率いる宏池会を離脱、河野洋平グループ(大勇会)の旗揚げに参加。しかし11人の弱小派閥で、領袖河野は親中・ハト派、派のメンバーは麻生を筆頭に親台湾派のタカ派議員が大半なため派閥に求心力がなかった。麻生は2006年に大勇会を継承する新派閥として為公会(麻生派)を立ち上げ、2008年9月に行われた福田康夫総裁辞任に伴う自民党総裁選で会長の麻生が自由民主党総裁に選出された。
しかし、麻生は2007年自民党総裁選に安倍後継で立候補した際、8派閥が福田康夫を擁立して麻生包囲網を形成して総スカンを食らった。総裁に選出された2008年の総裁選でも第二次麻生包囲網が敷かれそうになった。2007年選挙では派閥領袖の総スカンにかかわらず、敗れはしたが、下馬評を覆して197票を獲得した。
2008年に総裁に選出された後は総裁派閥として順調に勢力を拡大したが、2009年の民主党への政権交代選挙で大敗、麻生は自民党総裁を辞任。派閥は10人余りに衰退した。自民党議員の間での麻生への支持は再び下落する。
2012年9月に安倍が再度自民党総裁に選ばれたことが、麻生の転機となった。総裁選では高村派と協力して安倍晋三を支持、当初不利とみられていた安倍を当選させる原動力となったとされる。安倍再登板で影響力の衰えを指摘されていた麻生は一躍党内随一の有力者となった。麻生派も求心力を上げ新人議員を多く獲得、有力派閥となる。
現在では所属議員50人を超え最大派閥安倍派に次ぐ地位を平成会(茂木派)と争っている。既成メディアは、2021年自民党総裁選では第4派閥「宏池会」を率いる岸田は麻生の力で勝利したと伝える。だがその力の源泉について触れることはない。
■副総理から副総裁に:不思議な人事
第二次安倍政権の7年8カ月と後継の菅義偉政権(2020-2021)の1年1カ月の約9年間一貫して副総理兼財務大臣の地位にあり、岸田文雄現政権(2021-)では自民党副総裁に就任、後継の財務相には義弟(妻の弟)の鈴木俊一を据えた。この10年間、総理・総裁に寄り添うもう1人の実質最高権力者であり続けている。麻生が後任者のいない副総理を辞し、前任者のいない副総裁ポストについても、日本の既成メディアは「この不思議な人事」に決して深いメスを入れようとしない。
本ブログは安倍再登板には米国の強力な支援があったと主張してきた。麻生派が高村派と協力して安倍を再度自民党総裁とする原動力になったとされるが、上記のように総裁選で2度にわたり包囲網を敷かれるほど不人気だった麻生が一躍党内随一の有力者になったのはなぜか。ジャパンハンドラーをはじめ裏舞台での米国支配層の後押しがあったからに他なるまい。自民党の正統派・宏池会の出身であるうえ、時代の潮流とされた親ネオコンで台湾寄りタカ派の麻生は安倍とコンビを組ませ、ハンドルするのに最適であるからだ。
総理(首相)・総裁と異なり世論の批判の矢面に立たずに済む副総理・副総裁という鵺的な地位を設けさせて、ワシントンは麻生を通じて日本の政治をハンドルしているー。こうみれば麻生は曾祖父牧野伸顕ら宮中グループが戦前から培った米権力中枢であるロックフェラーやモルガンといったウオール街・巨大金融資本と太いパイプを持つ、彼らの代理人ということになる。
【写真】対日司令塔とされる米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)で「アベノミクス」について講演する麻生副総理兼財務相(2013年4月、ワシントン市内で)
■総理を指示する副総裁
麻生は初出馬した1979年の演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。2003年10月にホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所経営の収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病の時代ですから」と発言し、事実に反する上に差別的だとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから猛烈な抗議を受けた。2013年7月には改憲を巡り「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と語った。無知と傲慢をさらけ出す暴言の数々は枚挙に暇がない。
暴言王と揶揄されるこの人物が安倍を苦しめたモリカケ・桜のようなスキャンダルに一切見舞われることなく10年続けて事実上の最高権力者として振る舞っている。麻生は国葬問題で岸田首相を説得したのではなく、「つべこべ言わずやれ」と指示したのだ。万一、岸田が政権を放り出せば、麻生への政権臨時移譲も起こり得るのではないか。
麻生からの指示が明るみに出ると、岸田は9月10日に仲間うちの議員や記者らに「国葬は麻生さんが言いだしたことだと一部メディアが書いているが、そうじゃない。安倍元首相が亡くなったと聞いたその瞬間、俺が、国葬と決めた。…浅慮だった」 と打ち明けたとの報道が出た。「亡くなったと聞いたその瞬間、俺が、国葬と決めた」。本当にこう言ったのなら麻生からの電話情報が漏洩したことに動揺してのことだ。「聞いたその瞬間」に独断で決められるわけがない。
日本の「副総理」は辞令等に記載される正式な官職名ではなく、官職として存在するものではない。自民党の党則でも「副総裁」の設置は任意であり、平常時においては明文上の具体的職掌を持たないとされている。この有名無実な役職にある人物に強大な実権を持たせ続ける異常事態が常態になっている。
2022年3月。こんな記事が産経新聞に出た。
「自民党の麻生太郎副総裁は9日、米国のラーム・エマニュエル駐日大使と党本部で会談し、ロシアの侵攻を受けるウクライナ情勢をめぐり意見交換した。会談後、エマニュエル氏は日本の対露制裁措置について『日本が前例のない形で示したリーダーシップを、世界は評価している』と記者団に述べた。」
米大使は普段、麻生とは米大使館を含め密室で会談するのだろうが、時には記者クラブのある自民党本部で公然と副総裁と会い、米政府にとって日本の最高権力者は誰であるかを示唆しようとしているのだろう。